第六章 チェックメイト
東南アジア某国 密林訓練(後半)
模擬弾のライフルを抱えて、密林のなかを歩む俺と真木アオイのふたりは、地面に這い出た草叢や木の根を、おぼつかない足取りで跨いだ。
頭の奥で鈍い痛みが走った。
この感覚……。
デスフラッグが来た。
死亡率9%
目の奥がツンと痛み、軽いめまいとともに、頭に数値が浮かぶ、この現象を、俺はデスフラッグを名づけている。
特専の過酷な訓練中に、デスフラッグはよく生じている。ただ数値は微々たるものだ。9%の値はかなり大きい。
「うわっ」
俺の体が宙に浮いた。
樹にトラップが仕掛けられていた。右足首を括られて、ロープで吊るされた。
逆さまで、頭が上下左右に大きく揺れるので気持ちが悪い。
「睦月!」
「アオイ伏せろ! 相手が出てくる」
すると、罠にかかった俺を確認するために、二人の少年が姿を現した。
真木アオイは、とっさにライフルで伏射した。
「やった、ヒット! 二人ヒットだよ!」
真木は高揚して立ち上がる。
「えい」
俺は腰からナイフを取り出してロープを切り、地面に着地した。
「アオイ、ナイス援護!」
彼女はやってくれた。青山よりずっと頼りになる。
「いまのトラップの引っかかり方、ほんとビックリした。睦月。ケガはなかった?」
俺は無理やりつくった笑顔でうなずいた。どんどん頭痛が強くなっている。
死亡率13%
デスフラッグの数値は上昇した。
かつてないほどのめまいに俺は襲われた。
「……先へ進もう。このトラップにはせいぜい二人しか配置しないだろう」
「へえ、冴えてるね。ずいぶんやる気があるじゃない。でも、睦月……、体調悪いんじゃないの? 引き返す?」
心配そうに俺の顔色をうかがう彼女の気づかいは、女の子らしいなと思った。
「大丈夫。でも、宙吊りになって酔ったわ」
「ふふっ」
トラップは想定外だった。宙吊りになったなんて、基地に戻ったらさっそく隊員たちの間で話題にされるな。
俺たちはさらに密林のなかを進んだ。
頭痛の根源となる場所についた。
デスフラッグは20%で高止まりしている。まだ、身体を正常に動かすことができる。
あたりは倒木が重なっていて、草やコケに覆われていた。
差し込む陽は弱く、密林の中の暗がりにいる。
「来るぞ!」
エーストチームの少年二人が前方から突っ込んできたので、真木と一緒に撃ち倒した。
「ふう、敵の動きがよくわかったね」
真木は額の汗を拭っている。
「あっ」
真木は驚いて声にならない叫びをあげた。
コケが生える腐った木に隠れて、エーストチームの指揮官【ブレスト・ドニセヴィッツ】が狙撃銃を構えていた。
俺はめまいでふらつきながら、ブレストに近づいた。
ブレストは岩のように身動きひとつせずに、スナイパーライフルの銃身を俺に向けている。
本当に撃つのではないかと冷や汗がでてくる。
俺はブレスト指揮官の方へ歩み寄るにつれ、頭の痛みが引いていくのを感じた。
相手の間合いに入り、俺はアサルトライフルを構えた。
「チェックですよね?」
「見つかってしまったな」
指揮官はやれやれと両手を上げ、大きな身を起こした。
その晩、冷房が利いた基地の一室で、渡良瀬ひとは少尉の特専チームは、勝利のお祝いパーティを催した。
「我々は密林訓練でようやく勝利を得た。もう、これ以上負けたら私は……、解任されそうだったぞ。みんなのおかげだ!」
私服のワンピース・ドレスに着替えた渡良瀬少尉が、一同の前に立って頭を下げた。
「少尉、今回勝ちを掴めたのは睦月のおかげですよ。少尉は指揮してないでしょ。日本に帰ったほうがいいんじゃないですか。あたしたちはまだ残りますけど」
うわっ、真木ー。上官に対して容赦ないな。渡良瀬少尉は、虫や蛇なんかが苦手なだけだ。室内での訓練や講義はしっかりやってくれる。
「彼氏とか日本で待たせているんでしょ?」
青山シゲルがからかい半分にたずねる。
渡良瀬少尉は顔を赤くして、恋人はいないと答えた。
「うそお」
「うっそおー」
「その、おっぱいで?」
特専隊員は言いたい放題だ。渡良瀬少尉は、胸の前で腕を組んでしまった。
「お前ら! 私の胸に気を取られていたらいつまでたっても強くなれないぞ。もう特専の任期も間もないんだからな!」
一同は静まった。
楽しい仲間と過ごす日々はもうじき終わりを告げる。
これからは本格的に日本国防軍に入るか、特専を終了して得られる奨学金をもって進学するか、それぞれが選択する進路を意識しなければならない。
「お前らはまだ、おふくろのおっぱいが恋しい甘ちゃんなんだからな!」
渡良瀬少尉はまくし立てる。
俺には母親はいない。かわりにコトミの顔が頭に浮かんだ。
パーティの終わりに、青山シゲルがジュースのグラスを片手に立ち上がった。
「みんな、任期が終わるその時まで、これからも一緒にがんばって、一緒に成長していこう! 俺たちの渡良瀬少尉。俺たちのひとは。ひとはちゃんのおっぱいにー」
「おっぱいにー」
真木たちもふざけて応じる。
「かんぱーい」
ある日、俺はエメラダ・ポラリスとの待ち合わせのために、基地一階のロビーに座り、行き交う人々を眺めていた。
