果実と羞恥と黒い影
(――もうちょっと、どうにかならないものでしょうか…)
セシルは、青年の背中に向かって静かに抗議する。
現在セシルは、先ほど出会った青年によって担いで運ばれている。
ただ、重たい荷物のような扱いに、多少の不満が出てきた。
今の所、こちらに敵意や害意はないようで、少し気持ちも落ち着いてきた。
そうして次に気になったのが現在の状況だ。
(――樽じゃないんですから、もう少し丁寧に運んで欲しいものです…)
厚かましくもそう思いながら、ただ青年の細腕に、姫のように抱えてくれと言うのは酷だろう。
だがせめて背中におぶってくれるくらいは許されないだろうか?
肩に担がれて、前も見えない。
そして肉が薄く、骨ばった肩や腕が、セシルの柔らかい肌に容赦なく食い込む。
正直、すごく痛い。
それに道も平坦ではないし、乱暴な歩調に気分も悪くなってきた。
耐えかねたセシルは、恐る恐る提案を試みる。
「――あのー、もしよければ、もう少し普通に運んでいただけないでしょうか……。」
セシルの言葉に青年は立ち止まり、無機質な声で返す。
「――普通とは、なんだ?」
青年の声には感情が一切感じられない。セシルは青年の気に触れたと思い、慌てて訂正する。
「ああ、違うんです!違うんです!荷物みたいな扱いに不満があるとか、腕が食い込んですごく痛いとか、せめておんぶがいいとかそう言うのじゃなくてですね……」
……全部出てしまった。
「そうか」
短くそう言うと青年は、少々雑にセシルを下ろし、地面に座らせる。
ぺたんと尻をついて、呆然とするセシルは、置いていかれると思うと、はっとして、両手で宙を掻く。
「ああ、ごめんなさい。ごめんなさい。何でもいいですから!こんなところに置いていかないでください!」
慌てて謝罪するが、青年は立ち去るわけではなく、しゃがみ込み、こちらに背を向けている。
「――どうした?乗れ。」
「……へ?」
状況がわからず動けないセシル。
痺れを切らした青年はセシルの腕を掴んで自分の首へ回し、勢いよく立ち上がる。
きゃ、という短い悲鳴も気にせず、青年はセシルの足を抱えて背負い直す。
しばし呆然としていたが、青年が自分の気持ちを汲んでくれたことが、セシルには意外だった。
そして背負われていると、抱えられた足や、さして大きくもない胸が密着してることを意識してしまう。
自ら望んだ状況に文句はないが、これはこれで居心地が悪い。
先ほどまでは驚くほど冷たく、硬直した体だったのに、今は密着した背中や腕からは確かな体温を感じられる。
セシルは気恥ずかしさを振り払うように、青年に話しかける。
「――どこへ、向かっているんですか?」
青年はセシルの急な問いかけにも、動じた様子はない。
少し間があってから、青年は返答する。
「――目的地があるわけではない。魔物を探している。」
「――魔物、ですか。一体どんな魔物なんですか?」
言いながらセシルは、嫌な予感が胸をよぎる。
「――蜘蛛だ。でかいやつだ」
当たってほしくないセシルの予感は見事的中した。
おそらくは、宿屋の店主が言っていたあれだろう。フィアーだ。
「だか、その前に少し休む。それにお前を連れたままでは戦えない」
青年はセシルを文字通りお荷物である、と臆面もなく言い放つ。
セシルは申し訳ない気持ちになり、か細い声で、――すみません。と俯く。
「――あ、でも休むのでしたら、いい場所があります。私が野営していた場所なんですが。荷物もそこにありますし…。」
「――どちらだ?」
青年は立ち止まり、尋ねる。
「あっちです。そこに小川があって、下流に向かっていくとすぐです」
「わかった。向かおう」
そう言うと青年は進行方向を変えて、再びセシルを背負い直し、歩き出した。
――――――
2人が野営地に着いた時には、セシルの抜けた腰も正常に戻っていた。
本当は少し前から歩けそうだったが、言い出すタイミングを掴めず、結局野営地まで運ばせてしまった。
運ばせてしまった手前、到着してすぐに動き回るのも気が引けて、現在は天幕の側に座らされている。
そして目の前にはこちらをジロジロと観察する黒髪の青年。
「――あの、なんでしょうか?」
「怪我は?痛む場所はあるか?」
