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第三章 闇に潜む暗殺者

 アオイ達が城に着いた頃には、パーティーは既に始まり、ホールは非常に賑わっていた。

 ラピス家の屋敷とは比べ物にならない程広く豪華で天井の高いホールには、其処彼処に正装し着飾った貴族達が犇いている。

 そして数段高い場所に豪華な椅子があり、緋色のマントを羽織った男が座っている。背後に数名の兵士を控えさせてホールを見渡しているその人物こそ、この国を総べる王だ。

「すっげぇな……」

 その光景に、オールが唖然とした様子で呟く。その隣で、シオンは意外そうに眉を上げた。

「あら、オールちゃんはこういうパーティー初めて?」

「貴族主催のパーティーなら、護衛としてついて行った事もあるが、国王主催は初めてだ」

「浮かれて隙を作るなよ」

 ぼそっと呟くと、コウはオールを追い抜いてアオイの隣に立ち、そっと腕を差し出した。

「え?」

 アオイがきょとんと彼を見上げると、彼は真顔で続ける。

「エスコート役として隣にいるのが一番自然だろう」

「あ、ああ! そ、そうねっ」

 そういえば、朝シオンもそのような事を言っていた。コウかオールをエスコート役にして、片時も一人にならないように、と。

 アオイは納得しながらも、今まで父以外の男性の腕を借りた経験がほとんどないため、おずおずとその腕に手を掛けた。

「あっ! コウ! 何アオイと腕組んで……!」

 二人に気付いたオールが抗議しようとしたが、即座にシオンが彼の腕に己の腕を絡めて宥める。

「っ! シ、シオンっ?」

 彼はぎょっとして彼女を見る。しかしその視線は彼女の顔ではなくその豊満な谷間に向いているが、それは彼女の思惑通りだった。

 己の色香に自信のあるシオンは、どうすれば男の注意を引けるかという事も熟知しているのである。

「早い者勝ちよ。男ならグダグダ言わないの。オールちゃんはあたしのエスコートをお願いね」

 彼女は満面の笑みを浮かべて言い、続け様に声を潜めて耳打ちする。

「此処で騒ぎを起こすのは駄目よ。大人しくあたしで我慢しなさいね」

 そう言われて、オールは渋々と行った様子で頷く。この場所で騒ぎ立てるのは、彼とて本意ではないのだ。

 と、そのやり取りを見ていたグリーズが愉快そうに笑った。

「ははは、君達は昨日が初対面だと聞いていたが、随分仲良くなったようだな」

「ええ、それはもう、意気投合して仲良くやらせてもらってますわ」

「それは良かった。くれぐれも、アオイを頼むぞ……さぁ、陛下にご挨拶へ行くから、粗相のないようにな」

 グリーズはそう言うと、貴族達の間を縫って歩き始めた。アオイとコウ、オールとシオンもそれに続く。

 グリーズと同年ほどと思われる王は、目の前にやって来たグリーズとアオイを見て穏やかな笑みを浮かべた。

「やぁグリーズ、久しいな。アオイも、元気だったか?」

「国王陛下、ご機嫌麗しゅう。この度はパーティーにお招き頂きありがとうございます」

「ご無沙汰しております国王陛下。おかげさまで元気に過ごしております」

 グリーズとアオイが続けて挨拶をする。と、国王の視線がアオイの隣に立つ青年に止まった。

「アオイが男連れとは珍しいな……婚約でもしたのか?」

「い、いえ。彼はボディーガードでして……」

「ボディーガード?」

「その件に関してはこれからご報告致します……アオイ、お前はパーティーを楽しんでいなさい。ただし、このホールから出るんじゃないぞ」

 グリーズがそう言ったので、アオイは素直に従い、段を降りてパーティーを楽しむ事にした。

 無論、その隣にはコウ、後ろにはオールとシオンのペアが控えている。

 できるだけ壁際でパーティーをやり過ごそうと、四人は歩き出すが、アオイがホールに降り立った瞬間、貴族と思われる身なりの青年が数人、足早に近付いてきた。コウが警戒するように半歩前に出たが、それをアオイが腕を軽く引く事で止めさせる。

