#1 私は、” 超人 ” である
私は、超人に産まれた。でも同時に、大切な家族を失うことにもなった。
私を産んだ母はやせ細り、小鹿のように震えていた。だというのに私は、手で抱えるほどの重みがあり、健康な体だったというのだ。
母親がこの状態で、こんな赤子を産むことができるはずがない。ありえない。赤子の存在感から、看護師が驚いたようにつぶやいていたという。
母親は、もうすぐ死ぬ。看護婦が母親の横たわるベットを囲み、父とともに彼女の名前を必死に呼ぶ声が、悲しげに聞こえた。
母親が、自身が産んだ赤子に放った言葉を、パパはよく覚えていた。
「アイリ―」
冷えた母親の額をなでながら、パパは私を抱えて泣き崩れた。
私はまだ赤子で、そこで起きたことを覚えていないのは当然。パパに『アイリ―』と名付けられた理由など、知る由もないのだ。
《12年後》
今は12歳で、パパには『アイリ―』と呼ばれている。
パパは朝、私が先に家を出るときはいつも言ってくれる挨拶がある。
「行ってらっしゃい、アイリ―」
と。
その日は早く、肌寒く、あくびが出るほどけだるい朝だった。
それでも、私はパパが大好きだったから、
「はーい」
と、明るく返す。
気づけば、母親がいないのが当たり前になっていた。パパがたった一人の家族で、他の人とは違っていても、それでも幸せだからそれでいい。そもそも、パパも私も、今それについて考える余裕がないのだ。
私たちの生活は裕福とは言えず、時折野生の動物を狩りに行く日がある。
今日がその日だ。狩りは本来、大人がやるようなものなのだが、パパは都市部に出稼ぎに行くので、村に残る私がやらなければならなかった。
今は1800年代で、私の生まれた町は都会とは遠い場所にある。半ばスラムに近いこの町では、狩りを行う習慣があった。大人たちが言うには、昔住んでいた人々が戦争をして、荒れた森や山が開拓されないまま残ってしまったらしい。
降りてくる動物を放置もできないし、保安官も面倒屋で何も言わないんだって。そもそも、皆食べるものがないから、村人同士で動物を狩る競争が始まってこの習慣ができたのだ。もし狩れなければ、他の住民に物乞いするはめになる。そんなことは絶対に嫌である。
特に私の場合、働き手がパパ一人なこともあって、とてもきびしい状況にあった。でも,自分たちが物乞いをする可能性を、私もパパも心配していなかった。
動き回る獲物を捕まえるのは、誰よりも早く動ける能力を持った私の前には、とても簡単な追いかけっこなのだ。たとえ相手が空を飛ぼうが、関係ないのだ。
《狩の始まり》
私は獲物を追いかける村人たちの頭上を越え、高い木をけり上げ、枝葉を裂いて空へ跳ね上がった。天空をかける鳥どもに、私はひとりでに追いついていたのだ。
私は、" 超人 "である。
少し前に私は、町の人々と契約を交わした。『獲物を探し、誘い込込む役割』を彼らが担い、私が獲物を捕獲するという内容だ。
冬に備えるために。
彼らには、私1人の方が獲物をしとめるのは簡単だと説明した。村人みんなを納得させるために、私の実力を見せることになった。
「うっ……あ、参った……」
私の体は、年らしく小柄な方で、140cm程度。相手は200cm程度の大男。それでも格差から、一番狙いやすかった股間の部分を集中して狙う。
足を振り上げて、勢いよくねじ込んだ。その痛みに男は耐えられなかったようで、絶叫のような悲鳴を上げてその場で伏せてみせた。
これは、相当食らわせたな。やってやったぜ。と言いたくなるのを抑え、私は息をのみこんだ。
他に集まっていた人々は真っ青になって、息をのんでいる。
その巨体ゆえに、力もあった男だ。それの悲鳴となると、もう誰も文句は言えないだろう。
”えげつねぇな” と、小言を漏らした1人に、私はもう一度取引を仕掛けてみる。
「どう? 試してみる価値はあると思うよ?」
「っ……」
彼は口をひらけず、誰かに代わってほしそうに黙り込んでしまった。
