第九章 来ない連絡
東京都某区
帰国してからしばらくの間、俺は都内の実家のマンションで寝泊りした。
キッチン、リビング、居間は家族がいたころのままで、日常生活の香りがまだ残っている。
高層のベランダから都内を見渡す。俺の家族が犠牲になった航空機爆破テロが起こらなければ、俺はこの雑多な町並みのなかで、普通に学校に通っていたはずだ。
【エーテル・ストライク】に加入したいま、俺はエメラダ・ポラリスからの連絡をひたすら待っている。
エメラダは、彼女専用の作戦チームとして、渡良瀬ひとは、ブレスト・ドニセヴィッツ、そして俺、草刈睦月の全四名でエーテル・ストライクを再編した。
あの日。
コトミの家の宴会の場で、俺は本当にエメラダからスカウトされたんだよな?
そういう疑問が自然に涌いてくる。一報を寄こしてくれればいいのに。
玄関のベル音が鳴った。
「あー、そういえば」
今日は日曜日だ。イトコの草刈コトミが来ることを忘れていた。
すっかり曜日の感覚が狂ってしまっている。
女の子をもてなすためのお菓子なんかも、まったく用意していない。でも、その心配はなさそうだ。コトミはジュースやお菓子で膨らんだビニール袋を手に下げていた。
おまけにコトミの髪型は俺の好みのポニーテールにしているので、機嫌が少し上向いた。
コトミは柔らかい指先で俺の頬を突いた。
「よーす。むっちー、ちゃんとひとりで生きていられたかな? ふふっ、ちょっと白くなった」
白い?
そうだろう。外出は夜間のランニングくらいで、このところ、ほとんど陽に当たってない。
「あー、おじさんたちがいた時と変わらないね」
彼女は部屋を見回した。
収納ラックの上に飾られたフォトフレームに、俺とコトミの家族が写っている。彼女はその写真を手にとってしばらく眺めた。
それから彼女はキッチンに向かい、やかんに火を入れてお湯を沸かし、流し台の上の棚を開けて紅茶葉の缶を取り出した。
一連の手慣れた動作だった。
「どうして、場所がわかった?」
「なんとなく」
リビングのテーブルの上に紅茶カップと安っぽいお菓子が並んだ。
俺も菓子をぽりぽりと口にして、コトミの話に相槌を打つ。学校生活は大変なのだそうだ。おもむろにテレビに電源を入れると、バラエティ番組の喧騒が室内をめぐった。
「でさー、毎日暇ならさ、休みはどっかに出かけたりしようよ」
半かけのポッキーをくわえたまま、コトミは言う。
「俺が暇そうに見える?」
「実際、そうじゃないの?」
心配して来てくれるのはありがたいが、暇じゃない。
連絡を待ちながら、体力を落とさないよう自主トレーニングをこなす毎日だ。
エメラダ、せめて渡良瀬少尉からでもいいから連絡が欲しい。俺がいま望むものはそれだけだ。
「もう、あの金髪の子との話なんて、なかったことになっているんじゃないの? むっちー。ウチの学校に通うようにすれば……」
「いや、無理だな」
俺は彼女の言葉を遮った。もう普通の日常に戻る気はない。
コトミ。
ネットカフェでマシンガン男に襲われたのを忘れたのか?
俺とかかわったら危険にさらされるんだ。
俺自身が狙われている可能性もある。
コトミ、ふらふらと俺のところに寄っちゃいけない。
俺とコトミは違う世界にいるということを、実際の行動をもって示さなければいけないと思った。
「ちょっと、外に散歩にでよう」
リビングのテーブルの上にGPフォンを置いた。表向きはずっど部屋にいることにする。
俺は自室にある、アサルトライフルが入ったケースを取り出した。
エメラダ・ポラリスからの贈り物だ。彼女に渡した楽曲やアイドルグッズのお返しが、こんなものになってしまった。
「えっ、どうしたの急に? 楽器ケース? 趣味で音楽始めたわけ?」
物々しいケースを前にコトミは困惑する。
俺は無言でコトミの腕を引っ張り、部屋から連れ出した。
「ちょっと、むっちー?」
彼女の腕は相変わらずか細かった。
とある河川敷の鉄道の橋脚の陰に隠れ、俺はケースから銃を取り出し、パーツを組立てはじめた。
「ちょっと……、それ」
コトミは物騒なモノを目にして、表情をこわばらせる。
「撃ってみたらいい、スッキリするから」
「すごい音がするでしょ、見つかったらどうするの?」
「気にするなって」
橋の上で電車が通過した。その轟音と同時に俺は地に伏せて川面目がけて弾を乱射した。
「どうだ。お前も撃ってみろよ」
コトミは怖気づいてつったったままだ。
俺はこういう世界の人間なんだ。
俺は人を撃ったことがあるだろ?
