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共学化したばかりの元女子高で、普通の青春を送るはずだった俺が重すぎる彼女たちに囲まれている~男子希少種の俺だけがやたら観察されている件~  作者: 御上常陸介寛浩


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第27話 寄り道一つで、クラスの空気はすぐ変わる

火曜日の朝、黒峰恒一は教室へ入る前から、またしても嫌な予感を覚えていた。


 理由ははっきりしている。


 昨日の写真騒ぎだ。


 共学化記念オリエンテーションの掲示写真。

 ただの記録写真のはずなのに、そこには四班の空気が思っていた以上にはっきり写っていた。ことねの近さ、朱莉の自然な立ち位置、凛の視線、ましろの入り込み方、いろはの外側からの観察、そしてしおんの、あまりにも真っ直ぐなしずかな視線。


 写真一枚で平和が壊れるとは思わなかった。

 だが実際、もう壊れ始めている。


 昨日の昼休みまでの時点で、何人かは確実に“見た”あとだった。

 そして見たものは、たぶん一日では消えない。


 校門をくぐり、昇降口で上履きに履き替え、二階へ上がる。

 廊下にはいつも通り朝のざわめきが流れていた。女子たちの笑い声、宿題の確認、次の小テストの話、部活の朝練帰りらしい息の弾んだ足音。


 そのどれもが普通の高校の朝に見える。

 なのに、恒一が教室の前まで来たとき、すでにいくつかの視線がこちらを先回りしていた。


 ああ、これはそういう日だ。


 扉を開ける。


 教室の空気が、一瞬だけこちらを向いた。


 誰かが露骨にひそひそしたわけではない。

 でも、目だけは動いた。

 その目の動きだけで十分だった。


「……おはよう」


 恒一が席へ向かいながら言うと、すぐにことねが振り返った。


「おはよ……」


 いつもの明るさが少しだけ足りない。

 その声色だけで、すでに嫌な予感が強まる。


「何だよ」


「いや……」


 ことねは少しだけ周囲を見た。

 通路側では凛が頬杖をついている。

 窓際では朱莉が鞄を机へ置き終えたところ。

 しおんはノートを出しながら、静かにこちらの様子を見ている。

 誰も話に入ってこない。

 けれど、全員が気にしている。


「……なんか、昨日の続きって感じ」


 ことねが小さく言った。


「写真の?」


「それもだけど、写真プラス、コンビニのやつ」


 ああ、そっちまで来たか。


 昨日の放課後、ことねと少しだけ寄り道するはずが、ましろが現れ、さらに朱莉と凛まで合流した。外から見れば、あれはもう立派に“黒峰を中心にした女子の集まり”に見えただろう。


