第24話 平和に見える放課後ほど、次の火種を隠している
コンビニの前でいったん落ち着いた空気は、帰り道に入るころにはまた少し形を変えていた。
夕方の街は、昼とは違うやわらかな色をしている。西へ傾いた日差しが道路の端を橙に染め、住宅街の窓ガラスが淡く光を返していた。遠くで犬の鳴き声がして、電線の上では二羽の鳥が鳴いている。どこにでもある、少し静かな放課後の帰り道だ。
なのに、その道を歩いている面子がまるで普通じゃない。
夢咲ことねはバニラバーを食べ終えた棒を袋へ戻しながら、まだ少しだけ名残惜しそうな顔をしていた。
朝霧凛は缶の飲み物を片手に、半歩だけ外側を歩いている。
火乃森朱莉は無言だが、しっかりこの流れの中にいる。
小鳥遊ましろは、いつの間にか自然な位置で恒一の後ろ斜めに収まっていた。
どうしてこうなった。
コンビニまでの時点で、「もう二人きりの寄り道ではない」と悟ってはいた。いたのだが、そこからさらに“なんとなく一緒に帰る流れ”へ移行するとは思っていなかった。
しかも誰もそれをはっきり口にしていない。
ことねが「じゃ、途中まで一緒に帰ろっか」と明るく言い、
凛が「同じ方向だし」と当然みたいに乗り、
朱莉は特に反対せず、
ましろは「先輩の帰宅ペース、今日は少しゆっくりですね」といつもの調子で加わった。
会話としては成立している。
だが、その成立の仕方が、すでにだいぶおかしい。
「……こういうのってさ」
ことねが、歩きながらぽつりと言った。
「一周回って、普通なのかな」
「何が」
恒一が聞くと、ことねは少し困ったみたいに笑う。
「放課後コンビニ寄って、途中まで一緒に帰るやつ」
たしかに、それだけ聞けば普通だ。むしろ青春もののお約束みたいな光景ですらある。
だが今の状況で“普通”と言われると、逆に考え込んでしまう。
「普通の学校なら、もっと普通かもね」
凛が言う。
「でも、星ヶ峰だとちょっと意味増える」
「だよねえ……」
ことねが遠い目になった。
朱莉はそこで小さく息を吐く。
「意味増えるって分かってるなら、もう少し考えて動けばいいのに」
「ごめん、それ今いちばん痛い」
ことねが素直に謝るあたり、今日はだいぶ自覚があるらしい。
ましろはそんな空気の中で、少しだけ首を傾げた。
「でも、意味があるのは悪いことじゃないですよね」
その言葉は、あまりにもまっすぐだった。
ことねが思わず振り返る。
「ましろちゃん、それ今言う?」
「思ったので」
「いや、そういうとこだよ……」
ことねが半分笑いながら頭を抱える。
ましろは本気で不思議そうだった。
たぶんこの子にとって、“誰かと一緒にいることに意味がある”のは自然なことなのだ。そこを隠したり、誤魔化したりする発想が薄い。
だから強い。
しかも無自覚に。
◇
駅へ向かう交差点に差しかかったところで、ようやく流れが少し分かれ始めた。
ことねは駅方面。
凛も途中までは同じ。
朱莉は駅の一つ手前で曲がる。
ましろは途中で別の住宅街側へ入る。
恒一はその全部の真ん中みたいな位置にいる。
信号待ちのあいだ、ことねがコンビニ袋を軽く揺らしながら言った。
「今日さ」
「うん」
「ちょっとだけ思ったんだけど」
「なんだよ」
「黒峰くんって、“誰か一人と自然にいる”のが一番難しいタイプかも」
その指摘は意外なようで、妙に納得できた。
「どういう意味?」
恒一が聞くと、ことねは指で空中に輪を描くみたいにしながら言葉を探した。
「たとえばさ、普通のラブコメって、放課後に二人で帰るとか、偶然会って一緒にコンビニ寄るとか、そういうので距離縮まるじゃん」
