第12話 変なものを食べる子は、だいたい目が本気
放課後の購買部は、昼休みとは少し違う賑わい方をしていた。
部活前に軽く腹へ入れておきたい生徒、帰宅前に甘いものを買い足す生徒、友達と一緒に新作のパンや飲み物を物色する生徒。白い蛍光灯の下で、色とりどりのパッケージが並ぶ棚のあいだを制服姿が行き交っている。レジの向こうでは、購買のおばちゃんが慣れた手つきでパンを袋へ入れ、小銭のやり取りをしていた。
黒峰恒一は、その購買の入口で少しだけ立ち止まっていた。
疲れていた。
肉体的というより、精神的にだ。
班行動前日というだけで、朝から何度も「明日どうする」「どこ座る」「誰が何する」みたいな空気の中心へ引っ張られた。普通の高校生活がしたいだけの男子高校生に対して、求められている事前調整の密度が高すぎる。
ことねは平和を祈っていた。
凛は無駄のない進行を前提にしていた。
朱莉は自然に仕切る気でいた。
しおんは静かに全体を見ていた。
ましろは当然のように自分の歩調へ合わせるつもりだった。
いろはは困る顔を見る前提で楽しみにしていた。
そして、自分だけがまだ「普通に何事もなく終われないかな」と往生際の悪い期待を捨てきれずにいる。
「……何か甘いもんでも買うか」
小さく呟いて中へ入る。
飲み物コーナーへ向かいかけたところで、視界の端に妙な引っかかりを感じた。
カップ麺の棚の前。
一人の女子生徒が立っている。
小柄で、ふわっとしたボブヘア。肩にかかる髪は柔らかそうで、全体にどこか静かで、図書委員とか理科室の準備をしていそうな雰囲気がある。大人しそう、と言ってもいい。少なくとも第一印象だけなら、“変わったことを言い出しそうな子”には見えなかった。
けれど、その目だけが違った。
棚の上段に並ぶ限定カップ麺を、異様な真剣さで見ている。
見つめているというより、観察している。
パッケージの違い、印字された文字列、製造番号の並びまで見逃さない研究者みたいな目だ。
彼女が手にしているのは、購買の新商品らしい派手な赤いカップ麺だった。
謎肉激盛り限定MAX
文字だけでだいぶ頭が悪い。
だが、それ以上に、その女子の真剣さがすごかった。
「……第三ロット」
彼女は小さくそう呟いた。
恒一は思わず足を止める。
第三ロット?
工場のライン管理でもしているのか。
女子生徒はカップ麺を少し傾け、側面の細かい表示へ目を走らせた。
そして、ほとんど感動に近い声で言う。
「香料、変わってる……」
やばい。
これはたぶん、新しいタイプだ。
星ヶ峰に入ってから恒一は学んでいた。
第一印象で“普通そう”に見える女子ほど、だいたいどこかが普通ではない。
そして、そういう相手に限って自分の生活圏へ自然に入り込んでくる。
見なかったことにして飲み物コーナーへ逃げるべきか。
そう思った、そのときだった。
彼女が、すっと顔を上げた。
目が合う。
そして数秒の沈黙のあと、彼女は恒一の手元を見た。恒一がなんとなく持ち上げたままにしていた別の限定カップ麺――同じシリーズの通常盛り版へ、視線が止まる。
「……それ」
声は静かだった。
静かなのに、熱量だけは妙にある。
「その通常版、取るんですか」
聞き方は丁寧だ。
だが、語尾に“それでいいのか”みたいな圧が少しだけ混じっていた。
「え、ああ……まあ」
恒一が曖昧に返すと、彼女は一歩だけ近づいた。
「それ、第三ロットなので前より香料の角が取れてます」
「……はい?」
意味が分からない。
いや、言葉の意味自体は分かる。
だが、どうして高校生の女子が限定カップ麺に対してそんな評価軸を持っているのかが分からない。
彼女はそこでようやく自分が初対面であることを思い出したらしく、ほんの少しだけ首を下げた。
「すみません。急に」