速く決めてもらうためにも、笑ってにらんでやろう。そう思って笑いかけたのが悪かったみたいで、彼らは眉をひそめ、しまいには目を背けてしまった。
実演が怖いのはわかるが、決め事は守るものだろう。
村人の反応がどうあれ、攻撃を受けてくれたこの男には、一応手を差し伸べておこう。そうして助けている間に、これまた大きな男が近づいてきて私は男の顔を見上げた。怖がっているのが伝わって、なんだかぎこちない。
でもそれ以上に、この男の顔はなんだ。
周りから感じる負の感情が打ち消されるほどの笑顔で、こちらに近寄ってくる男が一人。
私は不思議でならなかったが、むしろ気を良さそうにしているのかと安心してしまう。
彼は嬉々として、独特な笑い声で答えてくれた。背中に弓と数本の矢を担いでいたその男は、この村の狩人だった。
「がはは! タマのいい嬢ちゃんだな。その自信、試させてやろうじゃないか」
そうして今、私は鳥と追っかけっこ中というわけだ。
走り出し、枝を伝って登っていく。間髪入れずに、木のてっぺんの草葉を突き破って高度を伸ばしていく。ついには、平屋建て三軒分は超える高さになっていた。
鳥どもが気がつき、その黒い眼を向けてきた。
まだ私の手は奴らには届かない。さらに集中して、捕まえるタイミングをねらう。
「......まだ」
鳥どもが瞬く間に、私は視界から外れた。私がさらに上をとったのだ。かき乱した群れを、鳥は再び集まって直進し始める。
奴らに真上をのぞく視角がないことを、私は直感的に理解した。
「今だ」
両手を広げる。風の勢いに抗いながら獲物の首をとった。
鳥どもはぐあぁっと濁った泣き声で、ようやく私に気が付いたようだ。 羽を散らし、手の中で暴れる鳥たちは、その羽で手の甲に切り傷をくれた。
ごうっと着地。羽にまとわれるようにまい降りた。
「......4羽か」
骨の髄まで響く衝撃で、しばらくその場で立ち尽くしてしまう。
狩人が私に追いつく様子もなく、静けさが唐突に私の耳を襲ってきた。
ふと、捕まえた4羽の鳥を眺めてみる。左手の2羽はすでに意識がなく、右手の2羽はうつろな目でにらんでくる。そのうち1羽はもう1羽に首を付きそい、こちらを怖がっている事にはすぐに気が付いた。
その姿を見た私は、頭の中で言葉を連想し、その言葉に困惑してしまった。
「「母と娘」だ。
「――家族」
狩を続けているとだんだん森の中が静かになっていった。聞き耳を立てても、風の音や狩人どもの足音しか聞こえない。
獲物がいなくなったところで、狩りは打ち止めになった。
《あとしまつ》
その日は、獲物をさばくので手いっぱいだった。
私が、何十羽もの鳥をさばいていると、大人たちが驚きといった顔で私の様子を伺ってきた。その中に、私を最初に誘ってくれた、独特な笑い声の狩人もいる。
「よくやっているな、アイリ―。まったくお前のすばやさには、いつも驚かされるな。がはは」
「どうも。あなたたちも、いい追いかけぶりだったわよ。」
私は、上空から見た彼らの様子を伝えてあげた。野草を払いながら鳥を追う姿が滑稽に思えて、わざとからかってしまった。それでも彼は快く返してくれる。
「がはは、あんまり大人をからかうものじゃない。こっちはウサギとイノシシで、こんなにとれたんだぜ?」
「おお」
彼の指さす机上には、どれだけの大食いでも食べきれないほどの肉が乗っていた。私の鳥を含めると、80人近くいる村人も、1週間は肉に困らないほどだ。
これを見て、ちょっと悪いことを言ったなと思った。自分の軽口が急に恥ずかしくなって、早めに謝ろうと口走ってしまう。
「うん......さすがだよ、からかってごめん。誘ってくれてありがとう」
「なんだそりゃ、たまには可愛いじゃねえか。まったく親父さんがうらやましいぜ。これからもよろしく頼むぞ」
「へへ」
と、互いに笑いあった。最初こそ、脅すように力を使ってしまって申し訳ないと思って、村人とうまく関われるか不安だった。でも、この力を狩人たちは良しとして、ある種の『見せもの』という風に、村では話してくれた。
