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4.王様の悪夢

 

 逆さ茸の笠の中で眠っていた私は、薄い襞の隣が煩いことに気付いて目を覚ました。ぐにぐにと動く襞ごしの寝返りが邪魔で、ぐいーと押してみる。だけど向こうの動きは止まらない。しかも何だか唸っている。

「王様ぁ、うるさい……」

 纏っていたマントからごそごそ抜け出し、膝立ちで襞の向こうを覗き込む。

 隣で眠っている王様が魘されていた。もがくように手足をばたつかせ、眉間に山脈を作っている。うるさいから更に隣の襞まで移動しようかなと欠伸していると、苦しそうに胸を握り締めていた手が、がしりと私の手首を掴んだ。魘されているときに大欠伸して申し訳ありませんでした。三秒くらい猛省するんで離して頂けると嬉しいです。

「…………何故だ」

「え?」

 寝言だと分かっているのに、あまりに苦しげな声に思わず聞き返してしまう。王様は、まるで胸に毒を塗られたかのような声で、絞り出すように言葉を放つ。

「お前が、俺を裏切るのか……」

「王様、痛いっ」

 起こしたほうがいいのだろうか。

 そう思うのに、躊躇ってしまう。私は人間のことはあまりよく知らないし、知りたくはないけど、たぶんこれは。

「エルザっ……!」

 王様にとって、知られたくないことなんじゃないだろうか。



 聞かなかったことにしよう。王様が話すつもりがないことを穿り返すほど、私は王様のことが知りたいとは思わないのだから。

 ただ、王様が口に出したそれが女性名だということは分かって、そういえば王様の名前はなんていうんだろうと、ちょっとだけ気になった。

 悪夢で冷え切って無意識に暖を求めた手が私を抱き寄せる。背中も腰もがっちり捕まっていて、身動ぎ一つで一苦労だ。私は固い胸板に頬を寄せて溜息をついた。悪夢で魘される人間に追い打ちをかけるほど鬼畜ではない。夢魔が見せるのは悪夢ではないのだ。快楽と精気を食事とする夢魔にとって悪夢は敵といっても過言ではない。その夢魔の血を引くものとして、悪夢を見ている人間が少しでも魘されないようにするのは別におかしなことじゃないのだ。

 そう自分に言い聞かせて目を閉じる。

 沼の上ではそれどころじゃなかったけど、他者の体温は、どうしてこうも柔らかいのだろう。そして、どうしてこうも懐かしいのか。

 ことんことんと動く心臓の音にとろりと眠気が現れた頃、旋毛にぽつりと吐息が降る。

「待ってくれ……行かないでくれ」

「王様?」

「ダーシャ……」

 …………また女性名だった。

 まさかとは思うけど、浮名を流し過ぎて恨まれたとかそんなんじゃないですよね? まあ、興味ないんですけども!



 ちなみに、王様の起床と共に私の身体はぶん投げられた。お前が引っ張ったんだと抗議したけどふんぞり返っていて腹が立ったので、逆さ茸の根を擽ってやる。盛大にくしゃみした茸の胞子と共に、王様も空高く舞い上がった。

 ざまあみろ。







 王様は、ふうっと憂いを帯びた息を吐いた。

「なあ、メリアよ」

「はあ」

「俺達は、もっと話し合うべきだと思う」

「はあ」

 自分でも気のない返事だなと思っているのだから、きっと相手も思っている。だけど王様は、いつもの怒りっぽさをどうやら持っていたらしい堪忍袋に仕舞いこみ、にこりと外交向けの笑みを浮かべた。

