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第一章 予告状と三人の護衛

 爽やかな春の風が吹き抜ける、穏やかな昼下がり。

 彼女は手入れの行き届いた広い庭の真ん中で、午後のティータイムを楽しんでいた。

 まるで人形のように愛らしい美貌の少女は、丁寧に淹れられた紅茶の香りに、青の瞳をうっとりと細めた。

 シンプルながらに質の良いドレスを纏っている彼女の名は、アオイ・ラピス。庭の後ろにどんと構える大豪邸の持ち主にして国内有数の貴族、グリーズ・ラピスの一人娘である。

「アオイ様、今日の紅茶は如何ですか?」

 傍らに控えていた二十代後半ほどの女性が静かに尋ねる。

 アオイは一頻り香りを楽しんでから、一口紅茶を啜った。ゆっくりとそれを味わい、満足げに頷く。

「……うん、今日も最高だわ。やっぱりジョーヌの紅茶は最高ね」

 その返答に、ジョーヌと呼ばれた女性は満面の笑みを浮かべる。

「ありがとうございます。アオイ様にそう言って頂けるのが、何よりの励みです」

 金髪と淡いブラウンの瞳の彼女はアオイの使用人だ。アオイは、もう十年ほどこうして彼女の淹れた紅茶を飲み続けているが、何度飲んでも飽きる事はない。

「……今日もいい天気」

 ご機嫌で空を見上げると、突き抜けるような青が何処までも広がっている。微風(そよかぜ)が彼女の頬を撫で、背中まである絹糸のような金髪を揺らしていく。

 よく晴れた日に、午後のティータイムをこの広い庭で過ごすのは、彼女の大事な習慣だ。

 あまり外に出る事のない貴族令嬢故に、庭といえど屋外で過ごす貴重な時間なのである。

 しかしこの日は、いつも通りのティータイムにはならなかった。

 突如として慌しい足音が響き、和やかな空気を見事に打ち砕いてしまったのだ。

 不快そうな顔で振り返ったアオイだが、その足音の原因である人物に、思わず目を瞠る。その人物は肩で息をしながら彼女の傍まで駆け寄ると、軽く一礼して早口に言い放った。

「お嬢様! 大変でございます! 大至急、旦那様の書斎へ向かわれますよう!」

 見慣れた黒い服の男性、彼は父グリーズの執事、ヴェールだ。

 壮年でいつも柔らかい笑みを浮かべている彼が、このように慌てた様子で屋敷内を走ったりするのは非常に珍しい。

「ヴェール、どうしたの?」

 紅茶を飲む手を止めて目を瞬くアオイに、ヴェールは息を整えるようにしながら屋敷の方を示す。

「詳細は旦那様よりお伺い下さい。とにかく、大至急でございます!」

「わ、解ったわ」

 普段は何を言っても動じないようなヴェールが此処まで慌てているのだから、とにかく非常事態なのだろう。戸惑いながらもカップをソーサーの上に戻し、アオイはジョーヌに一言断って席を立った。

