3.王様とシビト
「大体、吸血鬼に吸血を勧めて罵られるのは俺が初めてだと思うぞ」
「まあ、人間の王様を人間界まで案内してる吸血鬼も私が初めてですしね」
ほら、そこ、もっと奥まで抉り削げ。
王様は、私の指示通りこんがり焼けた食人樹の樹皮を剥ぎ取った後、中から現れた真白い部分をこそげ取っていく。触りたくないのか、剣に乗せたまま放り投げてくるそれを受け取って布で包む。
「……そんな物どうするんだ。まさか、食べるわけじゃないだろうな、悪食め」
「食べたかったら止めはしませんけど、お勧めしませんよ。美味しくないですし……人間が食べたら美味しく感じるのかな。一回食べてみます?」
「いらん」
きっぱり断られた。断固とした決意を感じる。
王様は剣を拭きたそうにしているけれど、自分のマントで拭くのも躊躇われるらしく、その辺に生えている大きめの葉っぱを生やした草に手を伸ばした。
「あ」
「噛まれたぞ!?」
王様の手には葉饅頭状態に包んだ葉っぱが引っ付いている。まあ、包んで蒸したり焼いたりする系の葉っぱは、基本的に剥がれる運命にあるんだけど。
「そりゃ噛まれますよ。誰だって自分で汚れ拭こうとされたら嫌ですし。先に詰まないと」
「詰もうとしても噛まるのではないのか?」
「なんで剣使わないんですか?」
人の事馬鹿呼ばわりしたけど、この男も相当だと思う。まあ、魔界に落とされて気が動転しているのかもしれないけど。
「…………剣を拭きたかっただけなんだが」
私は、切り取った葉っぱで剣を拭いている男を見ながら、先の長い道のりを思ってため息をついた。
まばらに生えたり、ぎゅうぎゅう詰めにひしめき合う木を避けて進んでいく。ここは森の中なのだけど、木の生え方がまばらなのは地形が変わったり、木自体が動くからだ。
「で、さっきのあれは何に使うんだ」
もう噛まれたくも追いかけられたくもないのか、王様は私の後ろをてくてくとついてくる。案内人というよりは生贄要素が強い気がするのは気のせいだろうか。どうやら人間というものは魔界についての知識がまるでないらしいので、そのほうが私も気が楽ではある。また食人樹連れてきて腹痛に襲われるのは御免だ。まあ、何かあったら王様突き飛ばして逃げようとは思っている。
膝丈の草を飛び越えたら、続いて王様も飛び越えた。どうしよう、単に気分が乗って飛び越えただけとはいえない雰囲気だ。
「最近、この辺でシビト出るって聞いたから、お守りです」
「シビト?」
「死んだ人間の事ですよ。この辺に出てるのは、怨念纏った奴ですね。地上で祓われた奴は何故か魔界に放棄されるんですけど、すっごい迷惑なんですよねぇ。まあ、中には勝手に降りてきてるのもいますけど。不平不満で凝り固まって、それしか見えない状態で死んだ奴みたいです。そういう念ばかりに染まってるから、周りは何も見えない盲目状態になってるのに、音がしたら問答無用で襲ってくるんですよ。何故か鼻は利くから、食人樹の匂いがしたら近づいてこないんですけど」
魔物は魔界から出てくるなと人間は言うそうだが、自分達は不都合を魔界に捨てていくんだから迷惑な話である。
「……なら、過去に祓われたとされるそういう奴らは、消滅したわけではなく、今も魔界を彷徨っているというわけか?」
「さあ? 中には倒された奴もいるんじゃないですか?」
魔族は基本的に個人、または群主義なのだ。他の種族のことは知らないし、興味もない。同じ種族であっても、群れが違えば情報交換程度しか交流が無かったりもする。まあ、人それぞれだろう。
「魔王様は魔界の存続の為には動きますけど、後は基本放置の方針なんで。そんな些末事でわざわざ魔族に召集かけたりしませんし。まあ、命令下ったら各自討伐に向かうくらいじゃないですかね」
そこまで話したところで、私は足を止めた。
「あ、ちょうどいましたね。あれですよ、あれ」
「シビトか?」
王様は中腰になり、私の肩越しに私が指さす方向を見る。盾か? 盾なのか?