「まあ、そうだな」
「でも黒峰くんの場合、その“二人きり”になりかけた瞬間、他の誰かが自然に生えてくるんだよ」
言い方はひどいが、事実だった。
今日だってそうだ。
ことねと少しだけ寄り道するはずが、ましろが現れ、そこへ凛と朱莉まで合流した。
たぶん、ひよりがいたらもっとややこしくなっていただろう。
「……生えてくるって」
恒一が苦笑すると、ことねは真顔で頷いた。
「いやほんとに。だって、そうじゃん」
「まあ……否定しきれないけど」
「でしょ?」
凛が横から小さく言う。
「それ、黒峰のせいでもあるけどね」
「なんでだよ」
「ちゃんと全部に反応するから」
痛いところを突いてくる。
凛は信号の向こうを見ながら続けた。
「夢咲さんにも、火乃森さんにも、小鳥遊さんにも、毒島さんにも。誰が来ても完全に切らないでしょ」
「切るって言い方悪いな」
「でも、そういうことだよ」
凛の声は低くて、でも妙に落ち着いていた。
「優しいとか、ちゃんとしてるとか、そういう言い方もできるけど。結果として“入り口を閉じない”のが黒峰だから」
その言葉は、夕方の空気の中で思った以上に重く残った。
たしかに自分は、誰かに話しかけられたら無視できないし、変に冷たくするのも苦手だ。ことねのオタクトークにも乗るし、しおんの静かな声もちゃんと聞く。朱莉の忠告は流せないし、ましろの生活感ある言葉にも返事をしてしまう。いろはの変な視点には呆れながら付き合うし、ひよりの差し出したコオロギせんべいも結局食べた。
それは全部、小さな行動だ。
けれど、その小さな行動の積み重ねが“誰に対しても入口を閉じない人”として見えているのなら、それはたしかに大きい。
朱莉が静かに言った。
「だから、誰か一人と自然にいるのが難しくなる」
その一言に、ことねも凛も反論しなかった。
ましろだけが少し考えるようにして、それから小さくうなずく。
「なるほど」
お前が納得するのか。
「でも、先輩らしいです」
「何が」
「閉じないところ」
その言い方は、褒めているようでもあり、少し困っているようでもあった。
青信号に変わる。
人の流れと一緒に歩き出す。
足音がいくつか重なり、白線の上に影が並ぶ。
◇
駅前で、まずことねと凛が別れる流れになった。
ホームの違いだ。
「じゃ、また明日ね」
ことねがそう言って、少しだけ足を止める。
いつものように明るい声だ。だが、その明るさの奥に、少しだけ名残惜しさがあるのが分かる。
「うん」
「今日、ありがと」
その“ありがとう”が、コンビニに付き合ったことなのか、寄り道の空気そのものなのかは分からなかった。たぶん両方だろう。
恒一が頷くと、ことねは少し笑って、それから小さく付け足した。
「次はもうちょっと平和な寄り道がいいな」
「俺もそう思う」
「ほんと?」
「本気で」
その返しに、ことねは満足そうに目を細めた。
「じゃ、また」
そう言って改札のほうへ走り出す。
その背中は相変わらず軽くて、見ているとこちらの肩の力も少しだけ抜ける。
凛はその少し後ろで、改札へ向かう前にこちらを振り返った。
「黒峰」
「ん?」
「コンビニ一個で疲れすぎ」
「誰のせいだと思ってるんだ」
「自業自得、半分」
また半分か。
「でも」
凛はそこで少しだけ言葉を切った。
「まあ、今日は悪くなかったんじゃない」
それが凛なりの最大限の柔らかさなのだろう。
恒一が少し笑うと、凛は「その顔、変に素直」とだけ言い残して改札の向こうへ消えていった。
◇
残ったのは朱莉とましろだった。
駅前を少し離れた歩道で、三人の足音がまた重なる。
