Code:3 変化する心の在処
次回、現実時間に巻き戻ります。
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少し重苦しい話ですが、ちょっとずつ明るくできたら、と思っています。
……アイリスフォードの屋敷に養われるようになって、三年が過ぎた。
表上、俺は養子縁組を組んでもらった立場となり、その血筋に忠誠を誓った。
勿論、それがレイシア嬢の独断によって決められ、その鈍ることを知らない決断に対して、アイリスフォードの現当主、ディルギスはレイシア嬢の意見を汲んだ事は、俺だって知っている。当然ではあるが、俺の生命の所有権、謂わば生殺与奪の権利はレイシア嬢にあり、俺はレイシア嬢の為に働く《機械》になっていた。成り下がる、とはこのことだろうか。
毎朝六時に起床。
身形を整え、不快な気分を与えぬよう、香水などで予め人としての匂いを消す。
規定の時間に二度ノックをしてから入室。
「…レイシア嬢。朝で御座います」
「……知ってるわ。毎朝同じ事を言うのね」
「気の利いた一言がご所望ですか?」
「要らないわ。相手に聞く時点で気が利いてないもの」
朝一番からレイシア嬢の毒舌は展開される。
正式にアイリスフォードの一員となった俺は、二週間程度で強引に尊敬語・丁寧語を今まであまりそういった面で使ってこなかった脳に刻み込んだ。三年も過ぎれば板に付いてくるもので、意外にも様になっているのだから、当時の俺からしたら爆笑ものだろう。
しかし、三年前から一向にレイシア嬢の心はブレていなかった。
他人に何かを任せる事を嫌い、自分の手で届く範囲ならば貪欲に全てを手に入れる。一人で居る事をわざわざ強要しているようにさえ見えた。どう足掻いても一人でしか居られなかった俺からすれば、その行為は愚行であり、見ていて痛々しい事この上無かった。
それでも、俺からレイシア嬢に向けて何か問う事は無かった。
俗に言う不敬罪ってヤツになるわけで、おいそれと聞けたものではなかったのだ。
そうして三年目を迎えた暖かい春光降り注ぐとある日の事。
「…ねえ」
「なんでしょうか、レイシア嬢」
「貴方は何で、何も聞かないの?」
「……? それは一体どういう趣旨で?」
「だから…! 貴方は私の貴方に対する刺々しい言い回しや、何かにつけてネチネチと追い回すような女々しい毒舌に、何故嫌な顔一つせずに黙って聞いているの、と聞いているのよ!」
噴水から吹き出した水飛沫より激しく、レイシア嬢は怒鳴った。
朝と昼の中間、十時頃の出来事で、庭にはいつも出入りする庭師も居なかった。
その庭園は、その時間帯だけ、俺とレイシア嬢だけの切り取られた空間だったのだ。
「…別に聞く必要性のない事だからですが」
「何故? 貴方は嫌じゃないの? こんな言い方されて、辞めたくならないの?」
「今更辞められないですからね。アイリスフォードの経済面に直通してしまった俺が、何の理由があるにせよ、養子縁組を一方的に断ち切れば、あれよあれよと他の貴族に喰らいつく隙を与えてしまう。そもそも俺の存在自体イレギュラーですから、レイシア嬢の軽々しい毒舌なんかより、メイド長の執拗で陰険なやり方の方が、俺は嫌いです」
「…なによ、それ……」
「それに、俺は貴方に救われた。恩義には忠義で。それが俺のポリシーですから」
「……あの、寂れたスラムで暮らしてきた頃から、そうなの?」
「ええ。恩義には忠義で。それが無秩序で奪い合う事が是とされてきたスラムでの、唯一あったルールみたいなものですから。それさえ守れなきゃ、最早そいつは、人じゃない」
ポリシーといえば聞こえがいいが、謂わばインプリンティングの要領だ。
あの無秩序で不衛生なスラムに唯一あった人間としての最後の一線を決めた鉄則。
最悪な条件下で暮らしてきた俺にとって、それを守れなければそれこそ人間としての破滅だ。
「……貴方は、強い人なのね」
レイシア嬢が呟かれた一言が、出会った日のことを思い出させた。
鋭く、冷たく、心まで侵食してきそうな凍てついた瞳。
俺はやっと理解した。何故あの時俺はこのレイシアという女性に危害を加えなかったのか。
確かに圧倒的な美しさではあった。今でもそのなりは健在だ。
だが、しかし。
俺は思ったのだ。
ああ、なんて可哀想な眼をした人なんだ……と。
襲えなかったのではない。襲う気さえ失せてしまったのだ。
彼女の壮絶な生き様を、そのまま絵に写したような瞳に射抜かれて。
「…俺は、強くありません」
「……召使のくせに謙遜なんてするものじゃないわ。大人しく褒め言葉として受け取りなさい」
「嫌です」
「え……?」
ハッキリとした拒絶。今まで、曖昧にしてきた彼女とのコミュニケーション。
最悪な始まりだとは思う。否定して、やっと紡がれる関係など、容易く崩壊してしまう。
だとしても、俺はここでどうしても退けなかった。
レイシア・マグナ・アイリスフォードという女性は、酷くか弱い。最初は強気で傲慢な人間だと勝手に勘違いしていたが、それは彼女が虚勢を張って作り上げた有象無象の幻覚に過ぎないのだ。彼女は本質を捉えられることを恐れている。情けの念を掛けられることを嫌がっている。
