第二章 コトミの家
階段を降り、俺たちはビルから真夏の太陽の日差しのもとに出た。
右手には国防省の門に続く坂道がある。
国防省の近く。ここは、東京市ヶ谷だ。
「はあ、はあ、あ、あのさ……、家の車を呼んでいい?」
地面に屈み、長い髪を垂らしながら、コトミが上目使いで聞いてくる。
「いや……だめだ。市ヶ谷駅まで歩けるか? 端末の電源を切ったままにしておけ。お前の家まで電車で一駅だろ」
「わかった……」
素直に言うことをきくコトミ。それは精神的なショックのために、自分を見失っているからだ。
怖い思いをさせて本当に申しわけがない。
サイレンを鳴らす消防車とパトカーが、雑居ビルの入口に集まってくる。
警官に気づかれないようにして、俺はシャツの下に隠し持つベレッタの位置を確認した。
「国防省のすぐそばで、ライフル乱射事件が起こるんだからな……」
俺はまだ慣れない東京の湿った空気に汗を滴らせて、市ヶ谷駅に向かう橋を渡った。
飯田橋駅を降りて神楽坂を登った小路の先に、コトミの家がある。
コトミの父は俺の父の兄で、大きな商社に勤めている。
「さっき起こったことは、パパに言わないからね。最近、都会でテロが多くなっているけど、ウチがついに巻き込まれたことを知ったら、もう外出させてもらえなくなるから」
あたりまえだ。
そんなことを知ったら、過保護なあの伯父さんはどんな反応をすると思う?
「おしゃべりなコトミが、気を使えるようになったか……」
俺が感慨深くつぶやくと、彼女に軽く頭を叩かれた。
コトミの家の門を二人でくぐる。
広い庭つきの和風の屋敷が、この界隈にあるのは、考えればコトミの草刈家は相当の金持ちということだ。伯父さんの稼ぎもいいらしい。ちなみに、俺の家は都内の郊外にあるマンションだ。ただ、その家に俺を待つ家族はいない。
それは後で話すことにする。
俺は玄関の前で大きく、深く息を吐いた。
伯父さんに会うのは気が重い。だから、ネットカフェでぐだぐだ時間を潰していた。
「きっと、怒られるだろうな……。実は俺、特専を中途退役処分になってしまったんだ。だから、縁を切られて、もうコトミと会わせてくれなくなるかもしれない」
「何ぶつぶつ言ってるの? むっちー、ウチのパパが苦手なの? ただのオヤジだよ。さっきのマシンガン野郎から比べたら全然大したことないってー」
コトミは俺の顔をのぞき込む。彼女は自分の家に戻り、だいぶ表情がやわらいでいる。さっきのショックから立ち直れたようで何よりだ。
「ただいまー」
コトミは引き戸の扉を勢い良く開けた。
腰を落とし、靴を揃えながらコトミは笑顔を向ける。
「今日はごちそうを用意してるよ。むっちーの帰国のお祝いだからね」
わがままながら彼女の躾はしっかりしている。
「あれー、玄関の靴が多いなあー」
黒光りする革靴とハイヒールが数足並んでいる。
長い廊下の途中にある座敷の客間が騒がしい。
「この靴、パパとママのじゃないし、お客さんが来ているの?」
コトミは不思議そうな顔をする。
客間から、男性の太く心底ほがらかな笑いと若い女の嬌声が耳に入ってくる。
「ちょっと、パパ?」
コトミは、ドタドタと廊下に踵を踏みつけて客間に入った。
俺のための祝いの場に、コトミが知らない女の声がするのはおかしなことだ。
俺はおじゃましますと小さくつぶやいてコトミに続いた。




