プロローグ 出会いと別れ
地に着きそうな美しい銀髪が、満月の光を浴びて輝く。
地に伏した《屍獣》に腰掛けた少女のそれが、冷たい風に靡く。
ミステリアスで幻想的、そう形容すべきその少女が、口を開いた。
「…アナタは何者ですか?」
その少女の問いに、少年は、答えることが出来なかった。
人間だと言うことが出来た。少なくとも敵ではないと嘯く事も可能だった。挙げ句の果てには、素直に敵である事を明言する事も当然出来た。しかしながら、少年の喉は音を発する事なく空を裂く。
「…敵、ですか? それとも、私の、味方…ですか?」
見目麗しい姿、死人の如き白い肌、何事も見透かすようなスカイブルーの瞳。
賽は投げられた。最後の審判が訪れたのだ。
「俺は……」
彼は何度も言葉を濁した。
何故ならば。
この地は《感染大陸》と呼ばれた危険地域の一角で。
彼はそこに蔓延る《不死者》を殺すことを生業としていて。
そして。
彼女は、紛れもなく、《不死者》であったから━━
◆ ◆ ◆
「……様。……ク様…ッ。レク様…。アレク様ッ!!」
「は、はいぃ!?」
鋭い恫喝が耳朶を打つ。
夢心地だった脳はハッキリと現実に対してターゲットを合わせる。
思考は振り切り、視界はクリアに。
「…何度目の寝坊ですか。これでは私の立場に影響が及びますよ…。それに、レイシア様直々にお話がある、と昨夜話されていたじゃないですか。お忘れですか…?」
「わ、悪い…。今度は気をつける…」
「一体何度目ですか、そのお言葉。寝坊撤回宣言共々、この眼と耳で感じ取ったものは、全部嘘偽りなのでしょうかね……まったく」
愛想を尽かしたように部屋を退室するのは、一応専属のメイドを務めるシェリル。
実際はこの屋敷の主である、レイシア・マグナ・アイリスフォードの直属だ。
「……はぁ。肩身狭いよな、俺も」
そして俺、アレク・ディオナードはアイリスフォード家と養子縁組を組んだ凡人だ。
俺が物心つく頃には両親が他界し、一縷の希望であった親戚も、ディオナードきっての不遇者であった俺を軽々しく見切り、即座に血縁を断った。結果として、アイリスフォード家のご息女にして、現当主の座を持つレイシア嬢の臣下となり、俺はこの屋敷に住まわせてもらっている。
幼少期の記憶は、今でも朧げで、親戚の名も顔も、今では思い出せない。
実際問題、思い出せても思い出せなくても関係はないのだが。
「……取り敢えず、レイシア嬢に呼ばれてるし、向かわなきゃな」
ディオナードの血筋にして、ディオナードの血筋に非ず。
俺は、今までその現実と向き合い、対処しながら生きてきた。
レイシア嬢は俺が確か八歳の時、路頭で倒れていたのを発見し助けてくれた。当時韓当されてから二年近くの歳月が過ぎており、細々とした生活を送っていた為、今振り返れば何故生き残っていたのかさえ不思議である。偶然が重なり合った奇跡、とでもしておくとしよう。
それから九年が経過し、俺は十七歳、レイシア嬢は十六歳になっていた。
未だ上下関係が崩れることなく、主従関係に亀裂が入ることなく、平穏無事な日々が続いている。
彼女が俺を見限る事は、限りなく低いと言っていいはずだ。
勿論それは、俺が彼女にとって有用な人間である事も含まれる。だが、一番の懸念としては、俺が《彼女の精神を支える柱となっている》、という事実がより有力だ。無論、俺自身は特別意識した事はないのだが、レイシア嬢からの手厚い待遇を見る限り、有耶無耶になされてしまった、という事はないのだろうと、当人である俺は率直な感想として考えている。
かと言って、その好待遇に胡座をかいてばかりも居られない。
《聖騎士》としての正装、純白のタキシードにそそくさと着替える。
「……さて、向かおうか」
俺、アレク・ディオナードは聖帝都市《キャメロット》の《聖騎士》
その役割━━それは。
《感染大陸》に蔓延る《不死者》及び《屍獣》を討伐する事。
俺は、その為に創られ、レイシア嬢の権威を救済する為に動く、《機械》に過ぎない━━
◆ ◆ ◆
「…アレク。遅いですよ」
「申し訳ありません…」
屋敷、と形容していた建築物は、既にその体を成してはいなかった。
それはまさに、要塞。虚飾を含めるのであれば、宮殿、といった所だろうか。
協会をモチーフに創られた大聖殿(レイシア嬢曰く)は、遠巻きにこそ、そう見えるが近くに来て見てみると何の事はない、ただの要塞だ。《防護石》として最高級品質を誇る《聖霊石》で各部屋が精製されており、屋敷全体の敷地面積は10ヘクタールを優に超える。
因みに《防護石》とは《聖霊及び不死者からの攻撃に対して抵抗値を持つ岩石》の事だ。
その最高級品質を誇る《聖霊石》は、聖霊の生き血を固めて作ったと言われている。
実際は製法が明らかになっておらず、時折採掘される事から希少価値も高い。
そんな石を加工し、装飾し、それだけで軽々しく10ヘクタールを覆い尽くす。
何れ程の財力と権力をアイリスフォードが保有しているかが、分かるだろう。
その巨大な大聖殿(レイシア嬢談)の一角、《王室》に俺は収集をかけられていた。
「…まぁ、今までの貴方の活躍ぶりから、今回は不問と致します。そして、私がこの場に貴方を呼ぶという事がどういう意味を持っているのか、理解できますね?」
「……《不死者》の討伐依頼…ではなさそうですね」