朱莉が言う。
「夢咲さん、分かりやすいね」
「お前がそれ言うのか」
「言うでしょ」
朱莉は当然みたいに返した。
「でも、そういうところがあるから、あの子は強いのかも」
その言い方に妙な棘はなかった。
ただの分析として言っている。
そこに朱莉自身の感情が乗っていないわけではないのだろうが、それでも今はちゃんと距離を取って見ていた。
「朝霧さんも、あれで結構見てるし」
「凛はそういうタイプだろ」
「知ってる」
朱莉はそこでちらりと恒一を見た。
「で、あんたはそういうの全部拾う」
「責めてる?」
「半分」
「便利だなその返し」
ましろが小さく手を挙げた。
「私は、先輩が全部拾うの、好きです」
空気が一瞬だけ止まる。
お前、本当にそういうところだぞ。
朱莉がゆっくりましろを見る。
ましろは悪気なく続けた。
「誰が話しかけても、ちゃんと返してくれるので」
「……そういう意味ね」
朱莉が少しだけ息を吐いた。
「はい?」
「いや、なんでもない」
たぶん今、朱莉はましろの“好き”の意味を一瞬だけ別方向に受け取ったのだろう。
そしてそれは、たぶん朱莉だけではない。
ましろは本気で不思議そうだった。
やはりこの子の無自覚さは強い。
道が二手に分かれるところで、まず朱莉が立ち止まった。
「じゃ、私はこっち」
「ああ」
「……黒峰」
「ん?」
「今日みたいなの、嫌いじゃないんでしょ」
唐突な問いだった。
だが、まっすぐだった。
恒一は少しだけ考えてから答える。
「嫌いだったら、もっと早く帰ってるかもな」
朱莉はそれを聞いて、ほんの少しだけ目を細めた。
「そう」
「何だよ」
「別に」
そう言いながらも、少しだけ口元が緩む。
「じゃあまた明日」
「また明日」
朱莉は背を向け、住宅街のほうへ歩いていく。
その後ろ姿には、昔から知っている人特有の自然な強さがあった。
◇
最後に残ったのは、ましろだけだった。
「先輩」
「ん?」
「今日は、ちょっと楽しかったですね」
その言い方はいつも通り控えめだった。
けれど、内容だけははっきりしている。
「……コンビニが?」
「いろいろです」
ましろは小さく笑う。
「先輩、最初よりだいぶ力抜けてました」
「それも分かるのか」
「分かります」
いつもの返答。
けれど、今日は少しだけその“分かる”が優しく聞こえた。
「じゃ、ここで」
ましろの家はここから別方向らしい。
「また明日です」
「おう」
「先輩、甘いのだけじゃなくて、ちゃんとご飯も食べてくださいね」
「最後までそこなんだな」
「大事なので」
そう言って、ましろはぺこりと頭を下げて去っていく。
小さくて軽い背中。
可愛らしいのに、見ているものだけは妙に深い。
恒一は一人になって、しばらくその場で空を見上げた。
夕方の青はもうだいぶ薄く、上のほうから夜の色へ変わり始めている。
街灯が一つ、また一つと点いていく。
平和に見える放課後ほど、次の火種を隠している。
それは、たぶん今日のことだけではない。
この先もずっと、そうなのだろう。
何気ない寄り道。
何気ない席順。
何気ない一言。
その全部が少しずつ、人と人の距離を変えていく。
黒峰恒一は、まだ普通の青春を完全に諦めたわけではない。
けれど、その“普通”の中身は、もう最初に思っていた形とはだいぶ違うものになり始めていた。
そしてたぶん、それは悪いことばかりでもない。
面倒で、騒がしくて、落ち着かなくて、でも少しだけ温かい。
そんな日常の端を掴みかけていることだけは、帰り道の静けさの中で、はっきり分かるようになっていた。




