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みちてしうつろのものがたり  作者: タキッチョス
それは、うつろのいろの
3/6

参・ぬばたまの




 新月の濃闇の中、明日に解体を控えた古民家の庭先を、奇妙なものが這っていく。

 腹足をふんばり、わずかに上体をもちあげた、「みん」と呼ばれる姿勢の蚕が、そのぴくりともせず固まった姿のまま、すすす、すすす、と滑るように動いていくのだった。

「……桑畑とやらは、まだかや。足が疲れて、もげ落としたくなるわ」

 泣き言をこぼすのは、頭胸の上に、その眠の蚕を載せた大蜘蛛である。

「あの家の近くにも桑はあったけど、たぶん家と一緒に根こぎにされるから。遠いほうがいい」

 蜘蛛と蚕の先をはたはたと飛んで、先導するのは真昼の空の色の蛾だ。

 彼は集落の外縁近くの雑木林を目指していく。

「わっちも腹が減ってきたわ。そこらに地虫でもおらんものかの」

「その子が衣脱けするなり、動き出すなりしないと、狩りはできないんじゃない? すごくがっしり、へばりついてるもの」

「蚕の子らの足には、こんな力はないぞえ! こやつら、うっかり棚から落ちようものなら、はいあがってくることもできない足弱やぞ」

「……もう、その子の理が変わり始めてきたのだろうね。どういう仕組みかは、僕にもわからないけど。あ、着いたよ」

 地面ぎりぎりを飛んでいた空蚕が、ふいっと舞い上がり、低木の枝に留まった。

「これが桑の木」

「ようやくかや」

 しんどいしんどいと言いながら、するすると滑らかに蜘蛛は幹をのぼる。垂直に傾いた蜘蛛の背からも落ちることなく、蚕の子は生えたくさびらのようにびくともしない。

「やれやれ、わっちは一休みするぞえ。空の、見張ってておくれでないか。こんな外の開けたところは落ち着かんでな」

 四方に伸ばしていた足をきゅっと縮こめて、脚高蜘蛛は木瘤のように丸まった。

「うん、まかされた。毛ものが来た時はどうしようもないけどね」

「これではわっちのまま狩りも暫くはおあずけかの」

 そういって眠りはじめた蜘蛛の頭上の葉裏に、さかしまに留まって空蚕も翅を休めた。

 蚕の子は、三回目の衣脱けを済ませている、といった。ではこれが、五齢に至る最後の眠だろう。この眠りから覚めたとき、四回目の衣脱けがはじまる。硬直して、見た目は死んだように動かない雛虫のなかでは、成長するためのからくりが、ひと時も休むことなく動いている。満天の星が、静止しているように見えて、めまぐるしく位置を変えていくように。


 ――ねーむーいー


 蚕の子は、空蚕の翅をんでからすぐ、そういってむずかり始めた。

「え、もうかや? まだ次の衣脱けまでには早かろう?」

「わかんなーい、でも、はじまるのー……ねむいの」

 てれんと伸びた白い体が、ほんのりと光沢を帯びている。「眠」のはじまる前兆だ。

「空ろの! これ、これどうしたらよかろうの?! こやつらの最後の眠は二日はかかるのや! 今日動かせなんだら、みんなわやや!」

「刀自殿、体をもっと伏せて。そうそう。で、ほら君はこっちきて」

「やーん」

 空色の蛾は、白い芋虫の脇を頭でぐいぐい押して、蜘蛛のほうに押し付ける。

「何をするかや空ろの!」

「この子をおぶってよ。刀自殿がくわえて運ぶにしても、この子の体は長いから、ひきずられたら傷になっちゃうでしょ? 前に子負い虫の旦那さんがやってるの見てさ、真似してもらおうかなって」

「おぶう? おぶうって、なんや? あ、重、重た! これ!」

「ねむ…… ぴんってしたいのぅ……」

「うん、それ、ここでやろうね。はい、登って登って」

「うーうー……」

 もぞもぞ、よじよじと、蚕の子は蛾におされるまま、足をすすめる。

「もー、らめらよぅ……わたち、ねる……」

 そして、ぴたりと蚕の子は動きを止めた。

 蜘蛛の背の上で。

「なんぞ?! こりゃどういうことや?!」

「刀自殿、暴れない。そのまま、夜になったら山際の桑畑まで僕が案内するから、そのまま運んで」

「えらいことになりよったわ……」

「僕に関わったり、ものを頼んだりすると、たいていはえらいことになるよ。いまからでも、その子振り落とす?」

「ええい、面倒みるわえ! わっちもおなごぞ、族が違えど守ると決めた雛っ子、見捨てはせんわい!」

「僕もちゃんと見届けるよ」

 そうして真夜中、蛾と大蜘蛛の奇妙な道行きははじまり、ようやく目的の場所に着いたのだった。


 蜘蛛は眠る。蚕の子も眠る。空蚕は静かに、その彼らを見守っている。

 眠りも食も必要ない、無窮の時を閲する彼は、待つことに飽きない。

 朝、村のほうからは鉄の蟹じみた重機の立ち入る音と、壊されていく家の悲鳴がたちのぼり、人間たちの騒がしい気配が濃くなったが、この林の周りに来る者はいない。

 様子を見に来た蟻や、桑の実目当ての鳥や虫がざわざわ寄り集まってはきたが、空蚕の周りには寄り付かない。理にのっとって生きるものたちは、蛾の姿の向うに、黒々とうつろなもののひろがりを感じ取る。

 理が、敬して遠ざけよと、彼らの本能にささやきかける、その声を正しく聞く。

「……ちっちゃい子は、それが鈍いんだよなあ……雛虫には金輪際、僕は近寄っちゃいけないな」

 桑の葉の裏で、くるんと触角を撫でて、空蚕はひとりごつ。

(たべては いけないもの が います)

(きをつけて きをつけて)

 鳴き声で、匂いで、鳥や虫はその桑の木に寄らないよう、情報をかわす。

「確かに、僕くらい役に立つ見張りはいないね」

 人からも虫からも、桑の木は守られる。

 蜘蛛はまだ眠る。蚕の子もまだ眠る。空蚕は静かに、その彼らを見守っている。

 蚕の子の眠があける二日が過ぎるまで、空色の蛾と白い芋虫と大蜘蛛は、静寂のなかでまどろんでいた。



子負いコオイムシ:水棲昆虫。雌は雄の背中に卵を産み付け、孵化するまで雄は卵塊をおんぶしたまますごす。

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