名もなき無職、もやしの神と呼ばれる(※本人は否定している)
問題は、量だった。
もやしは育つ。
育つのだが、需要の伸びが頭おかしい。
「足りない……」
俺は廃小屋の前で、銀貨の入った袋ともやし畑を交互に見ていた。
銀貨は増えた。
飯も安定した。
寝床も、もう少しでまともな家に移れそうだ。
だが――
「昨日の倍の注文来てるんだけど」
行商人が、真顔で言う。
「村だけじゃない。街からも来てる」
「“あの神の野菜”を分けてくれって」
「神じゃない」
「そう言うと思った」
もう訂正は諦められていた。
ちなみに俺の名前は、未だにない。
女神がくれなかったからだ。
その結果、何が起きたかというと――
「もやし神様!」
「今日もご加護を……!」
「いや神じゃないから!」
通り名が勝手に確定していた。
しかも、
誰も俺の否定を聞いていない。
「……量産、するしかないか」
俺は畑にしゃがみ込む。
前世で何をしていたか?
別に農学部でも研究者でもない。
ただ――
高校の生物で赤点ギリギリだった記憶がある。
「えーと……確か、メンデルの法則……」
俺は独り言を言いながら、芽を見比べた。
「形質は、優性と劣性があって……」
「親の特徴が、そのままじゃなくて……」
「組み合わせで、次に出る……」
雑だ。
説明できるほど覚えていない。
だが一つだけ、確信があった。
「……丈夫なやつ同士、掛け合わせればよくね?」
科学的かどうかは知らない。
だが、現実的だ。
成長が早い株。
太い株。
やたら元気な株。
それらを選んで、次の種に使う。
数日後。
「……あれ?」
芽が出る速度が、明らかにおかしい。
昨日植えたはずなのに、
もう「収穫直前」の姿をしている。
「もやし自体が異常なんだから、今さらか」
触る。
「……太っ」
もやしだ。
だが、俺の知っているもやしじゃない。
しかも。
茹でると、
香りが違う。
「……うま」
味も違う。
栄養も、たぶんおかしい。
その日の夕方。
「もやし神様!」
村人が駆け込んできた。
「昨日いただいたもやしで、熱が下がりました!」
「母の咳が止まりました!」
「牛が元気になりました!」
「待って、牛?」
聞いてない。
しかも、誰かが勝手に言い出す。
「これは……聖遺物では?」
「芽生えの奇跡だ……」
「名前を持たぬ神が、恵みを与えている……!」
「いや違うって!」
俺は必死に否定する。
「ただの品種改良だから!」
「交配! 選別! たぶん遺伝!」
だが。
「意味深な言葉を……」
「やはり神……」
「“遺伝”とは古代語か……」
話を聞け。
翌日。
畑の前に、簡易の祭壇ができていた。
花。
布。
銀貨。
「……撤去していい?」
「恐れ多いです!」
その日から、噂が爆速で広がった。
•名を持たぬ神がいる
•もやしを与える
•病が治る
•腹が満たされる
•だが本人は神であることを否定する(=奥ゆかしい)
最悪だ。
俺は頭を抱えた。
「……女神、出てこい」
脳裏に、あの軽い笑顔が浮かぶ。
『名前? あー、忘れた♡』
「忘れたで済むか!」
だが、もう遅い。
俺は無職で、
追放されていて、
名前もなくて、
ただもやしを育てているだけなのに――
世界は、
勝手に神を作り始めていた。
後に、歴史書にはこう記される。
《もやし神
名を持たず、ただ恵みを与えし存在
なお本人は最後まで神であることを否定した》
俺は、その時まだ知らなかった。
この“品種改良もやし”が、
神殿の信仰体系と、
国家の農業政策と、
貴族の利権を、
まとめて破壊する引き金になることを。
だが、それはまだ先の話だ。
今はただ――
「……注文、多すぎ」
もやし畑の前で、現実に頭を抱えていた。
神扱いされながら、
無職のままで。




