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共学化したばかりの元女子高で、普通の青春を送るはずだった俺が重すぎる彼女たちに囲まれている~男子希少種の俺だけがやたら観察されている件~  作者: 御上常陸介寛浩


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第20話 普通の青春を諦めるには、まだ少し早いけれど

月曜の放課後、黒峰恒一は校舎の窓に映る自分の顔を見て、小さく息を吐いた。


 春の夕方の光はやわらかい。西へ傾いた日差しが廊下の床を長く照らし、窓枠の影が規則正しく並んでいる。遠くからは運動部の掛け声、近くからは部活へ急ぐ足音。ごく普通の高校の、何でもない放課後だ。


 それなのに、胸の中だけがちっとも普通じゃない。


 今日一日だけでも、いろいろあった。


 四班の振り返り用紙を提出しに行けば皇玲華に捕まり、生徒会長らしい完璧な笑顔で、四班の空気をほとんど全部言い当てられた。

 ことねは、そのやり取りに巻き込まれて赤くなっていた。

 自分はと言えば、否定しようとするたびに、もう否定しきれないところまで来ていることだけが分かってしまった。


 ――黒峰くんの位置で空気変わるんです。

 ことねがそう言ったとき、玲華は“やっぱり”という顔で笑っていた。


 やっぱり、なのだ。

 自分が思っている以上に、周囲には見えている。

 誰がどこでどう近づいているか。

 誰がどんな顔でこちらを見るか。

 その全部が。


 普通の青春を送りたかっただけなのに、どうしてこんな観察対象みたいな立場になってしまったのだろう。


 恒一は苦笑して、廊下を歩き出した。


 今日もさっさと帰るつもりだった。

 誰とも長く話さず、寄り道もせず、静かに家へ戻る。

 少し頭を冷やして、明日からまた“何事もない顔”をするために。


 そう思っていたのに、人生はだいたい思った通りにはいかない。


     ◇


 教室へ戻ると、まだ何人かが残っていた。


 ことねは机に肘をついて、さっきまでの玲華とのやり取りを思い出しているのか、半分ぐったりした顔をしていた。

 凛は鞄を肩にかけるところで、こちらを見るでもなく気配だけを向けている。

 朱莉は窓際で静かにスマホを確認していたが、恒一が入ってくるとわずかに顔を上げた。

 しおんはノートを閉じ、ましろは何かをメモしている。

 いろはだけが、なぜか机の木目を見ていた。相変わらず、見ているものが少し違う。


 空気が自然に寄る。


 これがもう、今の“普通”なのだろう。


「……お疲れ、黒峰くん」


 最初に言ったのはことねだった。


「玲華先輩、やっぱ強かった?」


「強いっていうか……面白がられた」


「うわ、最悪」


 ことねが本気で顔をしかめる。


「しかも私まで巻き込まれたし。もうあの人、絶対これからも聞いてくるじゃん」


「俺もそう思う」


 玲華が簡単に飽きる相手なら、最初からああいう視線は向けてこない。むしろ今日、ことねの口から四班の実情が少し漏れたことで、余計に“面白い観察対象”として固定された気がする。


「まあ、会長ってそういう人だし」


 凛がようやく口を開く。


「でも、あの人がわざわざ聞くってことは、それだけ分かりやすいってことでもあるよ」


「そこを今、言わなくてよくない?」


 ことねが不満そうに言う。


 凛は肩をすくめる。


「現実だから」


 朱莉がそこで、小さく息を吐いた。


「でも、今日ので一個だけはっきりしたよね」


「何が?」


 恒一が聞くと、朱莉はまっすぐに言った。


「もう、見えてないふりはできないってこと」


 教室が少しだけ静かになった。


 その言葉は重かった。

 けれど、誰も否定しなかった。


 ことねは唇を尖らせつつも、頷く。


「……うん」


 凛は目を伏せる。


「そうだね」


 しおんはいつもの静かな声で言う。


「みんな、もう少しずつ分かってる」


 ましろは小さく首を傾げた。


「分かってる、というか……気づいてる、ですか?」


「近いかも」


 しおんがそう返す。


 いろははそのやり取りを聞きながら、ふっと笑った。


「自覚って、ちょっと遅れて来るよね」


「鳴瀬のそういう言い方、妙に腹立つな……」


 恒一が言うと、いろはは楽しそうに目を細めた。


「でも本当」


 たしかに本当だった。


 ここまで来てもなお、恒一はどこかで“まだ普通に戻れるかもしれない”と思っていた節がある。視線が集まるのも、距離感が少しおかしいのも、全部一時的なものかもしれないと。


