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共学化したばかりの元女子高で、普通の青春を送るはずだった俺が重すぎる彼女たちに囲まれている~男子希少種の俺だけがやたら観察されている件~  作者: 御上常陸介寛浩


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第29話 幼馴染は、黙って譲るほど大人じゃない

 図書室を出たときには、校舎の中の空気はすっかり夕方のものになっていた。


 窓の外では春の空が少しずつ薄い橙へ染まり、遠くのグラウンドからは部活の掛け声が途切れ途切れに届いてくる。昼間のざわめきはもう引いていて、廊下には帰宅前の静けさが広がっていた。教室へ戻る生徒の足音も少なく、話し声もどこか一段落したあとのように小さい。


 そんな中で、黒峰恒一の胸の内側だけは少し落ち着かなかった。


 図書室でことねと話したことが、まだきれいに残っている。


 最初にちゃんと話せたのは私。

 忘れられたくない。

 次はちゃんと二人で寄り道したい。


 ことねらしい、明るくて柔らかい言い方だった。けれど、柔らかいからこそ余計にまっすぐだった。冗談みたいに笑っていても、その奥にある本音はかなりちゃんとした重さを持っていたと思う。


 そこへ自分は、たぶん思っていたより素直に返してしまった。


 話していて楽しい。

 気を張らなくていい。

 明るいだけじゃなくて、ちゃんと見てる。


 改めて思い出すと、少しだけ気恥ずかしい。

 だが、嘘でもなかった。


 最近の自分は、いろんな方向から違う種類の視線を向けられている。しおんは静かなまま見抜いてくるし、凛はちゃんとしている部分を拾ってくる。ましろは日常の癖へ入り込み、いろはは欠点を美しいと言う。ひよりは食べ物で距離を詰めてくるし、玲華はそれを外から面白がる。


 その中で、ことねはやっぱり“話が通じる相手”としての近さを持っていた。


 それを認めたのは、たぶん自分の中でも小さくない。


「……帰るか」


 ひとりごとのように呟いて、恒一は階段へ向かった。


 今日はもう本当に寄り道はしない。

 図書室に行った時点で、十分いろいろあった。

 これ以上イベントが増えると、さすがに処理しきれない。


 そう思っていたのに、人生はだいたいそういうときほど話を進めてくる。


     ◇


 昇降口で靴を履き替え、校門を抜けたところで、後ろから声が飛んできた。


「恒一」


 名前を呼ばれた瞬間、反射的に分かった。


 火乃森朱莉だった。


 振り返ると、夕方の光の中で彼女はまっすぐこちらへ歩いてくるところだった。制服のスカートが風に少し揺れ、長い髪の先が橙色の光を拾っている。黙って立っていれば相変わらず綺麗だし、どこか凛とした強さがある。けれどその目元には、ただ綺麗なだけでは済まない意志の強さがいつも宿っていた。


「……まだ残ってたのか」


 恒一がそう言うと、朱莉は少しだけ眉を上げる。


「残ってたら悪い?」


「いや、悪くはないけど」


「図書室、行ってたでしょ」


 やっぱりそこまで把握しているのか。


「見てたのか」


「見てたっていうか、帰ろうとしたらちょうど見えただけ」


 その言い方はたぶん半分本当で、半分は違う。

 朱莉はそういうところがある。全部をわざわざ言わないくせに、ちゃんと自分の中で気にしている。


「少し話せる?」


 そう聞かれて、恒一は一瞬だけ返事を迷った。


 今日はもう頭も気持ちもそれなりに使った。ことねと話したあとの、この微妙な揺れを整理したい気持ちもある。正直に言えば、今ここでまた別方向の“近さ”をぶつけられるのは、かなり疲れる。


 でも、朱莉の顔を見ていると、断る選択肢を取りにくい。

 昔からそうだった。

 彼女が本気で何か言いたい顔をしているとき、自分はわりと逃げきれない。


「……少しだけな」


「うん」


 朱莉は短くうなずいた。


 そのまま駅とは逆方向の、学校裏手の遊歩道へ少しだけ歩く。人通りは少ない。春の夕方の空気が少しひんやりしていて、道路脇の植え込みが風でさわさわ鳴っている。校舎の喧騒が一枚ずつ後ろへ剥がれていくみたいに遠ざかり、二人の足音だけが並ぶ。