「俺達はもっとこう……互いの事を、知り合うべきだと思わないか?」

「いえ、全然」

「思え、馬鹿者!」

 堪忍袋は粗悪品だったらしく、既にブチ切れた。王様なのだからもっと質の良い物を購入すべきだ。


 私は美味しそうな毒色をした林檎を齧りながら王様を見上げた。別にいいじゃないか。頭に獣耳が生えて、耳が合計四つになるくらい。

 新たに生えた耳をぴんっと立てたその手には、私が齧っている林檎と同じものがある。あっという間に半分ほど齧られていたから、美味しかったんだと思う。

「俺は聞いたな? 人間が食べられるものか聞いたな?」

「私答えましたよね? 王様今は一応私の眷属扱いなんで、私が食べられるものは食べられるって」

「現に耳が生えただろうが!」

「私にだって生えましたよ!」

 王様の耳でピルピル動くあれは狼の耳だろうか。狼人間があんな耳をしていた。私のはなんだろう。触った感じ形は王様と似たようなものだけど。もしゃもしゃ林檎を齧りながら、通りすがりの鏡虫を捕まえて羽を開く。カナブンのような外見だけど、甲殻の下に美しく磨き上げられた鏡が隠されているのだ。外敵に食べられそうになった時、これで驚かせて逃げるのである。

 私は自分の頭を見て、うげっと声を上げた。王様とお揃いだ。

「それはなんだ?」

「鏡虫です」

「……おお、鏡だ」

「だから鏡虫ですってば」

 物珍しげに鏡虫を覗き込んでいる王様だったけど、触るのは嫌らしい。近づけたら離れた。心なしか耳がぺしょっているので、若干怖いようだ。この程度の虫で怖がっていたら、それこそ蟲を見たらどうなるんだろう。

 林檎の芯をぺいっと捨てる。地面から生えた真白い手がそれを掴み、地面に引きずり込んでいった。

 青褪めた王様が、さりげなく私の隣に寄ってくる。

「…………今のはなんだ?」

「手ですね」

「見れば分かる」

「じゃあ聞かないでくださいよ」

「何の手だと聞いている!」

「知りませんよ! 手の存在意義なんて神様にでも聞いてください! 王様だってその手は何の手だって聞かれたら困るでしょ!?」

「何の手も何も、これは俺の手だ!」

 まったく、細かいことを気にする男だ。人間ってこういうのが普通なのだろうか。

 王様は半分ほど齧った林檎と地面を交互に見た。

「……捨てなかったらどうなる?」

「首持ってかれますね。なんの為にわざわざ逆さ茸探して眠ったと思ってるんですか。ここ、あの手の生息地だからですよ」

「……だから、それを先に言えとあれほどだな!」

 地面へ向けて叩きつけられた林檎は、砕ける前に真白い手にナイスキャッチされた。勿論、王様は飛び上がって驚き、私を突き飛ばした。もう林檎を掴んだ手はそこにはないから別にいいんだけど、突き飛ばされたことにはしっかりイラついたので、耳の除去方法はしばらく教えてあげない方針でいこう。

 まあ、その内勝手になくなるんだけど。




「俺は、悟った」

「はあ」

「最初に大まかな予定を聞き、逐一質問をしてから出立したほうがいいのではないかと」

「はあ」

「俺の精神衛生上、それが一番いいのではないかと」

「はあ」

「というかだな」

「はあ」

「俺はずっとそう言っているな?」

「はあ」

「何故改善されない」

「面倒だからですね」

 王様は偉そうに組んでいた足を逆にした。長い足ですね。私だって負けていませんよ。私も足を逆にした。ついでに腕組みもしてみる。王様の腕は左右に開かれていて、所在無げだ。何してるのかなと思ったけど、もしかすると癖なのかもしれない。椅子だとあの辺に手を置く気がする。

「……メリアよ、俺はな。王なんだ」

「だから王様って言ってるじゃないですか」

「たとえ弟に暗殺されかけてここにいようが、一応十年以上は王をやっていたわけでな?」

「ほお」

 疲れたように両手で顔を覆った王様は、がっくりと項垂れた。

「ここまで蔑な扱いをされたのは生まれて初めてだよ……」

「王様の初めて貰ったって全然嬉しくないです」

「俺とてお前に捧げても嬉しくもなんともないわ!」

 項垂れたり怒鳴ったり、王様はどうやら情緒不安定のようだ。そりゃまあ、弟に暗殺されかけて魔界に落とされたら大変ですよね。精神安定効果がある茸食べます? 尻尾生えますけど。



