もう分からないので考えるのをやめました
朝。
俺は鍋に湯を張っていた。
静かだ。
静かすぎる。
最近は、鍋に火をつけた瞬間に
「監視だ」「兆候だ」「前兆だ」
と誰かが騒ぎ出すのが常だった。
だが今日は――誰もいない。
「……不気味だな」
もやし二号は、いつも通り俺の横に立っている。
白い。
無表情。
待機。
異常なし。
《状況:来訪なし》
「それが逆に怖いんだよ」
⸻
昼。
俺が洗濯をしても、誰も反応しない。
布を浸す。
絞る。
干す。
――何も起きない。
「……あれ?」
思わず周囲を見回す。
「今日は“浄化工程”とか言われないのか?」
返事なし。
もやし二号が札を出す。
《補足:言われていない》
「世界どうした?」
⸻
その頃――世界各地。
王国の会議室。
偉そうな人たちが、疲れ切った顔で座っていた。
「で……結局どうなった?」
「分かりません」
「もやし二号は?」
「立っています」
「無職は?」
「無職です」
「……以上?」
「以上です」
沈黙。
誰かが呟いた。
「……我々、何を議論しているんだ?」
「分かりません」
「普通の日マニュアルは?」
「失敗しました」
「神格化は?」
「止めました」
「兵器化は?」
「止めました」
「監視は?」
「現場が疲れました」
「……」
議長が、ゆっくりと言った。
「――もう、分からないということで良いか?」
全員が、力なく頷いた。
⸻
別の国。
神殿。
神官たちが、床に座っている。
「白き芽は、今日も立っている」
「鍋は煮えている」
「無職は、無職だ」
「……これ以上、解釈できる余地がない」
年老いた神官が、目を閉じた。
「ならば、考えるのをやめよう」
「よろしいのですか?」
「我々が考えた結果、世界が余計に壊れた」
「……確かに」
「信仰は、疲れるものではない」
全員が、深く頷いた。
⸻
武の国。
訓練場。
「で? 今日は何を警戒する?」
「分からん」
「敵は?」
「いない」
「動きは?」
「ない」
「……じゃあ」
指揮官が、疲れた声で言った。
「今日は、通常訓練に戻る」
「普通に?」
「普通に」
「……普通って何ですか?」
「考えるな」
⸻
夕方。
俺は広場に座っていた。
誰も来ない。
監視もない。
視線も感じない。
「……やっと静かになったな」
もやし二号が頷く。
《評価:外部干渉、低下》
「だよな」
そのとき、遅れてやってきた一人の使者が、息を切らしていた。
「す、すみません……最後の連絡です……」
「最後?」
使者は、申し訳なさそうに言った。
「各国、協議の結果……
“もやし二号については、当面考えない”
という結論になりました」
「遅い!!」
「考えない……?」
「はい……考えると、余計に混乱するので……」
俺は、思わず笑った。
「それでいいんだよ……最初から」
使者は、深々と頭を下げた。
「長らく、お騒がせしました」
「ほんとだよ」
使者は帰っていった。
⸻
夜。
鍋を片付ける。
火を落とす。
世界は、久しぶりに静かだった。
「なあ二号」
「……?」
「世界が“分からない”って諦めたらさ」
二号を見て言う。
「普通に戻るんだな」
二号は少し考えて、札。
《結論:理解しようとするほど、誤差が増える》
「深いこと言うな」
星が見える。
風が涼しい。
誰も解釈しない夜。
世界はようやく、
“分からないものは分からないままにする”
という、一番難しい選択をした。
「……平和だ」
二号が頷く。
《同意》
ただし――
それが長く続かないことを、
俺たちはもう、うっすら知っていた。
だってこの世界は、
考えるのをやめたフリが、一番下手だからだ。




