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第四章 仮面の男

 仮面の男にアオイが攫われかけたパーティーから、三日が経った。

 あの一件以来、ボディーガードの三人はずっとピリピリしている。勿論アオイに対して当たったり、不機嫌そうにしたりという事はないのだが、常に警戒している様子で、どうにも穏やかでない。

 アオイには、その空気がなんとも居た堪れなかった。

 あの予告状さえなければ、そう思わずにはいられない。

 だが、それがなければこの三人とも出逢えていなかったと思うと、また複雑だ。

「……はぁ」

 麗らかな空の下で、アオイは午後のティータイムを過ごしながらも、無意識に溜め息を繰り返していた。

「アオイちゃん、どうかした? さっきから溜め息ばっかりよ」

 円卓の隣に腰掛けていたシオンが、アオイを見る。

「恋の悩みなら、いつでも聞くわよ」

 うふふ、と楽しそうに笑いながら、彼女は紅茶を啜る。

 見当違いな事を言っているが、それが彼女なりに空気を変えようとしているのだと解り、アオイは苦笑する。

「じゃあ、恋をしたらシオンに相談するわね」

「楽しみにしてるわ」

「え? って事は、アオイは今恋してねぇのか?」

 シオンの向かいに腰掛けていたオールが、話に食い付いてきた。興味津々とその顔に書いてある。

 恋していないのかと問われた瞬間、アオイの脳裏に、三日前に見たコウの笑顔が蘇る。

(っ! 私ってば何を考えて……!)

 自分でも何故コウの笑顔を思い浮かべたのか解らず、自分の思考を誤魔化すように頷く。

「っ! う、うん……好きとか、よく解らないし……」

 思わず頬を紅く染めたアオイに、シオンだけが面白いものを見るような目を向ける。

「でもねぇ、アオイちゃん、恋はいつだって突然訪れるものよ」

「……そう言うシオンは、恋してるの?」

 不意に湧いた疑問を投げ掛けると、シオンは一瞬虚を衝かれたような顔をしたが、すぐににっこりと微笑んだ。

「ええ、イイ女は、いつでも恋をしてるものよ」

「誰がイイ女だよ、誰が」

 オールがぼそりと呟いたがシオンは聞こえないふりを決め込み、再び紅茶を口に運んだ。

(何だかんだで、オールとシオンは良いコンビよね)

 そんな事を思いながら、アオイはちらりと向かいに腰掛けているコウを一瞥した。彼はこのやり取りの中、終始無言を貫いている。

(……コウは、皆といても楽しくないのかな……あ、でもコウからしてみれば、これも仕事中になるんだものね……)

 そんな事をぼんやりと考えていると、横から名を呼ばれた。

「アオイ」

「へっ?」

 ビクリと肩を震わせて振り返ると、呼びかけてきたオールが急に真面目な顔で尋ねてきた。

「……変な事、考えてねぇよな?」

 その問いに、アオイはコウを連想して妙にどぎまぎしながらも、誤魔化すように首を傾げた。

「へ、変な事って?」

「……犯人を誘き出して捕まえようとか、そういう事だよ」

「え? そんな事は全く考えてないけど……」

 実際そんな事は一切考えていなかった。

 しかし、釘を刺すはずのオールの言葉に、アオイはふと考える。

(……そうよ、言われてみれば、大人しく犯人が動き出すのを待つ必要なんてないじゃない。私がちょっと動けば、きっと犯人は姿を見せるはず。顔さえ見れば、指名手配して捕まえられる……!)

 しかしそれをボディーガードの三人には言えない。反対される事は目に見えている。

 彼らの仕事は、犯人を捕まえる事ではなく、アオイを護る事なのだ。その上で襲ってきた犯人を捕える事はあっても、自ら犯人を捜し出しに出向く事はしないのである。そもそも犯人捜しは父がしているはずだ。

(……あれ? そういえばお父様、犯人を捜すって言っていたけど、何か手掛かりを掴んだりしているのかしら……?)

 グリーズは、この件に関しては触れてこない。パーティーの後はかなり心配されたが、それからは娘の心を気遣ってなのか、顔合わせても至って普段と変わらない態度で接してくる。

 父の性格を考えれば、総力を挙げて犯人を捜しそうなものだが、経過が芳しくないのだろうが。

(今度お父様に会ったら聞いてみよう)