「ええ。《不死者》の討伐依頼は、他の貴族、及び聖帝に仕える《帝国聖騎士団》との連携による《超大規模戦線》のような、《緊急事態》なモノしか私の下へ来ることはありません。無論、貴方がお小遣い稼ぎに討伐依頼をそこらのギルドで発注しているのなら別問題ですけれど」
「バレてたんですか…」
「当然です。そもそも、私は貴方への給料を毎度減棒していますから。理由としては自立を早める事とそうやって生きる上で金を得る重さを知らしめる為ですが……重々承知していただけましたか?」
「……その節は、本当に申し訳ない…」
俺は深々と頭を下げた。
その節、というのは俺がレイシア嬢から毎度毎度高額な給料を頂いていた結果、要らぬ事にまで手を染めてしまい、俺の給料の何年分近い膨大な請求がきた、という事件だ。俗に言う、麻薬やその他非合法薬物に関係するもので、当然だが俺が使用するわけでなく、買い占めて焼き払い、あわよくば商人に麻薬その他を与えている黒幕の顔を割ってやろうという算段だった。
しかしながら、結果は芳しくなく、膨大な麻薬を手持ちの金以上に買い占めてしまった。
その額一億ベンデル。ベンデルとは《キャメロット》の共通貨幣である。
一億ベンデルとは、二階建ての一軒家が10軒近く建て並んでしまう程の額だ。
「…さて、説教はともかくとして、分かりましたか?」
「はい。《地獄の審判者》の討伐依頼……でしょうか」
「……ええ、正解です。実際は《地獄の審判者》及び、それに準ずるSSSランク《屍獣》の討伐…という事になっていますね。この依頼、蹴ることも可能です。私が直接戦前に出て戦うという依頼内容でもないですし、受理するか否かの判断はアレク、貴方にお任せします」
「……」
俺は可及的速やかに思考の回転数を上げていく。
《地獄の審判者》は、未だその全容が何一つ掴めていない《感染大陸》の奥地へと繋がる最短ルートに陣取る凶悪にして凶暴な《屍獣》だ。相手側からこちらへ仕掛けてくる事はないのだが、こちら側から仕掛けると手痛い洗礼を受ける羽目に合う。
今まで幾十、幾百の《聖騎士》達が《地獄の審判者》の討伐依頼を受理し、そして儚くも散っていった。生還者ゼロ名、故にヤツの居る土地を《サバイバルレート:ゼロ》、生存率ゼロの大地として畏怖している。
だが、ここで断ればレイシア嬢、引いてはアイリスフォード家にとって喜ばしくない結果を招く事になるだろう。レイシア嬢はそういった細事を気にしない(俺への義理立てと言うべきか)性格であるのだが、彼女の両親、友好的な上位貴族の面々、その他諸々の超濃密な重圧に彼女以前に俺の精神が耐えられる気がしないのだ。
当然、上位貴族の面々には似通った書類が送られているに違いない。
ここで自ら与えられた《上位者の特権》を捨てるのが、善良の手段とは言えない。
それに、レイシア嬢が抱えている《聖騎士》はたった一名。
俺だけなのだ。
「(レイシア嬢には色々と迷惑を掛けてしまっている。それに、彼女自身、俺への義理立てとして気遣いにも似た感情を疎く思っているだろう。そうでなかったとしても、俺と彼女は身分も立場も完全に違うものだ。俺の為だけに、その全てを失うような判断をさせてはいけない…)」
それが例え、死んでしまうような任務であっても。
それが例え、今生の別れとなるような事であっても。
それが例え、彼女が望む真意であったとしても。
レイシア・マグナ・アイリスフォードは、失ってはいけない人間なのだ。
「…その依頼、受けます」
「……本気ですか? 相手は《地獄の審判者》なんですよ…?」
「だとしても、この場で受けないのは騎士道に反します。他に収集を掛けられた面々も、ほぼ確実に《聖騎士》でしょう。同じ《聖騎士》として、俺は、負けられません…」
口からでまかせ、とはよく言ったものだ。
俺には騎士道の「き」の字もない。姑息卑怯狡猾なんでもござれだ。
まぁ、一応のモラルとしてリンチとかそういった行為は避けている。俺も嫌いだしな。
レイシア嬢が俺の真意を知っているかどうかは関係ない。
この場で俺の意思を否定する事事態が、レイシア嬢には絶対出来ない事なのだ。
「………分かり、ました」
「…詳細な日程などは?」
「三日後の夜八時に《聖帝大聖堂》前集合との事です。それまでに準備を整えてください」
「了解しました。では、失礼します」
俺は《王室》を後にした。
きっと、多分俺はもうこの場所に戻らない。いや、戻れない。
三日後の夜、夜が明ける頃には、五体満足では居られないのだろう。
《不死者》や《屍獣》は、夜間に最も活動時間が長い。
だが、それでも良いのだ。
俺はあの日から、きっと何も変わっていない。
レイシア嬢と出会った日から、俺はずっとレイシア嬢の《機械》のまま。
なればこそ、主人であるレイシア嬢、及びその家系に負荷が掛かるような選択は出来ない。
「……馬鹿者が…」
ボソリ、と呟かれたレイシア嬢の一言は、巨大な《王室》では聞き取れなかっただろう。
唯一、その心当たりがある、アレク・ディオナードでなければ。
━《地獄の審判者》討伐まで、後三日━
次回、アレクとレイシアの出会い。
回想シーンが数話続くと思われマス。
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