第23話 コンビニの棚より、視線の置き場が難しい
コンビニの蛍光灯は、どうしてこうも現実を明るく照らしてしまうのだろうと、黒峰恒一は割と本気で思っていた。
自動ドアの開閉に合わせて冷たい空気が流れ、整然と並んだ菓子や飲み物の棚が白く光っている。揚げ物ケースのあたりからは少し油っぽい匂いが漂い、レジ前には期間限定のスイーツやら、新作アイスやら、つい手が伸びる類のものが並んでいた。
本来なら、放課後に友達と少し寄り道をして、甘いものを一つ買って帰るだけの、何でもない時間のはずだった。
なのに今、そこにいるのは――
夢咲ことね。
小鳥遊ましろ。
火乃森朱莉。
朝霧凛。
そして黒峰恒一。
どう考えても、人数と密度がおかしい。
ことねはアイスケースの前で半ば呆然としていた。さっきまで「黒峰くんとちょっとだけ寄り道」という空気だったはずなのに、ましろが現れ、さらに朱莉と凛まで増えたせいで、もはやただの四班出張版みたいな様相になっている。
「……なんでこうなるかなあ」
ことねが小さくぼやく。
その声には、がっかりと、少しの照れと、少しの苛立ちが全部混ざっていた。
凛は飲み物棚の前でラベルを見ながら言う。
「夢咲さんが“コンビニ寄ろう”って言った時点で、こうなる可能性はあったでしょ」
「なんでそんな冷静なの朝霧さん」
「冷静じゃないとやってられないから」
その返し方がもうだいぶこの状況に慣れている人間のそれだった。
朱莉は特に何も言わず、店内の配置を一通り見たあと、自然な顔で恒一の二歩横へ収まる。これが一番怖い。わざとらしさがない分、「昔からこうだった」みたいな空気が出るからだ。
ましろはそんな全体の空気をあまり気にしないまま、カゴも持たずに恒一の近くへ来た。
「先輩、今日は疲労が糖分寄りですけど、塩分も少し入れたほうがいいです」
「さっきから俺の回復プラン勝手に組むのやめてくれる?」
「でも、たぶん甘いだけだとあとで眠くなります」
「説得力あるのが嫌なんだよな……」
ことねがアイスケースの扉に手をかけたまま振り返る。
「ましろちゃんって、黒峰くんの生活管理人みたいになってきてない?」
「そこまではしてません」
ましろは首を振った。
「でも、先輩が無理すると分かりやすいので」
その“分かりやすい”が、今やあまりにも多方面から言われすぎていて、恒一は反論する気力を失っていた。
コンビニの中でさえ、自分の状態や行動の癖が共有されていく。
普通の青春って何だったっけ。
◇
「で、何買うの?」
凛がペットボトルを一本手に取りながら聞いてくる。
その問いは一見すると何気ない。けれど、この場では何気なくないのがきつい。誰が何を買うか、誰がどの棚に向かうか、それだけで微妙に位置関係が変わる。
ことねはアイスケースを覗き込みながら言った。
「私はアイスかなあ……なんか今日すっごいバニラ気分」
「疲れてる時は分かりやすいよね」
凛が言う。
「夢咲さん、甘いほうに全振りするし」
「朝霧さん、そういうところだけ観察力あるのなんなの?」
「普通に見える」
さらっと返すな。
朱莉はスイーツ棚へ視線を向けながら、小さく呟く。
「私は飲み物だけでいいかな」
「火乃森さん、そういう時ちゃんと量調整するよね」
ことねが言うと、朱莉は少しだけ肩をすくめた。
「甘いの一個食べると夕飯に響くし」
「なんか急に生活感ある話になると安心するな」
恒一がついそう言うと、朱莉が一瞬だけこちらを見る。
「なにそれ」
「いや、普通っぽいなって」
「普通だけど」
その返しが妙に静かで、でも少しだけ柔らかかった。
その空気を、ことねが見逃すわけもない。
「あ、今ちょっといい感じに自然だった」
「夢咲さん、いちいち拾わないで」
凛が呆れたように言う。
だが凛自身も、さっきから恒一の動きをよく見ている。飲み物棚の前で何を手に取るか、甘いほうへ行くかしょっぱいほうへ行くか、そういう小さな選択を拾っている感じがあった。
「黒峰は?」
凛が改めて聞く。
「まだ決めてない」
「どうせ甘いのとしょっぱいの両方見るんでしょ」
「なんで分かる」
「顔」
またそれだ。
「先輩、今日は飲み物が先だと思います」
ましろが補足する。
「甘いものは、そのあと選ぶ顔です」
「選ぶ顔ってなんだよ……」
ことねが半分笑いながら言う。
「でもちょっと分かるかも。黒峰くん、先に飲み物持ってると安心してお菓子見るタイプっぽい」
「なんでみんな俺の購買導線を分析してるんだ」
「目の前でやってるから」
凛の一言が正しすぎて何も言えない。
◇
結局、恒一は飲み物棚の前へ移動した。
冷たい缶コーヒー、炭酸、スポーツドリンク、乳酸菌飲料、紅茶。整然と並んだラベルをぼんやり眺める。疲れている時ほど、選択肢が多い場所では逆に思考が止まる。
「先輩」
また声がした。
一瞬ひよりかと思って身構えたが、違った。しおんではない、ことねでもない。ひよりではなく、ましろでもなく――いや、ましろだった。
いつの間にか真横に来ている。
「びっくりした」
「すみません」