 父は元々多忙な人だが、最近特に休む間もないようで、夕食の時ですら共に過ごせないでいるのだ。

「あ、そうだわ、忘れてた」

 不意にシオンが何か思い出したように顔を上げた。三人の視線が其方に向く。

「どうしたの?」

「今日この後、ちょっと用事があるの。悪いんだけど、夜までちょっと外出するわね。その間、アオイちゃんの警護は二人でお願い」

「用事? 一体何だよ?」

 怪訝そうな顔をするオールに、シオンはにやりと笑った。

「あら? あたしが何をするのか、気になるの? オールちゃん」

「ばっ! 馬鹿を言うな! 誰が……っ!」

「はいはい。じゃあ、よろしくね」

 反論しようとしたオールを軽くあしらって、彼女は席を立つと一つウィンクを残して去っていた。

「……相変わらず、読めねぇ奴だな」

 オールは唇をへの字に曲げ、シオンの後姿を見送る。

「まぁまぁ、シオンにだって用事くらいあるわよ。今日くらい良いじゃない」

 アオイがオールを宥め、コウに目を向ける。

「じゃあ、今日は二人でお願いね」

「……ああ」

 彼はシオンの後姿を見て一瞬だけ目を細めたが、すぐに視線を戻して頷いた。

 そんな彼の様子を怪訝そうに見ながら、アオイは紅茶の残りを口に運んだのだった。



 シオンが屋敷を出て向かったのは、先日訪れた城の前だった。

 大きな城門を見上げ、顎に手を当てながら考える。

(……高い城壁と城門、兵士は外回りだけでも数十人が配備されていて警備は万全……)

 紫の瞳を剣呑に細めながら、彼女はあの夜の事を思い出す。

 大勢の貴族が集まるパーティーの最中(さなか)、仮面の男がアオイを連れ去ろうとした件だ。

 あれだけ人の多いパーティーホールへあのような黒いマントと仮面を付け、誰にも怪しまれずに城へ入れるだろうか。まして、アオイを担いでテラスから降りた後は兵士達が外へ逃がすまいと動いていた。いくらアオイを解放したからと言って、その後すんなり逃げられるだろうか。

(……考えられるとしたら、あの仮面の男も招待客として城に入り込んだという事……)

 その仮説に、シオンは城を睨むように見つめた。

(招待客として正面から城へ入り、隠し持っていたマントと仮面を付けて広間へ現れ、アオイちゃんを連れ去ろうとした……でも失敗したから、何食わぬ顔で仮面とマントを脱いでホールへ戻った……あれだけ大勢が集まるパーティーなんだから、正装さえしていれば、一人くらいホールから出たり入ったりしたって誰も気に留めないわ)

 それしか考えられない。

 あの格好で、兵士の見張りを掻い潜って城に侵入したり脱出したりするなど、普通に考えたら不可能だ。

(……招待客のリスト、頼んだら見せてくれるかしら……?)

 パーティーの日、グリーズは国王にアオイに殺害予告があった事を報告しているはずだ。その報告を全部聞いていた訳ではないが、あの時のグリーズの言葉から、そうしたのだろうと推測される。