 ヴェールに続いて歩き慣れた豪華な廊下を足早に進み、父の書斎へ向かう。

普段は滅多に入らないその部屋へ足を踏み入れると、父は革張りの椅子に腰掛け、眉間に皺を寄せていた。

「お父様、何があったの?」

 ただならぬその雰囲気に、アオイは眉を顰める。

 グリーズは栗色の髪を掻き揚げながら困ったように嘆息し、机に置かれた一枚の紙をアオイに差し出した。

「これが、ついさっき届けられた」

 アオイは怪訝に思いながらもその紙を受け取り、記された文字を目で追う。

 そして、愕然と目を見開いた。

「……っ! わ、私の、い、命を……?」

 不自然なまでに整った文字が記していたのは、平和な日々を過ごしてきたアオイにとって、まるで無縁な単語だった。

『近く、グリーズ・ラピスの一人娘、アオイ・ラピスの命を頂戴する』

 その一文だけが、宛名も差出人もない一枚の白い紙に書かれていた。

 そのシンプルさが、不気味さを際立たせている。

「ど、どうして、私の命を……?」

 動揺が隠せず、アオイが父を見る。

 命を狙われる理由なんて、皆目見当がつかない。

 それは父も同じようで、額を押さえて首を横に振った。

「解らん。ただの悪戯や嫌がらせか、ラピス家を蹴落としたがっている者の仕業かもしれん」

「そ、そんな……」

 得体の知れないものに命を狙われている。その恐怖が、アオイの身を震わせた。

 ついさっきまで長閑なティータイムを過ごしていたというのに、一瞬にして平和が消え去ってしまったような心地だ。まさに晴天の霹靂。

 そんな不安と恐怖で凍りつく娘を、父はしっかりと見据えた。グレーの瞳が、真っ直ぐにアオイを射抜く。

「大丈夫だ。絶対にお前を殺させたりはしない。すぐにボディーガードをつけよう。安心しなさい」

 言うや、入り口に控えていたヴェールに指示を出す。

「早急に腕の立つボディーガードを呼び寄せろ。良いな」

「御意」

 ヴェールは恭しく一礼し、書斎を出て行った。それを見送って、グリーズは小さく唸る。

「ボディーガードが来るまで、お前は此処にいなさい」

「……はい」

 頷いて、アオイは悄然と壁際に置かれた椅子に座り込んだ。

 すっかり気が滅入ってしまった娘を見て、父は痛ましげに顔を歪めるが、掛ける言葉もなく、妙な沈黙が流れていく。

 ヴェールが戻ってきたのは、それから小一時間が経った頃だった。

 彼と一緒に三人の男女が書斎に入ってくるのを受けて、アオイは父の傍らに立った。

「旦那様、大変お待たせ致しました」

「彼らが?」

「はい。貴族のボディーガードを生業にしている者を集めました。彼らは貴族からの評判も頗る良好です」

 ヴェールは三人の横に立ち、アオイとグリーズに彼らを紹介した。

「では右から、コウ・ノワール、オール・カルミン、シオン・ヴィオレです」

 名を呼ばれるごとに、それぞれがぺこりと軽く頭を下げる。

「私はグリーズ・ラピス。これは娘のアオイだ。お前達には、アオイの警護を頼みたい」

 グリーズがそう告げると、彼らの視線が一気にアオイに集まった。

 アオイは慌てて一礼する。

「アオイ・ラピスです。どうかよろしくお願いします」

 彼女が顔を上げると、先程紹介された三人がその順番で口を開いた。

「コウ・ノワールだ」

 名前だけ短く告げたのは、さらりとした黒髪と深い紅色の瞳が印象的な青年だ。すらりとした細身の長身で、妙に冷めた雰囲気を醸している。

「お、俺はオール・カルミン! よろしく!」

 緊張した様子でアオイを見つめながら言ったのは、鮮やかな赤い髪と金色の瞳の青年だ。彼もまた長身だが、コウより筋肉質で、見るからに明朗快活で親しみやすそうな空気を放っている。

「あたしはシオン・ヴィオレ、よろしくね。可愛いお嬢さん」

 三人目は、妖艶な笑みを浮かべたかなりの美女だ。肩に掛かる銀色の髪と宝石のような紫の瞳を有し、豊満な胸元が強調されたワンピースを纏っている。その丈は踝まであるが、右横に長いスリットが入っており、その白く長い足がちらついている。同じ女であるアオイでも、目のやり場に困ると思ってしまうような色香の持ち主だ。

 雇い主となるグリーズとその娘に対し、やや失礼とも取れる態度を見せる三人だが、時間がない中で集めた人材なのだから、実力さえ伴っているのなら態度などはある程度目を瞑るべきであろう。

 そもそもボディーガードの仕事は媚び諂う事ではなく、依頼人を護る事なのだ。その腕が立つのなら、多少口が悪くても契約違反にはならないのである。

 と、グリーズは例の予告状を、苛立たしげな様子で彼らに見せ付けた。

「このように巫山戯た予告状を送りつけた犯人が捕まり、騒動が収束するまでの間、娘を護れ。娘に害を成す者を排除するんだ。良いな」

「了解」

「はい!」

「はぁーい」

 口々に返事をした三人に頷くと、グリーズはアオイを振り返った。

「何かあれば、些細な事でもすぐに報告するんだぞ。心配するな。犯人は私が捜し出す」

「はい……じゃあ、失礼します」

 まだ不安の残る表情で言うと、彼女は書斎を出た。当然、三人のボディーガードもそれに続く。

 廊下を歩きながら、アオイは首を巡らせて後ろの三人を振り返った。

「とりあえず私の部屋に行きましょう。屋敷の中は後で案内しますね」

 とにかく改めて現状を考え、落ち着いた状態でこれからどうするかを決めたかった。

 突然殺害予告をされるような覚えなどない。貴族同士の権力争いはよく聞く話だが、ラピス家はあまり敵がいない家柄のはずだった。

 ラピス家は、数代前に王族に通じる女性が嫁入りしてきた事で、かなり高い地位を賜ったという。以来王家と懇意になり、それを妬む者はいても害を成そうとする者はいなくなったのだとか。いくらなんでも王族の血を汲む一族を敵に回すなんて事を考える者はいまい。

 そもそも、この国は治安が良いため、そんな不穏な事は滅多にないのだ。権力争いのために貴族を暗殺したなどという話も、聞いた事がない。

(……でも、だったら、誰が何の目的で……?)