「地上への入り口も動いちゃうんで、ちゃんと地図確認しながら行ってるんですよ、これでも」

「土地が動くのは不便なものだな……」

「指が生えない人間よりは便利ですよ?」

 ふさふさの尻尾を揺らしながら、王様が一緒に地図を覗き込む。その視線の先で、山を示す図がぐにゃりと歪んで巨大な亀になった。

「……おい、山はどこ行った?」

「亀だったんですね。擬態解いたんでしょう」

「亀……」

「あれ? でもこの亀」

 まじまじと地図を見つめる。看板が出たら当たりだけど、どうかな。私につられて、王様もじっと地図を見つめる。王様、尻尾当たってくすぐったい。

 しばし待っていると、亀の一部がぼやけて『闇市開催!』の看板が現れた。

「やった! 市だ! 王様、おやつ買っていきましょう!」

 偶にぽつぽつと現れる流れの商人の出店ではなく、街が丸々店になっている亀の闇市は、魔界の住民にとって一大イベントである。私はうきうきと飛び跳ねた。

「魔界の常識は俺には分からんが、それ以外に必要な物があるんじゃないのか?」

 とんでもないことを言い出した王様にくるりと向き直る。

「王様」

「何だ」

「私、血を吸えないんで、食料で生命維持するしかないんですよ?」

「…………俺もだ」

「…………ああ!」

「今更思い至ったのか!? 地上ではそれ、わりと普通の事だからな!?」

 耳と尻尾がぴぃんっと伸びあがった王様は、自分の尻尾を撫でながら肩を落とした。

「…………ああ、癒される」

「だって精神安定用の茸ですもん」

「もともと尻尾が生えている奴はどうなるんだ?」

「二本になります」

「…………それ、癒されるか?」

「わりと」

「そうか」

 王様はなんともいえない顔をしたけど、それ以上何も言わなかったのでよしとしよう。この茸そこら辺に生えているし、他に似たものもないから間違えないし、王様は気が滅入りそうなときは自分で食べたらいいと思う。私も、王様に尻尾が生えていたら、あ、なんか疲れてたんだなと思うので。思うだけだけど。

 それはどうでもいいとしても、何はともあれ闇市だ!

 私は財布をぱかりと開いて中身を確認し、買い物を前にうきうきと胸を弾ませた。




 遠目にも分かる土埃で、亀の移動はすぐに分かる。山に擬態できるほど大きな亀は、ゆっくりゆっくりと進んでいく。その周りを、飛べるものは空から、飛べない物は地面を走って追いかける。

「あれは、どうやって乗るんだ?」

「横に尺取蟲つけた鋼蔦がぶら下がってるんで、それ掴んだら勝手に上まで飛び上がってくれます。でもあれ、尺取蟲は自分の都合で尺取ってるだけなんで、飛び乗り損ねたらまた下まで戻されますから、頑張って甲羅に飛び移ってください」

「落ちれば?」

「死ぬか生きてます」

「…………だよなぁ」

 王様は自信なさ気に亀を見上げた。誰にだって初めてはある。私だって初めて闇市を利用した時はお父さんに一緒にやってもらった。それくらいはしてあげるかと肩を竦める。

 亀自体の歩みは酷く遅い。ただ、巨大な為、一歩進まれると距離を稼がれる。更に舞い上がる砂埃で視界が霞む。王様と私は、マントで顔を覆いながら亀に走り寄った。王様は亀の天辺を見ようと首を上げていくが、下からだと上は見えないくらい大きいから無理だ。どこかでぶぎゃと奇妙な悲鳴が上がる。

「……おい、今の声はなんだ?」

「さあ、誰か踏まれたんじゃないですか?」

「…………客を踏み潰す店か。新しいな」

「この亀、恐らく万年は生きてますよ?」

 どうでもいいことを話しながら、ぶらぶらと揺れている鋼蔦を見つける。並行して走りながら、王様に掴むよう促す。言うとおり掴んだ王様の手の上下の位置で私も掴む。王様の背中越しに伸ばしているので、王様を腕の中に閉じ込める体勢だ。これ、逆なら恋愛小説だぁと思ったけれど、逆であろうが相手が王様なのが悲しい。世界って世知辛い。

