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第七章 収束

 二度目の銃声に息を呑んだアオイ、シオン、オールの目に映ったのは、右肩を打ち抜かれて膝を衝くコウの姿だった。

「コウ!」

 アオイが悲痛な声を上げるが、それはグリーズの下卑た笑い声に掻き消されてしまった。

「これで終わりだ!」

 撃鉄を起こし、輪胴を回す。次の弾が発砲できる状態の銃口を、ゆっくりとした動作でコウの額に据えた。

「っ!」

 止め処なく鮮血が溢れる肩を左手で抑えながら、コウは顔を歪めた。

 撃たれた肩が、火が点いたように熱い。至近距離で撃たれたため弾は貫通し、その激痛に気を失いそうになるのを、気力だけで持ちこたえる。

 痛みで白む意識の中で、黒光りする銃口だけが、妙にくっきりと見えた。

 ああ、此処で自分は頭を打ち抜かれて死ぬのか。きっとこれは、アオイを騙して近付き、殺そうとした罰なのだ。そんな事をぼんやりと考える。

 しかし、その時だった。

「駄目ぇっ!」

 悲鳴が、コウの背後から聞こえた。

 その直後、喩えようもないほど温かな光が自分を包み込んだ。

「―――っ」

 耐え難いほどだった激痛が、一瞬で和らいだ。

 溢れ出ていた血も止まり、傷口も見る見る塞がっていく。

 この優しい温もりを、コウは知っている。

 コウがゆるゆると背後を見ると、アオイが涙を流して自分を見つめていた。

「コウ、死なないで……」

 掠れた声でその言葉が紡がれた、刹那。

 アオイを中心に、凄まじい何かが渦を巻いた。

 風とは違う、温かく優しい空気が、ぶわりと広がっていく。

「っ!」

 シオンとオールが息を呑んだのを肌で感じながら、アオイ自身、これまでに感じた事のない感覚に戸惑っていた。

(身体が、熱い……)

 内側が燃えているかのように熱い。しかし痛みはない、不思議な感覚だった。

 この熱は、今まで誰かの怪我を治したりする時に感じるものにも似ているが、その数十倍は強い。

(これは、私の力……?)

 コウが撃たれてしまう、そう思ったと同時に溢れ出した。

 自分の不思議な力を目の当たりにしても、気味悪くないと言って微笑んでくれたコウ。

 自分を殺すために近寄ったのだと言っていたにも関わらず、助けてくれたコウ。

 例え、今まで自分が見てきた彼が嘘や偽りで塗り固められていたのだとしても。

 コウを、失いたくなかった。

 護りたいと、想ったのだ。

(きっとこれは、その想いの具現……)

 だとしたら、これは彼を護るための力。

「……コウは、死なせないわ」

 アオイは、ゆっくりと立ち上がる。

 その青の瞳が射抜くのは、銃を手にしたまま彼女の力の前に呆然としているグリーズだ。

「貴方は、私のお父様じゃない。私のお父様は、とても優しい人だから……」

 その優しい父は、もういない。

 化けの皮が剥がれたグリーズを、もう父と呼ぶ気になどなれなかった。

 誰かの傷を癒す力を不気味だと称し、自分だけでなく、コウまで殺そうとするような男など、自分の父ではない。

 そう決した彼女がすっと右手を掲げると、その力がふわりとグリーズの手に絡みついた。ひっと息を呑む彼の手から、銃がごとりと落ちる。

「っ! シオンっ!」

 アオイの力に圧倒されていたオールがそれを見て叫ぶと、彼女は即座に応じて鞭を振るった。先程のようにグリーズの身体に巻きつけ自由を奪い取り、今度はそのまま鞭を強く引いて、彼を床に叩き付ける。

