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第3話 解釈一致は、ときどき恋の引き金になる

放課後の校舎は、午前中とは違う種類のざわめきをまとっていた。


 授業という名目の張りつめた空気がいったんほどけ、部活へ向かう足音、友達同士で残る約束をする声、昇降口へ急ぐ生徒たちの笑い声が、長い廊下にゆるく混ざっている。窓の外では春の光がやわらかく傾き始めていて、ガラス越しの校庭には運動部らしい掛け声も響いていた。


 その中で、黒峰恒一は自分の席に座ったまま、机の上の鞄を見つめていた。


 帰るか。

 残るか。


 選択肢としては単純なはずなのに、妙に迷う。


 昼休みや授業の合間、夢咲ことねは何度かこちらを見ていた。そのたびに「忘れてないよね?」と目で訴えてくるような圧があり、恒一としても「少しだけなら」と言ってしまった以上、今さら知らないふりをするのも気が引ける。


 けれど、入学初日である。新しい環境に慣れていないのは自分も同じだ。正直、疲れていた。早く帰って一人になりたい気持ちもある。


 だが――。


「黒峰くん!」


 考えがまとまる前に、答えのほうからやってきた。


 ことねが鞄を抱えたまま、弾むような足取りでこちらへ来る。朝の慌ただしさとはまた違う、期待に満ちた勢いだった。大きな目がきらきらしていて、いかにも「このあと楽しいことがある」と顔に書いてある。


「帰る準備してる? してるよね? でもちょっとだけ時間あるよね?」


「質問の形してるけど、だいぶ押しが強いな」


「だって逃したくないし」


 即答だった。


 ことねは言ってから、あ、と自分でも少し早かったと思ったのか、頬をかいた。


「いや、違うの、そういう意味じゃなくて。今日せっかく話通じる人見つけたから、タイミング逃したくないって意味で」


「だいたい分かるけど、その言い方もまあまあ圧あるぞ」


「うっ」


 ことねは一瞬だけ言葉に詰まり、それから誤魔化すように笑った。


「とにかく、ちょっとだけ! すぐ終わるから!」


「“すぐ終わる”って言うやつ、大体終わらないんだよな……」


「今回はほんとにたぶん終わる!」


「たぶんが入った時点で怪しい」


 そんなやり取りをしながらも、恒一は鞄を持ち上げて立ち上がった。


 完全に嫌ではない。むしろ、少しだけ興味がある。昼休みにあれだけ勢いよく反応された以上、どこまで話が通じるのか気になってしまうのは事実だった。


「で、どこ行くんだ」


「こっち」


 ことねは当然のように先に立ち、教室の後ろの扉へ向かった。恒一がそのあとを追うと、ちらりといくつかの視線が動くのが分かる。気のせいではない。クラスの何人かは、昼の時点で二人の会話を覚えているのだろう。


 通路側の席では朝霧凛が肘をついたままこちらを見ていた。あからさまではないが、目だけが「ほら見ろ」と言っているように見える。


 窓際のほうでは、火乃森朱莉が鞄の紐を整える手を止めていた。表情は静かだ。静かすぎて、逆に何を考えているか分かりにくい。


 そして教室の前方、雪代しおんは自分の机でノートを閉じるところだった。ふと顔を上げた彼女と一瞬だけ目が合う。しおんは何も言わず、けれどその静かな視線だけが、二人が教室を出ていくのを確かに捉えていた。


 恒一はなんとなく落ち着かない気持ちになりながら、ことねのあとを追って廊下へ出た。


「……やっぱりちょっと目立つな」


「え?」


「いや、なんでもない」


 ことねは首を傾げたが、それ以上は追及しなかった。そのまま廊下をずんずん進んでいく。


 星ヶ峰学園の校舎は古い部分と新しい部分が繋ぎ合わされたような造りになっていて、曲がり角や短い階段が思ったより多い。廊下の先には小さな中庭が見え、日差しの傾きで床に長い影が落ちている。窓の桟の形が影になって規則正しく並ぶ様子は、どこか映画のワンシーンのようでもあった。