ますます、大人のみんなには頭が上がらないな。私に股間をけられたあの大男がふびんでならない。
痛みが治まったら自分で帰っていったけど、あの後見てないな。明日、お肉多めに持ってちゃんと謝りに行こう。
そんなことを考えているときに、私を呼ぶ声が背後から響いてきて、思わず振り向いた。暗闇の中でランプを持ちながら、ゆっくり近づいてくる。
その人は、私のパパだった。
「パパだ!」
すぐに包丁をおいて、ランプの方に走る。小柄な私は思いっきりパパのふところを抱きしめて、囁くようにお帰りって言ってあげた。
パパは、ゆっくりと頭をなでてくれた。とても穏やかで暖かい手に、木をいぶした良いにおい。パパと一緒にいると落ち着いて、ずっとぎゅっとしてほしいなって思っちゃうな。
「お疲れ様、アイリ―。燻製機の準備ができたから、こっちのかごに入れてくれないか」
「うん!」
いつもは出稼ぎに出でいるパパは、狩の日にはお手製の燻製機で、肉を保存しやすいものにしてくれる。私もほかの狩人も、もうひと踏ん張りだといって、協力して肉を運んだ。
《燻製機の火を囲む》
肉が黒い煙でいぶされ、じゅうっといわせて油を引き出す。その匂いが、私と狩人どもの食欲を駆り立てた。犬じゃあるまいが、今すぐにでもかぶりつきたくなっていた私は、その気持ちをぐっと抑えた。
「うぅ」
その様子を見たパパが、私に尋ねてくる。
「どうだ、おいしそうか」
「……すごくね」
「そうか……まあ、今日くらいはいいだろう」
「ほんと? やった」
どうやら今日はごちそうらしい。そんな幸せな会話があっても、パパの視線は炎を向いている。
いつもそうだ。穏やかなパパでも、この時の目は寂しそうに潤んでいる。
母親は、死んだ次の日に火葬された。病院は常に人を抱えていて、死人にかまっている暇はないから。
狩人仲間からこれを聞いた時から、私はパパに、母親のことは聞かないと決めたんだ。
私は本心、もうそんな悲しい顔をしないでほしかった。あふれそうな感情に心が引き締められた私は、その疑問を初めて打ち明けた。
「ねぇ……お母さんって、どんな人だったの」
パパは、すぐには答えなかった。でも、炎から目をそらさない。
確かに暖かいはずのこの場所は、私には少し寒く感じた。こんなに後悔したのは初めてだ。
どんなに苦しかっただろう、つらかっただろう。それでもパパは最後に答えてくれた。
「……帰ってから話そう」
「うん」
《帰宅》
大きな暖炉にかけた炎が、冷気のたまった家を温めていく。
パパが切り分けた肉を皿にのせていく傍ら、私がスープを煮込む。
燭台に暖炉から火を灯したら、ごちそうが私とほパパを迎えてくれる。
でも、そそらせるのは食欲ばかり。お互い会話の切り口が見当たらないから、沈黙は続いた。
「いただきます」
私の心は今も、小さく震えている。
怖い。母親がいないのは当たり前だったはずなのに。パパも、なんで何も言わないの。もう、今までの生活じゃいられなくなるんじゃないか、そういう気持ちに包まれていた。
そんな中、スープを一口したパパは、淡々と語り始めた。
「お前の母親は......冒険者だった」
その一言が、私をパパの目に向かわせる勇気をくれた。
パパは、マグカップのスープを息継ぐように飲み干し、また話す。
「有名な冒険家で、国の偉い人に未開拓地の調査を頼まれたこともある」
「未開拓地って、いつも狩に行っているあの森とか?」
「そうだな。他にもいろんなところに行って、帰ってくると楽しそうに冒険話を聞かせてくれた。どれだけの冒険をしたのか、数えきれないほど。だが……」
流した会話は、私とパパの空気を温めてくれた。だけど、優しい吐息をついたパパの目は、やがてうつろにか細くなっていくのが見えた。一気に心が引き締待っていくのを感じる。
「あの森の冒険を最後に、彼女は未開の地へ踏み込むのをやめた」