「いや、足音軽すぎるんだよ」
「先輩、今日はミルク系じゃなくて紅茶系です」
「予言か?」
「予測です」
しおんみたいなことを言い始めた。
「甘いのはあとで取るので、飲み物は少し落ち着いたもの選びます」
「なんでそんなに分かる」
「疲れ方がそうなので」
この子の中では全部理屈が通っているらしい。
ましろの視線の先を見ると、たしかに自分は無意識のうちにミルクティーやレモンティーの棚を見ていた。図星すぎて反論できない。
「……じゃあ、これにするか」
恒一がミルク控えめの紅茶を取ると、ましろは小さくうなずいた。
「やっぱり」
「当てて得意げになるのやめてくれ」
「うれしいだけです」
その言い方があまりにも素直で、逆に強い。
そこへ、ことねがアイスを二つ持って寄ってきた。
「黒峰くん、どっちがいいと思う?」
見せられたのは、定番のバニラバーと、期間限定の塩キャラメルモナカだった。
「俺に聞くのか」
「聞くよ。こういうの迷うし」
「甘いの全振りしたいならバニラじゃない?」
「だよねー……でも塩キャラメルも捨てがたいんだよなあ」
ことねが唇を尖らせて悩む。その表情がやけに自然で、恒一は少しだけ気が抜けた。
その瞬間、朱莉が言う。
「夢咲さん、それ絶対あとで“やっぱりこっちにすればよかった”って言うタイプでしょ」
「な、なんで分かるの!?」
「見てれば」
「最近みんなそればっかり!」
ことねが抗議しながらも笑う。
たぶん、こういう時間は本来もっと気楽なものなのだろう。誰が何を選んでも、そこに深い意味なんてない。ただの放課後の寄り道。アイスや飲み物を手に取って、少し笑って、帰るだけ。
それなのに今この場で“誰に意見を聞いたか”とか、“誰が横にいるか”とか、そういうことがじわじわ空気を変えてしまう。
甘いもの一つで、平和はだいたい壊れる。
でも、完全に壊れたままでもない。
その不安定さこそが、一番面倒だった。
◇
レジへ向かう流れになったのは、凛が「いつまでここで立ち話してるの」と言ったからだった。
その一言で、ことねが慌ててアイスを一つに絞り、朱莉が飲み物を取り、恒一も紅茶を持ったままレジへ歩き出す。ましろは最後まで「塩分系、ほんとは少し欲しいです」とか呟いていた。
そして、誰がどの順番でレジに並ぶかでもまた少し空気が揺れる。
ことねが「あ、先どうぞ」と恒一へ譲る。
朱莉が「別に一緒でいいでしょ」と当然みたいに言う。
凛は「早く並べば」と冷静だ。
ましろは少し後ろで静かに順番を待つ。
大したことではない。
本当に大したことではないのに、こういう小さな積み重ねが全部“距離感”として沈殿していく。
レジを済ませ、店の前へ出ると夕方の空気は少しだけひんやりしていた。
ことねはバニラバーの袋を開けながら、小さく言う。
「……なんか、思ってたのと違う」
「何が?」
恒一が聞くと、ことねはアイスを一口かじってから答えた。
「もっとこう、二人でちょっとだけ寄り道、みたいな感じ想像してた」
その言い方に、朱莉がわずかに視線を動かす。
凛は空を見た。
ましろは少しだけ首を傾げる。
恒一は、返答に少し迷った。
「……まあ、そうなりかけてはいたよな」
「うん」
「でも星ヶ峰だし」
「だよねえ……」
ことねは苦笑した。
それで全部説明できてしまうのが、ある意味で一番おかしい。
凛が缶を開けながら言う。
「でも、これで分かったでしょ」
「何が」
ことねが聞く。
「もう“ちょっとだけ二人で”って空気、簡単には作れないってこと」
凛の言い方は現実的で、少しだけ刺がある。
だが、たぶん正しい。
今の自分たちには、それぞれ“見られ方”がついてしまっている。
誰か一人と少し近くにいるだけで、そこに意味が生まれてしまう。
それはもう、個人の努力でどうにかなる範囲を越え始めているのかもしれない。
朱莉が静かに続けた。
「だからこそ、余計に考えるんでしょ。誰の隣にいるかとか、誰と何をするかとか」
ことねはそれを聞いて、少しだけ真顔になる。
「……うん」
ましろはストローをくわえながら、小さく言った。
「でも、先輩が楽しそうなら、いいと思います」
その言葉があまりにもまっすぐで、恒一は少しだけ目を瞬いた。
「俺、楽しそうだったか?」
「少し」
ましろはうなずく。
「最初よりは」
凛も視線をそらしたまま言った。
「まあ、ずっと嫌そうではなかった」
「その言い方、褒めてるのか?」
「半分」
「またそれか」
ことねが吹き出す。
朱莉も小さく息を漏らした。
たぶん、笑ったのだと思う。
コンビニの前。
バニラアイス一本。
紅茶一本。
ただそれだけで、空気は揺れて、壊れて、でも少しだけまとまる。
普通の青春は、やっぱり遠い。
でも、その遠さの中にいること自体を、もう完全には嫌だと思えなくなってきている自分がいる。
それがいいことなのか悪いことなのかは、まだ分からない。
ただ、少なくとも今日は、甘いもの一つで全部が台無しになったわけではなかった。
壊れた平和の上に、少しだけ笑いが残った。
今はたぶん、それで十分なのだろう。