 ことねは途中で一度だけ後ろを振り返る。


「もうちょっとだけ歩くけど平気?」


「別にいいけど、そんな隠れ家みたいな場所あるのか」


「あるんだよ。女子高時代から、一部のオタクと居残り勢とサボり予備軍にだけ知られてた穴場が」


「最後の属性はだいぶ不穏だな」


「今はちゃんと使われてないから大丈夫!」


 何がどう大丈夫なのかは分からなかったが、ことねの足取りには迷いがない。しばらくついていくと、特別教室棟と旧校舎の境目のような場所に出た。人通りは一気に減る。さっきまで遠くに聞こえていた話し声も薄くなり、代わりに外から風が吹き込む音と、どこかでページをめくるようなかすかな物音がする。


 ことねが一つの引き戸の前で立ち止まった。


「ここ」


 小さなプレートには「自習室」と書かれている。だが、普段使われている空気はあまりなかった。中を覗くと、四人掛けの長机がいくつか並び、窓際に古い本棚が置かれている。隅には予備の椅子が積まれていて、掲示板には去年のままらしい学年末日程表が残っていた。


「使っていいのか、ここ」


「放課後はほぼ空いてるし、先生もたまにしか来ない。図書室ほど静かすぎなくて、教室ほど人がいない。語るにはちょうどいい」


「語る前提から一歩も動かないな、お前」


「当然です」


 ことねは何の迷いもなく窓際の席に鞄を置き、向かいの椅子を軽く引いた。座れ、ということらしい。


 恒一も苦笑しながら向かいに腰を下ろす。


 窓の向こうでは桜の枝が風に揺れていた。西日に近い光が淡く教室の中へ流れ込み、机の表面を白く照らしている。誰もいない静かな部屋に、外から遠く運動部の声だけが届く。この学園の中にこんな場所があったのか、と思うくらい空気が違っていた。


 ことねは一度だけ深呼吸した。


 そして――。


「じゃあ、改めて聞くけど」


 身を乗り出す。


「黒峰くん、ほんとにフィオナ推しなの?」


「その確認、昼にしただろ」


「したけど! でもあれ、ちょっと夢みたいだったから!」


「夢みたいってなんだよ」


「だって星ヶ峰で、しかも入学初日に、しかも男子で、あの感想が出てくる人と遭遇すると思わないじゃん!」


 ことねは本気で言っていた。大げさではなく、心底そう思っている顔だった。


「そんなに珍しいのか?」


「珍しいよ。というか、たぶん黒峰くんが思ってる以上に珍しい」


 ことねは鞄の中から水筒を出し、一口だけ飲んでから続ける。


「私、エテブレめちゃくちゃ好きだけど、ここではずっとあんまり深く話せなかったの。好きって言っても“絵が綺麗だよね”とか“あのキャラ可愛いよね”くらいで終わっちゃうことが多くて」


「まあ、それはそれで普通じゃないか」


「普通だよ。でも、そこから先があるじゃん。どうしてあの台詞だったのかとか、あの演出が誰目線なのかとか、曲の入り方とか、二期と三期で人物の見せ方どう変わったかとか」


「あるな」


「でしょ!?」


 ことねはぱっと顔を輝かせた。


「そこまで行ける人、なかなかいないんだよ!」


 その勢いに押されつつも、恒一は少しだけ納得した。


 昼の一瞬だけでも分かったが、夢咲ことねはただの「アニメ好き」ではない。作品を見て、感じて、考えて、自分の中で咀嚼して、それを誰かと確かめたくなるタイプだ。そういう相手にとって、表層的な感想だけで会話が終わるのは、きっと少し寂しい。


「黒峰くんは、いつからそういう見方するようになったの?」


 ことねが今度は少し落ち着いた声で聞いてきた。


「いつからって……どうだろうな」


 恒一は窓の外に目をやりながら少し考えた。


「最初は普通に面白いかどうかで見てた。でも、友達にめちゃくちゃ語るやつがいて。そいつが、“この回はここで音が切れるのがえぐい”とか、“この台詞は前の伏線の言い換えだ”とかうるさくて」


