第2話 夏暁(ソメラウロ)
〈原典〉
光の王、宇宙の中心、太陽の神、震えの主・・・
いろいろと我が父には呼び名があるようです。
まばゆく輝く紅く燃える御髪。
強く張りのある肌、その瞳は紅碧。
ただ、私がお仕えする至高の神は、今日もまた一日のお勤めを終えられ、もうすぐお休みになられます。
我が父がお休みになられる時、その妻であられる我が母、闇の女王があの扉の向こうで、お目覚めになります。
しかしながら、ここからが一番大事な時間なのです。
そう、なぜ生きとし生ける者が、生まれ生きて死ぬのか
その理由のために、下拵えをする時間。
私は、父の金の椀にお茶を静かに注ぎます。よく時間をかけて。少しでも多くその葉の想いが神の湯に溶け込むように溶け込むように。
御手が椀をその永遠を見てきた瞳に近づけます。
「今日の茶葉は、夏暁か。」
光りを散らして輝くその長いあご髭が揺れます。
私は、静かに頭を垂れました。
静寂があります。この広い星々が見つめる間で、その父たる王は椀を美髯に傾けられます。
「ああ、慕情・・・の味がするな。うむ、甘い・・・そして追いかけるのは若く青い苦みか。」
単調な口調でございました。
ただ、王たる主神はその永劫たる生の中で余多の想いを引き受ける神の一柱。
仕方のないことでございます。
このように、全ての慕情を共に飲み干してくださってきたのです。
「足りぬな。まだまだ。」
そうおっしゃって、王は栄興の天蓋の中へ消えていかれました。
確かに夢見心地であった。
私の気持ちをもろうてくれると、確かに・・・そう 言われた。
死の釜のギリギリを渡り、やっと手に入れた女としての証。
人としての貴重な経験。
しかし、命と引き換えとはな。
でもそれで良い。
琴姫はもう、死んでも良い。
おお、ここか。なるほどな。
ここが、琴姫が事切れる場所か。
千代は門の外に残ってくれた。
もう、聞こえはしまい。
ならば、聞いてみよう。
「裏切者はそなただったのか・・・」
「いかにも、正確にはその一人にございます。」
征志郎・・・なぜ?
「この門は・・・」
くぐった者が帰らぬ訳よ。
この門は・・・やはりくぐった者を死地に追いやる門だ。
雨は轟々と降りしきるな。
そして、私の目の前にあるのは・・・
ー寿八馬の旗印ー
ここは、城のはるか東?
王丸の手からは逃れられたが・・・
仇敵の陣のただ中に出たらしい。
とても逃げられそうにない数。
見つかるのも時間の問題だ。
征志郎・・・なぜ?
頬を伝うは何だ?涙とも雨とも知れぬ。
「我が一族は寿八馬に恨みがあり申す。特に祖父は・・・」
やはり、爺か・・・
息子を寿八馬との戦で失っている。
そして、腕に残る大きな古傷もその戦でのものと言っていた。
しかし、裏切ることはないではないか。
正々堂々、皆で死ねば良いものを・・・
「姫さまを不憫に思われたのです。」
何?どういうことだ?
「爺様は、姫さまと皆で暮らす内に、姫さまを本当の孫のように思えていたのです。」
「何をいうか!私を武家の姫にしつらえたのは爺ぞ!」
「だからこそ・・にございます。」
だからこそ?
「姫のお気持ちに触れる度、その想いを知る度に、あの無骨な祖父が狭間で揺れたのでございます。愛おしくて、愛おしくてたまらなかった。」
あの爺が武家の姫と普通の女子の幸せについて揺れただと?
バカな!そんな顔はしておらんぞ。あの爺は・・・。
「死んだ婆様の言われるには、私は、爺様の若い頃の生き写しなのだそうです。」
は?どういうことだ?
