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第六章 真相

 シオンの唇が紡いだ言葉を、アオイは理解できなかった。

 今彼女が言ったのは、どういう意味だろうか。

 父の名前が出た。自分を殺そうと企んでいた者として。

 優しい父の笑顔が、脳裏を過ぎる。記憶の中にいる父は、いつだって穏やかに微笑んでいるのに。

「……う、そ……」

 シオンの言葉を頭の中で繰り返し、ようやく出た声は酷く掠れていた。

 その言葉を信じたくない。

 どうか、笑顔で冗談だと言ってほしかった。

 しかしアオイの願いは、無情にも届かなかった。

「残念だけど、本当よ。その目的でコウを雇ったのも彼なの……実はね」

 シオンはまだ言葉を続けようとしたが、アオイはそれを聞かず立ち上がって駆け出した。

「アオイちゃん!」

 シオンが声を上げるが、彼女はそのまま寝室を飛び出してしまった。

 隣の部屋では、オールがソファーの上に横になってすやすやと眠っていたが、アオイは彼に目もくれず、その部屋をも後にする。

「書斎に行く気だわ! 止めないと!」

 シオンも立ち上がって走り出そうとしたが、その手をコウがしかと掴む。

「っ! 邪魔をするのっ?」

 鋭く叫んで振り返ると、彼は冷静な顔で首を横に振り、その手に彼女の武器である鞭を握らせた。

「……あの男に丸腰で挑むのは流石に危険だ」

「貴方は行かないのね」

 シオンは目を細めて吐き捨てると、鞭を手にそのまま寝室を出ていった。

 一人残されたコウは、苦しそうな顔で一人、拳を握り締めた。



 嘘だ、嘘だ、嘘だ。

 そればかりが頭を巡っている。

 父が、あの優しい父が、自分を殺そうとしていだなんて。

(お父様に確かめなくちゃ……そんなの嘘だって、言って貰わなきゃ……!)

 もしも父が本当に自分を殺そうとしているのなら、直接それを確かめる事がどれだけ危険か、考えるまでもないだろう。

 だが、アオイは信じていた。

 父は犯人ではない。父は自分を愛してくれているのだと。

 ボディーガードは自分を護るためにつけたものであって、そこに暗殺者が紛れ込んだだけなのだと。

 父に問えば、きっと困ったように笑いながら、否定してくれるはずだ。

(お父様……っ!)

 アオイは、父の私室に向かった。扉を強く叩くと、即座に声が返ってくる。

「こんな時間に、誰だ?」

「私よ、お父様」

「アオイか……入りなさい」

 妙に静かな声に、アオイはおずおずと扉を開けて室内に足を踏み入れた。

 父は高級そうなガウンを纏い、窓辺の椅子に腰掛けてワインを飲んでいた。アオイを見るなり、彼はグラスをテーブルに置き、ゆっくりと立ち上がる。

「こんな夜中に、一体どうしたんだ? 怖い夢でも見たのか?」

 そう言って穏やかな笑みを向けるのは、間違いなくいつもの父だ。アオイは少しほっとして、小さく首を横に振る。

「ううん。そうじゃないの……あのね」

「ボディーガード達はどうした?」

 話を切り出そうとしたアオイの言葉を遮って、父は一歩ずつ歩み寄ってくる。

「今三人は休んでるわ……ねぇ、お父様」

「それはいかん。ボディーガードは最低でも二人は常についていないとな」

 わざとアオイの話を聞かないようにしているかのような口調に、彼女は思わず一歩足を退いた。

 今の父は、いつもと変わらぬように見えるが、妙に威圧的だ。

 意を決し、アオイは早口に言い放った。

「あ、あのね、お父様、シオンが、私を殺そうとしてるのはお父様だなんて言うのよ。そんなの、絶対有り得ないわよね?」

 そんな訳ない、そう言ってほしかった。

 自分は父にとって大事な娘なのだと、言ってほしかった。

「何を馬鹿な事を言っているんだ。そんな訳ないだろう?」

 返ってきたのは、望んでいた否定の言葉。

 しかし、その言葉を聞いても、アオイの心は晴れなかった。

(……目が、笑ってない)