視線の先では、眼孔から黒い靄を噴き出しながら足を引きずって歩くシビトがいた。彼らの眼は怨念に覆われていてそれしか見えない。だけど音には凄く敏感で、別に彼らの事を言ったわけじゃない笑い声にまで反応して襲いかかってくる。ぱかりと開いた口から、何か声のようなものを発しているけれど、それらは全部瞳を覆う黒靄と同じものとなり吐き出され続けている。もくもくと何かを燃やしているみたいに黒煙を吐き続けるのだ。
私は山火事のような黒煙を指さした。
「ちなみにあの靄に触れられると、もれなく毒ります」
「どくる……毒るか」
彼等は、自分は問答無用で毒を撒き散らして他者を傷つける癖に、自分への害意に異様に鼻が利く。だから食人樹が有効なのである。
東西南北上下左右にまで気紛れに吹く風向きが変わる。今まで風下だったこっちが風上に変わった途端、シビトはそれまでの緩慢な動作はなんだったのかと疑いたくなる機敏さで駆け出していく。
その後ろ姿が見えなくなるまで見送る。
「あっち火竜が巣作りしてたんで、食べられるんじゃないかなぁ」
「……竜は人を食らうのか?」
「岩も食べますよ?」
別に人に限らない。図体が大きいので、好き嫌いしていて膨れるお腹ではないのだ。
「……ああいう、シビトは、他にもいるのか?」
「結構いますよ? 延々と文句ぶつくさ言ってる奴が家の近所に現れた時は、眠れなくて睡眠不足になっちゃいました」
「シビトとは、そういう奴ばかりなのか?」
「明るい性格の死者はとっとと昇ってますしね。昇天の光が見えないのか、見ようとしないのかは知りませんけど、そういうのが彷徨うんで残るのは自然とそうなっていきますよ」
急に静かになった王様に首を傾げる。
「王様?」
「……お前に話すことは何もない」
「はあ、私も特に聞きたいことはないです」
「…………」
かろうじて興味があるとすれば、その、なんともいえない顔はやめてほしい。興味というか文句だけどせっかくだから伝えてみたら、なんともいえない顔DXになってしまった。人間って分かんない。
鏡でも見せたらいいかなと、鏡虫を探していると、王様は全然関係ないことに気付いた。
「そういえば、お前は俺の名を聞かないのだな」
「え、それ知って私に何かいいことが?」
だったら聞こう、今すぐ聞こう。そわそわしたら、王様は呆れた目を返してきた。いや、むしろ逆か? 聞かないことで私に不都合が? ……その場合でも今すぐ聞いたほうがよさそうだ。
身構えた私に、王様は肩を竦めた。
「魔族は人間の名前を欲しがるものだと思っていただけだ」
「名乗らせて名前奪って、魂ごと縛る魔族もいるにはいますけど、そんな手間暇労力懸けたいほど王様に興味ないですし。それに、王様だって私のことお前としか呼ばないじゃないですか。それともなんですか? 呼ばれたかったんですか? 私に? 仕方ないなぁ。面倒だけど呼んであげますよ、宝石三割増しですからね」
「…………絶対名乗らん」
私の宝石がぁ! おやつがぁ!
私は王様の胸倉に掴みかかった。
「ええっ、そんなぁ! だって王様のことなんて興味ないから、普通自分から聞きませんって! 知ってどうするんですかつまらない! でも聞いてほしいなら聞いてあげますから宝石! あの、さくっほろぉな宝石三割増しー!」
「絶対に、例え死んでも貴様にだけは名乗るものか!」
王様は肩を怒らせて私の手を振り払う。まったく、なんて怒りっぽい男だ。怒りどころがさっぱり分からない!