 最悪だ。


「……誰か何か言ってた?」


 恒一が聞くと、ことねは一瞬だけ口をつぐんだ。

 それから、苦笑するみたいに言う。


「“黒峰くんって結局誰と一番仲いいの?”って」


 直球だった。


 恒一は数秒、言葉を失う。


 もっとぼかしたものかと思っていた。

 たとえば“最近よく一緒にいるよね”とか、“四班って仲いいよね”とか、そういう周辺から来るものだと。

 だが、もうそこを飛ばしてきている。


「……うわ」


「うわ、だよね」


 ことねが小さく机へ突っ伏しかける。


「しかも、なんかもう軽いノリで聞かれるから余計困るんだよね……」


 それは想像がつく。


 悪意があるわけではない。

 ただ、男子が少ない学校で、目立つ男子の周囲に複数の女子がいる。

 それだけで話題になるには十分だ。


 問題は、その“話題になるには十分”な状態が、今まさに自分の周囲で起きていることだった。


     ◇


「で、何て答えたの」


 通路側から凛が聞いてきた。


 いつの間にか会話に入っていた。いや、最初から聞いていたのだろう。


 ことねは椅子に座り直し、両手で頬を押さえる。


「何も! “そんなのないない”って笑って流したけど!」


「流せてないでしょ、その顔」


 凛が淡々と刺す。


「うっ……」


「ていうか、そういう質問される時点で、もう周りにはそう見えてるんだよ」


 凛の言い方は冷静だ。冷静なのに、だからこそ刺さる。


「写真もあったし、昨日のコンビニも見られてたんでしょ。そりゃそうなる」


「朝霧さん、正論で殴るのやめて……」


 ことねが本気でしょんぼりする。


 そのやり取りのあいだに、朱莉が静かに席を立った。

 こちらへ来る。

 歩く速度に迷いがない。


「私も聞かれた」


 短く、そう言った。


 ことねと凛が同時にそちらを見る。


「何を」


「“黒峰って、火乃森さんと夢咲さんどっちが近いの?”って」


 教室の空気がまた少しだけ薄くなる。


 それは、朝霧凛や雪代しおんの名前を飛ばしているところが、逆に生々しかった。

 おそらくクラスメイトたちの見え方としては、まず“分かりやすい側”から処理されているのだ。

 明るく近いことね。

 幼馴染の朱莉。

 その二人がまず見えやすい。


 その後ろに、凛やしおんやましろやいろはやひよりが、それぞれ別方向から立っている。


「……で、何て答えたんだよ」


 恒一が聞くと、朱莉は少しだけ視線を逸らした。


「別に、どっちでもないって」


「“どっちでもない”って言える?」


 ことねが妙に敏感に反応する。


 朱莉はそちらを見る。


「言うでしょ、そういう場では」


「そりゃそうだけど……」


 ことねの顔には、もやっとしたものが出ていた。

 それは嫉妬とか怒りとか、そんな単純なものではなく、“答え方一つで見え方が変わる”ことへの居心地の悪さに近い。


 しおんがそこで、静かに口を開いた。


「私は聞かれてない」


 全員がそちらを見る。


「でも、見られ方は変わったと思う」


 それはたぶん、写真のせいだ。


 昨日の掲示写真で、しおんの視線だけは他の誰よりもはっきり写っていた。

 今まで“静かな優等生”として処理されていたものの中に、少しだけ別の意味が混ざり始めたのだろう。


「雪代さんは、あれ、昨日でだいぶ印象変わったと思う」


 ことねが正直に言う。


「写真の威力、強すぎる」


 しおんは小さくうなずいた。


「うん。落ち着かない」


 その“落ち着かない”が、しおんから出ると妙に大きい。


 凛が腕を組み直す。


「で、問題はそれだけじゃなくて、昨日のコンビニも追加されたってこと」


 朝から整理しなくていい現実だ。


「“黒峰くんって、最近放課後よく誰かと一緒にいるよね”っていう見え方になってる。そこへ写真が乗ったから、もう周囲は勝手に線つなぎ始めてる」


「朝霧さん、その言い方ほんと嫌なほど正しい」


 ことねがうめく。


 凛は表情を変えなかった。


「嫌でも現実」


 その“現実”が一番きつい。


     ◇


 一時間目と二時間目のあいだ、さらに追い打ちが来た。


 廊下側の席の女子二人が、別に悪気もなくこちらへ話しかけてきたのだ。


「黒峰くんってさ」


 その呼び方だけで、恒一はもう嫌な予感しかしなかった。


「えっと……何?」


