第3話 人生の十字石(スタウロリート)
〈原典〉
「覚悟、矜持・・・・混じっているな。今日の氷は十字石か。」
我が母、闇の女王は今夜もグラスを傾けられます。
この世の半分を司る神として、この日のお仕事の大半を終えられ、今、この世で一番大切な役割をその身に受けられようされております。
私はただ、ただそのお勤めをお手伝いするだけです。
「あぁ、怒りか・・・これが苦味を加えてくれる。」
グラスがその花のような唇から離れ吐息は凍るような白さ。
その眦は、女王を中心に巡る夜空に飽きてしまっているようです。
女王にとって時は流れていません。
ただ、ただその御心の状態が冷たく冷たく冷えていくだけなのです。
ですから、あのカクテルに溶けた怒りが覚悟が矜持がその喉を焦がし神酒がその御心に熱を発したのでしょう。
・・・これが必要なのです。再び世界が生まれるために・・・
「まだまだ足りぬな・・・」
そう女王はおっしゃると、おもむろにその宇宙より黒い御髪をかき分け、クルクルとその髪先を選り分けられました。その度に星の光りが散るようです。
そして、その中から一本の髪の毛を選ばれるとツッと引き抜かれました。
根本の方を持ってその髪の毛を見つめていらっしゃます。
風はありません。
ですが、その髪の毛はまるでそこに風があるかのように、もしくは小川の流れにあるようにフワリフワリとなびきます。
すると、毛先から光りが揺らいでそこから白く白く色が抜けていきました。
まるで凍ってしまったかのような冷たい白。
そのはかなき白が根元にすり寄った時、女王はふとその毛を引っ張るような仕草をされ指を離してしまわれました。
その御顔には一瞬、満足されたかのような笑みがあったような・・・
私の見間違えでしょうか?
いいえ。
・・・集めなくてはなりません。全ての源になる感情の塊を・・・
幾億星霜かかろうとも・・・
少しずつ、少しずつ生きとし生ける者の・・・いや星すらの感情をこの宇宙全体から集めて・・・・収縮するこの世界が再び起きるための時の引き金として・・・
それから数年後
青年達は無事に地面に足をつけていた。
あの坂の上の柿の木もとに。
「敗けたな・・・俺達。」
彼らの国は敗戦国となっていた。
「・・・・やっぱり辞めるのか?」
「あぁ、あの浸水で死にかけた時から思ってたんだ。」
「よく生きていたよな。」
「あぁ俺だけな・・・部下の二人は死なせちまった。」
あの日と同じ橙色の夕焼け空だ。
「それでも俺達、その後よく戦い続けられたよな。」
「あぁ、狂気の沙汰だぜ。どうかしてる。あれだけの目に遭って。・・・・だけどお前は軍に残るんだろ。懲りたんじゃないのか?」
「あぁ懲り懲りさ。毎日。だけど誰かがやらなきゃな。」
「充分だろ。」
「いや、今だからさ。せめて自分達の国のことは自分達で決めれるようになるまではな・・・。」
「そりゃぁ長丁場だぞ。」
「お前だって、当てはないんだろ?」
「どこだってあの浸水現場よりはマシだよ。死神はすぐ隣にはいない。」
「それはそうだな。もうあんなに近くに寄って来る現場もそうそうないだろ。」
「俺は違う戦い方をしてみたいだけだ。」
そう、もっと人々の間で何かを生み出す仕事を。
「・・・すまなかったな。あの時、俺が・・・。」
「うまくやっていればってか?」
「速力を落とさなかったら・・・爆雷を撒かなかったら・・・あの防水扉を閉めなかったら・・・扉を閉めろだんて言わなかったら・・」
「後で聞いたよ。あの時艦長は瀕死の状態で、ほとんどお前が指揮を執ってたってな。」
「あぁ、その後もなかなかお前に話せなくて。」
「俺もさ・・お前にも誰にも話してないことがあるんだよ。」
応急長は急にうつむいた。
「話してもさ、誰も信じてくれないだろうけど、部下を見捨てた事実だけは残るから・・・。」
「話してくれ。」
「あの時、防水扉から水漏れが止まらなくて部下を連れて戻ろうとした時。閃光の後、爆音と衝撃が襲って来た。」
航海長は一度目を伏せたがもう一度目を合わせてきた。
「体を壁に打ちつけられて、何回目かの閃光の時・・・見えたんだ。」
「何が?」
「黒いロープさ。」
「ロープ?」
「海水に沈む中でしっかり見えた。先が光っているんだ。破口から伸びてきているのが分かった。それで導火線のようにだんだん短くなっていく。そう先の方が白くなっていくんだ。」
「それで・・・どうしたんだ?」
「苦しかったんだ。苦しくて苦しくて・・・俺は何を思ったか、そのロープを追いかけて、追いかけてそして・・・掴んだ。」
「それで・・どう・・なった?」
「急にものすごい力で大きく開いた破口から外へ引っ張られた。そして気がつけば救助されてた。」
「それ・・お前・・・」
「言えるワケないさ!こんなこと。部下を置いてきたのは事実じゃねえか!」
長い沈黙が横たわった。
言葉にできない心の傷も横たわっていたからだ。
航海長が口を開いた。
「・・・俺も同じさ・・いや俺の・・・」
「・・・お前、立派な指揮官だったよ。ただ、それだけだ。」
「だけど・・・」
「正しい・・判断なんてそうそうないのかもな。しかも正しさがその場の全員にとって良いものとは限らない。お前には、お前には・・ただ敬意を払いたい。」
「違う、違うんだ。俺は、昔この柿の木の下で・・・」
「昔って・・・お前まさか?」
「守るって約束したじゃないか!」
航海長の瞳には大きな涙の粒が。
「お前、そんな・・小さい頃の話を・・。」
「怖かったんだ!約束を守れないことをが・・大事な友達を失くしてしまうことが・・・」
二人は言葉が無かった。
柿の木だけが風に揺れて、ざわついた。
しばらく黙って背中合わせに座っていた。
今年は、秋だというのにまだ暖かい。
西日は頬を照らして暑いくらいだ。
陽の光りは二人の顔に少年のあの日と同じくらい柿色の艶を差した。
ふと同時に二人は立った。
もうあの日のように木にはよじ登らなくていい。
大きく成長した背中の筋肉。太くなった大人の腕。
少し背伸びしただけでそのしっかりとした長い右手の指は柿を掴んだ。
「食べるかい?」
昔、柿の木から落ちそうになった青年が実を差し出した。
「いや、いいよ。自分の・・あるから。」
しっかり彼は自分の分の柿をもいでいた。
「ちぇっ。お前に食べさせたいから採ったのに・・・。」
「・・・そうだろ?・・じゃぁ交換しよう!」
二人の口元から歯ごたえのある音が弾ける。
「まだ、固いな。」
「俺はもう少し柔らかくてもいけるようになった。」
「・・・俺もだ。」
「もう母さんにジャム作ってって言う年でもないよな。」
「違いない!」
二人の口元から、心から滲む笑みが浮かぶ。
「なぁ、いつまでも友達でいてくれよな?」
「・・・あぁ!言うまでもないよ。」
「約束だ。」
「おぅ任しとけっ。」
二人は目が合って、うなづいた。
柿の木は優しく彼らの背を支えていた。
ひぐらしは去った。
今年も柿が実ったのだ。
二人は坂道を別の方向に向けて歩み始めた。




