何でも屋と情報屋
何でも屋の青年ヴェルは目を覚ました。
それと同時に、今まで静止していた心臓も思い出したかのように鼓動を始めた。
時刻は、正午過ぎのようだ。
いつもより目覚める時間が、かなり遅い。
そこで青年は気づく。
――また、死んでいたか。
思い返せば、ここ数日は水を飲んでいなかった。
食事はもともとあまり取らない。
それでも奴に、水だけはたまに飲め、と言われていたのだが。
深く息を吐き、体を起こす。現状を確認する。昨夜の記憶が少々曖昧だが、特に変わった様子はない。
今まで横になっていたのはベッド――ではなく応接室に置いてあるソファの上。
寝る場所にこだわったことはないため、昨夜はここで眠ったのだろう。
ぼやける頭は思考を放棄し、ぼんやりと虚空を眺め、ただ無為に時間を浪費していく。
どれくらいそうしていただろうか。
しばしの後、少々乱暴なノックの音が青年の鼓膜を震わす。
虚空に溶けていた思考が、現実に引き戻される。
ノックの後、こちらの返事も待たずに――返事をするつもりも特にないが――1人の男がドアを開けて入ってきた。
「――よう、起きてるか?」
部屋に入ってくるのは、赤い鱗に覆われ、牙を剥き出しにした大男。蜥蜴男だ。
相変わらずのにやけ面で、ずかずかと無遠慮にヴェルの元へとやってきては、どかりと正面に腰を下ろす。
「お前か、ロック」
ここを訪れる者はそう多くはない。せいぜいこの蜥蜴男とたまに厄介ごとを持ってくるあいつくらいだ。
「――鍵くらいかけろよ、この阿呆。何のために付けてんだ。ったく」
ロックと呼ばれた蜥蜴男は、言葉も態度も非常に悪いが、まぁ言ってることだけは至極まともだ。
「盗られて困るもんは…ねぇのかもしれねぇが、盗人にタダでくれてやることはねぇだろ」
「興味がない」
ロックの言葉に、絞り出すように返事をする。喉が張り付いていて、少々声が出しづらい。
「ああ?――テメェ、また死んでたろ?水を飲め、水を!そうすりゃ多少は長く動けるってのに、ったく」
言いながらロックは立ち上がり、水を汲んでくる。鋭い爪の生えた無骨な手で、器用なものだ。
悪態をつきながら、ヴェルの前に水の入ったコップを置き、顎をしゃくる。飲め、と。
「――テメェは無表情のくせにわかりやすい奴だな。水飲むくれぇでそんな嫌そうにすんな」
ヴェルとしては、何とも思っていなかったが、奴はそう受け取ったらしい。構わず水を飲む。喉を通り、体の底へ落ちいく感覚に、何の感慨もない。
「水を飲んでも、いずれ排泄される。――何の意味がある」
「――意味ってお前…。そういうのじゃねんだよ、人間ってのはなぁ……あぁ〜もういいや、仕事の話だ」
一連のやり取りは、毎度のこと。ロックにとってはあいさつみたいなものだ。ヴェルにあれこれ指図はすれど、強制はしない。
手でひらひらと、どうでもいい話題を振り払って、ロックは仕事の話を始める。
「依頼だ。今回はお前にくる依頼にしちゃあ珍しく、討伐任務だ」
「――討伐…何をだ?」
ヴェルが何でも屋を始めて数年。
文字通り何でもやってきたため、討伐依頼も何度か受けた。だが結果は決して芳しくなかったはずだ。
それゆえにここ最近は討伐依頼はなく、調査、採集の依頼が多かった。
「――魔物だ。まだ確かなことは言えねぇが、おそらくフィアー級だ。ギルドの方も動いてる。情報源が曖昧だからな、まだ正式な討伐要請は出ていない、が」
「――そうか」
ヴェルには難しいことはわからない。ことの重大さも理解できない。だが目の前の蜥蜴男は、このことを重く捉えているようだ。いずれギルドから正式な依頼が来ることは予想がついている。だから先んじて行け、と。
「わかった。――それで、どこへ行けばいい?」
「異界の森だ」
「――あそこか。前に一度行ったことがあるな」
「――そうだ、前の依頼は遺跡の調査だったか、結局辿り着けなかったうえに、護衛のパーティも半壊した。依頼主は諦めてねぇようだから、近々まだ依頼されるだろうが…それはまぁいい。前みたいに、そこまで深く入る必要はねぇ」
