日本の「上」とは何か?文化の輸入総合代理店
誰も考察しなかった日本の上級国民文化の凄さ
このシリーズでは、日本の上級国民文化を探究しているわけですが、この国が諸外国と違って「上」と呼ばれる人達は、政治的リーダーシップを取れる人達ではなくて、文化の輸入総合代理店だと思うのです。
有り難い「外国文化」を野蛮人に持ってくる人達です。その外国文化との「近さ」によって上下関係が変わってくる。私の周りにいたリアルな上級国民の人は、まさしくそのような振る舞いをする人でした。
なので、日本はリーダーシップを取れる人が少ないと嘆いている有識者などがおりましたが、元々日本の「上」というのは、海外のような強烈なリーダーシップで民をまとめ上げる指導者タイプの人ではありません。海外には、宗教・政治指導者にそのようなタイプのリーダーがおり、それで民が纏まっていますが、日本にはそもそもそれが不在だったわけです。
目先のことをちょろっと上手くやって、いいポジション取りをする。言い方はよろしくないですが、「原住民騙し」です。この姿勢は、なろう系ラノベの主人公の、異世界での立ち位置にも影響しており、無意識化された根深い価値観というのがわかるのです。
発想が「原住民騙し」なのであれば、そもそも海外の指導者で一般的な「思考の豊かさ」を日本の「上」は持ち合わせてないかも知れません。むしろ目先の有利なポジション取りについて回るのは、「さもしさ」かも知れません。それを日本の「上」を考察する上において外せない目線かも知れません。
戦後マスコミなどが一貫して行って来た事は、野蛮人(である日本の一般人)のコンプレックスを煽って、文化に飛びつかせる事をやったのです。
そんな目先のことをちょろっとやって有利なポジション取りばかりの思考の人ばかりでは、混迷の時代のリーダーシップなぞ望むべくもありません。
そもそもリーダーシップって「ない」のではないか?そういう疑念も感じます。
そういう前提で考えるとわかりやすいかも知れません。
そもそも日本の「上」という人達は、民衆の利益を守るよりも、自分だけ抜け駆けして上手くやるという価値観なわけで、一般人もそういうのを尊敬するとしたら、そもそもの上下関係が裏切りなわけです。リーダーシップどころの話ではありません。
日本の「上下関係」はそのような仕組みがあると思われます。
しかし、昭和の末期までは、海外の文化に近い(西洋かぶれ)は、「上」ではなくて、かなり異分子の如く扱われてました。「育ちの良さ」が最上の価値観になったのは、令和に入ってからです。
文化資本のある高学歴な人が「上」に名実ともになったのは、ここ最近です。
このシリーズでは、日本の上級国民がなぜ海外の指導者層とはかなり違う感じになってしまったのか?その辺りを含めて考察していきたいです。
アサシンクリードという有名なゲームがありますが、その元ネタになったアサシン団こと、シーア派の分派のイスマーイール派のその分派のニザール派なんですが、これがかの有名なかの「アサシン団」なのですが、少数派でありながら、隠れてスンニ派を震え上がらせた歴史があります。
日本の上級国民文化に私がロマンを感じるのは、そのような「アサシン団」と似たような文化を日本の上級から感じるのです。
誰も語らなかった日本の上級国民文化って本当にワクワクするんですよね。
もしかしたら、ユーラシア地域広域の宗教文化圏の地下水脈が日本の上級国民文化に流れているかも知れない。