だとすれば、望むものはたった一つ。
「俺は、レイシア嬢、貴方と同じで、弱い」
同調する。
ただそれだけだ。
嘘偽りではない。俺の本心だからこそ、レイシア嬢には届くはずなのだ。
辛く苦しい幼少期を送ってきた俺とレイシア嬢だからこそ、この一言で分かり合える。さっさとくたばって死んでしまえばいいものを、むざむざ生き残ってきた俺達だからこそ、手に取って分かるのだ。この残酷で悲しい世界に、立ち向かう者同士だからこそ。
「……な、何を…」
「本心を、隠すな」
「!?」
「俺とアンタは根っこからして変わらねえ。擬似的な体験を通じたからこそ、アンタは俺を救い、俺はアンタに忠義立てする。アンタは生まれ持っての勝ち組で、俺は生まれ持っての負け組だ。その結果が変わることは有り得ない。今後例え世界が滅びゆこうともな。だけど、アンタは違う。アンタのやっている事は、過去を、未来を、現在を否定して、違う何かに自分を代替してやり過ごしているだけだ。それじゃ何も変わらない。これから先も、ずっとな」
「貴方に、貴方に何が分かるの!? 確かに似通った境遇である事は認めるわ、だけど! 貴方と私ではその重圧の深さが違う!! 期待だけを背負わされ、失敗を許されず、何一つとして不自由ないまま生きてきた私には、今更何かを失敗する事なんて出来ない!!」
吐き出された言葉は、やっと彼女の本質に近いものだった。
「私は誰にも屈しない!! 弱みを見せない!! 負けないッ!! 私はずっとそうやって生きていかなきゃいけないのよ!! それが運命だから、宿命だから……神が決めた理だから!!」
「だとしたらッ!!!」
「ッ!?」
二の句を告ごうとした言葉を、抑える。
レイシア嬢の言い分は最もだ。
俺とレイシア嬢では、背負ってきたモノの重さも、そしてベクトルも違う。
俺は負の感情を背負って生きてきた。他者と殺し、殺される関係を築きながら、毎日毎日獲物を奪い合い、時には傷を負い、時には血を流し、怨恨と怨嗟の渦中で俺は絶望を抱いて進んできた。
だが。
レイシア嬢は、正の感情だけを募らせて生きてきた。他者から崇拝され、崇め奉られ、他人から生きる為に必要な物資を搾取する事が役目と言わんばかりの待遇を受けてきた。事実、彼女の両親はその待遇と地位にかまけて、あんな人間として最低な部類にまで堕ちていったに違いない。
違うのだ。俺と彼女では、明確に、全てが。
それでも、俺と根本は変わらない。
だとしたら……!!
「だとしたら!! 俺はアンタにこう言ってやるよ!」
「……?」
「くだらねえ事でウジウジ悩んでじゃねえ! 俺と違う? 失敗は許されない? ふざけた事抜かしてんじゃねえぞ!? アンタは失敗しても、両親が諌めてくれるじゃねえか!! 俺は失敗したらそこまでだ、終わりなんだよ! 比喩表現じゃねえぞ? 生命活動の終了って意味だ!!」
「…ッ!」
「アンタは失敗しても次がある! だが、俺にはない! チャンスなんてものが、無いんだ…!」
「………」
「だから、危ない時は逃げた。他人を盾にしてでも逃げた。危険な事には首を突っ込まないよう最善の注意を払った。そうしなきゃ、俺の命は、とうの昔に踏み潰されて消えていた」
屋敷本体とは大分距離がある為、俺の暴言も聞こえてはいないだろう。
俺の叫びに反応して、近くの鳥達は逃げてしまった。
静かな沈黙がその場を包み込む。
先に口を開いたのは、レイシア嬢だった。
「………ごめん、なさい」
「…俺は謝って欲しいんじゃない。理解して欲しいんだ」
「……分かっているわ。私と貴方は、どれだけ愉悦や快楽に身を任せようとも、心の底から笑い合える日はきっと来ないのでしょう。刻みつけられたトラウマにも似た過度な感情の斬撃が、癒える事なんて有りはしないわ。そう、きっと、いつまでも……」
「ああ。俺はその事をずっと分かっていた。俺は罵られ、謗られるだけの存在なんだ。レイシア嬢、貴方の癒えない傷の痛みを、少しでも和らげる為ならば、俺は幾らでも貴方の毒舌に巻かれよう。辛く苦しく悲しい世界で、一縷の希望を掴み取るその瞬間まで、俺は貴方に仕えようと思う」
「……あなたは…」
「………」
「全てを、受け止める気で居るの……? 私が請け負ってきた重荷も、これから背負っていくであろう重荷さえも、絶望しかないその場所で、いつまでも私の為に、持ち続けようと言うの…?」
そうするしかないんだよ。
俺は心の中で呟いて、静かに首を縦に振った。
例え世界が滅んでも、俺は俺の役目を全うするだけだ。死に行く運命にあった俺を救い、剰え人間としての最低限の全てを整えてくれた我が主、レイシア・マグナ・アイリスフォードの為ならば、そして彼女を支えているアイリスフォードの為ならば、俺は此の身を投げ打ってやろうではないか。
「…馬鹿者……! この、大馬鹿者……!」
彼女は、初めて涙を流した。
凍てついた瞳から流れたとは思えないほど、柔らかく暖かく、思いやりに溢れた雫。
きっと、それは、俺の為だけに流された涙なのだろう。
それだけで十分だ。
俺はこれから一生、貴方の分まで全ての重荷を請け負って生きていく。
だから。
「……そんな悲しそうな顔をしないでください、レイシア嬢」