「いや、ほんとに急だな」
「でも、大事なので」
即答だった。
しかも真顔である。
「前のロットは、もっとこう……香料が立ちすぎてて、謎肉の油脂感と喧嘩してたんです。でもこれは、そこが少しだけ丸くなってるので、たぶん前より食べやすいです」
食レポの方向性が怖い。
恒一は手にしたカップ麺と彼女の顔を見比べた。
「……詳しすぎないか」
「好きなんです」
その返事に迷いはなかった。
「こういうの」
「こういうの、って」
「謎肉とか、代替肉とか、加工食品とか、保存食とか、珍味とか」
言いながら、彼女の目が少しずつ強くなっていく。
静かな声のままなのに、話題へ入った瞬間だけ輪郭がはっきりする感じだ。
「昆虫食も好きです」
最後の一言で、恒一は少しだけ引きつった。
「昆虫食」
「はい」
彼女はあっさりとうなずいた。
「コオロギは粉末より、原型に近いスナックのほうが香ばしさが分かるので好きです。あと蚕蛹は味より食感の個体差が面白いです」
「ちょっと待って、情報の密度がすごい」
「だめですか?」
「だめじゃないけど、まだ追いついてない」
すると彼女は少しだけ瞬きをしたあと、「なるほど」とでも言いたげに小さくうなずいた。
「自己紹介がまだでした」
そこからなのか。
「一年C組、毒島ひよりです」
毒島ひより。
名前まで妙に強い。
「黒峰恒一」
「知ってます」
まただ。
もう慣れてきたとはいえ、やはり微妙に心が削られる。
「男子が少ないので」
彼女――毒島ひよりは、ほとんど補足のテンプレートみたいな口調でそう言った。
「それに、購買で新商品を見るとき、ちょっと立ち止まるので分かりやすいです」
「……見られてたのか」
「はい」
はい、じゃないんだよな。
だがひよりは、悪びれもなく続けた。
「先輩、そういうの興味ありますよね」
「何が」
「見慣れない食べ物」
恒一は少しだけ考えてから答えた。
「いや……興味があるっていうか、完全に避けるほどではない、くらいだな」
「先入観で切らない?」
「まあ、食えば意外とうまい時あるよな、こういうのって」
その瞬間だった。
毒島ひよりの目の色が、はっきり変わった。
大げさな比喩ではない。
それまで静かに灯っていたものが、一気に芯を持った感じだった。
瞳が少しだけ見開かれ、次の瞬間には何かを見つけた人の顔になっている。
「……今の」
「え?」
「かなりいいです」
「何が」
「その“食えば意外とうまい時ある”って感想」
ひよりは一歩だけ距離を詰めた。
声は相変わらず静かだ。
けれど、その静かさの奥にある熱量がもう隠しきれていない。
「見た目とか名前で切らない人、少ないので」
「そうなのか」
「少ないです。だいたい最初に“うわ”って言います」
「まあ、それは分かるけど」
「でも、それって損なんですよ」
ひよりは持っていた激盛り版のカップ麺をそっと持ち上げる。
「“謎肉”って名前の時点で、すでにロマンがあるじゃないですか」
「ロマン……?」
「正体が分からないのに、うまくなるように作られてるんですよ」
言われてみれば、理屈としては分からなくもない。
だが、その情熱の向け先がやっぱりだいぶ独特だ。
「先入観って、だいたい一口目で壊れます」
ひよりは真顔で言った。
「特にこういう、見た目でちょっと引かれる食べ物は」
「引かれる前提なんだな」
「はい」
そこを否定しない潔さがすごい。
恒一は思わず少し笑ってしまった。
変だ。
かなり変だ。
でも、ここまで真正面から変食愛を語られると、逆に変な説得力がある。
ひよりはその笑い方を見て、また目を細めた。
「先輩」
「ん?」
「今の顔、だいぶ理解者候補です」
「候補って何のだよ」
「変なものを一緒に食べられる人の」
それは、なかなか強いカテゴリだった。
