アーサー②
男は、どうみても明らかにお客といえる様子ではなかった。
帽子を目深く被り、鼻から首まで黒いストールでぐるぐる覆っていたため顔は半分もわからない。薄手のジャケットに古びたジーンズ。頑丈そうなブーツ。
背負っている色あせた緑のリュックは随分と重そうだ。
「悪いが、もう閉めるんだ」
この場違いな男を追い出す目的もあったが、閉店時間なのも確かだった。
ドゥニールはさっさと店の戸締りをして帰りたい気持ちでいっぱいだったので、男の前に立ちふさがり売るもんはなにもない、出で行けといった。
「……買い取ってくれないか。珍しい、ものだ」
聞き取りにくいしゃがれた声で男は言った。
ああ、なるほど。そっちのお客かとドゥニールは納得し鼻をフンと鳴らした。
ドゥニールの店は毛皮や剥製を売っている。観光客や町にいる一握りの金持ちに。
目の前のくたびれた男が買えるものはない。
こういう男がたまに来る。
なんでか知らんがわざわざ海を越えてアフリカにやってきた白人連中。たいていは数年で立ち去るが、ほらみろ。
ここに居ついたところで大した仕事もなく、こいつみたいに動物の死骸を売る暮らしだ。手にしたわずかな金で酒でも買うんだろう。
浮浪者と同じだ。
野良猫の方がもっとうまく暮らしている。
「どれ、見せてみろ」
男に対する生理的嫌悪感を隠そうともせず、リュックをすぐ横のテーブルに置かせて、中身を確認しようとしたドゥニールの目に飛び込んできたのは、黒いナイフだった。
頭に浮かんだ皮を剥がれた小動物の映像は、突然胸元を襲った激痛にかき消された。
刺されたと意識するより先に男の姿が視界から消え、その後続けざまに右足そして左足に千切れたような痛みが。
足の甲がナイフで深くえぐられたと気付いたのは、床に転がってからだった。
逃げようとしたが胸と両足の激痛のせいでなかなか起き上がれない。そうしているうちに男はドゥニールに馬乗りになり、両手を縛り上げてしまった。
ドゥニールには警報を押す間も、護身用の銃を取り出すヒマもなかった。
声をあげようと口をあけたが、男はどこから取り出したのか小汚いタオルを詰め込まれ、ドゥニールは転がされた丸太のようになり、ただ血を流すばかりとなった。
そして気付き始めた。こいつは金目当ての強盗じゃないと。
金目当ての連中とは違う。
目の奥がおかしいこれはこいつは怒り狂っている。
自分はこれからもっと酷い目にあうだろう。
男は店の中をゆっくり歩いている。
カーテンは閉められ店は閉じたようにされた。
男は、急に立ち止まったかと思えば剥製をじっと見つめている。
ライオンの親子、とぐろを巻いた蛇、イボイノシシの子の群れ、壁から突き出たアンテロープの上半身に、背中に派手な鳥を乗せたカバ。
そして店の、地下に行くための入り口の真横。
番犬のように置かれたヒョウを見て、男は制止した。ずっと。動こうとしない。
ドゥニールが芋虫のように身をくねらせ男から距離を置いていても気にしていないようだ。
「ハート」
ドゥニールにはそう聞こえた。
ハート。
この店に来て男が発した二言目だなと、ドゥニールは思った。
ヒョウは確かにハートを持っていた。額に小さなハート柄があったのだ。
ここにくる客はそれを見て皆感激し写真を撮っていったものだ。
ドゥニール自身気に入って売らずに残しておいた。なにせ手に入れるのにもとんだ邪魔が……。