パパはそういうと、マグカップを強く握った。
私の思考は早まって、良くないことがあったのだと思い込んでしまう。
私は震えた。空気すら揺れるように感じるほどに。
それでも、私の『知る勇気』は綻んだ口元を引き締める。パパもそれにこたえてくれた。
「何かあったの?」
「わからない。その話だけは、一度もしてくれなかったんだ。」
怖くても。
「じゃあどうして、お母さんは死んでしまったの?」
「それは......」
こんな質問をしてでも、私は知りたかった。お父さんの悲しさもつらさも、何もかも一緒に背負って生きたかった。
でもパパは目をつむり、スープを口に流し込み、本心を飲み込むことにしたようだ。
「それは......病気のせいだ。お前が生まれた後、病気にかかってしまったんだよ。まだ小さかったお前には、わからなかっただろうな」
「病気......」
パパはうそをついた。本当は、私が生まれてすぐ母親はなくなったのだ。私を産んだ母はやせ細り、小鹿のように震えて、そのまま死んだのだ。
でも隠した。それを知ることで、娘が正気ではいられなくなることを恐れたのだろう。
この時の私には、知る由もないことだ。
「写真や日記がいくつかある。見てみようか」
「......うん! 見たい」
「少し待っていなさい、アイリ―」
まだ納得できていないけど、急かすように立ち上がるパパを私は止めなかった。
あまり重い話ばかりしていると、パパも辛いだろうから。
パパはなぜかかけ足で、母の遺品を探しに部屋に戻っていく。
そんなパパの後ろ姿に、燻製機の前にいた時と同じ雰囲気を感じる。だからどうしても、こう考えてしまう。
今、どんな顔をしているのだろう。
パパが部屋に入ってすぐ、中からかすかに溜息が聞こえた気がした。
《母親の記録》
パパが見せてくれたのは、木箱に似た写真機。
「こ、これが写真機......」
父曰く、これは母が、支援者からの特注で冒険記録に使っていたものだそう。
鼻をつんとする薬品のにおいは、逆に私の興味をあおる。
「ああ、初めて見るんだったな。くれぐれも傷つけないように」
「う、うん」
初めて見た、なんだこれ。
においのきつさが破損するとどうなるかをものがたっているように感じた。
でも、写真でさえ貴重なのに、写真機に触れられるなんて。心のワクワクを抑えられるはずがない。
ただ、特に気になったことといえば、
「これ、売ったらいくらになるかな......!」
「絶対売らないからな」
「わかってる」
そう、貧乏性がへばりついていることである。でも、こんな私でも、やっぱりこの写真機を使ってみたくなる気持ちは大いにある。そんな私を引き留めるように、パパは写真機で撮ったであろう写真を机の上に並べた。
写真機のあちこちを手探る私は、それを置いて、ある写真を手に取った。
「......うん。そうだね。売っちゃだめだよね」
パパと、お母さんと思われる女の人の姿が写っていた。
私は前言を撤回して、その写真を見つめる。初めて、お母さんの姿を見つめてみる。
小柄な女性だった。白黒の写真でも、優しい笑顔が私の心を温めてくれるようだ。一枚の写真が伝えてくれるお母さんの整った輪郭に、私は惹かれる。
「お母さんって、私とそっくりなんだね」
「確かに、どちらもすごい美人だろう」
「そう……ふふふ」
私もパパも、なごむような笑顔を作れた。パパは写真を次々と出してくれた。
「お母さんが撮った、冒険の記録だ」
私は目を疑った。最初に見た写真には、種も姿も違う動物たちは一斉に荒野を駆ける姿が写っていた。人間の何倍もある高く大きな樹木もあった。
写真の裏には、初めて見る英単語があって、よく読めない。パパが言うには、サバンナという場所で撮ったものだという。
写真は少し日に焼けたような茶色で、その景色が確かにあったことを証明しているようだ。
こんなの物があるのだと、驚かされた。
続けて、パパはもう一枚写真を見せてきた。
これは、なんだろう?