 だが、もうそういう段階ではないらしい。


 誰かが一歩近づけば、他の誰かがそれを見ている。

 誰かの隣にいれば、その配置だけで空気が変わる。

 明るく笑っていても、静かに見ていても、全員が全員それぞれ違うやり方で距離を測っている。


 まだ“好き”だとか“付き合う”だとか、分かりやすい言葉は何一つ出ていない。

 それなのに、もう十分すぎるほど面倒で、もう十分すぎるほど逃げづらい。


     ◇


「ねえ」


 ことねが少しだけ身を乗り出してきた。


「黒峰くんさ」


「ん?」


「今、誰が一番近いと思ってる?」


 やめろ。

 いきなり何を聞くんだ。


 しかも、その場にいる全員が微妙に反応しているのが分かるから余計にまずい。

 凛はあからさまに呆れた顔をしたが、否定しない。

 朱莉は静かだ。

 しおんは視線を向けるだけ。

 ましろは小さく瞬きをし、いろはは面白そうに待っている。


「そういう質問、今するか?」


「だってちょっと気になったし……」


 ことねは言いながら、自分でも聞き方が危ないと思ったのか、少しだけ声を弱める。


「いや、別に“誰が好き”とかじゃなくて。単純に、今の感覚として」


 それでも十分危ない。


 恒一は数秒考えた。

 正直に答えるなら、全員違う意味で近い。

 そしてその“違う意味”をどう言葉にすれば、誰も傷つけず、誰にも変な期待を持たせずに済むのかが分からない。


「……質問が雑すぎる」


 結局、そう返すしかなかった。


 ことねが「うっ」と詰まる。

 凛が横から助け船とも追撃ともつかない声を出す。


「答えにくいに決まってるでしょ」


「だよね……」


 ことねがしょんぼりする。


 その空気を見て、朱莉が静かに言った。


「でも、たぶんそれが答えなんじゃない?」


「何が」


「“答えにくい”ってこと」


 朱莉のその一言は、変にしっくりきた。


 そうだ。

 今の自分にとって、この関係たちはまだ“選ぶ”とか“決める”とか、そういうものではない。

 近い。

 みんな近い。

 ただ、その近さの種類が違いすぎて、一列に並べること自体ができないのだ。


 ことねは作品の話が通じる相手として近い。

 しおんは静かなまま状態を見抜く相手として近い。

 朱莉は昔からの記憶ごと今へ踏み込んでくる相手として近い。

 凛はちゃんとやる自分を認めてくれる相手として近い。

 ましろは日常のペースへ入り込んでくる相手として近い。

 いろはは欠点すら見つめてくる相手として近い。

 ひよりは“変なものを一緒に食べられる”という、妙に具体的な未来を示してきた相手として近い。

 玲華はそこにいるわけではないが、外から全部を面白がる位置で近い。


 面倒だ。

 ものすごく面倒だ。

 だが、その面倒くささがもう完全に自分の日常へ食い込んでいる。


「……まだ、よく分かんない」


 恒一はやっと、それだけ言った。


 誰か一人を指すのではなく、今の自分の状態をそのまま出すしかなかった。


「普通にしたいのは本当なんだけど、でももう“普通”って何だっけって感じにもなってるし」


 ことねが小さく笑う。


「それ、ちょっと分かる」


 凛も、珍しく否定しなかった。


「まあ、今さら元の位置には戻れないでしょ」


 朱莉は黙っていたが、表情は少しだけやわらいでいた。

 しおんは静かに頷く。

 ましろは「先輩、考え込みすぎると甘いものほしくなりますよね」といつもの方向で寄ってくる。

 いろはは「分からないまま揺れてる顔、いま結構いい」と言う。


「鳴瀬だけは最後まで鳴瀬だな」


「うん」


 その返事があまりにも素直で、恒一は少しだけ笑ってしまった。


     ◇


 教室の空気は、そこで少しだけ和らいだ。


 誰も答えを持っていない。

 誰も決定的なことを言わない。

 けれど、全員が少しずつ相手の輪郭だけは知り始めている。


 たぶん今は、それで十分なのだろう。


 ことねが立ち上がり、鞄を肩にかける。


「じゃあ、帰ろっか」


「うん」


 恒一も立ち上がる。


 そのときだった。


 教室の後ろの扉が、ひょいと開いた。


「先輩」


 このタイミングで来るのか。


 視線が一斉にそちらへ向く。


 立っていたのは、毒島ひよりだった。


 今日も控えめで可愛らしい見た目をしているのに、手元に持っているものがだいぶおかしい。透明な小袋に入った、薄いせんべいのようなもの。パッケージには、やけに小さく、しかし確かに書いてある。


 試作・コオロギパウダー入り薄焼きせんべい


 やめてくれ。

 新章の火種として完璧すぎる。


 ひよりはみんなの視線などあまり気にした様子もなく、まっすぐ恒一を見た。


「これ、一緒にいけますか?」


 教室の空気が、またしても静かに止まった。


 ことねが「出た……」という顔をし、凛が目を細め、朱莉は無言になる。しおんはじっと見ている。ましろは“甘いものじゃなくてしょっぱい加工系の日ですね”みたいなことを今にも言いそうだ。いろはだけが、いかにも楽しそうだった。


 恒一は、その小袋を見つめた。


 コオロギパウダー入り試作せんべい。

 意味は分かる。

 理解はできる。

 でも、普通の高校生活の延長線上にはたぶん無い。


 それなのに、目の前のひよりは真剣で、嘘がなくて、純粋に「一緒にどうですか」と聞いている。


 普通の青春を諦めるには、まだ少し早い。

 早い、はずなのだ。


 けれど、その“普通”の定義そのものが、もう自分の中でだいぶ揺らいでいることも分かってしまっていた。


 ひよりの問いのあと、数秒ぶんの沈黙が落ちる。


 その沈黙の中で、恒一は思った。


 たぶん、自分はまだ誰かを選ぶ段階にはいない。

 でも、もう“何も始まっていない”とも言えない。

 そういう場所まで来てしまったのだ。


 夕日が教室へ差し込み、机の上の影を長く引き伸ばしていく。

 春の光の中で、ヒロインたちの視線がそれぞれ違う温度を帯びたまま交差していた。


 その真ん中で、黒峰恒一は、小さく息を吐く。


 普通の青春を諦めるには、まだ少し早い。

 けれど、普通の青春だけを信じるには、もう遅すぎるのかもしれなかった。

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