2.王様の宝石
文字通り、空から降ってきた不幸こと王様は、鼻歌を歌っていた私の真上に落ちてきた。私が一体何をしたというのだ。
呆然と目の前の不幸を眺める私の前で、男は何かを言おうとして盛大に血を噴き出した。まあ、ただの人間が毒の巣窟で生きてけるはずがない。自分の上に降ってきて、勝手に死にかけた王様に、私は由緒正しき魔族の血統として、理路整然と理性的に対処した。
そう、冷静に。
「きゃああああああああああ!?」
冷静に盛大に混乱し、思わず自分の指を噛み切って王様の額に血の刻印をつけ、自分の眷属(仮)にしてしまった。何故(仮)かというと、相手の了承がなかったからだ。
まあ、例え(仮)でも、私の眷属ということで一応は魔界で生きていく権利を得た王様は、命を長らえさせた。
そんな命の恩人に向かって、この男がまず行った謝礼は、私の首に銀の剣を突きつけたことだ。恩知らず、ここに極まり!
「貴様、何をした」
私は尖らせた爪で剣を寄せて、ふんっと鼻を鳴らした。
「命を救ってあげたのに、随分じゃないのかしら?」
「……何だと?」
「私が眷属(仮)にしてあげなかったら、あなた今頃地中蟲の苗床よ?」
ぐっと詰まった男は、どうやら自分でもそれを分かっていたのだろう。一応剣の切っ先は下げたものの、じりりと地面を擦りながら距離を取る。
魔族が大好きな色を纏った男は、無表情であろうと努めているらしい顔を引き攣らせた。
「……ここは魔界か」
「それ以外の何に見える?」
色取り取りの雲が渦巻く空を見て、男は舌打ちした。
「……名を、名乗れ」
偉そうな態度に、私も舌打ちを返す。
夢魔の母と祖父から受け継いだ蠱惑的な身体と、吸血鬼の父から受け継いだ美貌を惜しげもなく晒してふふんっと胸を張り、切れ長の瞳を利用して蔑みの流し目を送る。
「どうして人間如きに、このメリア・アルストロ様が名乗らなくてはならないと言うのかしら!」
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
沈黙が落ちる。心地よい毒風が吹きぬけていく中、風に浚われそうな声で男はぽつりと呟いた。
「………………お前、馬鹿だろ」
「………………それが何か?」
目の前の男は、人間の国の王様だと名乗った。玉座を狙う弟からだの、他国の呪いだので魔界に飛ばされたらしい。なんとも敵の多い男である。まあ、別に人間がどれだけ争おうが私にはどうでもいいのだけど、何故私の上に降ってきたのか。どうしてどこかそこら辺の毒沼だの、腹を減らせた魔獣だのの巣に落ちなかったのか。
胡坐をかき、肘を膝の上に乗せる。行儀悪く背を丸くして頬を潰し、ぶすっと話を聞いていた私は、深いため息をついた。せっかくいい気分だったのに、台無しである。
「で、私に何か用ですかー」
人間の国では偉い人らしいから、一応言葉は正してあげた。一応、心ばかりの些細さで。心ばかりの些細さを失えば、とっととその辺でのたれ死ねと言ってしまいそうだ。
さらりとした黒髪を毒風に流しながら、男はふんっと胸を張った。
「俺を地上まで案内しろ。無事に案内できたなら、褒美は好きなだけくれてやる」
流石人の上に立つ男。命令にするのに慣れている。頼みごとですら命令だ。頭を下げるどころか反りやがった。
だが、私も魔族。そんなことで一々腹を立てたりしないのだ。この男は一度自分の立場というものを理解するべきである。だって、ここは魔界だ。人間界のように生ぬるい場所ではない。人間のような弱小な生き物が生きていける優しい地上とは違うのだ。
にぃっと口角を吊り上げる。真っ赤な唇から覗く牙に、男の手が剣にかかった。
「それは、契約するということですか? この私、吸血鬼メリアに、代償を支払うと?」
「…………取引だ」
「この魔界の中、自分一人で地上まで戻れないと理解しているのは褒めてあげましょう。けれど、まだ甘い」
剣を握る男の腕に力が籠もるのが分かる。
私は、自慢の真珠色の長い髪を弾き、綺麗に磨いた爪先を揃えて自分の胸に当てて、ふふんと笑った。
「吸血鬼でありながら血を飲むとお腹壊すせいで、まともにその力を使えない私と契約したところで、地上まで生き残れると思わないでくださいね!」
「……………………は?」
呆けた声を上げる男の顔に理解できないと書かれていて、私は呆れかえる。なんとも呑み込みの悪い男だ。
「だ、か、ら、私、弱いんです。血を飲めばそれなりに力も使えるけれど、血を飲んだらお腹壊すので飲みたくないんです」
どうだ、参ったか!