さまざまな戦闘地域の後方支援を担当する兵士たちが整列して外にでていく。大人の彼らは、若い特専の隊員をからかったりはしない。みな、それぞれに忙しかった。
この真四角の巨大な建物の中には研究施設もあるそうだ。白衣の科学者の姿もよく見かける。
何を研究しているのだろうと自然に興味も涌いてくる。
新しい兵器だろうか。日本国内でなく、海外の日本の基地で開発しているのがミソなのかもしれない。
当然に、俺は限られた空間の行き来しか許されない。情報将校の渡良瀬ひとは少尉すらも、行動許可範囲は俺たち特専の隊員とあまり変わらない。
ポラリス・サーヴィスや、PMCエーテル・ストライクに所属する外国人のスタッフも多い。ここはさながら国際空港の待合室のようだ。
その中で、金髪の少女、エメラダ・ポラリスの姿を見つけた。彼女は普通の私服だった。彼女は軽く手を振った。
「ムツキー」
「よーす。メルティ・アイスの格好はやめたの?」
「いつもコスプレしてるわけじゃないから」
「メルティの新曲あるよ、あげようか」
「もう手に入れたわ」
事前にコトミから受け取っていたが、それが無用となって、軽く胸が痛んだ。
「あっ、聞いたよ。密林訓練で勝ったって」
さらさらな前髪からのぞく、エメラダのグレーの瞳の輝きは祝福に満ちていた。
特専の訓練結果をエメラダが把握していることに驚いた。
「ああ、勝ったには勝ったが、戦いの評価は高くなかったよ」
「どうして?」
ロビーのベンチに俺たちは腰をおろした。
「俺はトラップにかかったし、スナイパーライフルを構えている指揮官に歩み寄ってチェックしたから。本当の戦いなら撃たれてる。実戦的でないと判定されたのさ」
ブレスト・ドニセヴィッツはいつも狙撃銃を肌身離さず持っている。
おそらく実弾を装填していたと思う……、しかし、訓練で撃てるわけがない。
俺はそれを利用した。
密林のなかに隠れるブレストは、俺に照準を合わせていたはずだ。トリガーにかかる指が引かれたら、俺の頭は吹っ飛んでいただろう。
俺がブレストを見つけたとき、彼は狙撃する意志をなくしたので、俺のデスフラッグは収まったのだ。
これを確認できただけで、あの訓練は収穫だった。
「どんなトラップにかかったの?」
エメラダは尋ねてくる。
たぶん、知っているくせに。
そのシーンは本当にカッコ悪いので、説明は適当に済ませた。
「エメラダは、この基地で好きなように振る舞えるよね? やっぱり君の親はポラリス・インダストリィ社の偉い人なの?」
俺の質問にエメラダは下を向いた。
白い横顔が、金色の髪に隠れた。
「親ね。わたしね、親がいないんだよね」
彼女はボソッとつぶやいた。
「……」
ロビーの雑踏のなか、俺たちのまわりに流れる時間が止まった。
もしかして、飛行機事故か……。
彼女に聞くとそうだと答えた。
「俺の両親も飛行機事故で死んだ」
エメラダは、天井を見上げてふうっと息を吐いた。
彼女は俺の境遇を知っているのか? だからこそ、特専の隊員の中で、俺だけに話かけてきたのかもしれない。
「あのさあ、いろいろ聞いてすまないけどさ。時々頭が痛くなったりする? 目の奥がズキンとくるような……」
俺は自分のデスフラッグの症状を話した。
もしかしたら、彼女にも俺と同じ死亡予期能力があるかもしれない。
エメラダは、前屈みになって頬杖をつき、しばらくものを考える仕草をした。
「頭なら、わたし、いっつも痛いよ。ズッキン、ズッキンってね」
彼女は体勢を起こし、両手でこめかみを抑えながら、笑顔をつくる。
「どうしたら痛くならないようになるかな。俺もたびたびそうなるんだ」
彼女にデスフラッグを告白するのはまだ早いと判断した。
「そうだね、恋かな。恋をすれば……、頭の痛みなんか忘れられると思うよ」
「……」
俺は返答に困った。
外国人の少女と恋?
彼女は美しい。
さらさらでやわらかそうな毛髪、白い肌。
もちろん体つきもいい。さらに、彼女の体からは、蘭花のように誘われる香りを感じる。
特専の任務が終わればエメラダとの別れもやってくる。エメラダは俺をからかっているのか、本気なのかわからなかった。
「そんな困った顔しないで」
エメラダは俺の脇腹を人差し指で突いた。
「う、うん」
俺は煮え切らない声を出した。
そもそも、エメラダとは一体何者なのか?
日本政府から受注し、四角い建物の基地を設計、建設したのは、ポラリス・インダストリィ社だ。
施設を管理しているのは、ポラリス・サーヴィス。日本国防軍への教練を企画、実施しているのは傘下のPMC、エーテル・ストライク。
「わたしね。ミリタリーのチームをつくりたいんだ」
エメラダが切り出した。
彼女が小隊を持つ必要性がピンとこない。
「自分のチームを持つ? そんなことできるの?」
「わたしはポラリス家の一員だから、それくらいのことはできる。誰か入ってくれないかな……」
「じゃあ、俺入るよ」
冗談だと思って即答した。
しかし、ベンチの隣の少女はきらきらと目を輝かせながら、両手を組み、人差し指を突き立てて銃の形をつくった。
「うん。ありがとうね。頼むよ。本気でね。わたしね、武器を持って、悪い奴をみんな倒してやるんだ。バンッ、ババババンってね」




