俺は無職だぞ
朝。
俺は鍋に湯を張っていた。
最近、鍋の湯を張るたびに、
世界のどこかで会議が始まっている気がする。
「……平和だな」
俺がそう言った瞬間だった。
広場の入口が、ざわついた。
人が来る。
しかも、昨日より多い。
明らかに“格式”がある。
王族の服。
外交官の装い。
宗教関係者。
武装した護衛。
そして全員、もやし二号を見ないようにしている。
「……やだな、この空気」
先頭の男が進み出た。
「各王国代表、並びに同盟圏調整使節団を代表し、ご挨拶に参りました」
「長い」
男は一瞬詰まったが、続ける。
「本日は、先日の“魔王会議との接触事案”を受け――」
「鍋囲んだだけだ」
「――もやし二号殿の運用方針について、各国で協議が行われました」
「また勝手に」
男は堂々と頷いた。
「はい、勝手に」
正直でよろしい。
後ろから別の代表が口を挟む。
「魔王と接触し、排除されず、敵対もせず、かつ命令系統が不明」
「命令系統は明白だろ」
全員の視線が、一斉に俺に向いた。
嫌な予感しかしない。
「……そこで我々は」
男が、深呼吸して言った。
「もやし二号殿を対魔王抑止存在として位置付ける案を――」
「やめろ」
「――同時に、神格的象徴として扱う案も――」
「やめろって」
「――検討しました」
「検討するな」
もやし二号が、いつも通り俺の横に立っている。
白い。
無表情。
立っているだけ。
なのに、空気が重い。
「問題は一つです」
男が真剣な顔になる。
「もやし二号殿は、あなたの命令しか聞かない」
全員が、俺を見る。
期待の目。
希望の目。
勝手な未来を押し付ける目。
「ですので――」
男が、深々と頭を下げた。
「マスター。
どう運用すべきか、ご指示を」
一瞬、世界が静かになった。
鍋の湯気だけが、立ち上る。
「……え?」
俺は、完全に固まった。
「いや、ちょっと待て」
代表たちは、息を呑んでいる。
「俺、聞いてない」
「はい」
「考えてない」
「承知しております」
「いや承知するな」
焦る。
視線が痛い。
このまま黙ると、
“沈黙の神託”とか言われる気がする。
「えっと……」
俺は、とっさに胸を張った。
「――俺は無職だぞ」
間。
風が吹く。
鳥が鳴く。
代表たちは、固まった。
「……無職」
「無職……」
「無……職……」
誰かが、震える声で言った。
「つまり……」
別の誰かが、続ける。
「責任を負わない立場……」
「権限を持たないが、存在する……」
「命令しないからこそ、暴走しない……」
「勝手に翻訳するな!!」
もやし二号が札を出す。
《補足:マスターは無職》
「追撃するな!!」
男が、感動した顔で頷く。
「……なるほど。
無職であること自体が、最大の抑止」
「違う!!」
「役職を与えないことで、世界は動かさない……」
「動かしたくて無職やってるわけじゃない!!」
代表団は、深く納得した様子だった。
「結論は出ました」
「出すな」
「もやし二号殿は、
無職もやし神の無干渉のもと、現状維持」
「長い」
「そして――」
男が、厳粛に言う。
「この誤った神格化・兵器化の動きについては、
我々が止めます」
その瞬間。
遠くの空気が、微妙に揺れた。
俺には分かった。
――これ、魔王たちが察したやつだ。
深読み。
兵器化。
神格化。
「……あーあ」
俺は頭を抱えた。
「また余計なこと始まったな」
もやし二号が札を出す。
《状況:魔王側、再確認行動の可能性》
「だろうな!!」
代表団は満足げに去っていった。
広場に、いつもの空気が戻る。
俺は鍋をかき混ぜながら、ため息をついた。
「なあ二号」
「……?」
「俺、威張っただけなんだけど」
二号は、少し考えて札。
《評価:適切》
「適切って何だよ」
鍋が煮える。
もやしがうまい。
世界は今日も、
無職の一言を、勝手に大事な意味に変換した。
「……次は何が来るんだろうな」
二号が頷いた。
《予測:魔王》
「だろうな!!」
俺は鍋の火を弱めた。
無職に、休みはなかった。