「最近、誰と一番仲いいの?」


 軽い。

 軽すぎる。

 まるで“好きなパン何?”くらいの気軽さで聞いてくる。

 だが、その質問の内容はぜんぜん軽くない。


 教室の空気が、その瞬間だけぴたりと止まった。


 ことねは教科書をめくる手を止める。

 凛は顔を上げない。けれど確実に聞いている。

 朱莉は窓際でペンを持ったまま静止した。

 しおんの視線は静かにこちらへ向いている。


 逃げ場がない。


「……なんでそうなるんだよ」


 笑って流そうとした。

 だが声が少し硬くなる。


「いや、なんかさー」


 女子の一人が悪びれもなく言う。


「写真とか見ても、四班って黒峰くん中心に距離感ある感じじゃん?」


 言うな。

 その言い方を、そのまま本人の前でするな。


「で、コンビニのも見たって子いたし」


 もうだめだ。


 線がつながっている。

 写真だけではなく、放課後の行動まで“観察結果”として回り始めている。


「別に、誰ともそういうのじゃないよ」


 恒一はできるだけ平静に言った。


 それは本音だった。

 少なくとも、自分の中ではまだ何も“そういうの”として整理できていない。

 でも、その言い方自体が逆に怪しく見えるのだろうということも、もう分かっていた。


「ふーん」


 女子二人は顔を見合わせる。

 その“ふーん”の中に、完全に納得していない感じがあった。


「まあ、そういうよねー」


 軽い。

 軽いくせに、ちゃんと刺さる。


 二人が離れていくと、教室の空気はまた何事もなかったふりを始めた。

 けれど、何事もなかったわけがない。


 ことねが最初に息を吐く。


「……うわー……」


「うわー、じゃないんだよな」


 恒一は机に肘をついて、額へ指を当てた。


「ほんとに聞かれるんだな」


「聞かれるよ!」


 ことねが言う。


「しかも今の感じ、“すごく気にしてるわけじゃないけど、でもなんとなく興味ある”くらいの一番広がるやつだもん!」


 その分析がまた的確で嫌だった。


 凛がぼそっと言う。


「だから言ったでしょ。もう見え方がついてるって」


「……朝霧さん、こういうときだけ経験値高そうなのなんなの」


「女子高の空気なめないで」


 たしかにそうだろう。


 男子が少ない。

 だから余計に、誰がどこにいるかがよく見える。

 そして一度見えたものは、思った以上に長く残る。


 朱莉が静かに言う。


「今の聞かれて、ちょっと分かったかも」


「何が」


 恒一が聞くと、朱莉は短く答えた。


「もう、何もない顔してても無理なんだなって」


 それはこの章に入ってから何度も少しずつ積み重なってきた言葉だった。

 “見えてないふりはできない”。

 そして今度は、“何もない顔してても無理”。


 どちらも厄介なほど正しい。


 しおんがぽつりと言う。


「噂って、空気で育つから」


 その表現もまた、しおんらしかった。


「言葉より前に、なんとなくの印象で広がる」


「だから厄介なんだよね……」


 ことねが本気で疲れた顔をした。


「誰も大げさに騒いでるわけじゃないのに、じわじわ“そう見えるよね”だけが増えてく感じ」


 まさにその通りだった。


     ◇


 昼休み、ことねは珍しく少し静かだった。


 いつものように弁当を持ってこちらへ来たものの、勢いが少ない。

 凛もいつもほど刺々しくない。

 朱莉は黙っている。

 しおんは静かだ。

 全員が、それぞれのやり方で今朝の空気を消化しようとしている感じがあった。


「ねえ」


 ことねがぽつりと聞く。


「黒峰くん、今のやつ、やだった?」


 今朝の“誰と一番仲いいの?”のことだろう。


 恒一は少しだけ考えた。


「……やだった、っていうか」


「うん」


「ちゃんと答えられないなって思った」


 それが一番近い本音だった。


 誰が一番近いのか。

 誰と一番仲がいいのか。

 そういう単純な並べ方では、もう今の状況を説明できない。


 ことねは作品の話が通じる相手として近い。

 朱莉は過去ごと今へ繋がっている相手として近い。

 凛はちゃんと見てくれる相手として近い。

 しおんは静かな視線で状態を拾う相手として近い。

 ましろは日常の癖の中へ入ってくる相手として近い。

 いろはは欠点すら美しいと言う相手として近い。

 ひよりは“変なものを一緒に食べられる”という、新しい入り口で近い。