「いきますよ。合図するまで放さないでくださいね!」

 ぐいっと下に引っ張った途端、尺取虫が驚いて跳ねあがる。ぽぉんっと重力なんてないかのように軽々と身体が持ち上げられる。

 沼の上を飛んだ時なんて比じゃない高さだ。空の中に直接放り込まれる感覚は、空を飛べるものにさえ感慨に近い感覚を与える。

 広がった視界には、今日もいい魔界荒れの空。色とりどりの雲が渦を巻き、落雷が森に落ちる。森は反発する磁石のように落雷を避けてぽっかりと円形の場所を開けた。

「王様! 手を放して!」

 充分すぎるほどの高さを越えたのに、王様は呆然と景色を見ている。このままだとまた下まで落とされる上に、尺取虫は二人分の勢いで伸びた。長くなっている分、地面に叩きつけられる。

「王様!」

 耳元で怒鳴っても反応が返らない。景色に見惚れているにしてもこれはおかしいと、蔦から手を離して王様の肩に乗せ、身体をぐるりと回す。肩車の体勢で王様の顔を覗き込む。焦点が合っていない。はっと顔を上げると、掌ほどの大きさの小さな生き物がきゃらきゃらと笑っている。虫のような羽から鱗粉をきらきらと振り撒き、薄布の衣装から光を発する少女は妖精だ。愛らしい外見と動作で人間には人気が高いと聞く。でも、わりと肉食系女子だ。

「それ、美味しそう。ちょうだい?」

 長い舌がちらりとのぞく口からは、小さくてもずらりと並ぶ牙が見える。妖精自体は力も弱いからそこまで気をつけなければならない相手ではないものの、気が他所へ逸れていたり、弱っていたりするとそこにつけこまれてしまう。動きを奪われたら群れが寄ってきて食われる。

「ねえ、ちょうだい?」

「人の連れにちょっかい出すな。その羽毟り取るぞ!」

 牙を向けて怒鳴れば、妖精はぷくりと頬を膨らませた。けれど、私の顔を見てぎょっと顔色を変える。

「壊れ糸のメリア!?」

 妖精は銀青の羽をぴんっと先まで伸ばし切り、きゃああと金切声を上げて慌てて逃げ出した。同時に、がくんと身体が落下を始める。尺取虫のお帰りだ。

「王様、目を覚ましてくださいってば!」

 剥き出しの太腿で頬を挟んで固定したまま、脳天に肘打ちを食らわせる。痺れが指先まで走り抜けていく。

「痛っ……!」

 瞳の色が戻った王様は、顔の左右にある私の太腿をがしりと掴んだ。

「お前、幾らなんでも王の顔にこれはないだろう!?」

「助けてあげたんだから文句言わないでくださいよ! いいからとっとと甲羅に飛び移れ!」

 気を奪われていてもその辺りはぼんやりと理解していたのだろう。王様はそれ以上文句は言わず、舌打ち一つで蔦から手を放した。そして、私を乗せたままずだんと甲羅に着地する。

「早く場所移動しないと、次のが来ちゃいますよ!」

 ふぅと安堵の息を吐いた王様の頭をべしべし叩く。

「お前はそこからどけ!」

 文句を言った王様は、足元に影が落ちたのに気付いて慌てて上を向く。毛むくじゃらの土男が降ってきたのを見て真顔になり、私を乗せたまますっくと立ちあがると、物凄い勢いで走り出した。安全圏に進むまでも、どすんどすんとあちこちから重たい音が続く。亀の甲羅の外周は、闇市への着地地点なので、早くどかないと踏み潰される。しかも、尺取虫を使うのは空を飛べない重たいものが多いので、ぺしゃんこにされるのだ。

 私を下ろすことも忘れて、青褪めた真顔で走る王様の頭に肘を乗せる。

 昔こうやってお父さんとお母さんに肩車してもらって市を見て回ったなぁと、酷く懐かしい気分だ。あれは、どのくらい昔の話だったのだろうか。



 もう、思い出せない。





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