第七章 The Final Day
一ヶ月前
東南アジア某国 日本国防軍基地
少年特別専攻科 駐留任務最終日
いよいよ、この基地を出ていく時がきた。
今日の任務が終われば、明日、日本に帰国できる。
「ようやくだな。風邪は治ったか草刈?」
食堂で真っ黒に日焼けした青山シゲルに会った。
特専の訓練や講義はすでに終わり、メンバーと顔を合わせられるのは、食堂くらいになっていた。
「まだ具合が悪い」
冷房が効いた基地と、熱帯の外を頻繁に出入りしたためか、このところ俺は体調を崩していた。
目の前のかけそば一杯を食べるのが精いっぱいだった。
「俺はずっと街に遊びに行ってたぞ。基地に戻るのは眠りに帰るときだけだ。草刈もせっかくの海外をもっと楽しめば良かったのに」
余計なお世話だ。インドア派でいいじゃないか。
「見張り台の当番、あたしの次が睦月だから、忘れないでよ」
同じくこんがり肌の真木アオイが声をかけてきた。彼女が帰国したら、しばらく黒ギャル扱いを受けるだろう。
当番とは、基地の外にある物見やぐらに上り、一人で遠くの景色を見回して監視するものだ。基地のまわりにレーダーを張り巡らしているので、形式的な任務と言っていい。
「最後だから、しっかりやるよ」
「くそ真面目だな。草刈。パーティがあるのに」
今夜、基地をあげて、特専のメンバーをねぎらう催しがある。
「あたしはパーティに遅れちゃうな。睦月、体調が悪いなら、監視を交代してもらえば?」
「俺はやだね。誰も代わってくれないだろ」
青山はそう言うが、正直、パーティに出る気分ではなかった。
「いや、いいよ。日本に戻ってからでもみんなで集まろう」
俺は青山と真木に、今と変わらぬ交友を呼びかけた。
「そうだね」
真木は笑顔をつくって頷いたあと、急に青山の背中をパチンと叩いた。
「うわっ、痛いな」
「ねー、青山、つきあっている厨房の子を日本に連れて帰るの?」
真木の質問に、青山は気まずそうな顔をした。
「……いやあ、お互いメールでやりとりはやっていこう。ってところかな」
「あんた字を書けるの?」
「英語でやる……」
「なんだ。そのくらいかー、ヘタレな奴―」
真木はそう言い残して、監視の任務に赴いた。
「青山、メールなんてまわりくどいやり方だな」
「いや、その……。特に交際はしていないんだ。彼女はもう結婚していたんだ」
「……」
俺は無言で青山の肩を叩いて、その場を離れた。
俺は基地内にある自分の個室に入った。
ベッドと、机だけの簡素な部屋。少年特別専攻科の学生には、趣味の持ち物を好きなだけ置けるようなスペースは与えられない。音楽やコミック類は、すべてデータ化してGPフォンで楽しむことができる。
洗面台や浴室などはすべて共同だ。
荷物はボストンバック一つで済む。ここを去る準備は整った。
帰国したら、コトミがいる伯父の家にしばらく住む手はずになっている。
俺はベッドに倒れ込んだ。
実は数日前から頭痛が始まっていた。
まわりに風邪と言ったが、これは明らかにデスフラッグ症状が起きている。
死亡率18%
痛み始めから徐々に数値が上がっている。
一体なにが起こるのか。
俺はこの基地にいていいのか。
エメラダ……。
渡良瀬少尉……。
コトミ……。
助けてくれ。
どうすればいいだろう。
今夜の午後9時から朝の5時まで基地の外の監視塔で夜を明かす。
いまは眠るための時間だ。
しばらく目を瞑って休んだあと、基地情報を収集するために渡良瀬少尉がいる個室のオフィスへ向かった。
途中の広いロビーに出ると、酒を飲む大人たちがいる。すでに特専をねぎらうパーティが始まっていた。
いま監視塔にいる真木アオイを除いて、青山シゲルたち未成年の隊員は、アルコール抜きのドリンクを飲みながら、大人たちにつき合っている。連中に混じって、メルティ・アイスの衣装を身にまとうエメラダの姿があった。
グラスを乗せた盆を片手に持ち、大人たちに笑顔を見せて振舞っている。お嬢さまがやって来たと、隊員たちは調子よくはしゃいで彼女を囲んでいる。
俺は真っ先にエメラダのもとへ駆け寄った。
「ハーイ、ムツキ。ノンアル・シャンパンを配っているわ、ブドウ味とリンゴ味どっちがいい?」
軽い感じで接して、自然に装うエメラダの額に汗が浮かんでいる。
エメラダ、頭は痛くないか?
俺たちに大変な危険が迫っているのを感じないか?