 しばらく沈黙が続いた。


 ことねみたいにすぐ言葉をつなぐタイプではない。朱莉は、必要なときまで言葉を抱える。そして抱えたぶんだけ、口を開いたときはわりとまっすぐだ。


「……最近さ」


 先に口を開いたのは、やっぱり朱莉だった。


「いろいろ増えたよね」


「何が」


「分かってるでしょ」


 低い声だった。

 責めているわけではない。

 でも、軽く流すことは許さない声だ。


「夢咲さんもそうだし、雪代さんも、朝霧さんも、小鳥遊さんも。鳴瀬さんはちょっと別枠だけど、毒島さんまで入ってきたし」


 別枠は別枠なのか。


「なんか、気づいたらみんなあんたの周りにいる」


 夕方の光の中で、その言葉は妙に重かった。


 恒一は視線を前に向けたまま答える。


「俺だって、好きで増やしてるわけじゃない」


「うん」


「でも、増えてるのは事実だな」


「うん」


 朱莉はそこを否定しない。

 否定しないからこそ、話が逃げない。


「今日、図書室で夢咲さんと話してたのも見た」


「そうか」


「何話してたかまでは聞いてない」


 そこは聞いていないらしい。

 あるいは、聞いていたとしても言わないだけかもしれない。

 ただ今の朱莉の言い方は、たぶん本当にそこまでは踏み込んでいない感じがした。


「でも、見てて思った」


「何を」


 朱莉は少しだけ目を伏せる。


「私、黙って譲るほど大人じゃないなって」


 その一言は、思っていた以上にまっすぐだった。


 恒一は思わず彼女を見た。


 朱莉の横顔は夕方の光に照らされて、いつもより少しだけ柔らかく見える。けれど、その表情の奥にあるものは柔らかくない。諦めでも遠慮でもなく、はっきりした意志だ。


「譲るって……」


「分かるでしょ」


 朱莉は前を向いたまま言う。


「私は昔からあんたの近くにいたし、今さら“他の子たちもいるから少し引きます”みたいな、きれいなことする気ない」


 その言い方は、どこか潔かった。


 ことねのように“最初に話せたのは私”と言うのとも少し違う。

 朱莉の場合、それはもっと生活に近い。過去そのものが、すでに自分の立場だと言っている。


「別に、誰かを蹴落としたいわけじゃないよ」


 朱莉は続ける。


「夢咲さんが近いのも分かるし、雪代さんが静かに見てるのも、朝霧さんがちゃんとしてるあんたを見てるのも、小鳥遊さんが生活に入り込んでるのも、何となく分かる」


「……全部見えてるんだな」


「見えるよ。あんたのことだし」


 その一言には、ほんの少しだけ昔からの呆れが混じっていた。


「でも、それが見えるからって、私が大人しく引く理由にはならない」


 そこが朱莉なのだと思う。


 幼馴染。

 昔から知っている。

 距離の取り方も、反応も、変なとこで人のことを放っておけない性格も、かなり前から見てきた。


 だから、今さら一歩引いて“最近近づいた人たちに譲る”みたいなことはしない。

 その理屈は、乱暴なようでいて、ひどく彼女らしかった。


「私は昔から近いんだから」


 朱莉が小さく言う。


「今さら遠慮しない」


 その言葉が風の中で静かに落ちる。


 押しつけがましくはない。

 けれど、引きもしない。

 そこにあるのは、ただ事実を宣言するような強さだった。


     ◇


 少しだけ、昔のことを思い出した。


 小学生のころ、下校途中に朱莉が先回りして待っていたこと。

 中学へ上がる前、引っ越しや学校の変化で少し距離ができたあとでも、久しぶりに会えば結局同じテンポで言い合いをしていたこと。

 再会した今も、彼女だけは“ゼロから積み上げる”感じじゃない。最初から続きの場所にいる。


 それが強みであり、厄介さでもある。


「……ずるいな」


 思わず口をついて出た。


 朱莉がこちらを見る。


「何が」


「そうやって言われると、こっちは否定しにくい」


「否定しなくていい」


「いや、そうじゃなくて」


 恒一は頭をかいた。


「昔から知ってるのは本当だし、近いのも本当だろ。だから“今さら遠慮しない”って言われると、筋が通りすぎてる」


 朱莉は数秒だけ黙った。

 それから、ほんの少しだけ笑う。


「そういうとこ」


「何だよ」


「あんた、ちゃんと聞くよね」