「ぐっ」

「オール!」

 痛そうに顔を歪めたグリーズを尻目に、今度はシオンが名を呼び、ロープを出して彼に渡す。

「おう!」

 彼女の意図を正確に読み取って、オールはグリーズをロープでぐるぐると巻いた。ヴェール同様口には猿轡を噛ませて、彼の横に転がす。

「よしっ! これでもう大丈夫だなっ!」

 力任せにロープを結び、嬉々としてオールがアオイを振り返ると、彼女は放心状態であらぬ方を見つめていた。

「アオイ?」

 明らかに様子がおかしい彼女にオールが眉を寄せたその時、彼女の身体が前に傾いだ。

「アオイ!」

 オールが咄嗟に名を叫ぶが、真っ先に彼女に駆け寄ってその身体を支えたのは彼ではなく、コウだった。

 コウは、その腕で細い身体を抱き止め、息がある事を確認して深々と安堵の息を吐き出す。

「……すまない」

 本当に小さなその声は、誰の耳に届くも事なく掻き消えた。

 一歩出遅れてその光景を唖然と見つめていたオールの肩を、シオンが軽く叩く。

「オールちゃん、残念だけど、アオイちゃんの事は諦めなさい。コウちゃんには敵わないわ」

「……っ」

 図星を刺されて複雑そうな顔で俯いたオールは、それを隠すようにグリーズとヴェールに目を向ける。

「……俺達は、事後処理でもするか」

 気丈にそう呟いたオールに、シオンは苦笑しながら頷く。

「……そうね。アオイちゃんは疲れちゃっただけのようだし」

 言いながらアオイを一瞥すると、彼女はコウの腕の中で穏やかな表情で寝息を立てていた。苦しそうな様子もないので大丈夫と判断し、気落ちしている様子のコウに呼び掛ける。

「コウちゃん、あたし達は他に共犯者がいないかどうか調べるから、アオイちゃんを部屋に運んで、ベッドに寝かしてあげて。ちゃんと介抱するのよ」

 それから彼女はグリーズとヴェールの見張りをオールに頼み、他の使用人を調べるため廊下へ出て行った。

 それを受けたコウは、無言でアオイを抱き上げ、部屋を出ようと踵を返す。

 それを、オールが呼び止めた。

「おい、コウ」

 今まで聞いた事のないような堅い声音に、コウは首だけを巡らせて視線を向けた。

 オールは真剣な表情で、真っ直ぐに言い放つ。

「……何があったのか聞いた訳じゃねぇけど、アオイを傷つけたら、絶対許さねぇからな」

 その言葉に、コウはオールに向き直ると、しっかりと頷いた。

「ああ……もしそんな事になったら、絶対に俺を許さなくて良い」

 そして、アオイを大事そうに抱き直し、廊下へと出て行った。



 アオイの私室に戻ってきたコウは、彼女を丁寧にベッドに降ろした。

 すやすやと寝息を立てている彼女の前髪をそっと払い、壊れ物に触れるように、額、頬へと指を滑らせる。

「……すまない」

 何度目かになるその言葉を口にして、彼はその場に膝を折った。アオイの左手を両手で握り、己の額をつける。

「……アオイ……」

 永遠ほどに感じられる時間をそのままの姿勢で祈り続けた。

 どれ程の時間が経っただろうか。

 気が遠くなるような感覚の中、アオイの左手が、そっとコウの手を握り返してきた。

「……っ」

 はっとして顔を上げると、アオイがぼんやりと目を開いた。

「……コ、ウ?」

 掠れる声で名を呼び、その目がコウをしかと捉えると、ふわりと微笑む。

「ああ、コウ……無事で、良かった……」

 自分が倒れても、目覚めて最初に発した言葉が、コウの無事を喜ぶ言葉だった。

 その事に、コウは何とも言えない感情に囚われた。

 良くない。自分の心配をしろ。

 何より、目が覚めて良かった。

 様々な想いが綯い交ぜになって、何を言ったら良いのか解らなくなる。

「全く、お前と言う奴は……」

 肺が空になるまで息を吐き出すと、彼は彼女の手を強く握り締めた。

「……お前が無事で、良かった」

「……コウ」

 彼のその様子に、アオイは驚いたように目を瞬く。

 それから、自分が気を失う直前の記憶が蘇り、がばりと起き上がった。

「そうだわ! コウ、撃たれた傷はっ?」

 記憶に残っているのは、銃声の直後、崩れ落ちるように膝を衝いたコウの後姿だ。血が床まで流れ出て、このままでは死んでしまうと思ったのだ。

 しかし、今彼を見る限り、服は血塗れだが、重傷を負った様子は見受けられない。

 心配そうに自分を見つめてくるアオイに、コウは僅かに眉を寄せた。

「覚えていないのか? お前が治してくれたんだろう」

「わ、私……?」

 言われて、必死に記憶を手繰る。

 コウが死んでしまうかもしれない、死んでほしくないと思った直後に、身体が燃えるように熱くなったのを思い出すが、それ以降の記憶は途絶えている。

 では、あの力が暴走したのだろうか。

「覚えていないのなら、それでも良い」

「……お父様と、ヴェールは?」

 怯えるような表情で尋ねると、コウは言い辛そうに視線を落とし、静かに答えた。

「シオンとオールが捕えた。他の使用人の中に共犯者がいないかどうか調べた上で、国王に突き出す事になるだろう」

「……そう」