 国王の遠戚とも言えるラピス家の一人娘にそのような事があったのだから、事情を話せば招待客のリストを見せてくれるかもしれない

 しかし国民にとって絶対的存在ともいえる国王に対し、その招待客を疑うような言動をするのは、流石にまずい気もする。

 さて、どうしたものか。

 シオンは小さく唸りながら、城門を睨むように見つめた。

 と、丁度その時、城門の横にある小さな木製の扉が開き、栗色の髪の青年が姿を現した。大きな鞄を一つ手にしている事から、召使いが暇でも貰ったのだろうと思われる。

 その青年を見るなり、シオンはつかつかと歩き出していた。

 彼が城門から少し離れた所を見計らって、声を掛ける。

「ねぇ、そこの貴方」

 すると、彼はびくりと肩を震わせ、おずおずと振り返った。怯えるように青の瞳を揺らしながら自分を見つめてくる青年に、シオンは眉を寄せる。

「お城の使用人?」

「え、ええ……植木職人見習いだったんですけど、今日で辞めました」

「あら、辞めちゃったの? それはどうして?」

 尋ねると、青年は不審そうにシオンを見た。

「……どうしてそんな事を、貴方に話さなければいけないんですか?」

「どうしてと聞かれると困るんだけど……でも、あたしが聞きたい事を全部話してくれたら、ちゃんとお礼をするわよ」

「……お礼?」

 食いついた青年に、シオンは唇を吊り上げた。腕を組み、胸の谷間を強調させながら一歩彼に近付く。

「ええ、お礼よ」

 最後の止めとばかりに、上目遣いでその青の双眸を覗き込む。

 ごくりと息を呑んだ青年は、何かを躊躇うように視線を彷徨わせ、一度ぎゅっと目を閉じた。それから、意を決したようにシオンを見る。

「……此処では言えません」

 場所を変えようと言外に告げた青年に、シオンはますます口元に笑みを浮かべて、歩き出した。内密の話をするのに、うってつけの場所があるのだ。

 城から少し歩いてその場所に着くと、シオンは青年を振り返った。

「此処なら良いでしょ?」

 其処は、城下町の外れにある空き地だ。身を隠すようなものが何もない分、話を聞かれてしまうような範囲に誰かがやってくれば即座に気づく事ができる。

 空き地の真ん中まで来ると、青年は重い口を開いた。

「……俺が植木職人見習いを辞めたのは、こないだ城へやってきた貴族に無礼を働いてしまったから、なんですけど……」

「けど?」

 召使いが貴族に粗相をしてクビになるのは、なくもない話だ。それが人目につくような場所で話せないとは、どういう事だろう。

「……その貴族に脅されて、パーティーである女の子を誘拐しろって……」

 その言葉にシオンは驚きつつも内心で、やっぱりと呟いた。

「その貴族って誰?」

「名前は知りません。たまたま城へ来ていた方で、俺が庭の木に水をやっている時に、誤ってその方の服に水を掛けてしまったんです」

「それで脅されたの?」

「はい……その件を国王に進言して首を刎ねると脅され……命が惜しければ、国王主催のパーティーに来る貴族令嬢を攫えって」

「……じゃあ、あのパーティーに現れた仮面の男は、貴方なのね?」

 植木職人であれば、あの身の軽さも頷ける。納得しつつシオンが静かに尋ねると、青年はばっと顔を上げた。目を見開き、観念したように小さく頷く。

「あの場に、いたんですか?」

「ええ。貴方は覚えてないかもしれないけどね」

 ふふっと微笑み、シオンは更に続けた。

「その貴族の特徴、教えてくれる?」

「どこにでもいそうな方ですよ。男性で、歳は五十くらいかな」

「体型は?」

「中肉中背でしたけど……あ、あと瞳は灰色でしたよ」

「そう……」

 シオンは神妙な面持ちで頷く。

 五十歳ほどの中肉中背の男性貴族なんて大勢いる。灰色の目だってそう珍しくない。

「ところで、どうして貴方はその貴族令嬢を殺さなかったの? テラスから庭に降りた直後なら、どうにでもできたんじゃない?」

 それはシオンが密かに抱いていた疑問だった。あの身のこなしでテラスから降りた青年なら、貴族令嬢一人殺める事だって容易いだろう。仮面の男の目的が予告状通りであれば、あの時コウが追いつくまでの間にアオイを手に掛けていたはずだ。

 しかし仮面の男は、コウに追いつかれただけで呆気なくアオイを解放した。

 その疑問をぶつけると、青年はきょとんとした顔で目を瞬いた。

「殺す? 俺が命令されたのは令嬢を攫う事だけですよ。それも、追っ手が来たら無理せず返して良いって言われたので、その貴族はパーティーを混乱させて中断させたいだけなのかと思ってました」

「……じゃあ、貴方は予告状とは関係ないの?」

「予告状? 何の事ですか?」

 首を傾げる青年の瞳を真っ直ぐに見つめる。

(嘘はついてないわね)

 その青の瞳に映っている感情を読み取り、シオンは一つ息を吐いた。

「じゃあ、貴方、殺気は出せる?」

「殺気?」

「ええ……試しに、あたしを睨んでみて。できるだけ、殺したいとか考えながら」

 シオンがそう言うと、青年は素直に彼女を睨んだ。確かに鋭く強い眼差しだが、あのパーティーの中で感じたような凄まじい殺気は微塵も感じられない。

(……じゃあ、あの殺気は、別人……?)

 それは盲点だった。あれだけの殺気を放った後に飛び出した仮面の男、それこそが、殺気の根源だと思い込んでいた。

(……だとしたら、あの殺気は、この人にアオイちゃんを攫うよう命令した貴族である可能性が高いわね)

 そう考えが至ると、シオンは軽く手を挙げ青年にもう良いと示した。

「じゃあ、確認させて。貴方は、たまたま足に水をかけた貴族に脅され、パーティー中に仮面を付けて女の子を攫おうとしただけなのね?」

「はい」

「それで、仕事はその貴族が怖くて辞めるの?」

「はい。今度城で顔を合わせた時、何か言われるかもと考えると怖くて……」

「なるほどね」

「本当は、口止めされていたんですけど……自分一人で抱えて田舎へ戻るには、重過ぎて……」

 青年はそわそわと辺りを見渡している。此処へその貴族がやってきたら、間違いなく二人共殺されるだろう。

 その恐怖を抱えながらも、彼は話してくれたのだ。

「そう。話してくれてありがとう」

 シオンはそう言い、懐から金貨を三枚取り出した。そっと青年の手に握らせる。

「っ! こ、こんなにもらえないです!」

 慌てて顔を上げる青年に、シオンはにっこりと笑みを向ける。

「あたしは、その女の子の命を狙う者を捜してるの。貴方の話で随分犯人へ近付いたわ。だからそのお礼なの。でもその代わり、あたしが調べていた事は秘密。また貴方に秘密を背負わせてしまうから、そのお詫びも含めてるのよ」

「は、はい、解りました……」

 微笑んでいながら、有無を言わせぬ強さを秘めたシオンの口調に、青年は静かに頷いた。

「違うお礼を期待したかしら?」

 意味深に笑いながらからかうように言うと、青年はぶんぶんと首を横に振った。

「そんな滅相もない!」

 そのあまりの否定っぷりに、彼女は苦笑しながら踵を返す。

 今二人で話しているところを犯人に見られでもしたら面倒な事になる。用が済んだら早々に退散するに越した事はない。

「じゃあ、お礼はこれで終わりね。あたしはもう行くわ。貴方も、気をつけて」

 そう告げると、シオンは青年を空き地に残し、去っていった。

 一人取り残された青年は、何とも言えぬ表情で、渡された金貨を握り締めたのだった。

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