 その言い方は、褒めているようでもあり、困っているようでもあった。


「適当に流したり、冗談にしたりもできるのに、ちゃんと聞く」


 それは、ことねにも似たことを言われた気がする。

 自分ではそこまで意識していない。

 でも、たぶんそういう性格なのだ。


「……流したほうがよかったか?」


「よくない」


 朱莉は即答した。


「ちゃんと聞いて」


 その声が少しだけ低くなる。


「今はまだ、誰がどうとか決めなくていいと思う。あんた自身、そこまで整理できてないの分かるし」


 そこまで見透かされているのか。

 いや、見透かされてもおかしくない。朱莉は昔から、こちらの分かりやすい部分に妙に鋭い。


「でも」


 彼女は言葉を続ける。


「“私は昔から近い”ってことだけは、ちゃんと覚えといて」


 ことねは“最初に話せたのは私”と言った。

 朱莉は“昔から近い”と言う。

 どちらも、同じようでいて違う。


 ことねは今この学校の中で最初に通じ合えた位置を大事にしている。

 朱莉はもっと前から続く時間ごと、自分の立場として持っている。


 その差が、ずっしりと重かった。


「……忘れてないよ」


 恒一がそう答えると、朱莉は少しだけ目を細めた。


「ならいい」


 その“ならいい”は短かったが、そこに込められた熱は思ったより強かった。


 しばらく二人で歩く。

 さっきまでの張り詰めた空気が少しだけほどけて、春の夕方の匂いが戻ってくる。道の端に落ちた花びらが風で転がり、遠くの空が少しずつ紫がかっていく。


「……ねえ」


 今度は朱莉のほうが、少しだけ気軽な口調で言った。


「何だよ」


「次はちゃんと、幼馴染らしい時間もらうから」


 その言い方に、恒一は足を止めかけた。


「幼馴染らしい時間?」


「そう」


 朱莉は平然としている。


「変に大勢いるんじゃなくて、昔みたいに。あんたと私だけで」


「それ、だいぶ予約入れてくるな」


「入れるよ」


 朱莉は当然みたいに言った。


「黙って譲るほど大人じゃないって、さっき言ったでしょ」


 その返しが、あまりにも火乃森朱莉だった。


 強い。

 ほんとうに強い。

 でも、その強さの根っこにあるのが“昔からの距離を手放したくない”という、ごくまっとうでどうしようもない感情だと思うと、雑には扱えない。


「……分かった」


 恒一がそう言うと、朱莉は少しだけ驚いた顔をした。


「そんなにあっさり?」


「だって、どうせ断っても来るだろ」


「それはそう」


 そこで朱莉は、今度こそはっきり笑った。


 その笑い方を見たのは、少し久しぶりな気がした。

 気が強くて、でも満足したときだけ少し柔らかくなる。

 昔から変わらない顔だった。


     ◇


 別れ道まで来ると、朱莉は立ち止まった。


「じゃ、今日はここで」


「ああ」


「……恒一」


「ん?」


「図書室のこと、別に責めてないから」


 その一言は意外だった。


「分かってるよ」


「ならいい」


 短い会話。

 でも、その短さの中に“見てるし、気にしてるし、でもそれだけじゃない”が全部入っている。


 朱莉は少しだけ視線をそらして、それから言った。


「じゃあまた明日」


「また明日」


 彼女は背を向け、住宅街のほうへ歩いていく。

 その後ろ姿を見送りながら、恒一はゆっくり息を吐いた。


 幼馴染は、黙って譲るほど大人じゃない。

 その通りなのだろう。


 ことねの“最初に話せたのは私”。

 朱莉の“私は昔から近い”。

 どちらも、同じようにまっすぐで、どちらも簡単には無視できない。


 普通の青春をしたかったはずなのに、気づけばこうして一人ひとり違うかたちの“特別”を向けられている。


 それを面倒だと思う気持ちは、まだある。

 けれど同時に、その面倒くささの中へちゃんと温度があることも、もう分かってしまっていた。


 春の夕方の風が、少しだけ強く吹く。

 恒一は一人になった道で、空を見上げた。


 まだ誰かを選ぶ段階ではない。

 だが、何も始まっていないとも言えない。


 火乃森朱莉の強さは、そのことをまた一歩、はっきりさせてしまった。

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