俺が発したアイコンタクトに対して、彼女はわずかに反応を見せた。
「ちょっと、一緒に来て欲しい」
俺は右手でエメラダの腕を強引に掴んだ。
「ちょ、ちょっと。お盆がこぼれる!」
「草刈っ、てめえなにやってんだよ! お嬢さまに失礼なことすんなよ」
青山が俺の左手を掴む。
「放せ!」
俺は大声を上げて青山の手を振り払い、凍てつく視線を奴に送った。
周囲が静まりかえった。
「……なんだよ。せっかくのパーティの席によ。お嬢さまを連れて抜けがけしたいのかよ。にしても態度が普通じゃないぞ」
ほかの隊員も不審のまなざしを向けてくる。
そうなんだ。
普通じゃないんだ。
俺のデスフラッグが危険を告げているんだ。
「すまん。渡良瀬少尉に呼ばれた。エメラダもだ」
俺はウソをついた。
「本当か、草刈。少尉にあとで確認するからな」
青山は不服そうに、顔を引きつらせていた。
俺はまわりに一礼し、エメラダの手を引いてロビーをあとにした。
「エメラダ、頭痛いだろ?」
エメラダは、はっと目を見開いたのちに、腹をくくったのか引き締まった表情になった。
「……うん。渡良瀬さんのところに行きましょう」
「そのつもりだ」
【渡良瀬ひとは 情報オフィス】
基地内にある渡良瀬少尉のオフィスは、壁一面に複数のモニタが並ぶ、十畳ほどのスペースだ。
「ああ、草刈か。体調は戻ったか。ここは部外者は立ち入り禁止だぞ……」
渡良瀬少尉は、少女の姿をちらっと見るやいなや、顔色を変えた。
「これは、エメラダ・ポラリス様。部外者などと口走り失礼いたしました」
少尉はあわてて起立し、頭を下げる。
「いや、気にしないで」
エメラダはやはり基地内で相当の影響力を持っているようだ。
「どうした草刈、今日は当直だろ。エメラダさんと遊びたいからパスを申し出るか? いまは真木が見張りについているぞ、彼女だってパーティに出たいだろうに」
少尉……、最後の最後になって、俺がそんな軽薄なことをするわけないでしょうに。
「エメラダさん?」
少尉は立ったまま金髪の少女を見つめた。
「はい」
「ポラリス・サーヴィスとして、特専の連中の世話をしてもらって、ありがとうございます。草刈とはお知り合いでしたか……。こいつを気に入りましたか?」
少尉はずいぶんと踏み込んだことをエメラダにたずねる。
「もちろんよ」
エメラダは笑顔で返した。
頭痛を覚えながらも、俺の胸がドキッと高鳴った。
エメラダと渡良瀬少尉とも、明日でお別れだ。
少尉は相変わらず、虫や蛇やらを苦手としているが、あの密林訓練の初勝利後、エーテル・ストライクチームのブレスト・ドニセヴィッツは配置転換となり、新しい指揮官相手に特専チームは連勝、対戦成績を五分に戻した。
いずれも渡良瀬少尉の指揮での勝利だ。
つまり、相手のドニセヴィッツの指揮能力がありすぎたのだ。
「私は、草刈に感謝しているよ。私は草刈のおかげで自信がついた。私はこの基地に残り、新しく来る特専科の生徒の面倒を見ることになるのか日本に戻れるのか、まだ決まってない。だけど、お前のような優秀な隊員にはめったに出会えないだろうなと思う」
彼女は、黒い瞳にうっすらと涙を浮かべていた。
こんな時に、感傷的にならないで欲しい。
こっちが辛くなる……。
「で、目的があって私の部屋に来たのだろ?」
椅子に腰を下ろして少尉はたずねる。
「すみません。基地の状況がどうなっているのか情報を集めに来ました」
「うむ?」
渡良瀬少尉は切れ長の瞳をキリっとさせた。
「何か都合の悪いことが起こっていませんか?」
「うん……、昼にこの基地を警備する部隊が、任務でまるごと別の国に移って行ったが、後任の部隊が車両トラブルを起こし、基地への到着が遅れている……」
いま、この基地の警備が手薄になっているということだ。
エメラダは大人しく聞いている。
「何者かが隙を見てこの基地に攻め込んでくるかもしれませんね」
「ありうる」
少尉は答えた。
敵がこの基地を襲うとしたら、何を狙うか。
ここには重要な研究施設がある。
おそらく、それを狙うだろうと思う。
どこに研究室があるのか俺にはわからない。
「エーテル・ストライクに警備を頼みましょう」
エメラダが提案した。
少尉は興味深くエメラダを見つめ、首を横に振った。
「切羽詰っているが、後任部隊と連絡は取れている。狭い道で大きい車両がぬかるみにはまったみたいだ。PMCを頼りにするのはよろしくない。我々は国を背負っているんだ。我々でなんとかするよ」
エメラダを目の前にして、渡良瀬少尉はきっぱりと言った。
「……」
エメラダは立ったままうつむいている。
俺は立っていられないほどの鋭い頭痛を覚え、床に膝をついた。
死亡率45%
「ムツキ、あなたの思う行動に出て! あなたを守るから、渡良瀬少尉も守るから!」
エメラダが叫んだ。
彼女は、俺に危機死亡予期能力があるのを知っている!?
「草刈、具合が悪いなら、無理に当番をやれとはいわないが……」
渡良瀬少尉は、俺とエメラダのやりとりを理解できずに戸惑っているようだ。
「わかったよ。エメ」
俺はひとりで少尉のオフィスを駆け出した。




