第十四章 先走りのひびき警部
エメラダと一緒に降りた先のホテル一階のロビーには、夜遅くにもかかわらず、人だかりができてざわめいていた。
警察官の姿があり、ものものしい空気が流れている。そう感じるのは、自分が事件の関係者でもあるからだ。
「もう警察はこのホテルから狙撃があったって気づいたのね」
まわりに聞こえないよう、エメラダは小声になる。
集まる人のなかに渡良瀬少尉がいた。
歓迎会が終わって、彼女はジーンズのラフな服装に着替えている。体にぴったりのTシャツが、胸のふくらみでパンパンに張っている。基地ではお目にかかれなかった格好だ。
ホテルの広いロビーに大声が響いた。
「エメラダ・ポラリス! エーテル・ストライクのメンバー。あなたたちを研究者殺害の容疑で取り調べます!」
声を発した主は、黒髪ショートカットの私服スーツの女性だった。
丸顔で、背は高くないが制服の警官たちを従えている。
「久しぶり。小日向ひびき」
渡良瀬少尉が女性の前に出た。どうやら知り合いのようだ。
「久しぶり。渡良瀬ひとは。ここは私の管轄。顔見知りでも容赦しないし」
【小日向ひびき】のパッチリした瞳が、獲物に狙いを定めた肉食獣のように鋭くなった。
小日向ひびきは、渡良瀬少尉のぴちぴちTシャツのバストトップをちら見している!
「ひびき、最後に会ったのは高校以来だな。警察官になったってまわりから聞いた。テロ対策特命本部の第一捜査係長だって? 警部? 偉いじゃないか」
渡良瀬少尉は小日向ひびきの視線に気づいていない。
「べ、別に、偉くなんかないし。貴女こそ国防軍のエリートでしょ。バカにしてる? でも貴女、軍を辞めたんだってね。友達から聞いたし」
「辞めてないぞ。エーテル・ストライクに出向した」
少尉の発言に、ひびき警部はふんと鼻を鳴らした。
「となりのホテルで殺された博士は、東南アジアの日本国防軍基地の研究施設で働いていた。あの基地はポラリスが管理している! 当然、関係者だった貴女らが怪しいに決まっている。貴女たちが泊まる部屋を捜査させてもらうから」
「ひびき。私はお前のうらみを買うようなことをしたか?」
「私情で動いているわけがないし。職務、職務。エーテル・ストライクなんて日本にとっての危険分子だし。撲滅よ!」
この警部は、ポラリス・インダストリィ社が日本の政治経済にいろいろ関与している実態を知っているのか。
ドレス姿のままのエメラダがひびきの前にでた。
「警部さん。思う存分に捜査してください」
「ええ。そうさせてもらうから」
ひびき警部は、金髪の少女の全身を眺め回している。
この人、女性が好きなのだろうか。
「小日向警部!」
ホテルのフロントから、彼女の部下が慌てて駆けてきた。
「なに」
「ホテル全館の警備システムがオフになっていました。監視カメラは停止。電子キーの部屋の入退室データも残っていません」
「はああ? じゃあ、誰がいつ、どの部屋に入ったのかわからないってこと?」
「そうです」
「装置を止めたの、貴女の仕業?」
ひびき警部は、渡良瀬少尉を睨みつける。
「適当に疑いをかけるな。きちんとした捜査手順を踏まないと、ひびき、あとから上司に怒られるぞ」
「わ、わかったわよ。そんな心配しないでよ」
ひびき警部は顔を赤く染め、目を伏せた。
警部は、俺、エメラダ、渡良瀬少尉の部屋を捜索した。
俺は武装していないし、怪しいものなんて出てきようがない。
ひびき警部たちはホテルの二十五階、ブレスト・ドニセヴィッツが泊まる部屋の前に集まった。
「よし、最後はこの部屋だわ」
俺たちも警部に同行する。
ちなみに、ミッションで使った部屋はルームナンバー2815、つまり二十八階だ。
ひびき警部は両手に38口径マグナムを、警官隊はショットガンを携えている。
ブレストは今、部屋にいるのか。
もし彼が所持するライフルが見つかったらどうなる?
大人しく捕まる気は全くない。
ならば、エーテル・ストライクの一員として、警官と戦いを始めなければならないのか?
「カギは……、かかっている! ドアを破って突入!」
相手は大柄で凄腕のスナイパーだ。逆にひびき警部の身のほうが心配になってくる。
「ちょっと、ルームキーならここにあるから。あなたたち、ホテルを壊さないで」
エメラダが警官を押しのけて、ひびき警部にカードをつきつけた。警部はふんっと鼻を漏らし、それをとりあげた。
明りのない部屋で、ブレストがベッドのうえで横になっている。
「そーっと、そーっとね」
洞窟で眠る虎を目覚めさせないように、息をひそめて忍び込むひびき警部たち。
「わっ」
と、エメラダが大きな声を出した。
警部は硬直して小さく悲鳴をあげた。
エメラダはクスクスと笑っている。
さっきまで混乱していたエメラダは、すっかり落ち着きを取り戻していた。それは、小日向ひびき警部の振る舞いが面白いからだろう。
だからってエメ……、いたずらはよせよ。
ブレストの部屋でスナイパーライフルが見つかれば俺たちはおしまいだ。
「警部、怪しい物があります!」
ひびきの部下がベッドルームの隅にある楽器ケースを見つけた。
「開けて」
ブレストが持ち込んだケースの中は……、チェロだった。
ブレストがむっくりと起きあがった。
「ああ?」
眠りを邪魔されたブレストの機嫌はすこぶる悪そうだ。一瞬、デスフラッグが発動するのではないかと、頭によぎったほどの剣幕だ。
ひびき警部は、そそくさと拳銃をしまい、丸顔の額に冷や汗をかいている。
「ええと……。あなたたちの容疑は晴れたし、全員撤収。ハブア、ナイスデイ」
「サンキュー。ごくろうさん」
エメラダは笑顔で手を振り、彼女たちを送る。
ひびき警部は、去り際に渡良瀬少尉のそばに寄り、ぷるんとした唇を少尉の耳元に当てた。
「ねえ、ひとは。ごめんなさい。今度、この埋め合わせをさせてよ。食事に誘いたいのだけど、どう?」
少尉は腰に両手を当て、Tシャツの胸を張り、勝ち誇るようなポーズをとった。
「はっは。じゃあ。三ツ星の高級レストランに連れてってくれ」
「えー、給料前でそれってかなりキツイし」
結局、エメラダから聞いた話だが、実桜ポラリスが従業員に金を握らせて、ホテルの警備システムの停止を命じたそうだ。
例の狙撃のあと、ミッションを行った2815室に、レストランのステージに招かれた演奏家が訪れて、ブレストと楽器ケースを交換した。
ブレストは、演奏家から受け取ったチェロ入りのケースを手に二十五階の部屋にゆき、演奏家は、何もあやしまれずにライフル入りのケースとともにホテルをあとにしていた。