一見ただ日の出をとった写真だ。雲に光が反射しているようで、白黒なのに形が見えるくらいきれいに写っている。
でも、どこの写真だろう?日の出なんて、どこでも取れるから、写る場所に意味があるのかもしれないな。考え込む私を見て、パパは面白げに笑う。眉を歪ませながら考えても、父がなぜ笑っているのかわからない。
「なんの写真? これは」
「写真機を始めて貰ったときに、ずいぶん喜んで近くの森の木を登ってとったんだ。のぼる速さは、お前といい勝負をしそうだったな……」
驚いたことに、冒険的な意味はなかったらしい。変なのっ。でも最初の一枚っていうから、特別なことは確かだ。
話を聞いてふと、パパの顔を見ると、写真を見つめてふぅと弱い吐息を流し、安心したようにゆるい顔を浮かべていた。何かを思い出したかのようにまた語る。
「……思えば、お前の運動神経は、母親のうけおいなんだろうな」
「そう……かもね」
運動神経というと、私は狩の時、鳥よりも高く空を飛んで、捕まえる。
それは、運動が上手な私からすれば造作もない作業だった。では、なぜ私にだけそれができるのか。他の人と違うところと言ったら、その力と母親がいないことだけで、今まで疑問が解けることはなかった疑問だ。
パパが、母親と私を重ねてしまう気持ちが、私にも少しわかった気がする。見た目や思い出話だけでも、私と写真の向こうにいる彼女は、確かに私のお母さんなんだなと、心が引き締まっていく。
もう一度、パパとお母さんの写った写真を手に取る。写真のふちをなでるように触れながら、その笑顔、りんとした額、流れるようなロングヘアと小柄な胸元を眺めてみる。
じっと見つめる。よく覚えていたくて、この人をもっと知りたくて胸がいっぱいになる。
まだ見てない写真が2、3枚残っている。パパはまだ日の出の写真に見入っているから、私は小柄ながらに、手繰り寄せるようにとった。でも、その写真を見てすぐに、首をかしげてしまうほどの違和感を受ける。
「うん?」
他の写真と比べて、白くてまだ新しい。それなのに、ところどころ黒く塗りつぶされたような痕跡がある。お母さんは何かと肩を並べている。でも、誰かはわからない。
そういう写真なのか。そう思ったりもしたけど、写真の裏をみたときに、
「!?」
そうじゃないことに気付いた。
「どうした」
「ねえパパ、これどういうこと?」
パパに写真の裏側を見せた。そして、驚いたのか、大きく目を見開いた。
ぐちゃぐちゃにつぶされた痕跡、かき消された文字。狂気にかられた人間が書くような乱れた線が、違和感と恐怖で私を包む。どうしてなのか、訊かずにはいられなかった。
「それは......失敗したんだ」
「失敗って?」
「さっき言った最後の冒険は、結果的に失敗したんだよ。だから、その記録だけ消そうとしたんじゃないかな」
「ただの『森』なのに? 失敗したっていうの?」
ここまで乱暴にかき消すものなのか。私の疑問は尽きることはなかった。
でも、パパは私の質問に答え続けた。
「森の中の、『洞窟』だよ。お母さんが冒険した後、閉鎖されてだれも近づいていない場所があるんだ。『洞窟』の中がかなり特殊で、危険なものだと聞いている」
でも、パパは首をかしげてしまっていた。何か思い出そうしているのかな。
「けど?」