「顔もそっくり、そして無骨な割にきめ細かく人の気持ちを察するようだと・・・」
分からん。いや、・・・分かるな。
「姫さまのお気持ちは分かりやすいのですよ。」
征志郎!・・・笑うな。
「ともかく、此度の戦だけは違った。遅かれ早かれ城は落ちる。祖父は王丸の調略に乗り、情報を渡す代わりに姫さまの命の保証だけを王丸に願い申した。すべてをやり遂げた後、腹を切る覚悟のようでございました。」
それでか・・・
「王丸の条件は城を無傷で明け渡すことでございました。」
「そのつなぎ役がお前か!征志郎。」
「はっ!いかにも。」
なんとバカな・・・
「しかし、姫さまは城に火を放てと命を下されました。もうこれで、王丸は姫のお命を保証することは無くなったかと・・・」
「だが、貴様は我が命に従って火をつけて回ったではないか!」
遅らせるなり、無視するなりできたはず・・・
「つなぎ役を務める内に、王丸に約を守る気はないことに気づいておりました故。」
気づいていてなぜ間者などを続けた・・・
「姫さま、姫さまはなぜ我等が間者だとお思いになったのですか?」
ふう、この際、話そう。
「父上がな、母上と私にだけ、言い置かれたことがある。」
そう、あれは出陣なさる前の夜のこと、
「悪あがきをする・・・は最後の突撃をするという別れの合図じゃ。」
そして・・・
「父上は裏切り者がいる場合、その者の家の者を使者にたてると。そして城はくれてやることはない。裏切者を討ち、ただちに火を放て・・・と。」
普通、使者は専門の役柄の者がいる。この戦で我が家の中枢に関わる家格の者で
使者として帰ってきたのは、征志郎・・・そなただけだ。
ふふふふと征志郎が笑う。なぜ?・・・なぜ笑う?
「殿もお人が悪い。」
どういうことだ!
「私が使者として帰りましたのは殿の命だからにございます。」
「だから、そなた等が裏切って・・・」
「私が王丸に流していた情報は囮のための嘘の情報です。」
・・・どういうことだ。
「悲しいかな・・・私が裏切っていたのは祖父なのです。殿の命により。」
何を・・ばかな。貴様は爺さまを・・・
「殿も私も爺様の企てを知った時には、頭を抱えました。しかし、気持ちは痛いほどに分かる。」
征志郎・・・お前は何を言っているのだ。
「家宰の爺様の名で王丸を信用させ、嘘の情報でかく乱し、少しでも抗う気でおりましたが、やはり数で押されました。王丸も情報が嘘なのはじきに分かるでしょう。最後を覚悟された殿が、姫さまのための最後の策を行うため、私を使者にして帰らせたのです。いやはや、それが城に火をつける合図になっているとは・・・そして前線の要としたい城が焼け落ちた。もう姫さまのお命をなどという約束は破り捨てられましょう。」
征志郎・・・何をのん気に笑っておる。
「殿も爺様もともかく姫さまには甘い。どうしても生き長らえて欲しいのは同じなのですね。」
何か重い荷を動かすことを諦めたように、腰を上げた征志郎。
「でも、それは、私も同じ気持ちです。私も・・・甘い。」
「あそこに怪しい者がおるぞ。」
「虎河の武者じゃ、行けぇ!行けい!」
見つかった。敵の刃がちらつく。
雨は囂々と降りしきる。
「姫さま、この門は逆天の門と呼ばれるそうです。」
ぎゃくてん?逆転?
「天を逆さにするという意味の逆天です。」
でもなぜ、今それを?
音が風を切った。何回も・・。
「当たっては、おりませぬな?」
優しい笑顔、あぁ私はこれが欲しかった・・・
迫り来る鎧の重い擦れる嫌な音。それは殺意。
征志郎が振り向き様に、2、3人を斬り伏せた。
あぁあぁぁ、征志郎、その背中は!
見たくない。見たくないぃ。
敵の槍が近づく。何本も、何本も。
刃の月の弧が槍を遠ざける。負けてなどいない。
しかし、トンと鈍い音がした。
首元を押さえる征志郎の左手。垣間見えたのは血だらけの矢。
「征志郎!」
飛び出した一本の槍の穂。
私の一番見たくない光景。
二人して逆天の門まで一気に押し込まれる。
ガァッ
声にならない征志郎の雄叫び。
腹に刺さる槍を斬り折り、残りの仇を威嚇する。
「征志郎もう良い。良いのだ・・・」
声がうまく出ない。かすれる。
「お怪我は・・・ありませぬな?」
私のことなど良い。そなたが・・・そなたが死んでしまう!