 それに気付いた瞬間、アオイの背筋を冷たいものが滑り落ちた。

 見慣れたはずの灰色の瞳が、穏やかそうな表情の奥で、苛烈に煌めいて自分を射抜いているのだ。

「お、とう、さま……?」

 じりじりと後ずさるアオイに、グリーズは笑みを浮かべたまま近寄ってくる。

「どうして逃げようとする。まさか、アオイは私が本当にお前を殺そうとしていると思っているのかい?」

 そう言いながら、アオイの両肩を強く掴む。

 同時に、グリーズの顔から笑みが消えた。

「ならば、その通りにしてやろう」

 そのまま強く突き飛ばされ、アオイは壁に叩き付けられた。その直後、アオイの細い首を、グリーズの右手が捉える。

「お前のような小娘一人殺すのは簡単だ……お前にとっては良い父親だと思わせたまま死なせてやろうと思っていたんだが、知られてしまった今となっては、もう仕方がない」

 嫌な笑みが、その唇から漏れる。

「おと……さ、ま……?」

 今自分の首を絞めている人物は、確かに自分の父だ。

 あの優しかった父は、偽りだったのだろうか。

 十七年間も共に暮らしてきたのに、その全てが嘘だったのだろうか。

 涙が、溢れ出す。

 コウが暗殺者だったと知った時以上に、悲しかった。

「結局私自身が手を下す事になるとは……コウもシオンも使えん」

 その言葉に、アオイが目を見開く。グリーズはそれをせせら笑った。

「コウは最初からお前を殺すために雇った暗殺者だ。シオンには先程、なかなかコウがお前を始末しない事で急遽依頼内容を護衛から暗殺に変えたところだ」

「っ!」

 アオイは己の首を絞める父の手を掴み、爪を立てる。

 それが本当だとしても、シオンは自分を殺そうとしていたコウを止めてくれた。

 シオンは、自分を護ってくれたのだ。

 コウも、自分を殺さなかった。

 その事実が、父に首を絞められながらも、アオイの心を支えていた。

 息が詰まる中、なんとかそれだけは否定してやりたかった。

 しかし、アオイが渾身の力で掴んでも、父の手は全く緩まない。

「さぁ、これでもう終わりだ」

 ぐっと、グリーズの手に力が籠もる。

 強烈な圧迫感に、意識が白む。

 涙でぼやける視界に、愉快そうに笑う父の顔が、妙に鮮明に映った。

(……お父様……)

 アオイが諦めて目を閉じた、その時だった。

 何かが突如横から飛び、グリーズの首に巻きついた。

「ぐっ!」

 そのまま巻きついた何かに引っ張られ、グリーズの身体がアオイから引き離される。

 首から手が離れ、アオイがその場に崩れ落ちそうになったのを、横から伸びた手が支えた。

「アオイ!」

 名を呼ばれ、小さく咳き込みながら顔を上げると、オールが心配そうな顔で自分を見ていた。

「大丈夫か?」

 彼の問いに無言で頷く。大丈夫とは言い難いが、大丈夫じゃないなどと言える状況でもない。

 ふと視線を滑らせると、シオンが部屋の入り口に立っていた。彼女の手から伸びている鞭が、グリーズの首を縛り上げている。

「大の男が、可愛い女の子の首を絞めるなんて、見苦しいわね」

 シオンは侮蔑の眼差しをグリーズに向けている。

「ぐっ……は、はな、せっ!」

 そう言われて、シオンは思いの外素直にそれを外す。軽く彼女が手を引くと、鞭はするりと彼女の手の中に納まった。

 しかし彼女はもう一度鞭を振るい、今度はグリーズの身体に巻きつける。

「なっ!」

「これで良いかしら?」

 鼻を鳴らしながら、彼女は鞭を握る手に力を込める。

「貴様! 依頼を破棄する気か!」

 叫ぶグリーズに、シオンは肩を竦めてにっこりと微笑んだ。

「嫌だわ。依頼を遂行してる真っ最中じゃない。貴方は、アオイちゃんに害を成す者を排除しろって言ったのよ」

 確かに、ボディーガードとして屋敷にやって来た初日、彼は『予告状を送りつけた犯人が捕まり、騒動が収束するまでの間、娘に害を成す者を排除するように』と命じた。それは間違いない。

