第十三章 ルームナンバー2815
「なんだ、お前らか」
ブレスト・ドニセヴィッツは、腰をかがめて狙撃の態勢にありながら、スコープから目を逸らすことなく俺たちを識別した。
「……」
張り詰めた空気が、暗いホテルの部屋に漂っている。今はブレストに声をかけられる状況にない。その場に立つエメラダの荒い息使いが聞こえてくる。
数分の沈黙のなか、岩のように動かなかったブレストがトリガーを引いた。
「終わった」
彼はライフルを手にしたまま、ソファに巨体をおろし、深く息をついた。
「ドニ……、これは一体?」
エメラダが恐る恐る口を開く。
「獲物をやった」
ブレストが狙っていた眼下には、低い階層のホテルがある。
「俺は研究員の男を撃った。東南アジアの基地にいた奴だ」
あの基地の研究施設には、情報データを外部に持ち出せないように厳重なセキュリティシステムがある。
「機密を記憶して基地から出ていけば話は別だ。その研究員は頭に入れた機密を某国に流出させていることが、ポラリス・インダストリィ社の情報網に引っかかった。だから処置の必要があった」
ブレストは説明を続ける。その研究員が今夜、隣のホテルに泊まることをポラリス社は掴んだ。
「そこでこのホテルに張り込みだ。標的が下のホテルにチェックインする。そして、部屋のカーテンを閉めに窓際に近づいた一瞬を狙った」
ブレストは演奏家のふりをして、楽器ケース中にライフルを入れてホテルに持ち込んだ。ほかにも演奏家が出入りしたから目立たない。
「依頼主は、わたしの叔父と叔母なの?」
エメラダが震える声でたずねる。
「ああ」
ブレストは即答した。
エメラダの叔父と叔母の実桜は、ポラリス・インダストリィ社のトップだ。
「叔母様。ないわ、それはないわよ!」
エメラダの声調が急変した。
「実桜の命令とならば従うしかない」
長時間のつらい姿勢から解放されたブレストは、ソファで伸びをし、たばこに火をつけた。
「叔母さま! ひどい! ムツキの歓迎会をミッションに使うなんて!」
歓迎会の席で流れた音楽は、実桜婦人がブレストに仕事をさせるために奏でられたものだった。
エメラダは両手で顔を覆った。
俺の歓迎会が狙撃任務の口実に使われたのは、別にかまわない。ただ、彼女がショックを受けているのが気にかかる。
彼女にとって、俺の歓迎会に大きな意味があったのか。
彼女はベッドに倒れるように身を投げた。
「実桜さんは、基地のことを知っているのですか?」
俺はブレストにたずねた。
ブレストはふっとたばこの煙をはいた。
「実桜はなんでも知っているさ。彼女はポラリス社の人間だ。知っているか? 日本の国防軍の創設を働きかけたのはポラリスだ。ポラリスの筋書きと、全面的なバックアップで、日本政府は国連や周辺諸国との調整をやったんだ。あの基地を創ったのも。みんなポラリスだ」
ブレストはポラリス社についてさらに話をしてくれた。
ポラリス社は、最新鋭の軍事兵器開発力があり、米国、ロシア、イスラエルなど主要国との取引で、軍需産業のシェアを伸ばしている。
特に核兵器の小型化に力を入れており、その分野でほかの企業はポラリス社のシェアに食い込めない。
逆にポラリス社は、ライバル企業を経済的・政治的に潰せるほどの力をつけている。
ポラリス社は、日本国の技術力を買い、軍を創設し、日本国内で兵器の生産、海外で日本人科学者・技術者による核兵器研究ができるようにしたのだという。
どこまで本当なのかわからない。
ポラリス社が日本のみならず、世界にそこまで関与していたなんて……。
にわかには信じられない。
「あの基地じゃ、新型兵器の開発をしていたのかもな」
ブレストはライフルを楽器ケースに片づけ始めた。
小型核兵器の開発情報が漏れたら、それがテロリストの手に渡ったら、それがあちこちで使用されるようになったら……、世界は崩壊する。
東南アジアの基地の本来の役割は、軍事研究施設であって、少年特別専攻科はカモフラージュであることも考えられる。
そんな基地で俺は爆破事件を起こしたのだから、ど偉いことをやったものだと我ながら思う。
「ウソよ。ウソよ。ウソよ! ポラリスが、そんなに万能な訳がないわ!」
エメラダはベッドの上で、驚きと怒りを露わにしながら、のたうちまわる。
「草刈、エメラダを連れて行け。間もなく警察がやってくる」
「はい」
これ以上、余計な詮索をするとブレストに撃たれそうだ。ブレストは、エーテル・ストライクの古参のメンバーだが、俺はまだ彼をチームの一員として信頼できない。
エメラダは俺に体を預け、おぼつかない足取りで廊下に出る。
「実桜叔母さんが、そんな力を持っているなんて、知らなかった……」
彼女は弱々しくつぶやいた。
正直、俺は嬉しかった。
俺のデスフラッグ能力と、ポラリス社の力とが繋がれば、どんなこともできるような気がする。おまけにエメラダにはデスフラッグの能力があると俺は感じる。お互いまだ明かしていないが、これには時間をかけてもいいだろう。