 難しい顔で考えながらアオイは自分の部屋に入ると、部屋の中央に置かれたソファーに座るよう、三人を促した。

 部屋の中央に置かれた一対のソファーはふかふかで、大人が四人一列に座っても余裕があるほどの大きさだ。

 三人が彼女に従って大人しくソファーに腰掛けたところで、アオイは三人の向かいに腰を下ろした。

「……ごめんなさい。突然、私なんかのボディーガードを頼んだりして……」

 こんな唐突な依頼はそうないだろう。即日即時のボディーガードの仕事を引き受けるなど、よほどタイミングが良くなければできまい。

 急に申し訳なくなってアオイが眉を下げると、向かって一番左に座った紅一点シオンが意外そうに目を瞬いた。

「どうして謝るの?」

「だって、こんなに突然……」

「仕事に突然も何もねぇって! アンタ面白いな」

 今度はオールが、けらけらと笑う。第一印象通り親しみやすい笑顔だとアオイがぼんやりと思うのとほぼ同時に、シオンが穏やかに続けた。 

「あたし達は、貴方のお父さんにお金を貰って雇われてるのよ。貴方が謝る必要なんて何処にもないわ」

「それに、急な話だけあってかなり割りの良い仕事だしな」

「そうね。金額を提示されて、思わず頷いちゃったもの」

 うんうんとシオンが頷く。その度に銀色の髪が揺れ、妙な色気を感じさせる。

(女の人だけど、何故かドキドキするわ……)

 屋敷内にいる使用人は皆大人しい女性ばかりだ。こんなにも大胆な色香を持つ美女と接した経験などなく、アオイは少々戸惑いながら言葉を紡ぐ。

「ありがとうございます。暫くの間、どうかよろしくお願い致します」

 座ったままだが深々と頭を下げたアオイに、オールとシオンは表情を緩めた。

「おう。任せろ」

「それより、貴方は雇い主の立場なんだから、あたし達に敬語を使う事はないわ。堂々として良いのよ」

「そ、そうですか……?」

 急にそう言われても、長年一緒の時間を過ごした使用人でもないのに、見るからに自分より年上の人間にいきなり砕けた口調では話せない。

 貴族令嬢として厳しく育てられたアオイならではの癖だ。

 それよりも寧ろ、雇い主の娘であるアオイに敬語も使わず大きな態度を取る彼らの方がおかしいのだが、あまりに堂々とした態度故に違和感さえ覚えなかった。

「ほらまた敬語……貴方は幾つなの?」

「こないだ十七歳になりました」

「あら、じゃああたしとは三つしか違わないわ。そんなに畏まらないで」

 シオンがにこにこと上機嫌に言うと、オールもにかっと笑う。

「俺とは二つだな。俺も堅苦しいのは嫌いだから、気楽で良いぜ」

 気楽で良いと言ってくれるのは正直助かる。これから殺害予告をしてきた犯人が捕まるまで、片時も離れずに警護される事となるのだ。少しでも打ち解けた方が、気が滅入りっぱなしにならなくて良い。