「アオイさん! お久しぶりですね!」

「相変わらずお美しい!」

「夜空に輝く星々でさえ、貴方の美しさには霞みますね」

 そんな事を口々に言う彼らは、こういったパーティーなどでよく顔を合わせる貴族令息達だ。歯が浮くような褒め言葉や美辞麗句も毎度の事なので、別段それに驚きもしない。

 ただ、今日はアオイの方がいつもと様子が違うので、それに気付いた青年達の方が怪訝な顔をした。

「……ところで、アオイさん、此方の方は?」

 一人が、コウを見る。値踏みするようなその視線に、彼は不快感を表すでもなく無表情で一礼した。

「本日エスコート役を賜りました、コウ・ノワールです。どうぞお見知りおきを」

「エスコート役? アオイさん、それでしたら是非僕にお任せ下さい!」

「何を言っている。アオイさんの相手なら僕が相応しい」

「君こそ馬鹿な事を言うな。アオイさんほどの美貌の前に、君達では見劣りするだけだろう」

 やいやい言い始めた青年達に、シオンが数歩後ろで呆れたように呟いた。

「貴族の息子って、馬鹿しかいないのね」

 隣に立つオールだけが辛うじて聞き取れるような声に、彼は渇いた笑みを浮かべて頷いた。

「はは、全くだな」

「あれ全員、アオイちゃんの顔とラピスの家名だけしか見てないじゃない。失礼にもほどがあるわ」

 何故かシオンが不愉快そうに眉を寄せる。

 丁度その時、軽妙な音楽が流れ出してきた。パーティーの目玉でもある、ダンスタイムが始まったのだ。これがパーティーの終盤まで曲調を変えながら続くのである。

「アオイさん! 今日こそ是非ダンスを……!」

 一人の青年が言い掛けたが、コウが強い口調で遮った。

「アオイ様、私と如何でしょう?」

「え、ええ……」

 まさかコウに誘われると思っていなかったアオイは、戸惑いながらも反射的に頷いてしまう。それを受けたコウは、彼女とホールの中心へ向かおうと、貴族の青年達に軽く会釈だけして身を翻した。

 真後ろにいたオール達とすれ違う瞬間に、小さく囁く。

「俺達がダンスをしている間に、怪しい動きをしている人物を探せ。ただし行動はするな。顔を覚えてマークしておけ」

 偉そうな命令口調にオールは反論しようとしたが、それより早くシオンがウィンクで応じてしまう。

「お前、あんな言い方されて腹立たないのか? しかも、アオイとダンスするんだってよ」

「でも、コウちゃんの指示は的確だと思うわ。視線を集めるダンスタイムで、怪しい動きをしている人物がいれば解りやすいし、アオイちゃんが目立つ所にいれば、犯人だって手は出しにくいでしょう?」

「そりゃそうかもしれねぇけど……」

 腑に落ちない、と露骨に顔に出したオールに、シオンはにやりと笑う。

「オールちゃんは、アオイちゃんのダンスの相手をコウちゃんに取られたのが悔しいんでしょ?」

「だ、誰が……!」

「でも、オールちゃんは見るからにエスコートもダンスも向いてなさそうだし、諦めるしかないわね」

 さりげなく失礼な事を言いながら、シオンはオールを引っ張ってダンススペースの近くまで移動する。既に数組が踊り始めており、その端で、アオイとコウがそっと肩と腰に手を添え合い、ダンスの型をとっていた。

「何だかお似合いね、あの二人」

 ふふっと笑いながらシオンがオールを見上げると、彼は至極複雑そうな面持ちで二人を見つめていた。

「……オールちゃん、ひょっとして、アオイちゃんに本気で惚れちゃった?」

 探りを入れようと茶化すように尋ねると、彼は面白いくらい赤面してシオンを振り返った。

「ばっ、馬鹿野郎! 依頼人相手に本気で惚れる訳ねぇだろうがっ! 寝言は寝て言え!」

「……オールちゃん、解り易過ぎるわよ、その反応」

 思わず苦笑しながらそう呟いた直後、シオンは一瞬目を瞠った。それから表情を消し、鋭い視線を周囲に滑らせる。

「……シオン?」

「静かに」

 彼女の様子に首を傾げたオールだが、数秒遅れてはっとする。

「……殺気か」

「ええ……でも、こんなに大勢人がいる中で、こんなに解り易い殺気を出すかしら……」

 幾つもの修羅場を潜り抜けてきたボディーガードだからこそ感じ取れるそれは、罠と思わせるのに充分過ぎるほどに、あからさまにアオイを睨んでいた。

 シオンとオールがこれだけはっきり感じているのだ。きっとコウも気付いているだろう。

 それでも二人は軽やかなステップで踊っている。二人を見る貴族達が感嘆の溜め息を漏らしているのが聞こえるが、その羨望ともいえる眼差しの中に、確かな殺気が紛れているのだ。