胸を張ってどうだと笑った私の言葉を、じわりじわりと理解していく男の頭が項垂れていく。ようやく理解したようだ。まったく、手間のかかる男である。
「…………ちなみに、他の魔族と契約した場合はどうなる?」
「そんなのそれぞれに決まってるじゃないですか」
何万種類もいるし、同じ種族の魔族でも契約内容が同じとは限らない。吸血鬼にしたって、望みを叶える代わりに体中の血を寄越せと言う人だっているのだ。そう説明したら、男はぐったりと座り込んでしまった。
「…………例えばでいい」
「えーと、気のいい魔族だったら死んだ後の魂くらいで許してくれるんじゃないですか? 生きてる間は自由ですよ?」
「…………他には?」
「他? まあ、手か足か目玉か耳か、指だったら不便少なくていいんじゃ、え? いや? 我が侭ですねぇ。いいじゃないですか、指くらい……え? 人間は指生えないの? それは……不便ですねぇ」
成程、契約に慎重になるわけだ。男はしきりに感心する私をちらりと見た。
「…………地上で魔族の話は多々耳にするぞ。なのにお前達は人間の事を知らないのか?」
「ほとんどずっと地上で過ごす人もいるけど、私は滅多に出ませんよ。私だって吸血鬼ですし、血を美味しそうと思う感性くらい持ち合わせていますから。それなのに、何が悲しくて飲めない好物の匂いを嗅ぎに地上に出なくちゃいけないんですか」
真顔で聞いたら、それもそうだと頷かれた。
「で、どうするんです? 乗りかかった船だから、契約したい相手の所に連れていくくらいは請け負ってあげますよ。何なら失って大丈夫な感じです? やっぱり指? あ、暗闇岩の魔女はやめといたほうがいいですよ。彼女なら一瞬で地上まで連れていってくれるでしょうけど、最近人型の皮の洋服に嵌ってて、あっちこっちで剥いできてるんですよ。この間はゾンビの知り合いが残ってたの剥がれたらしくて、もうお婿に行けないって泣いてました」
「………………もう、お前でいい」
やけくそのように、というより、正にやけくそそのものだ。男はどっかりと座り、もう疲れたと深いため息を吐き出す。仰天したのは私のほうだ。
「ええ!? 嫌ですよ! 面倒くさい!」
自己解決した男は良いけれど、私は全然良くない。
全力で拒絶を顕わにした私を、男はぎろりと睨み上げた。な、なによ! 怖くなんてないんだからね! あっち向いてくれたらね!
「だったらここで死ぬまでだ! あーあ、お前の所為だな! あのままだったら弟に殺されていた俺をお前が救ったわけだが、これで俺はお前に殺されて死ぬわけだ。よし、恨んでやる。呪ってやる。食ったもの全てが腹の肉になる呪いをかけてやる!」
「乙女の腹肉を呪う王様なんて初めて! 酷い! 酷過ぎる!」
「俺も腹肉を脅しに使ったのは初めてだ!」
なんて面倒な男なんだ。助けてあげた恩を仇で返しまくる方針はどうかと思う。だが、一応(仮)でも眷属にしたし、見殺しにするのはちょっとだけ気が引ける。今日は聖なる日か。最悪だ。魔滅の日なのか。魔族の結婚式が重なる、めでたい厄日はまだか。毒日でもいいよ!
もう二度と空から降ってきた生ものを助けたりしない。無機物だけ拾いに行こう、そうしよう。
固く誓った私は、嫌々男に視線を向けた。
「……あなた、王様なんですよね?」
「ああ」
「じゃあ、上質な宝石とかいっぱい支払えます?」
「ああ」
こうなったら、絞れるだけ搾り取ってやる。魔族の女は転んでもただでは起きないのだ。でも、面倒なのは嫌だなぁ。
「契約書書くの面倒だから、口約束でいいですよ、もう。私は頑張って王様を地上の入り口にまで連れていくから、王様は私に宝石払ってください。前払いで、その胸にぶら下げてるどでかいの寄越せ」
王様は目を丸くして、ひらひらと揺らす私の手を見つめている。
「契約書がないと、魔族は代償を請求できないと聞いたぞ?」
「え? 踏み倒すつもりなの!? やだ! 悪魔! 詐欺師!」
「誰がそんな事を言ったか! 王である俺がそのようなせこい真似するか!」
「じゃあ別にいいじゃないですか。いいから早く先払い寄越してくださいよ」
ほれ寄越せと、指先をちょいちょい動かして催促すると、男はちょっと嫌そうな顔をした。
「…………これは、母の形見だ」
「へぇー。息子の命を助けられて、お母さん大喜びですね」
男は無言で、首飾りをぶら下げている鎖ごと引き千切って私に投げて寄越す。ずしりと重たいのは、飾りが金で出来ているからだろう。首痛くならないのかな。そして、これをつけていたお母さんも凄いな。肩こり凄そう。
「土台は邪魔だし返します」
爪を捻じ込んで宝石だけを外し、土台は投げて返す。男は嫌そうに受け取って懐にしまった。土台だけでも持ち帰るとは、本当に大切なもののようだ。まあ、私には関係ないけど。
「無害そうに見えても魔族か。後で幾らでもくれてやると言うのに、目の前の宝石まで欲するなど欲深き女だ」
「え?」
なんかぶつぶつ言っていたけど聞き逃した。聞き返しながら、私は宝石に齧りつく。
「な!?」
「ん!?」
私も男も、かっと目を見開いた。
「ほろほろしててすっごく美味しい! これどこ産!? やだ、あなた本当に王様なんですね! いい宝石使ってる! 安物だと固いし後味悪いけど、これ美味しい! ほろっほろ! 口の中で蕩けるわ! 美味しい!」
しかもじゅわっと口の中に広がる甘み。果物みたいに甘くて、砂糖菓子みたいにとけていく。今まで食べた中で一番美味しい!
もう一口、もう一口と夢中で食べていると、あっという間になくなってしまった。しょんぼりして指を舐めている私に、王様はわなわなと奮えている。
「食うのか!?」
「宝石って、食べる以外にどうするんですか? あ、おやつ取っちゃったから怒ってるんですか? 命助けてあげるんだから、おやつくらいで怒らないでくださいよ。でもこれ、凄く美味しかった。特別な宝石ですか? 限定百食とか並んで二時間とか? あ、そういえばお母さんの形見って言ってましたね。お母さんも食べるの楽しみにしてたのに、食べられなかったんですね……可哀相、こんなに美味しいのに」
「…………ああ、うん、母上は可哀想だな」
そうね。
私は、こんなに美味しい宝石を食べられなかった王様のお母さんに免じて、王様の失礼な態度は許してあげることにしたのである。