第十一章 久しぶり。ムツキ
ホテルの入り口のロビーで、エメラダ・ポラリスは両手を広げて迎えてくれた。
「久しぶり。ムツキ」
腰から脚のラインがはっきり見える黒色のマーメイド・ドレス。その黒色が、肩を越すくらいに伸びたウエーブの金髪を映えさせる。
「エメ、久しぶり」
愛称で呼ぶと、彼女はほっとした穏やかな表情になった。
エメ、いつでも俺のマンションを訪ねに来てくれても良かったのに。ケースに入ったアサルトライフルだけを寄越して放置プレイはないだろ。でも……、それはお相子だな。俺から、いくらでもエメラダに連絡をとることができたのだから。
お互い反省するようにしばらく視線を交わした。
「突然呼んですまなかったわ」
「本当に突然すぎるよ。特別な事情があるの?」
「いろいろ立て込んでいたけど、ようやくあなたをエーテル・ストライクに迎えられる準備ができたの」
「俺は永遠に放っておかれるのかと心配したよ。コトミも招いてくれてありがとう」
「どういたしまして」
エメラダは、自分が招いたもう一人のほうを向いた。
「コトミちゃん、久しぶりね」
「えーと、お久しぶりでーす。招いてくれてありがとうでーす」
コトミは手前に両手でバッグを持ったまま、ぺこりと頭を下げた。
「そうだ、コトミちゃん。お食事のときにアイドルグループのお話ししよう」
「えーと、ウチはリップスティックスが好き。あなたは?」
メルティ・アイス。
心のなかで即答できた。
基地にいたころ、コトミから音楽データを貰って、エメラダに渡していた。
利用してごめんなコトミ。
「ほかに来る人は?」
ポラリス家がやることだから、ホテルのホールを貸し切ったりするのだろうか。大勢の前でスピーチなんかやらされたら大変だ。
「全員で六名ね」
「意外にすくないな」
「まず私とひとちゃん」
馴れ馴れしく少尉を【ひとちゃん】呼ぶな。
「それにドニ。あとわたしの叔母」
ドニ……。
あの大柄な指揮官、ブレスト・ドニセヴィッツだ。スナイパーライフルを背負ってきたりしないだろうか。
「あとはムツキとコトミちゃん。ルームキーを渡すわ。ムツキ、今晩はこのホテルに泊まっていってね。支度したら、レストランの一角で小さくはじめるから」
「わかった」
ルームキー3510番、三十五階、さすが高層の豪華ホテルだ。
「ねえ、ウチにもむっちーが泊まる部屋を見にいってもいい? さすがのウチでもここに泊まったことないから」
「いいわ」
コトミの頼みをエメラダはすぐに聞き入れた。
俺とコトミは高速で移動するエレベータに乗り、どこかの城のような赤絨毯の廊下を渡り、部屋のドアを開けた。
「広―い」
中に入った途端にコトミが歓声をあげる。
ガラス張りで、夜景を一望できる広いラウンジ。まだ外は明るく、ほかのビル群、首相官邸をも見下ろせる。
奥には寝室がある。
「本当、ここに住めたらすごいね。エメラダはお金持ちなの?」
「たぶんな。俺たちが想像つかないくらいに」
俺とコトミはふかふかのソファに腰を下ろし、茫然と外の風景をしばらく眺めた。
俺の自宅マンションからの景色と次元が違った。まるで雲の上にいるようで落ち着かない。
あらためて部屋を見渡すと、一人掛けのソファにドレスがかかっているのに気がついた。
「この部屋に誰かいるのかな?」
「ウチ、見回ってくる」
コトミがソファから跳びあがり、物珍しさにうきうきした足取りで偵察に向かった。
間もなく、左の耳から入って、そのまま右の耳に抜けるほどの悲鳴が響いた。
「コトミ!」
俺はすぐに声がするほうへ向かった。
「えっ」
俺は絶句して硬直した。
コトミは、渡良瀬少尉がバスルームから裸で出てきたところに出くわしていた。
あのドレス、あの悲鳴は少尉のものだった。
渡良瀬少尉は、コトミに回れ右をさせて、うまく身体を隠している。
「あの、おじゃましてすみません」
「びっくりした。コトミちゃん動かないでよ」
「はあいい」
少尉の湿った髪が赤みを帯びた肩に、湾曲する鎖骨に吸いついている。
少尉は、コトミの肩をがっちり掴んで身をかがめるが、コトミの華奢な身体で、隊員たちを魅了していた渡良瀬ひとはのボディを隠すことはできない。荒い吐息とともに、乳房のふくらみが揺れ動いている。
俺は回れ右でラウンジに戻った。
これが最も適切な行動選択だった。
「あーあ、びっくりした。ウチもびっくりしたけど、渡良瀬さんもあんな声を出すなんて」
渡良瀬少尉の叫び声……。
そういえば、東南アジアの密林で蛇やカエルを見たときもあんな声を出していた。
寝室でドレスに着替中の渡良瀬少尉が俺たちに声をかけた。
「エメは、草刈に私の部屋のキーを預けたんだ。これはイタズラだな」
なぬ、エメめ。
粋なはからいをしてくれる。