「……あたし達を試しているのかもね」

「どういう事だ?」

「これだけの殺気を放てば、当然ボディーガードは警戒するわ。これが罠なら、あたし達が動けば犯人の思惑通りって訳よ。かといって無視できるほど、この殺気は生易しくはないわね」

「じゃあどうするんだよ」

「ちょっと落ち着きなさい。アオイちゃんにはコウちゃんがついてるんだから大丈夫よ。それに国王主催のパーティーなんだから、招待状を受け取った人物とその従者以外はこのホールには入れないはず……城には兵士だって沢山いる。此処で行動を起こせば、犯人は逃げる事だって容易ではないわ」

 二人は視線を合わせずに、ごく小さい声で会話している。ホールの中にいる貴族達の中に、怪しい者はいないか探すが、殺気を放っている人物は見つからなかった。

「……これだけ解り易い殺気を放っておいて見つからないなんて、よっぽど腕の立つ暗殺者かもしれないわね」

「ああ……気をつけろ」

「言われるまでもないわね」

 そう言った直後、シオンははっとして咄嗟に声を上げた。

「っ! アオイちゃん!」



 国王の前から下がり、言い寄ってくる貴族の青年達をあしらって、コウに促されるまま人がぐるりと取り囲むダンススペースにやって来たアオイは、おずおずと彼の肩に手を置き、もう片方の手で彼の手をそっと握った。

 ダンスはあまり得意ではないが、貴族令嬢としての教養は叩き込まれているので、あまり難しい事を要求されなければ大丈夫だろう。

「……堅いな。ダンスは苦手か?」

 彼女の様子からそれを悟ったコウが尋ねる。アオイは苦笑しながら小さく頷いた。

「うん、あまり得意じゃなくて……だから、コウにも迷惑を掛けちゃうかもしれないわ」

「基本が解っていれば大丈夫だ。行くぞ」

 彼はアオイの腰に手を回し、軽く抱き寄せると、そのまま一歩踏み出した。

 序盤という事でポップな音楽だが、コウは軽快なステップでアオイをリードする。

 二人が踊り出してすぐ、周囲の貴族達が感声を上げた。貴族令嬢達が熱っぽい眼差しをコウに向けるが、当の本人はそ知らぬ顔でステップを踏み続けている。

 その完璧ともいえるリードに、アオイは感心した。

「コウ、ダンス上手なのね」

 今まで貴族令息の誘いを断りきれずにダンスをした事は何度かあるが、これほどまでに自然に踊れた事はない。これはリードする男性の差だろう。

「このくらいでは上手いとは言わないだろう」

「ううん。凄く踊りやすいもの。充分上手だと思うわ」

「……そうか」

 満面の笑みで褒められ、コウは気まずげに視線を逸らした。

(……これは、照れていると受け取って良いのかしら?)

 シオンの言葉を思い出しながらそんな風に考え、アオイは表情を緩める。

 と、その時。

「……っ!」

 コウが、僅かに目を瞠った。その表情の変化に、アオイが訝しげにその深紅の瞳を覗き込む。

「コウ?」

「喋るな……殺気だ」

「えっ……」

 その言葉に動揺したアオイが僅かにステップを乱すが、コウはそれを軽々とフォローし、彼女の腰を抱く腕に更に力を込めた。

「心を乱すな。俺がいる限り大丈夫だ。逆に、殺気に気付いた事を勘付かれる方が面倒臭い。冷静に、ダンスを続けるぞ。あの二人も、この殺気に気付いているはずだ」

 言いながらさっと回転し、アオイがオール達の方を向く。コウの言う通り、彼らは平静を装いながら、辺りに視線を巡らせていた。

「こうして人前で踊っていれば、お前は安全だ。ひとまず体力が持つ限り、踊り続けるぞ」

「う、うん……」

 パーティー終了までまだ何時間もあるというのに、ずっと踊り続けるのは無理だ。体を動かすのは好きだが、体力に自信がある訳ではない。体力が持つ限り、とはどのくらいなのだろうか。そんな事を考えて、アオイは顔を引き攣らせた。