みっちりと隙間なく生い茂る木に邪魔されて、横に横にと迂回する。ようやく見つけた隙間の先は、森の中にぽっかりと出来た空洞だった。空洞といっても、木が生えていない野原になっている。ぽつんぽつんと点在する石の道先には、また森が続いていた。ぐるりと野原を覆う形で森がある。見える範囲の木は、所狭しと密着していた。
黄土色にぬめる石を飛び越えていく私の後ろを、マントの裾が触れるのが嫌らしくマントを抱えて王様がついてくる。
「どうして地面を歩かないんだ」
不満げな声が後ろからぶつぶつと飛んできた。滑らないよう気をつけて振り向く。
「え? この下底なし沼ですけど、沈みたいんならまあ、止めはしませんが……人間の趣味って分からない……」
王様の眼が盛大に彷徨って、毒々しい可憐な花が揺れる一角に視線を固定した。
「……花が、咲いているぞ」
「咲いてますね」
「普通に、草も生えているぞ」
「生えてますね」
「兎もいるぞ」
「王様を誘ってる魔物ですね。傍に行こうとして沼に落ちたら、絡みつかれて溶かされます。生きてる獲物のほうが好物らしくって、頭はしばらく出しててくれますから、窒息では死にませんけど」
「…………」
草の陰からぴょこぴょここっちを覗いている真っ白な兎。そもそも、岩がこれだけぬめっているのに、その下で揺れている兎が真っ白なのはおかしいと気づいてほしい。
「ちなみにあれ、触覚です」
「…………先ほどから思っていたんだが、お前、俺に情報渡すのが遅くないか?」
「え? 説明しなきゃいけなかったんですか?」
人間って面倒くさい。
思いっきり顔と声に出した私に、王様は無言で胸元を探った。その指に摘ままれているのは、親指の爪ほどの大きさの宝石がついた指輪だ。
「これからは、危険な場所は逐一説明しろ。お前が連れているのは魔界初心者だといい加減覚えろ」
「はーい」
面倒だなぁと思いつつ、両手はいそいそと指輪に向かう。美味しそう。王様が持っている指輪だから、きっと上質だ。あ、台座は要らないです。
にこにこと宝石を受け取ろうとした私は、にっこりと笑ってその手を引っ込めた。王様の眼が一気に不審さを増す。怪訝を一直線に通り越し、そこには疑いの眼しかない。
「……どうした?」
「うふっ」
くるりと方向転換した私の後ろから、王様が怒鳴る。
「おい、待て!」
「あははははー!」
絶対止まらない。ぬめる石から落ちないように気をつけながら、出せる速度全開でぴょんぴょん飛び越えていく。広い底なし沼には何故か必ずこういう飛び石がある。誰が設置しているのかは誰も知らないので、魔界666不思議の一つになっていた。
「待てと言っているだろう!」
「ぎゃあ!」
すぐ後ろで聞こえてきた声に飛び跳ねる。でも、振り返る暇も惜しくて次の石に飛び移った。
「なんで追いつくんですか!」
「足の長さを考えろ!」
「成程!」
そこは盲点だった。
「俺の後ろに何がいる!? 白状しろ!」
そして、そこまでばれているらしい。人間って色んな意味で面倒だ。魔界初心者の癖に!
凄く嫌だけど、一瞬だけ後ろを振り返る。やっぱり見間違えじゃない。青褪めた王様の肩越しに真っ黒な影が見えた。シビトが吐いていた黒靄よりはっきりとした輪郭を持つものの、あれよりも薄い黒色だ。人の形をしたそれは、たったったっと軽快な動作で石の上を走ってくる。のっぺりとした身体を軽やかにくねらせて、それだけ見ればまるで「あっそぼー」と言わんばかりの陽気さだ。
血の気の失せた私の顔を見て、王様の顔は土気色になっていく。事態は分からなくても、危機感は伝わったのだろう。出来れば伝わらず、呑気に歩いていてほしかった。その隙に逃げ切りたかった私は、説明する暇も惜しいと視線を戻し、ぴたりと立ち止まる。他に道のない飛び石の上で、先頭が止まったものだから王様は酷く慌てて自らの身体に制止をかけた。それでも止まりきれず、私の乗っている小さな飛び石に飛び移ってきてしまう。衝撃で落ちかけた私を一応掴んでくれたのは、絶対私の為じゃない。
「おい! 説明しろ! 後、何で止ま…………前から来ているあれは何だ」
「…………後ろからも来てますよ」
「何!?」
ぐるりと振り返った王様は、ぬめる石に足を取られないようそれ以上余計な動きをせず、その位置で止まった。背中合わせで前と後ろを見る。視線の先でたったったっと、まるでスキップしているみたいな陽気な動き。顔もないし、手足の先などはぼんやりとしてただの丸に見えるのに、人型である不気味さ。
「か、影喰いと言ってですね!」
「ああ!」
「追いつかれると影に中の血肉全部喰われて、外面奪われます! 獲物に定めた個体の形を模して追ってきます!」
つまり、いま奴らの獲物は確実に私達ということである。
「奴の好物は!?」
「女子供!」
「よしっ!」
「あと人間!」
「くそっ!」
まさかと思いますけど、私を生贄にして逃げるつもりだったんじゃないですよね。そんな、私と同じことしようとしないでくださいよ。王ともあろう人が!