 アオイはほっと安堵の息をついた。

「ありがとう」

 笑みを浮かべてそう言い、それから、ずっと黙っている一番右側の青年に視線を滑らせる。

 無表情でソファーに座り、腕組みをしている黒髪の青年は、アオイの視線に小さく首を傾げた。

「何だ?」

「あ、いえ……」

 冴え冴えとしたその深紅の瞳にアオイは本能的な畏怖を覚え、咄嗟に目を逸らす。

「ほらコウちゃん、アオイちゃんが怖いって言ってるわよ。笑顔、笑顔!」

 シオンが、オールを通り越してコウの顔を覗き込む。しかしコウは彼女を一瞥しただけで、呆れたように溜め息をついた。

「馬鹿みたいな呼び方をするな。怖いと言われようと、元々俺はこういう顔だ」

「こういう顔、ねぇ? そんなムスッとした顔してたら、色男が台無しね……それにそんな態度じゃ、女の子にモテないわよ」

 シオンは肩を竦めてソファーの背凭れに体重を預けた。そんな彼女に、コウは眉を寄せる。

「今は仕事中だ。そんな事を考える方がどうかしている」

「あら、女はいつどんな時でも、イイ男を探しているものよ。ねぇ? アオイちゃん」

「え、わ、私は……」

 突然話を振られたアオイは、答え難い内容に言葉を詰まらせる。

「馬鹿馬鹿しい」

 その言葉を聞いていたコウが冷たく吐き捨てると、その反応に、真ん中に座っていたオールが目を眇めた。

「おい、そんな言い方があるか? これから暫くの間三人でアオイを護るんだぞ」

「そんな事は解っている。だが、本来なら俺一人で充分な仕事だ。馴れ合うつもりはない」

 取り付く島もないほど冷淡な態度に、オールは不愉快そうに鼻を鳴らした。

「ふぅん、そうかよ……じゃあ、お前は好きにしろ」

 それから、気を取り直して目の前のアオイに目を向ける。

「此奴はこんなだけど、俺は全力でアンタを護るから、大船に乗ったつもりでいろよな」

「あら、あたしだって、引き受けたからには全力で護るわよ。同じ女だし、折角なんだから仲良くやりましょ」

「は、はい……」

 この三人で本当に大丈夫なのだろうかと思いながらも、書斎であの手紙を見た時より随分気持ちが落ち着いている自分に気付く。

(……腕の立つ人達だってヴェールも言っていたし、大丈夫、よね……)

 自分に言い聞かせるように繰り返しそう心の中で唱える。すると、ムスッとした顔のまま、コウが口を開いた。

「それで、屋敷の案内はどうする? 屋敷の造りが解らなければ、万一屋敷内で襲われた時に対応し辛いんだが」

「あっ、そ、そうですよね……すみません、じゃあ、行きましょう」

 慌てて立ち上がると、その様子にシオンが苦々しい笑みを浮かべた。

「だから、あたし達にそんな気を使わなくて良いのよ。まぁ、コウちゃんが怖いのはしょうがないけど」

 揶揄するような口調に、コウは眉を顰める。

「俺は怖がらせるような事は……」

「そのクソ真面目で冷たい口調と態度が怖いのよ。貴方はもう少し優しい言い方ってものを身に付けなさい。ボディーガードが護るべき相手を怖がらせてどうするのよ」

 大人が子供に諭すように言うと、彼女は反論も聞かずに立ち上がってアオイを見た。

「じゃあ、行きましょ。ラピス家の屋敷内を見られるなんて、滅多にない機会だから楽しみだわ」

「え、ええ……行きましょう」

 ボディーガード達のやり取りに当惑しながらも、アオイは三人を促して部屋を出た。

 豪華な装飾が施された廊下を歩き、どれがどの部屋で何が何処にあるかを大まかに説明しながら広い屋敷内を一周する。

 部屋に戻る頃には陽が傾き、最初は興味深げに屋敷内を見ていた三人も、若干疲労を滲ませながらソファーに座り込んだ。

「ラピス家の屋敷なんだから、相当広いだろうとは思ってたけど……」

 ぐったりと背凭れに寄りかかりながら、シオンが天井を見上げる。

「こんな広い屋敷、初めてだぜ」

 オールも同じく疲れた様子で息を吐く。その隣で、コウが長い足を組んだ。彼だけは疲労しているというよりも、ただ不機嫌そうに眉間に皺を寄せているだけだ。

「……すみません。無駄に広い屋敷で……」

 なんだか大きな家に住んでいる事が悪い事のように思えて、アオイは乾いた笑みを浮かべながらそう口にする。

 すると、シオンは苦笑して首を横に振った。

「そんなのアオイちゃんのせいじゃないでしょ? 確かにちょっと疲れたけど、それは貴方が謝る事じゃないわ。そもそも、アオイちゃんは謝りすぎよ。何度も言うけど雇い主として、もっと毅然としていて良いのよ」

「そうそう。ラピス家が超貴族だって事ぐらい俺達だって解ってるんだし、気にすんなよ」

 気遣ってくれる二人にほっとする。

 丁度其処へ、ジョーヌが夕飯の支度が整った事を告げに来た。

 アオイは三人を伴って食堂へ移動し、何だか落ち着かない夕食の時間を過ごしたのだった。



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