「さっき依頼内容を変更しただろう! 報酬を十倍にすると言ったら、お前はそれで……」

「やるなんて一言も言ってないわよ。貴方の勘違いでしょう? あたしの胸ばっかり見てるから大事な事に気付かないのよ」

「な……!」

 言葉を失うグリーズに、シオンはオールを一瞥した。

「状況は飲み込めた? オールちゃん」

 それを受けて、彼はアオイを床に座らせると、頷きながら立ち上がった。

「ああ。つまり、依頼を遂行するには、この犯人を捕えなきゃならないって事だな」

 拳をバキバキと鳴らしながら、彼はグリーズに近寄ると、その胸倉を掴み上げた。

「俺達の仕事はアオイの警護と、犯人の捕獲だ。だろう? 依頼主さんよ」

「き、貴様等……!」

「恨むなら、俺達を雇ってこんな依頼をしてきた奴を恨むんだな」

 言いながら、オールは拳を振り被る。グリーズの顔を殴ろうとした、その時だった。

「動かないで下さい」

 静かな声が、響いた。

 アオイが視線を其方へ向けると、其処にはヴェールが銃を手に立っていた。その銃口は、シオンの頭に向けられている。

「ヴェール……」

 温和だった執事も、いつもの柔らかい笑みが見当たらない。

 彼も、父の共犯だったのだろうか。

「旦那様に害成す者は私が許しません。離れてください。さもなくば、この方の頭に風穴が開きますよ」

 冷たく言い放った執事に、オールは渋々手を放し、一歩グリーズから離れた。

 それを受け、ヴェールはシオンに目を向ける。

「次は貴方です。鞭を解いて下さい」

「なら、貴方が先にその銃を降ろして」

 シオンは己に銃口を向けられて尚、冷静に切り返す。ヴェールは眉を寄せながら、そっと銃を己の胸に寄せる形で彼女から逸らした。

 シオンは鞭を軽く振って己の手元に戻すと、一歩下がって、グリーズとヴェール両方を視界に入れる。

 奇妙な沈黙が、重々しく辺りを縛り込む。

 皆が互いの出方を探り合い、固まって動かない。

 最初にその沈黙を破ったのは、グリーズだった。

「……お前等全員、殺してやる!」

 そう叫んだと同時に懐から銃を取り出し、アオイに向ける。

「まずはお前だ!」

「お父様……どうして……」

 アオイはまだ信じられない様子で呟く。グリーズは、忌々しげに顔を歪めた。

「お前のような不気味な力を持った奴は抹殺すべきだからだ」

 吐き捨てられた言葉に、アオイの瞳が凍りついた。息を吸うのも忘れ、愕然とグリーズを見つめている。

「……お父様、ずっと、そう思ってたの……?」

 十年前、初めてアオイが力を発揮した時の事を思い出す。

 父は、アオイの力を目の当たりにして、その力は使うなと言った。

 そんな力を他人が見れば気味悪がる。だから決して他人に見せてはいけない。だが安心しなさい、私はそう思わないから。

 あの時、そう言って笑ってくれたのに。

 あれは全て嘘だったのだろうか。

 十年もの間、自分の事を気味が悪い娘だと、思い続けていたのだろうか。

「ああ。不気味な力を持ったお前が娘だと思うとぞっとする。これ以上共に過ごすのはもうたくさんだ」

 グリーズは、そう言って笑うと、引き金を引いた。

 しかし銃声が響くと同時に、アオイの目の前を銀の光が流星のように一閃した。

 金属同士がぶつかるような音の後、何かがアオイの膝元に転がってくる。

「……剣?」

 それは見覚えのある短剣だった。

 よく見ると、刃が一部分欠けている。どうやらこれが銃弾を受け、弾いたようだ。

「……貴様、暗殺に失敗した挙句、邪魔をする気か」

 グリーズの唸るような呟きにアオイが顔を上げた直後、見慣れた後姿が自分の前に滑り込んできた。

 薄闇の中に見えた黒髪に、無意識に安堵の息が漏れる。

「コウ、私を、助けてくれたの……?」

 絞り出すように尋ねると、彼は此方を振り返らずに、小さく答えた。

「ああ。どうやら俺は、お前に死んでほしくないらしい」

「……え?」

 アオイが目を見開くが、彼はその直後に床を蹴り、グリーズとの間合いを詰めた。

「くっ!」

 グリーズは素早く銃を構える。しかし引き金を引くより早く、コウはその手を掴み上げた。

 銃口は天井を向き、二人は至近距離で睨み合う。

「旦那様!」

 ヴェールもすかさず銃を向けるが、シオンが即座に鞭を振るった。蛇のようにうねったそれがヴェールの銃を弾き落とす。

「オール!」

 シオンが名を叫ぶと同時に、オールはヴェールに飛びかかり、取っ組み合いの争いになる。

 とはいえ、ヴェールはもう老齢だ。二十歳そこそこの青年が相手では、力の差は歴然。あっという間に、後ろ手を捻り上げられてしまう。

「ぐっ……」

「シオン、縛り上げてくれ」

 その呼び掛けに、彼女は何処からともなくロープを取り出し、笑顔で応じた。

「はいはーい」

 二人は息の合ったやり取りで、ヴェールの両手両足を縛り、口に猿轡を噛ませる。

「これでよし」

 そして二人がコウを振り返った、まさにその時―――。


 銃声が、響いた。

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