第三十一章 海原の朝
丸い舷窓から差し込む、朝の直射日光で俺は目を覚ました。
海上を走るフェリーのエンジンの鈍い振動が全身に響いている。
船室の窓側のベッドには、コトミが髪を振り乱してうずくまっていた。
「おはよう、コトミ。具合悪そうだな。酔った?」
「ううん」
薄い掛け布団が床に落ちている。
コトミはうつ伏せになり、硬い枕に顔をうずめて吐き気をこらえているらしい。
「コトミ。外の風に当たったほうがいいんじゃないか。でもな、お前は乗船してないことになっているから、人に逢ったらダメなんだけど」
「んー、まだ六時かー、んー、かまわなくていいから」
コトミの船酔いを止める薬を手に入れるために、俺は部屋を出た。
慣れない船の上で一夜を過ごし、俺もすこし気持ちが悪かった。
爽やかな涼風を求め、船内の分厚い鉄扉を開けて、外の甲板に出た。
快晴だった。
青い海原を目がけて、カモメにパンくずを与える少女がいる。
つばの部分が長いスカラハットから金髪が伸びている。セーラー服姿は変わらない。
エメラダだ。
「おはよう。朝、早いなー」
彼女は帽子を右手で上げて笑顔をつくり、甲板の手すりに俺を招いた。
ピンクのルージュがとても艶やかだった。
「おはよう、ムツキ。どう? よく眠れた?」
「寝たんだかどうだか。ちょっと酔ったな」
「コトミちゃんは?」
「船酔いしたみたいで……、薬かなんかある?」
「風に当たるのが、いちばんの薬になりそう」
彼女は左手で帽子を押さえながら、右手でパンのかけらを海に放った。
カモメの群れのなかの一匹が、うまくそれをキャッチする。
「うまいな」
「カモメのほうがね」
彼女からパンを分けてもらい、カモメの群れにくずを投げた。
ダイレクトキャッチをさせるにはコツが必要で、何投かを要した。
「もう。ムツキは、すぐ上手くなる」
せっかく習得した技を、俺が簡単にやってのけたので、彼女はすこしふくれっ面をした。
俺はパンのかけらを口にした。
「やだー、お腹がすいているからって」
エメは声を出して笑い、俺の肩を小突いた。よほど突飛なおこないに見えたらしい。
「朝ごはんにしましょ」
俺は彼女と船内に入った。
フェリーの一番上の階層に、室内ラウンジがある。
窓側には一人用の座り心地が良さそうなリクライニングが並び、船外の景色を眺めることができる。
中心には四、五人が囲めるソファの席がいくつかあり、飲み食いしながら談笑できるようになっている。
天井には煌びやかなシャンデリアをはじめ、ふかふかの絨毯が敷き詰められ、彫刻などの装飾品が並び豪華だ。
中心のソファの席で、婦人と男の子が朝食をとっていた。
実桜・ポラリスと、息子の才賀だ。
「おはよう。エメラダ。早いじゃない? こっちに座りなさい」
実桜はおもむろにナプキンで口元をぬぐい、空いているソファをぽんと叩いて席に誘った。
「おはようございます。叔母さま。おはよう、才賀くん。ご一緒させていただきます」
エメラダは一礼をして実桜の横に座った。
ソファはコの字の形で、実桜は才賀を膝の上に載せてスペースを詰めたので、俺も座ることができた。
「コーヒー頂戴」
実桜はスタッフにオーダーする。朝食の時間も、ランチの時間もすべて、ポラリスの人間のために合わせて事が運ぶのだ。
彼女は、コーヒーに入れた砂糖をスプーンでかき混ぜ、カップを口に運ぶ。その立ち振る舞いは優雅で気品がある。
「叔父さまが来られなくて残念です」
エメラダが言うと、実桜は唇にカップを当てたまま動作を止めた。
「お気づかいありがとう。夫は急に仕事がはいっちゃって」
切れ長の瞳が、エメラダを捕らえた。
「ぼくお外にいってくるね」
食事が終わって退屈していた才賀が、実桜の膝から飛び降りた。
「いい天気だからね。あの子、外ばかりに行こうとするわ」
実桜は残りのコーヒーに口をつけた。
エメラダは才賀の後ろ姿を目で追っていた。
「わたし、才賀君と一緒に遊ぼうかな」
「遊んであげて。まずは腹ごしらえよ。私は席を外すから。お二人でゆっくりお茶してね。またお会いしましょうね、睦月君」
実桜は俺の肩に手を置いて席を立った。