「うるさくて、って言い方」


「実際うるさかったんだよ」


 恒一は少し笑う。


「でも、言われて見返すと確かにそうなんだよな。そこから、ああこういう見方もあるんだって思うようになった」


「へえ……」


 ことねはうなずきながら、じっと恒一の顔を見ていた。昼休みの勢い任せな目ではなく、今は少し真面目に相手の言葉を受け取っている顔だ。


「じゃあ、その友達、結構いいオタクだね」


「いいオタクってなんだ」


「褒め言葉だよ。人を深みに落とす才能ある」


「それは否定できない」


 二人で少し笑う。


 そのやわらかい沈黙のあと、ことねが再び身を乗り出した。


「じゃあさ、三期七話。フィオナの“私はここでいい”の台詞、あれどう解釈してる?」


「いきなり本題だな」


「そこ超大事だから」


「まあ、そうだけど」


 恒一は腕を組んで少し考える。


「あれ、自分を諦めた台詞だって言われがちだけど、俺は逆だと思ってる」


 ことねのまばたきが止まる。


「逆?」


「自分の欲しい場所を捨てたんじゃなくて、自分が立つ場所を自分で決めたんだろ。だからあのあとに表情が一回だけ柔らかくなる。あれがなかったら、ただの敗北宣言に見えてたと思う」


 言いながら、自分でも少し熱が入っているのが分かった。


「でもあの回って、前半ずっとフィオナ視点じゃないだろ。周りから見た“有能だけど報われない人”として置かれてて、最後にだけ本人の選択になる。だからあの台詞は、自分を納得させる言葉じゃなくて、自分の居場所を取り直した言葉なんじゃないかって」


 ことねは黙ったまま恒一を見ていた。


 沈黙が一秒、二秒と伸びる。


 まずい。語りすぎたかもしれない。


 恒一が少し気まずくなって視線を逸らしかけた、そのときだった。


「……やば」


「え?」


「黒峰くん、それ」


 ことねは両手で顔を覆い、机に額をぶつける寸前みたいな勢いで身を縮めた。


「それ、めちゃくちゃ分かる……!」


 くぐもった声が机に反射する。


「だから私は黒峰くん危ないって言ったの! その感想が自然に出てくるの、かなり危ないんだって!」


「またその危ないか」


「褒めてるんだってば!」


 ことねは勢いよく顔を上げた。頬が少し赤い。興奮しているのか、それとも別の何かなのか、判別しづらい熱がそこにあった。


「私もね、あの台詞って“諦め”じゃないと思ってた。でも上手く言語化できなくて、ずっともやもやしてたの。で、たいてい他の人に話すと“切ないよね”“報われないよね”で終わっちゃって。違う、そこじゃないのにって思ってた」


「まあ、ぱっと見そう見えるしな」


「そう! そうなんだけど、そこで終わるとフィオナの強さが抜けちゃうの! あの子、ただ我慢してるんじゃないのに!」


 ことねは机の上に両手を置いたまま、真っ直ぐ恒一を見た。


「黒峰くん、その感想すごい嬉しい」


 その言葉は、さっきまでのような早口の勢いではなく、少しだけゆっくり落ちてきた。


 恒一は不意を突かれて、わずかに息を止める。


「……そんな大げさな」


「大げさじゃないよ」


 ことねは笑った。今度の笑い方は、昼休みみたいなにぎやかな笑顔より、もっと柔らかかった。


「好きなものを、ちゃんと好きな場所で分かってもらえるのって、思ってるよりずっと嬉しいから」


 その一言に、恒一はなんとなく言葉を返し損ねた。


 趣味の話が通じる相手がいる。解釈が噛み合う。それが楽しいのは、自分にも分かる。けれど、ことねの今の表情は「楽しい」だけではなかった。もっと直接的に、救われたような、見つけたような顔をしていた。


 入学初日、放課後の自習室。

 まだ互いのことなんてほとんど知らない。

 なのに、好きな作品について語っただけで、急に心の距離が縮まることがある。


 それを、恒一は少しだけ実感し始めていた。


「……夢咲って、学校ではあんまりそういう話しないのか」


 ふとそう聞くと、ことねは肩をすくめた。


「しないっていうか、しづらかったかな。女子高時代からいる子たちって、もちろんアニメとかゲーム好きな子もいるけど、深く語ると“また始まった”って顔されることもあるし。だからだんだん、テンションは隠すようになってた」