購買の蛍光灯の下で、ひよりは見た目の可愛らしさとは裏腹に、かなり危険なことをさらっと言う。だがその言葉には妙な軽さがなかった。たぶん本気だ。本気で「一緒に変なものを食べられるかどうか」を人間関係の重要な基準にしている。
「……毒島って、いつもそういうの食べてるのか」
「いつも、ではないです」
ひよりは少しだけ首を振った。
「でも、新しいものとか、見た目で避けられがちなものは試したいです」
「昆虫食も?」
「はい」
「謎肉も?」
「大好きです」
「代替肉も?」
「かなり」
即答、即答、即答。
ここまで迷いがないと、もう清々しい。
「なんでそこまで好きなんだ」
恒一が素直に聞くと、ひよりはほんの少しだけ考えた。
「食感です」
「食感」
「味も大事ですけど、それより“何が口の中でどう崩れるか”のほうが気になります」
また独特な方向から来た。
「さくって割れるのか、ぷちって弾けるのか、ねとっと残るのか、じゅわっと油が出るのか」
言いながら、彼女の目が本当に楽しそうになる。
「見た目が普通じゃないものほど、食感の裏切りがあるんです」
その理屈は、たぶん大半の人には伝わらない。
だが、ひよりの中では完全に一本筋が通っているのだろう。
「だから、見た目や名前だけで切る人はもったいないです」
「……なるほど」
完全には理解しきれない。
けれど、言いたいことの輪郭は分かってきた。
ひよりは視線を恒一の手元のカップ麺へ落とす。
「先輩、それ買うなら」
「うん」
「お湯入れてから三分きっかりより、二分四十秒くらいがいいです」
「なんでそんな細かいんだよ」
「麺の戻りより、謎肉の表面の残り方がちょうどいいので」
完全にレビューサイトの人間である。
恒一は笑いをこらえきれず、小さく息を漏らした。
「……そこまで言われると、ちょっと試したくなるな」
その一言に、ひよりの表情がまた変わる。
今度は、静かな喜びがそのまま出た顔だった。
「やっぱり」
「何が」
「先輩、偏見少ないですね」
ひよりはカップ麺を胸元で抱えるみたいに持ち直し、真顔で言った。
「かなり危ないです」
「危ないって褒めてるのか?」
「最上級で」
どこかで聞いたような言い回しだ。
この学校、本当に“危ない”を褒め言葉にしがちな女子が多い。
ひよりはレジのほうへ向かいかけて、ふと立ち止まった。
「先輩」
「ん?」
「また変なもの見つけたら、教えてください」
「なんで俺が情報提供係みたいになってるんだ」
「理解者候補なので」
「まだ候補なんだな」
「候補です」
そこは律儀らしい。
ひよりはほんの少しだけ口元を緩めた。
「でも、かなり有望です」
それだけ言って、彼女はレジへ向かった。
小柄な背中が人の流れの中へ消えていく。
見た目は大人しそうで可愛い。
なのに、話してみたら昆虫食と謎肉と食感を愛する変食オタク。
しかも、自分の“偏見の少なさ”を危険視してきた。
恒一は手にしたカップ麺を見下ろし、遅れて深いため息をついた。
「……また増えたな」
何がとは言わない。
言わなくても分かる。
星ヶ峰学園における“面倒な縁”が、また一つ増えたのだ。
しかも今度の相手は、食べ物という日常の隙間から自然に入り込んでくるタイプかもしれない。
それが一番厄介だ。
購買前の白い光の中で、恒一はようやく自分の飲み物を買うことを思い出した。だがその頃には、頭の中はもう完全に毒島ひよりのことで埋まり始めていた。
――先輩、偏見少ないですね。かなり危ないです。
その言葉の意味を、恒一はまだ半分くらいしか理解していなかった。
けれど、理解したころにはきっと、もう少しだけ深いところまで巻き込まれているのだろうという予感だけは、嫌になるほどはっきりしていた。