分かっていたことなのに。覚悟して門をくぐったのに・・・
ー嫌だー
姫として琴姫として覚悟していたのに・・・・
なんとだらしない。
姫として、琴姫の鎧を脱いだ私はこんなにも弱いのか・・・
失いたくない。
怖い。
征志郎、死なないで。
「ふふふ、まだまだっ!」
門を背にしていた私の首筋に征志郎の血が伝う。
庇うように門についたその手から伝ってきたものだ。
まだ温い。しかしその熱が伝う先で命を失っていくのが分かる。
「殿・・より、教えていただいた秘密があります。」
こ、言葉が出ない・・・
「逆天の門は、確かにくぐった者を死地に送る門。しかし、くぐった後に、門の表と裏に末期の血を塗る・・と死地が逆転する。門をくぐって生きている者を助ける・・と。ただ、天が逆さまになるほどのつらい思いをするそうですが・・・」
バカな・・・それでは表と裏、二人の命が犠牲になるではないか。
「血を塗る者は、生き残る者と親しいほど良い。それだけ好転すると。」
まさか・・・千代もこのことを知っていて・・・
「表は千代が塗っておりましょう。」
そなたら・・・それほどまでに・・・
「それほどに・・・ございます。」
初から死ぬ気であったか。
最後だ・・・聞いておきたい。
「千代という者がおりながら、私の気持ちを受け取ると申してくれたな。あれは嘘か?」
「頂戴しますと・・申し上げた・・はず。」
あぁ血が、血が冷めていく。
「最後に千代になぜ顔すら見せなんだ。なぜ詫びのひとつも言わなんだ?」
あぁ聞いてしまった。征志郎の心の裏側を・・・
「・・・男が女に嘘を・・つくときは、墓場まで持っていかねば・・上手く・・・だまし通してやらねばなりません。千代はこちらで必ず私が姫さまを生かすと信じてくれたのです。そして、私も姫さまとおな・・じ」
「私と同じ?」
「気持ち・・が顔に・・出やす・・い。」
征志郎!顔を見せよ・・征志郎・・・征志郎。
顔が見えぬではないか!真実はどうなのだ・・・。
涙が溢れた。もう見えぬ。あなたの顔が・・・私を一人にしないで・・・側にいて・・・
「賊は、あちらじゃ!」
獣の怒鳴り声が聞こえる。
口惜しや・・・ 皆が繋げてくれた命、無駄になるか・・・・
あぁ でも・・・この抱きしめる最愛の命とともに熱を失うも一興か・・・
蹄の音が雨音に紛れて聞こえる。騎馬武者も来たか。どうでも良いことだが・・・
刃の行きかう音。悲鳴。怒号。絶叫。
まだ、我が軍は抗っておるのか?
この雨の中で・・・・
あぁ少し小降りになったか。
ガチャリ
門の鍵が開く音がした。
「押し込めぇ!寿八馬結綱守の首はすぐそこぞぉ!」
「蹴散らせぇ!敵は総崩れじゃ!」
「行けぇ!旗を立てぇ!若殿の大勝利ぞ!」
・・・我が軍の旗指物が見える。
いや、寿八馬を飲み込んでいる。
あぁ・・・勝ったのか?
しかし・・・どうでもよい。
私の腕の中のものに比べたら・・・
意識が・・・遠くなる。
征志郎
あの門はくぐった者を死地に送る。
それが正解だわ。
逆天はせぬ。その名が騙りじゃ。
私は、皆の想いの先で更なる死地への門をくぐった。
そなたを失う。そなたのいない門の先で生かされた。
それは地獄じゃ。
人の道を踏み外した・・・
我が身の生まれを忘れた罰かのう?
神よ・・・
許されぬのか?
胸に秘めた想いを伝えることが・・・
私には・・・私にはそれさえ許されぬのですか?
なぜ、こんな苦しい思いをさせる。
これが、この苦しさが、深さが、長さが、痛みが、全て全て必要なのですか?
これが何を生むというのだ?
・・・泣き続けよと?繰り返し繰り返し、鳴き続けよと?・・・
永遠に続ける。震える。それが目的。我が思いはその糧とされる。
ならば・・・もう一度纏ってみるか・・・琴姫を。
ハハハ。
でも、今、このひと時、雨が降りこの温もりが残る間は・・・ひぐらしは鳴けぬのう。
・・・私も泣けぬ・・・
なぁ、征志郎。
もう一度唄っておくれ。
最後のひと時
・・・雨が止まぬ内に・・・
恋の唄を・・・
薄暗がりでいい・・から、か細くていいから。
私のために・・・
私だけの為に・・・
私の・・わがままを許してください。
ねぇ・・・征志郎。