私と王様は狭い石の上で背中を押し合いへし合いして、無意味な諍いを繰り広げる。
「おい!」
「なんですか!」
背中を向けたまま、王様の掌が顔の横から回ってきた。
「吸え!」
「人を血を吸う便利な道具みたいに思ってませんか!?」
「寧ろかなり不便な道具だと思っている!」
このやろう。
言いたいことは多々あるけれど、今はそれどころじゃない。私はぐわっと口を開いた。
「量いきますよ!」
「殺すなよ!?」
「王様殺すくらい吸ったら、私が死にますよ!」
筋張った手首を舐めてから、がぶりと喰らいつく。流石に指のような吸い方したら痛いだろうからちゃんと舐めて痛みを軽減させてあげたのに、舌打ちが聞こえた。このやろう。
どろりとした粘着質でいて一滴でも凄まじい芳香を上げる水を、意識して制限しながら吸い上げる。無意識にがんがん飲んで苦しむのは自分だ。後、王様。
「おい、まだか!?」
焦れた王様の声が耳朶を打つ。私だって前方見てるんだから影喰いが嬉しそうに駆け寄ってくるのが見えている。気持ちは分かるけど耳元で叫ばないでほしい。こっちだって制御しながら血を吸っているんだし、焦らすと碌なことになりませんよ!
「急げっ、メリア!」
ぷはっと腕から口を放して、思いっきり息を吸う。王様の手首を掴んだ手はそのままに、思いっきり石を蹴って跳ねる。王様の手を軸に身体を捻り、半回転して王様の背中を向きながら、勢いよく羽を広げた。片羽は夢魔の黒い鳥羽、片羽は吸血鬼の爬虫類羽だ。どうにも綺麗に混ざって産まれてきたらしい。
そのまま王様の手首を掴んで空に飛びあがる。私達の目前まで迫ってきていた影喰いは、お互いにがつんとぶつかって飛び石から転がり落ちた。すかさず寄ってきた兎が影喰いに喰らいついていくが、すぐにどぷんっと大きな水泡を作って沈んでいく。
次にぷかりと浮いてきた兎の顔がのっぺりしている。あ、沼の魔物が喰われた。あの沼、冗談抜きで立ち入り禁止にした方がいいと思う。
そして。
「おもっ……!」
王様はもっと減量したほうがいいと思う!
私は王様の手首を両手で掴んだまま、よたよたと高度を下げていく。
「おい! このまま落ちると沼だぞ!?」
「分かっ、て、ます、よっ! 王様、自分で、掴んでっ! 重い!」
滑る両手で必死に掴んでいた手首は、あっという間に掌になっていく。王様は慌ててもう片方の手で私の手首を掴んだ。
「その、まま、登ってくださいっ。身体、掴んでて! 手が、千切れる!」
腕の筋が引き千切れそうだ。そのまま二の腕辺りから千切れても不思議じゃない。いや、その前に肩ごとすっぽ抜けるかもしれないと心配すべき重さだ。
「……少し耐えろよ」
低くそう言った王様が深く息を吸ったのが振動で分かる。王様はぐっと腕に力を加えると、私の二の腕を掴み、自分の筋力だけで懸垂のように身体を上げてきた。そのまま、一本は腰に、もう一本は背中から肩に回してしがみついてくる。私のお腹と胸の間をもぞもぞしていた王様は、なんかと頭の位置を固定して一息ついた。重いは重いけど、私の腕は解放されてほっとする。重さは同じでも重量がかかる場所が分散されたから、これなら大丈夫だ。千切れない。
私はぱたぱたと羽を動かして、風を探す。飛び方が安定したことを確認した王様は、それまで必死だった眼を半眼にした。
「……お前の選ぶ道は危険すぎないか?」
早速文句である。
「そうは言われても、魔界じゃしょっちゅう地形変わりますし。あの沼だって、先日まではなかったんですよ。それに影喰いはめったに遭遇する魔物じゃないですから、言っときますけど」
「なに?」
あんな魔物とそうそう遭遇していては、魔界中の魔物が影喰いになってしまう。上位の魔族だって見かけたら避けるくらいなのだ。だからさっきは本当に心臓が止まるかと思った。
「二体も鉢合わせするなんて、王様、運がないんじゃないですか?」
「……その俺に捕まったお前は、もっと運がないんじゃないか」
「うぐっ!」
それはそうだ。
さっきより広さを増した沼を避けて、木がさっきまでの私達みたいに押し合いへし合いして下がっていく。岸が遠ざかる。あまり高く飛んで制空権持ってる魔物に見つかるのも厄介だから、中腰的な高さで岸を目指す。待って、岸辺ー。
「…………お前、腹がごろごろいってるぞ。耳に直に振動がだな」
「誰の所為ですか!?」
沼がまたちょっと広がった。
私が薬を飲めるようになるまで、後二分。