ロックは地図を取り出し、森の入り口付近にバツ印をつけ、そこを指差す。
「場所の見当はついてる。森の入り口まではうちの奴らに送らせる。あとは魔力が澱んでいる場所を探して、叩け」
「――俺に殺せるのか?戦闘は不向きだ」
「あーその辺は気にすんな、万が一討伐できれば御の字だ。できなかったら情報を持ち帰れ、それでいい」
この男はヴェルが1人で勝てるとは微塵も思っていないようだ。だが、しぶとさだけは買われている。どんな状況であっても必ず"生きて帰る"ことだけは絶対にできるのだから。
「わかった。すぐに出よう。――それで、相手はどんな魔物だ?」
「――蜘蛛だ。それも、特大のな」
――――――――
夜の静寂の中、四足の獣の蹄が響き、馬車は闇を切り裂くように進む。
もうすぐ到着するとのことだが、目的地の森はまだ見えない。
今夜の月明かりでは、数歩先を見通すことも叶わない。
「――そろそろ着きますよ」
静寂を破って声をかけてきたのは、ロックのそばでよく見かける少年。細々とした雑用などをこなしていた。
道中に今回の依頼についても、この少年から詳しい説明を受けた。
よく顔を合わせる間柄ではあるが、名前を聞いたことはない。
「――ああ」
ヴェルの愛想のない返事にも、いつものことだと、気にした様子もない。
そして、少年が荷物の入った皮袋を差し出してくる。
その中身はナイフとポーションにロープなど諸々、それと銀貨が数枚。いつも通りだ。
「――さっきも言いましたが、気をつけてください。今回の依頼、ロックさんは討伐だと言ってましたが、僕としてはいち早く情報を持ち帰ってくれる方がありがたいです」
「――そうか、だが依頼内容が討伐ならば、挑むべきだ」
ヴェルの言葉に少年は苦い顔をして続ける。
「あなたはそう思うのかもしれませんが、普通は違います。未知の怪物相手に、1人で行って戦ってこいなんて依頼は、依頼ではありません。――死んでこいって、言われてるんですよ?」
少年の言葉はヴェルを心配しているようで、そうではない。ヴェルを見る目は、得体の知れない化け物を見たときの、それだ。
「だが、殺されようとも、死にはしない。情報は持ち帰れる。問題はないはずだ」
「ありますよ!!」
ヴェルの言葉に対し食い気味に反論をする。声を荒げているはずなのに、周囲には響かず、森の静寂に音が溶けていく。――森の影響か、不思議なものだ。
「――だいたい、死んだあなたを誰が運ぶと思ってるんです?ぐちゃぐちゃになった体や、ちぎれた胴体を持って運ぶのはいつだって僕なんですよ!それに!頭から真っ二つに裂かれた時なんか、どっちを持って帰ればいいのかわからなかったんですから!」
少年は、日頃の溜まっていたもの吐き出すように続ける。
ヴェルの方も聞いているのかいないのか、遠くの方を眺めている。
漆黒を煮詰めて塗りたくったような森が見えてきた。ひんやりとした風が一瞬頬を撫でた気がした。
「――だいたい、あなたは死んでから元に戻るまで何も話せないじゃないですか、それに、死んだ直後の記憶はいつも曖昧ですし!毎回情報を読み取るのが大変なんですよ!」
「――だが、それが俺のしご……」
だがじゃないです!いいですか、僕だって好きでこんな危険な場所にいるわけじゃないんです。こんな依頼の送迎なんて、早く終わらせて帰りたいんです。――ですから、なるべく早く帰ってきてください。」
少年の言葉には、切実さが溢れ出ていたが、仕事は仕事だ。依頼主はこの少年ではない。
「――約束はできない。だか、わかった」
少年はその見た目には不釣り合いな深いため息を吐くと、それと同時に馬車が止まる。
「――着きましたよ。では、お気をつけて。」
ヴェルは馬車を降りる。
痛いほどの静寂が、森の奥から流れてくる。
そして何の躊躇もなく、闇の中へと足を踏み入れた。