 全部、意味が違う。

 全部、近さの種類が違う。

 だから、“一番”という問いがいちばん困る。


「……それ、ちょっと分かる」


 ことねが小さく言う。


「私も、今“黒峰くんとどういう感じか”って聞かれたら困るもん」


「どういう感じなんだろうな」


「そこを本人に聞かれても!」


 ことねが少しだけ笑う。

 その笑い方はいつもより弱い。だが、その弱さは嫌ではなかった。


 凛が向かい側から言う。


「でも、困るってことはゼロじゃないってことでもある」


 その一言で、また空気が止まりかける。


「朝霧さん!」


 ことねが反応する。


「そうやってさらっと本質みたいなこと言うのやめて!」


「事実じゃない?」


 凛は本気でそう思っている顔だった。


 否定できない。

 それが一番困る。


     ◇


 その日の放課後、恒一は一人で帰ろうと決めていた。


 少なくとも今日はそうするべきだと思った。

 何か一つでも余計な動きをすれば、それだけでまた噂の材料が増える。

 ただでさえ写真一枚とコンビニ一回でここまで広がっているのだ。これ以上はまずい。


 だから終礼が終わったあと、誰より少しだけ早く鞄を肩にかけた。


 するとことねがすぐに気づく。


「もう帰るの?」


「ああ」


「そっか……」


 その返事には、わずかな寂しさがあった。

 だが、それを拾ってしまうとまた面倒になる。


「今日はまっすぐ帰る」


「うん。そうしたほうがいいかもね」


 ことねもさすがに今日は理解していた。


 凛は「それが無難」と短く言い、朱莉も何も止めなかった。しおんだけが静かにこちらを見る。その目に、何か言いたそうなものがあるようにも見えたが、結局何も言わなかった。


 教室を出て、廊下を歩く。

 いつもより少しだけ足が速い。

 自分でもそれが分かった。


 だが、昇降口へ向かう途中で、後ろから小さな声がした。


「先輩」


 振り返る。


 毒島ひよりだった。


 やっぱり来るのか。


 彼女は今日も小柄で静かで、見た目だけなら本当に控えめだ。

 けれど、その手に持っているものがすべてを壊していた。


 小さな紙袋。

 表面には購買のシール。

 中から少しだけ、見慣れないパッケージの角が覗いている。


「……何それ」


 恒一が聞くと、ひよりは当然みたいに答えた。


「試作の謎肉スナックです」


 もうだめだ。


 平和に帰るつもりだったのに。

 噂を増やさないようにするつもりだったのに。


 しかも、階段の上からことねと凛がこちらを見下ろしている気配がする。

 朱莉もたぶん、教室の前あたりから見ている。

 視線だけで分かる。


「先輩、これ」


 ひよりが紙袋を少し持ち上げる。


「今日は持って帰るだけでもいいので」


 その言い方は、昨日までより少しだけ配慮がある。

 あの子なりに、空気を読んだつもりなのかもしれない。


 けれど、それでも十分に目立つ。


 恒一は数秒だけ考えた。


 断るべきか。

 ここで受け取れば、また見られる。

 見られれば、また何か言われる。


 でも、ひよりの顔は真剣だった。

 ただ食べてほしいのではない。

 “先輩なら分かってくれるかもしれないもの”を差し出している顔だ。


 結局、恒一は小さく息を吐いた。


「……ありがと」


 受け取ってしまった。


 その瞬間、階段の上の空気がまた少しだけ変わるのが分かった。


 ひよりはほっとしたみたいに目を細める。


「無理なら食べなくても大丈夫です」


「そう言いながら期待してるだろ」


「少し」


 正直だ。


「でも、先輩が受け取ってくれたので、今日はそれで十分です」


 その一言が、やけに静かで、やけに真っ直ぐだった。


 ひよりはぺこりと頭を下げて去っていく。

 小さな背中が夕方の廊下へ溶けていく。


 そして残された恒一は、紙袋を手にしたまま、また一つだけ理解する。


 寄り道一つで、クラスの空気はすぐ変わる。

 差し入れ一つでも、同じだ。


 何をしても、何もしていなくても、もう自分の周りには“意味”が発生してしまう。


 それを重いと思う自分もいる。

 けれど、渡された紙袋の重さを、まったく嫌だとは思えない自分もいた。

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