 彼女は、膝の上で拳を握り締め、俯いた。悲しみと切なさと、やるせなさの入り混じった感情を持て余し、言葉が継げない。

 そんな彼女に、コウはゆっくりと立ち上がり、ベッドの淵に腰掛けた。

「……すまなかった」

「え?」

「何度謝っても、許される事ではないと思っている……だが、それ以外の言葉が、思い浮かばない」

「どうしてコウが謝るの? 謝るような事、何かした?」

 アオイはさも解せないという様子で首を傾げる。その反応に、今度はコウが顔を歪めた。

「お前……俺がお前を殺そうとしていた事を忘れたのか?」

「え? あ、ああ……そういえばそうだったわね」

 本気で今思い出したように言う彼女に、コウは呆れたように息を吐いた。

「お前は本当に……」

「でも、コウは助けてくれたじゃない。今だって、私が目覚めるまで、手を握っていてくれたんでしょう?」

 アオイは柔らかく微笑む。その表情を見て、コウは何も言い返せなくなってしまう。

「コウ」

「何だ」

 少し不機嫌そうに、それでいて照れているかのようにも感じられる彼の口調に、アオイは彼の手をぎゅっと握った。

「ありがとう」

 その言葉に、コウは心底不思議そうに機微を傾げる。

「何故礼を言う?」

「助けてくれたから」

「殺そうとしたのも俺だ」

「違うわ。私を殺そうとしていたのは……」

 言いかけるアオイの言葉を、コウは首を横に振って遮る。

「だが、依頼を受けたのは俺だ」

「でも遂行しようとしなかったじゃない」

「だが……」

 尚も否定しようとするコウに、アオイは焦れたように声を上げる。

「あーもうっ! 『だが』はなし!」

 そして、真剣な目を彼の深紅の双眸に据える。

「じゃあ聞くけど、コウはどうして私を殺さなかったの?」

 その質問に、コウはアオイに向き直り、青の瞳をじっと見つめ返した。

「……俺は、今まで他人に優しくされた事などなかった」

 質問に対する答えではない言葉に、アオイが目を瞬く。

「え?」

「俺の事を心配し、傷を癒そうとしてくれたのは、お前が初めてだった……だから、失くしたくないと思った。殺すという依頼じゃなく、護るという偽装のための依頼を、遂行したいと思ったんだ」

 今度は、彼がアオイの手を握り返す。

「最初はこの感情が何なのか解らなかった。だから戸惑った……あのパーティーの日以来、隙を衝いてお前を殺す事は幾らでもできたのに、それができなくて、気付いたんだ。俺はお前の傍にいたいんだと」

 彼は、己の気持ちを確かめるようにしながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「俺は、お前が好きだ。だから護りたい……お前が、傷付かないように」

「コウ……っ」

 アオイの目から、大粒の涙が零れ落ちる。

 誰かに好きだと言われたのは初めてだった。

 それが、こんなにも嬉しいなんて、思わなかった。

(嬉しい……凄く、嬉しい)

 そう思った自分に気付いて、初めて自分のコウに対する感情の正体を自覚する。

「わ、私も、コウが好き……! コウに傷付いてほしくない。コウが怪我をしたら、私が治すから……っ」

 言い終わるより速く、アオイの身体はコウに抱き締められていた。

 思わず息が止まるほどの、抱擁。

「ありがとう」

 強い力で抱き締められ、耳に届いた言葉に、アオイは何度も頷いた。その広い背中に手を回して、しがみ付くように抱き返す。

「うん……ありがとう、コウ」

 礼を言い合い、それから暫くの間、二人は互いの体温を感じながら、動こうとしなかった。

 長い沈黙の後、コウがゆっくりと身体を離し、仄かに笑みを浮かべる。

「今日はもう疲れただろう。ゆっくり休め」

「コウはどうするの?」

「俺は……罪を償わなければならない」

「償うって?」

「俺に依頼をしてきたグリーズ氏が捕まり、国王に突き出される事となれば、依頼を受けた俺も同罪だ」

「そんな……っ! だって、コウは私を助けてくれたのよ? 罪なんかない! 私が証人になるわ!」

「……アオイ」

 声を上げて自分の罪を否定してくれるアオイに、コウは僅かに顔を歪めた。そんな彼に、アオイは尚も続ける。

「国王陛下には、私が全て話すわ。だから、コウが罪を気にする必要なんてないのよ」

「……解った」

 根負けした様子で頷き、彼は穏やかに微笑む。

「解ったから、今日はもう寝ろ」

「……私に無断で何処か行ったり、いなくなったり、しない?」

 不安そうに尋ねてくるアオイに、コウは小さく首を横に振った。

「ああ。何処へも行かない」

「本当?」

「ああ。本当だ」

「約束だよ?」

「解った。約束だ」

 差し出された細い小指に己の小指を絡ませて笑うと、彼はアオイの頭を優しく撫でた。

「お前が眠るまで、此処にいる。安心して寝ろ」

「うん……おやすみ、コウ」

「ああ。おやすみ。アオイ」

 蕩けるような優しい声で名を呼ばれ、アオイの意識は徐々に闇に溶けていった。

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