第十五章 憧れのひとは
渡良瀬ひとは少尉と、小日向ひびき警部が会食する日はすぐに来た。その日の夕方、俺は飯田橋の川沿いのファストフード店でコトミと過ごしていた。
「むっちーの歓迎会の料理はおいしかったねー」
コトミは呑気にストロベリーシェイクをすすりながら、山王ユングフラウホテルのことを振り返る。
「味なんか覚えてないよ」
あのホテルで狙撃事件があったことをコトミは知らない。
そうだろう。
ニュースの扱いは小さかったし、東京のあちこちで、毎日のように銃にまつわる事件が起きているので、情報に埋もれてしまったのだ。
俺のGPフォンに呼び出しが鳴った。
エーテル・ストライクの話だろうと俺は心の準備をする。
「はい。草刈睦月」
『こちらエメラダ。悪いけどちょっと来てくれない? 六本木にある洋食店よ』
「夕食の誘いなの?」
フランス料理かな……。こっちは今、ファストフードを口にしたばかりなのに。
『ムツキ。言っておくけど、これは任務ね。銃を携帯して来て』
「は?」
『今わたし、ひとちゃんと、小日向ひびきと一緒にいるわ』
ひびき警部との夕食と、銃が必要な任務との関係がつかめない。
「警部といるって、捕まるようなことをやったのか?」
『違う、違う。でも……、お願い。助けて』
エメラダの声調に、尋常ならぬ息使いを感じた。
エメラダ……、デスフラッグが発動しているのか?
「わかった。直行する」
俺は腰のベレッタの位置を確かめた。自分とコトミを守るために、いつも携帯している。
「むっちー、呼び出し?」
コトミはテーブルに肘をつき、ストローを咥えたまま、俺とエメラダのやりとりを耳にしていた。
「うん。エメからだ」
コトミはすこしムスッとした。
「どこ? どんな用?」
「フランス料理店だろうなあ」
「うわあ、やっすい食べ物で、もうお腹が膨らんじゃったでしょ?」
コトミはザマ見ろと言わんばかりに、俺をあざ笑う。
「いや、食事に誘われたんじゃない。なんか急ぎの用があるって」
「え、任務なの? もうさ、エーテルなんたらなんて、やめちゃえば?」
「やめないよ」
コトミはストローの袋をくしゃくしゃに丸める。
ゴメン。コトミ。気持ちはわかるよ。
銃を持って出かけるなんて、普通じゃないよな。
でも、これが俺の本分なんだ。
コトミはテーブルに突っ伏した。はずみでトレーが床に落ちた。
「……無事で帰ってきなよ」
「ああ。心配しなくていいよ」
本当に心配しなくていい。
俺には能力がある。
まだまだ命を散らすわけにはいかない。
高層建築に囲まれた繁華街の一角に、エメラダご指定のレストランがあった。
石造りの倉庫のような広さのビアホールだった。
重厚な鉄の扉が閉まっていて、一般人なら今日は営業していないと思うだろう。
中はがらんとしていた。
エメラダ・ポラリス、渡良瀬ひとは少尉、そして小日向ひびきの一組のみだ。みんな、ドレスアップしている。
店のホールの真ん中に、二階へ続く木造の階段がある。
二階も客席があるが、客は彼女たちしかいない。まさに貸切状態だ。
「どもー」
「あっ、いつぞやの少年―」
小日向ひびきは、指をさしてはしゃいだ声を出した。彼女の丸い顔は赤くなり、眼も半目になっている。
俺はエメラダの向かいに座った。
「急に呼び出してゴメン。お腹すいてない?」
申し訳なさそうに彼女は俺に手を合わせる。
「食べてきた。じゃあ、アイスティーをお願い」
彼女はボーイを呼んで注文した。
「いやー、ひとはとまた会えて、嬉しいったらありゃしないしー。会う回数を増やしてもいいかな。貴女、なんかキケンな仕事みたいだけどさー、物騒なご時世、あたしもキツくてキツくて」
ひびき警部は身をくゆらせながら、対面の渡良瀬少尉の胸の谷間に目をやっている。
「……」
俺は気づいてしまった。ひびき警部は女性が好きなんだ。なんとなく気配でわかってしまった。
「会ってもいいが、お前と夜は過ごさないからな」
少尉はワイングラスを端に置き、もっぱら氷水を口に運んでいる。
必死に酔いを醒まそうとしているようだ。
少尉がお酒を飲むところを見たのは初めてかもしれない。
「私、ひとはにずっと憧れていたんだよー。ひとはを目標にして、私頑張ったし」
「うん。頑張っていると思う」
渡良瀬少尉は目をつむって頷く。
うらやましい。
俺も少尉に褒められたい。
「ああ、そのきりっとした口調、素敵すぎ」
ワインをジュースのように飲むひびきの顔は、どんどん赤くなっていく。彼女は酒に酔っているのか、少尉に惚れているのか区別がつかない。
「じゃあ、わたしたちは席を変えるわ」
エメラダは二人に気を利かせて? 俺を連れ出した。