 と、その時だった。

「っ! アオイちゃん!」

 シオンが自分の名を叫んだと思った直後、貴族達の群れの中から突如、黒い帽子とマントを纏った仮面の男が飛び出してきた。

「っ!」

 仮面の向こうで青い瞳が鋭いナイフのように煌めいたのを見て、アオイが息を呑む。

「下がれ!」

 アオイを庇ってコウが前に出たが、仮面の男は華麗な身のこなしで彼の間合いに滑り込み、コウが隠し持っていた短剣を袖口から出すより速く、彼の鳩尾に拳を叩き込んだ。

「ぐっ……」

「コウ!」

 アオイが名を呼ぶが、コウは短く呻いてそのまま床に膝を衝いた。

 それを見ていた貴族令嬢達の悲鳴が、ホールに響き渡る。

「アオイ!」

 オールもすかさずアオイに駆け寄ろうとしたが、仮面の男は素早くアオイを抱き上げ、そのまま駆け出した。

 呆気に取られている貴族達の間を擦り抜け、そのままテラスへと飛び出す。

 パーティーホールは二階だ。まさかこのまま飛び降りるつもりなのだろうか。

「いっ、嫌! やめてっ! 離してっ!」

 当然アオイは抵抗しようとするが、男はその耳に低く囁いた。

「騒げばこの場で殺す」

 その不気味な声と言葉に、アオイは凍りつく。

 恐怖が身体を支配して、声さえ出なくなってしまう。

 抵抗を止めた彼女に満足げに頷き、仮面の男は彼女を肩に担ぎ直すと、テラスの手摺にロープを掛け、器用にするすると降りていった。城の庭に降り立ち、木の陰に隠れながら巡回している兵士達の隙を窺う。

 そして騒ぎを知った兵士達が慌しく庭に配備し出したのを見て、彼は駆け出した。警備が厳重になる前に、逃げようという魂胆だ。

(助けて……っ)

 アオイは心の中で叫んだ。ぎゅっと拳を握り締めて、どうしたら逃げられるかを必死に考える。

 だが、あのコウを一撃で倒してしまうようなこの男から、逃げる手段など思い浮かばない。

(このまま、私は連れ去られて殺されちゃうの……?)