「でも、全然隠せてない気がするけど」


「うっ、それは……相手による」


 ことねは目を逸らし、耳たぶを少しだけ触った。


「黒峰くん、たぶん想像以上に話しやすいんだよ」


「そんなこと初日に分かるか?」


「分かるときは分かる」


 ことねはそう言って、小さく笑った。


 風が窓の隙間から入り、机の上のプリントの端を揺らす。どこかで部活の笛が鳴り、夕方が少しずつ校舎の中へ染み込んでくる。静かな部屋の中で、二人だけの会話は思ったより自然に続いていた。


 三期の構成の妙。

 二期終盤で張られていた伏線の回収。

 劇伴が入るタイミング。

 メイン二人の関係性より、脇を支えるキャラの選択が作品の厚みを作っていること。

 話題は尽きなかった。


 ことねは感情が乗ると途端に早口になり、手振りも増える。けれど、ただ一方的に話すだけではなく、恒一の意見を聞くとちゃんと目を見て「それいい」「そこは違うかも」と返してくる。そのやり取りが不思議と心地よかった。


 時間が少しだけ飛ぶ。


 気づけば、外の光はさっきより赤みを増していた。


「……あ」


 ことねが窓の外を見て声を漏らした。


「ちょっと待って、やば。全然“少しだけ”じゃなかった」


「だから言っただろ」


「ごめん、完全に私の負けです」


「勝ち負けの問題だったのか」


「気持ちの問題として」


 ことねは両手を合わせて頭を下げるふりをしたが、その顔はすごく満足そうだった。


「でもほんと楽しかった……」


 ぽつりと漏れたその声には、さっきのような勢いではなく、静かな本音が混じっていた。


 恒一も窓の外へ目をやる。


「まあ、俺も」


 自分でも驚くくらい自然にそう言っていた。


 ことねは一瞬きょとんとして、それからぱっと笑う。


「やった」


 その一言が、妙に真っ直ぐだった。


 恒一は少しだけ目を細めた。

 楽しかったのは本当だ。入学初日で疲れていたはずなのに、いつのまにかそれを忘れていた。話が通じる相手と作品について語るのは、やっぱり単純に気分がいい。


 ただ、それと同時に、教室を出るときの視線が頭の隅に引っかかっていた。


「……戻るか」


「うん」


 二人は鞄を持って席を立つ。椅子を戻す音だけが静かな部屋に響く。


 自習室を出て廊下へ戻ると、夕方の校舎はさらに人が減っていた。窓から差し込む光は長く伸び、床の上に格子状の影を落としている。昼間より静かで、でもそのぶん足音がよく響く。


