第2話 落ちる少女
琴姫。
齢、15歳。
地方の小大名、虎河家に連なる一族の美しい姫。
一族の重鎮である彼女の父は、朝御代の都に続く虎河の領地の西の要衝を預かる身である。
返して言えば、西の王丸氏を防ぐ重要な役割を持っていた。
そんな中、ひとつの問題が起きる。
主君である虎河の大殿が急死したのである。
たちまちの内に虎河の家は割れた。跡目に不安がったのだ。
そして、恐れていたことがさも当然のようにして起こった。
東の大国、結綱、朧藤の両国を領する寿八馬氏が軍を起こしたというのだ。
10万もの大軍が朝御代の都を目指し、陣触れの鉦で立ち上がる。
天下を狙い最初から用意された、仕組んだことかもしれぬ。
兵を少しでも傷つけたくない寿八馬が。
王丸も東へ出張ればその分消耗するであろう。
西も機敏であった。
王丸氏は寿八馬の大軍とできうる限り遠くで相対したかった。
虎河本家が揉めながら東で寿八馬に蹴散らされている間、本領を守るためには東の山合の関の向こう・・・そう、琴姫の父の城がせめて欲しい。いや、必ず欲しい。
それほどの相手なのだ寿八馬は。
通る。寿八馬はここを通る。天下を押さえる要衝なのだ。
そして今、琴姫の父の城に援軍は望めない。
王丸は躊躇しなかった。
その結果・・・
「姫様、早うこちららへ。ここも間もなく敵が参りまする。」
乳母の多恵が血相を変えて姫の手を引く。
ーカナカナカナカナー
あぁヒグラシの鳴くか・・・姫は庭に目を移した。
お天道様はもう山蔭にお隠れになったか。
「姫様、お急ぎくだされ。」
白い髷が乱れた家宰が廊下に膝をつく。
「爺、母上は?」
「お方様より、姫を必ず御本家へお連れせよと。」
姫、彼女は聡い。
老人が敢えて省いた言葉を見つけ出した。
「爺、答えよ。」
「・・・お方様は・・城に・・残られまする。出来得る限りの者を姫のお側にと。」
姫、彼女は慎む。
母が誇りと共に我が身を案じてくれたことに想い至った。
父はもう己の意地を通したのかもしれぬ。
「・・・分かった。」
姫、彼女は口数の少ない娘であった。
聡きゆえに、他人の想いを汲み軽率な言を避ける。
家の教えをよく理解していた。
だから、自分の本当の気持ちなど押し込めて当然。
「姫さま、お召し物を・・・」
乳母の多恵、侍女の加奈と千代が着替えを手伝う。
動きやすいが、とても貧相な着物に袖を通す。
なるほどな・・・姫の唇が音もなく動く。
「姫さま、ご辛抱を・・・。」
これも、我が身の安全のためなのであろう。
「いいや、ありがとう。」
千代と目が合った。
この千代は、妾より四つ程年上、もう十年以上世話を焼いてくれている。
「すまぬな。」
「何を申されます。ささ、お急ぎくださいまし。」
千代、今の言の葉は祝言の決まったそなたを危険に晒しているからなのだ。
そう、ずっとそばにいてくれた千代の幸せ。
ー我が姉の幸せー
・・・そう思っていた。
たったひとつ、胸の奥底に秘めた恥を除いて。
「征志郎、生きておったか!」
爺の声が響く。
大きな物音がして、若い武者が転がり込んできた。
・・・生きていた。姫の心は水面に石が投げられたように波が立った。
あぁぁ、生きていた。鼓動の音とともに、温かな感情の波が押し寄せる。
「お味方、軍議のとおり後詰があってこその籠城。然らば峠にて待ち伏せ地の利を生かし遊撃、攪乱を試みるも衆寡敵せず。押し切られ、総崩れになりましてございます。」
「殿は・・殿はどうされた?」
「最後に悪あがきをする。私に城へ戻り、姫を虎河の若殿の元へ送り届けよと。」
「寿八馬の思惑通りになるのは悔しいのぉ」
爺は額に汗して、壁を小突く。その肩は震えていた。
震える。姫も心の内が震えていた。
二度と会えないと思っていたその姿がもう一度目の前に現れた。
しかし、抑え込んだ。15歳の少女はこの城の姫である。
薄く紅潮する頬を隠さなければならない。
隠さなければならない。
隠さなきゃ。
「征志郎さま、お水を!」
千代が駆け寄り、椀の水を差し出す。
姫の色は瞬く間に我に返った。
そう、目の前にいる若武者は爺の孫であり、何より・・・千代の許嫁。
隠さなければならない。
15歳の少女はそう・・思った。
二人は元々、幼馴染。
征志郎は家宰の家の者として仕え、千代は侍女として仕えてきた。
睦まじいところは露ほどにも見せぬが、ふとした時にみせる二人の息に少女は敏感に反応していた。
そしてそれ以上に自分の内の奥底にある感情に敏感に。
淡く、鋭く、薄暗がりの中に恋を唄うヒグラシのように・・・
ーカナカナカナカナー
表が騒がしくなった。王丸の兵がいよいよ押し寄せたか?
「・・・城に火をつけよ。」
姫の口からの言の葉。
それは、その場にいる最も位の高い者が発することができる。
「姫、城を焼かれるのですか?」
爺と乳母の多恵が俯いた。
「できぬか!二度とは言わぬ。征志郎!」
普段の姫とは思えぬ口ぶりである。
「ハッ!」
「皆、思い思いに退去せよ。」
ーカナカナカナカナー