わかったか。コトミ。
お前は俺がいる世界の側に入って来れるか?
「ウチ、こういうの興味ないかな……」
当たり前だ。
地に這って銃を構えれば服も汚れる。
あきらめろ。
お前はお前の世界にいろ。
「よう、面白そうなもの持っているじゃないか」
そのとき、河川敷の上から自転車を止めて、同年代の少年二人がこちらに向かってきた。
二人とも着崩した服装にピアスをしていて、ひとりは金髪に染めている。善良なる学生でないのは明らかだった。
「……モデルガンだ」
俺はぎこちない愛想笑いをつくった。
こういうやつらには自分と同じ仲間だと思わせるのが一番だ。
「なんか本物みたいな音してたな。彼女引いているぞー。もしかして、本物なんじゃね?」
金髪じゃない方がズボンに手を入れたまま屈んで銃を見る。
「うんと改造してるから」
「じゃあ、試させてくれねーか」
こいつらは、脅し気味の態度に出れば、相手が当然に言うことを聞くものだと思っている。
「いいけど、お前ら次の電車が来るまで待てよ」
俺の発言に少年二人はイラっとして眉をしかめた。
「なんだよ、モデルガンならいつでも撃てるだろ」
デスフラッグが発動した。
死亡率8%
おい、お前ら、いくらなんでも短腹すぎるだろ。
俺はこんなやつらに殺意を抱かれなければならないのか?
ただの不良じゃなくて、もしかして工作員か?
彼らの立ち振る舞いは隙だらけだ。工作員である線はまずない。俺は無意識に鼻で笑っていた。
「なんだよ、素直に貸せって!」
金髪ピアスがますます不機嫌な顔をして威圧する。
死亡率11%
「……っ」
側頭部に鈍い痛みが走った。
親身になって、こいつらに銃で遊ばせてやろうとする気持ちは吹き飛んだ。いや、そのつもりは端からない。
「よし、どっちからやる?」
「じゃあ俺」
金髪に銃を構えさせた。
「あれっ、撃てねえ」
トリガーが動かない。
俺は、はてな状態になっている金髪ピアスの首筋に手刀を入れ、すかさずもうひとりの胸に掌底打ちを食らわせた。
二人は気を失った。
「安全装置がかかっているから発射できるわけないだろ」
頭の痛みが軽やかに消え失せた。
俺の頭痛の種をつくったこいつらに、ペナルティを食らわせるのは当然だ。
「むむむ、むっちー!」
らんらんと目を輝かせて、コトミがこちらを向いている。
「特専にいたんだから、こんなやつら楽勝だ」
「なんかウチも撃ちたくなってきたんだけどお」
「通行人の目に引っかかっただろ……。タイムオーバーな」
「ええええー」
不満そうなコトミを尻目に俺は橋脚に隠れて銃をしまう。
ゴメンなコトミ……、お前を引かせるつもりだったが、乗り気にしてしまったようだ。
右手にケースを持ち、左手でコトミの手を握った。
「じゃあ、帰ろう」
「う、うん」
俺とコトミは手を繋いで河川敷の堤を歩いた。
夕方の生暖かい風が草の香りを運んでくる。
このままコトミと適当に過ごしていくか……。
エメラダからの連絡がなければ、俺にはコトミしか頼れる存在がいなくなる。コトミが俺から離れるよう願ったのに、コトミの手を、求めるように強く握っていた。