 二人並んで歩きながら、ことねは少しだけ照れたように言った。


「黒峰くん」


「ん?」


「今日のこと、ちょっと嬉しかったから」


「……おう」


「また話していい?」


 恒一は一瞬だけ迷ったが、すぐに答えた。


「暇が合えばな」


「それ、かなり前向きな返事って受け取っていい?」


「都合のいい解釈するな」


「じゃあ前向き寄りってことで」


「勝手に寄せるな」


 そんなふうに言い合っていると、ことねは楽しそうに笑った。


 その笑い声は廊下の静けさの中でやけに明るく響いて、同時に、誰かに聞かれてもおかしくない大きさだった。


 曲がり角をひとつ折れた、そのとき。


 足音が止まる。


 廊下の先、窓際の影の中に、一人の女子生徒が立っていた。


 雪代しおんだった。


 長い黒髪が夕方の光を吸って静かに揺れている。手にはノートを一冊持っていて、今までそこにいたのか、それともたった今来たのか分からないくらい自然な顔をしていた。


 ただ、その視線だけが、二人のほうへ真っ直ぐ向いている。


「……あ」


 ことねが小さく声を漏らす。


 しおんは恒一を見て、それからことねに目を移し、最後にまた恒一へ戻した。表情はほとんど変わらない。なのに、その静けさが妙に耳に残る。


「楽しそうだったね」


 落とされた言葉は、穏やかだった。


 責めるでもなく、笑うでもなく、本当に事実を確認しただけのような声音。だからこそ、どこか落ち着かない。


「え、あ、まあ……ちょっと話してただけで」


 なぜか弁解みたいな返答になった自分に、恒一は内心で眉をひそめる。別に悪いことはしていないはずだ。


 しおんは小さくうなずいた。


「うん。そうだろうと思った」


「思った?」


「黒峰くん、教室に戻ってこなかったから」


 その言い方に、ことねがぴくっと反応した。


「えっと……雪代さん、なんでそれ分かったの?」


 しおんはことねへ視線を向ける。柔らかくも冷たくもない、ただ静かな眼差しだった。


「教室の音が変わったから」


「音?」


「人が減ると分かるよ。誰がまだいて、誰が出たか」


 ことねは一瞬だけ黙り込んだ。


 恒一も、またしても背筋のあたりに落ち着かないものを感じる。


 足音で分かる。

 教室の音で分かる。

 それを当たり前のように言う雪代しおんは、やっぱりどこか普通とずれている。


 けれど彼女自身は、それを特別なことだと思っていないらしい。


「夢咲さん」


 しおんがことねを見たまま言う。


「黒峰くん、話しやすかった?」


「……え?」


「昼休みも楽しそうだったから」


 ことねは一瞬言葉を失い、それから少しだけ警戒したように笑った。


「まあ、うん。話合うなって思って」


「そっか」


 しおんはそれ以上追及しない。ただ、その「そっか」が妙に静かで、余韻だけを残した。


 恒一はその場の空気が少しずつ変わっていくのを感じた。ことねの明るい熱が、しおんの静かな気配に触れて少しだけ揺らいでいる。誰も喧嘩しているわけではない。刺のある言葉もない。なのに、何か見えない線が引かれたような感覚があった。


「……じゃあ、俺もう帰るから」


 恒一は軽くそう言って流れを切る。


「う、うん! またね、黒峰くん!」


 ことねはすぐに明るい声へ戻ったが、その笑顔にはさっきまでとは少し違う緊張が混じっていた。


 しおんはただ一言、


「また明日」


 とだけ言った。


 二人と別れ、恒一は一人で昇降口へ向かう。


 夕方の校舎は静かだった。階段を下りるたびに自分の足音がやけに大きく響く。窓の外では桜が風に揺れ、部活帰りの生徒たちがちらほらと門のほうへ流れていく。


 上履きからローファーに履き替えながら、恒一は今日一日のことを頭の中で整理しようとした。


 入学初日。

 元女子高特有の視線。

 足音で自分を当てた静かな美少女。

 思ったより普通と値踏みしてきたツンとした同級生。

 男子の実物だと騒いだオタク女子。

 そして再会した幼馴染。


 そのうえ、放課後には趣味の話で思った以上に盛り上がってしまった。


 たかがアニメの話。

 されどアニメの話。


 誰かと好きなものをちゃんと分かり合えたことが、予想以上に楽しかったのは否定できない。ことねの「嬉しかった」という言葉も、妙に耳に残っている。


 けれど同時に、廊下で待ち受けていたようなしおんの静かな視線も、頭から離れなかった。


 あれは偶然だったのか。

 それとも、そうではないのか。


 どちらにしても、この学校では、人と人との距離が動くたびに、何かしらの波が立つらしい。


 昇降口を出ると、春の夕風が頬をなでた。昼間より少しだけ冷たくて、けれど火照った頭にはちょうどいい。


 恒一は校門へ向かって歩きながら、小さく息をつく。


 普通の高校生活がしたかっただけなのに。

 まだ三話目なのに、もう“誰と誰がどれくらい近いか”みたいな空気が生まれ始めている。


 しかもそれが嫌ではない自分が、少しだけ厄介だった。


 ――夢咲ことねは、たぶんこれからもっと距離を詰めてくる。

 ――雪代しおんは、たぶんもう少し静かに見ている。

 ――そして、教室の中にはまだ他にも目を離せない連中がいる。


 そんな予感だけを抱えたまま、恒一は傾き始めた春の道を一人で歩き出した。


 その背中を、誰かが見ていることも知らずに。

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