――あ、心配してくれるんですね。
青年の声からは微塵もそんな気配は感じないが、そう思うことにした。
そうしてセシルは全身を確認する。
腕や足、肌が露出していた部分に、切り傷擦り傷が多数。服の内側はトレントに締め付けられた痣がくっきりと残っている。
「血は止まっていますし、骨は折れていません。これくらいなら平気です」
「ならいい」
セシルは青年に対して、まだ多少の警戒は残しているものの、助けられて、ここまで運んでくれた。
そんな彼が今更セシルに、何かするつもりなどないことは分かりきっていた。
「――あの、ヴェルさん、でしたよね?」
「ああ」
「ヴェルさんは、私を助けてくれたんでしょうか?もしそうだとしたら、私とても失礼なことを……」
「――いや、いい。いつものことだ。」
「――でも!命の恩人に、私、剣まで向けて……」
言葉にしてみると、申し訳なさと恥ずかしさが込み上げてくる。
「――とにかく、お前が死んでいないのならいい」
セシルの言葉を遮るように短く言い放つと、ヴェルは背負っていた皮袋の中身を漁る。
そして一本の瓶を取り出して、セシルに差し出す。
「――これは?」
「ポーションだ、飲め」
ポーション。冒険者なら喉から手が出るほど欲しい高級品だ。マジックポーション、スタミナポーション、ヒールポーション。用途に応じて使い分けるものだが、銅級冒険者のセシルには、どれも縁のないものである。
目の前の男は、それをくれると言うのか。
――だか、突き出した瓶をヴェルは不意に引っ込めた。
(――え、ひどい……)
セシルは迎えた手のやり場がなくなり、意地悪をされた子供のように、涙が出そうになる。
だがヴェルは意地悪をしたわけではなく、瓶に違和感を感じたようだった。
蓋を開けて、中を覗き込む。そして何を思ったか、瓶を逆さまにしてしまう。
「ああ、そんなもったいな……」
言い終わる前に、セシルにもわかった。
――瓶の中身は空になっていた。
「――ヒビが入っていたようだ。中身が溢れている。」
言われてみれば、皮袋の底に水が染みたような跡が残っている。
セシルを助ける際に割れたのだろう。
重ね重ね申し訳ない気持ちになる。
ヴェルは今にも泣き出しそうなセシルには目もくれず、再び皮袋を漁り、思い出したかのように何かを取り出した。
(――あ、それって、さっきの)
ヴェルが取り出したのは、先ほどのトレントから実った真っ赤な果実だった。
「――食え」
「――えっ?」
差し出される果実。
見た目は美味しそうだが、そういうことではない。
「――でもそれ、魔物から出たやつですし、ど、毒とかあるんじゃ……」
「ない」
え、でも……とセシルがもじもじと受け取れないでいると、ヴェルは小さくため息を吐いて、果実に小さく齧り付く。
(――うわぁ、すごく美味しくなさそう……)
これまでヴェルは一切表情が変わることはなかったが、その果実に口をつけたとき、ほんの僅かにだが嫌そうな顔をした。
その僅かな表情の変化こそが、逆にその果実の不味さを物語っているようだった。
ヴェルは果実を飲み込み、一瞬間を置いて深く息を吐いた。
そして果実をセシルに向かって放り投げると、2、3度手の中で跳ねてから、セシルの胸の前に着地した。
セシルは両手で握った果実とヴェルを交互に見て、不安を露わにする。
「――毒はない」
そうは言うが、先ほど死んで蘇った人間から言われても説得力などない。
だが、手にとってみれば、その不安は消えていく。
香りは芳醇で、今まで見てきたどの果実とも違う香りがする。
さらには良く観察してみると、赤い果実は半透明で透き通っている。
果実を通して向こう側が見えるほどだ。
さらに太陽にかざしてみれば、その実は黄金のように光り輝き、神秘的で幻想的で、とてもこの世のものとは思えない。
そんなものに、毒などあるはずがない。
ましてや不味いなどと、どうやっても想像できそうにない。
気づけば、セシルは果実に齧り付いていた。
柔らかく歯を押し返す弾力。
咀嚼するたびに口の中で弾ける果肉。
喉を通るその時まで、口の中に残り続ける強烈な甘さ。
そして訪れる、嚥下した後の喪失感。
身体が次の一口を切望する。
先ほど彼はこれを食べて、あんな嫌そうな顔をしたのか?