 どうしようもない絶望が、脳裏を過ぎる。

 しかし、駆け出した男の行く手に、ひらりと一つの人影が躍り出た。

「悪いが、アオイは返してもらうぞ」

 その声にはっとしたアオイが顔を上げると、其処には短剣を構えて立つコウの姿があった。

「コウ……!」

 仮面の男に肩に担がれながらアオイは小さくその名を呼ぶ。彼の姿を見ただけで、安堵が恐怖を振り解いた心地だった。

 コウは深紅の瞳に怒りを滲ませて、仮面の男を睨んでいた。

「もう遅れは取らない」

 その言葉と同時に、彼は地を蹴り一気に間合いを詰め、短剣を突き出す。

「くっ」

 不意の攻撃に仮面の男がたじろいだ一瞬の隙を衝き、アオイへ手を伸ばす。

「っ! コウ!」

 アオイが咄嗟にその手を掴むと、彼はぐいと引っ張って彼女を男の肩から降ろし、己の胸で抱き止めた。

 そしてすぐに彼女を背後へ隠すようにして、仮面の男と対峙する。

「……仕方がないか」

 男は舌打ちと共に吐き捨てると黒いマントを外し、コウに目掛けて放り投げた。

 それはばさりと広がって、コウとアオイの視界を覆う。

「っ! 貴様!」

 コウがそれを払い除けた時には、既に男の姿は消えていた。

「……逃げられたか……」

 悔しげに呟いてから、コウはアオイを振り返る。

「怪我はないか?」

「だ、大丈夫……助けて、くれて、ありが、と」

 ほっとしたと同時に、アオイの身体はガタガタと震え出す。

「ご、ごめん、なさ……安心、したら、急に……」

「いや……俺がしっかりしていれば、お前に怖い思いはさせなかった。あれだけ大勢の人前では犯人も行動を起こさないだろうと甘く見ていた……俺の責任だ。すまない」

 普段の自信満々な態度とは打って変わり、申し訳なさそうに眉を下げ、コウはアオイの両肩にそっと手を置いた。

「もう大丈夫だ。一度深呼吸でもして、落ち着け」

 ゆっくりと諭すように言われ、アオイは素直に深く息を吸った。それから肺が空になるまで吐き出し、彼の顔を見上げる。

「落ち着いたか?」

 優しさの滲んだ声色に、アオイの震えも治まっていく。

「うん……何とか」

 まだ完全に落ち着いた訳ではなかったが、コウが傍にいてくれるだけで、大丈夫だと言ってくれるだけで、心は随分静まっていた。

 そしてアオイはふと、彼の右手に目を留めた。

「そこ、怪我してるわ」

 アオイが指差した先、彼の手の甲には、一筋の切り傷ができ血が滲んでいた。

 コウは指摘されて初めて気付いたようで、きょとんと目を瞬いた。

「ん? ああ、テラスから木に飛び移った時に枝で切ったんだろう。大した事はない」

「テラスから飛び移ったの?」

 驚いて問い返すと、彼は至って平然と頷いた。

「そんな無茶して……ちゃんと手当てしないと駄目よ。小さな傷も放っておくと化膿しちゃうんだから」

 少し強めに言い、アオイは彼の右手を取ると、その傷にそっと右手を翳した。

「何を……」

 彼女の行動に、コウは不思議そうに首を傾げたが、違和感を覚えて口を噤んだ。

 温かい何かが、手に沁み込んでいくような感覚だった。

 とても優しいそれは、手の傷から全身を巡っていくように、彼を包み込んでいく。

「……っ」

 アオイが翳していた手を下ろした時には、その傷は跡形もなく消えていた。

「傷が……!」

 コウは驚いて己の手とアオイの顔を交互に見つめる。

 当然とも言える彼の反応に、しかし彼女は何故か、少し寂しそうに微笑んだ。

「昔から使える不思議な力なの……得体が知れなくて、気持ち悪い、かな?」

 言いながら窺うようにコウの顔を見上げると、彼は即座に否定した。

「いや、そんな事はない。おかげで痛みも消えた。ありがとう」

 お礼の言葉と共に、彼はふわりと微笑んだ。

 それはアオイが見た、初めてのコウの笑顔だった。

(わ……こんなに優しく笑うのね)

 どきりと、胸が高鳴る。

(あ、私、何をこんなにドキドキして……)

 そのときめきは、普段無表情で冷淡なコウが笑ったからなのだと、決して深い意味はないのだと、自分に言い訳をする。

「わ、私を助けるために怪我をしたんだから、当然よ」

 必死で平静を装おうとしながら答えると、コウは彼女の態度に怪訝そうな顔をしながらも小さく首を横に振った。

「お前を護るのが俺の仕事だ。怪我を負うのは俺が未熟だからに他ならない」

「それでも、わざわざテラスから木に飛び移るような危険な事をしてくれたんでしょう?」

「危険というほどの事じゃない」

「……コウって素直じゃないのね」

 そう言ってクスクスと笑うアオイに、コウは唇をへの字に曲げた。

 しかし彼が何か言うより速く、バタバタと足音が近付き、声が掛かった。

「アオイ!」

「アオイちゃん!」

 オールとシオンだ。コウとは別に、二階から城内の階段を下り、庭を回り込んで来たらしい。

「大丈夫だったかっ? 怪我はっ?」

 オールがアオイに駆け寄り、心配そうに顔を覗き込む。その剣幕に押され、アオイはただただ頷いた。

「だ、大丈夫よ。コウが助けてくれたから」

「そ、そっか……良かった」

 良かったと言いながら、オールは妙に気落ちした様子だ。その反応にアオイが首を傾げると、シオンがこそっと耳打ちする。

「オールちゃんは、自分の手でアオイちゃんを護りたかったのよ」

「え?」

 言われた事が理解できずに聞き返すと、シオンは尚も愉快そうな口調で続ける。

「コウちゃんもね、アオイちゃんが連れ去られた後、凄い勢いでテラスへ飛び出してそのまま木に飛び移ったのよ。あんな慌てたコウちゃんは、かなりレアだったわ……アオイちゃん、モテモテね」

「……シオン、楽しんでない?」

 耳元で受けた報告に、アオイはそんな疑問を抱いた。しかしそれはすぐに確信へ変わる。

「やぁねぇ、そんな訳ないじゃない。アオイちゃんの事、ちゃんと心配してたんだから」

 にっこりと笑顔で答えたシオンだが、その笑顔が逆に怪しい。

(……絶対、楽しんでる……)

 アオイは複雑な心境でその笑顔を見つつ、話題を変える。

「……ところで、パーティーはどうなったの?」

「大騒ぎだ。ラピス家の令嬢が攫われたってな」

 オールが、二階部分を仰ぎ見ながら答える。アオイが其方に視線を向けると、何やら騒がしい雰囲気が見て取れた。

 あれだけ大勢の人前で、あれだけ派手に仮面の男に攫われたのだから、当然と言えば当然だろう。

「ラピス氏も心配している。戻ろう」

 コウに促され、四人はパーティーホールへ足を向ける。

「でも、パーティーはきっともう続けられないわね。他の貴族令嬢達がすっかり怯えちゃってたから」

 庭を回り抜ける辺りで、シオンが残念そうに呟いた。

 その後、アオイを探しに来た兵士達によってパーティーホールへ再び案内されたが、結局シオンの言葉通り雰囲気をぶち壊されたパーティーが続行されるはずもなく、早々に打ち切り、解散という事になってしまったのだった。

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