セシルは先ほどとは全く違う意味で、果実とヴェルを交互に見つめる。
「――これっ!本当に美味しいです!」
「そうか」
「ヴェルさん、これ、本当に全部もらっていいんですか!?」
言いながらセシルは、誰にも渡さんとばかりに、果実を抱きしめている。
「ああ、構わない」
セシルは信じられないとという表情でヴェルを見て、それでいて食べるのをやめるつもりはない。
ヴェルの方はすでに興味を失ったようで、小川の方へと歩いていく。
それを眺めながら、セシルはなおも齧り付く。
そして不意に全身に、痛みとも痒みともつかない感覚が駆け巡る。
安らぎとも違う心地よさだ。
そして、体の底から魔力が溢れ出る感覚に、まるで自分がふわふわと宙に浮いているかのような錯覚に陥る。
「えっ?えっ?なに?」
突然の出来事に、何が何だかわからず軽くパニックになっていると、ヴェルが戻ってきて、セシルの手にそっと触れる。
セシルは一瞬びくりと緊張すると、触れられた手が熱を持ち、なぜだがわからない羞恥の感情に飲み込まれる。
感覚が鋭敏になっており、触れられた手にむずがゆいような心地よさを覚えて、思わず顔を赤らめる。
「――問題ない、じきに収まる」
ヴェルはそれだけ言うと、また小川の方へ歩いて行ってしまう。
(ふぇぇーーー……。)
――残されたセシルは彼に触れられた手を胸に抱き、羞恥の熱が引くまで、うずくまって悶え続けるのだった。
――――――
――迂闊だ。
現在の状況を端的に表せば、迂闊、その一言に尽きる。
目を覚ましたセシルは、音を立てないように周囲を観察する。
――こんな状況で、眠ってしまうなんて…。
今セシルは寝床に横になり、毛布までかけられている。
夏が近いとはいえ、森の中は涼しく、ひんやりとした風が吹いている。
そして視線の先には、件の青年、ヴェルもいる。
目の前には、セシルが起こした焚き火の炎が、今まさに消え入ろうとしている。
ついさっきまで、薪がくべられていたのだろう。
(――ヴェルさんも、眠っているようですね)
直前までは、見張りをしてくれていたのだろうが、現在は静かな寝息が聞こえる。
それもそうだ、彼とて、魔物に襲われ、そしてセシルをここまで担いできたのだ、疲労がないわけがない。
ぐーすか眠っていたセシルに、彼を責める権利などあるはずもない。
(それにしたって、さっき会ったばかりの男の人の前で眠るなんて……うぅ)
セシルが冒険者になってから2年ほど。
当初こそ色んな失敗をした。
だが、ここまで油断しきった自分など、どこを探しても見当たらない。
思えば、あの果実を食べてから、セシルの様子はだいぶおかしかった。
返事のないヴェルにしきりに話しかけて、しまいには拗ねて不貞寝するなんて。自分の行動が信じられない。
――あの果実、味こそ至高のものだったが、気分を高揚させるアルコールのようなものが含まれていたのだろうか?
なんにせよ、恥ずべき失態だ。
ただ、幸いに彼は寝込みの女を襲う趣味はなかったようで、何事もなく目を覚ますことができた。
そして気になったのが、自らの有様だ。
服はボロボロで、顔も体も土まみれだ。
よくこの状態で眠れたものだと、またしてもセシルは過去の自分を呪う。
セシルは静かに起き上がり、音を立てないように小川へ向かって歩き出す。
現在陽は傾いているが、夜にはまだ時間がある。
静かに水面を覗き込み、己の顔を確認してまた絶望する。
少々顔を洗ったくらいではどうにもならない状態だった。
セシルはヴェルの方を向き、起きる気配がないのを確認して、服を脱ぎ出す。
ボロボロの服は後で着替えるとして、下着姿になり、水の中へゆっくり歩いていく。
腰の深さまで歩いていくと、そこから一気に水の中へ潜る。
セシルの髪に塗られた灰色の香油が溶けて、広がっていく。
そのまま土や乾いた血を洗い流し、全身の汚れを落とす。
そして再び水面へと顔を出す。
琥珀色の陽光に、透き通る銀色の髪が、飛沫を散らす。
見る者が見れば、さぞ幻想的な光景だろう。
絵画にでも残して、飾っておきたいほどに。
――ただし、それを見ているのが、感情の欠落した無感動で無表情の男でなければ、だ。
「…………。」
「……………………。」
流石のセシルも、羞恥のあまり悲鳴を上げるなどという愚は犯さなかった。
口をぱくぱくと開けては閉じて、何を言えばいいのかわからない。
ただひたすらに視線だけが交わり続ける。
せめてヴェルの方から、何かしらの行動を起こしてくれないか、というセシルのささやかな願いは、叶うことはなかった。
「――あの、は、恥ずかしいので、向こうを向いていてもらえませんか……?」
「わかった」
ヴェルは短い返事と共に、セシルの言葉に従う。
セシルはいそいそと川から上がり、布で体を拭い、急いで着替える。
せっかく冷水で清めた身体が、今にも沸騰しそうなほどに、羞恥で赤くなっていた。
「……もう、大丈夫です」
「そうか」
こちらに向き直るヴェルの顔は、殴りたくなるほどに無表情だった。
「――すみません。お見苦しいものを…。」
もう感情がいっぱいいっぱいのなか、それだけを口にすると、
「構わない」
これである。
セシルは硬く握った拳を静かに下ろし、何か話題はないかと、視線を彷徨わせる。
結局話題は見つからないまま、どうしようもない情けなさだけが胸に渦巻く。
するとヴェルは急に立ち上がり、足早にこちらへと向かってくる。
驚いて後づさるセシルの腕を強引に掴むと、力任せにに引っ張る。
「立て、こちらだ」
そのまま小川へ飛び込み、対岸まで走って渡る。
そして先ほどまでセシルたちがいた場所を振り返る。
何が何だかわからないセシルは、とりあえずヴェルの後ろへと隠れ、様子を伺う。
そしてすぐに、それは来た。
無数の黒い影が地面を覆うように現れた。
それは次の瞬間セシルの荷物と天幕を音もなく飲み込んでいく。
「――あれか」
ヴェルの言葉にセシルは、ついに出会ったしまったと悟る。
夥しい数の蜘蛛の群れ。
そしてその奥に、八つの眼光が光る。
――恐怖の怪物、死糸を織る者に
改行が少なく、少々読みづらいかもしれません。
以後改善します。