「その時のことは、ずっとだんまりだったんだ。失敗したのが相当心に来ていたんだろう」
「......そっか」
「彼女は狂ったように、手記にその日のことを書き込んでいた。でも、あまり見せたがらないから、私は彼女の思いを尊重して手記の中身を一度も開いたことはない」
お母さんの本心は私にもわからない。
でも、お母さんの写真で、こんなにも私は喜ばされたものだ。直に見た彼女は、どんなに幸せだったんだろう。
写真でしか知らないもの、初めて見るものって、誰にとってもそそられるもの。
だから、それが失われる悲しさやつらさは、私にはきっと、想像もつかないものだったんじゃないだろうか。
でも、それでも私は『お母さん』を知りたい。
「......今、お母さんの手記はある? 見せて」
「......そうか」
「大丈夫だから」
パパは、その手記を持ってきてくれた。大人げない、今にも泣きそうなしぼんだ顔で、私に問いかける。こわくないのか、と。
「この写真と手記に触れる時だけ、私はお母さんと一緒になれるの。
おんなじ景色をながめている、同じ気持ちで。だから、怖くない」
手記は黒塗りまみれで、脈略のない英単語ばかり。
真っ黒なら、それはそれですがすがしいというのに、いくつかの言葉だけが都合よくつぶされずに残されている様子だった。
「洞窟、焚火と少女」
何かの唱え事か、おまじないなのか。私は順番に口に出してみた。
「罠、儀式、神秘......葛藤」
あいまいな表現ばかりが並んでいる。罠とは何なのか、神秘とは。疑問ばかりが頭に残り、違和感にのまれる。
さらにページをめくるも、あとはすべて真っ黒。何も見えない。 最後のページをめくり、ついに本を閉じてしまう。
「なんか、あんまり内容がなかった気がするよ」
「まあ、失敗した冒険だ。こういうこともあるのだろうな」
こんなものかと、私は少し残念で深いため息をついてしまった。
「......ごめん。結局何もわからなかった」
「ちがうよ、アイリ―。おまえは、私に勇気を分けてくれた。ありがとう」
「そう......ならよかった」
すごく残念な気がしてならないけど、もうずいぶん遅くなってしまったみたい。目がぼやけて、いまにも眠ってしまいそうだ。
パパは、良ければといって、お母さんの手記を私にくれた。
《はじまり》
事件が起こった。燭台の火が、母親の手記にかかってしまっていたのだ。
「あっ!?ろうそくが倒れてるじゃん」
これでまずいのが、パパが眠っているのだ。大切な遺品が燃えるなんて、あってはいけない。
そう先走り、あわてて火をはたいてしまった。しかしかえって、さらに加熱を強めてしまう。 かなりまずい。
あげく、表紙についていた炎は本の中にまで差し掛かってしまったように見える。
「えい」
火が広がるのを見て、逆に冷静になった私。とっさにコップの水をかけて消火した。
なんてことを......黒塗りとはいえ、数少ない記録なのに。確実に中身に燃え広がっていたのが見えたので、おそるおそる表紙を開いてみる。
そして“それ”は突然、私の目の前に姿を現した。
「……なんだこれ」
私は見た。ページにまだ炎が残っていて、消えかけている。
でも、それだけじゃなかった。黒塗りになっていたところが燃えるところを見ると、確かに見える。 黒塗りで見えないはずの文字が、火の粉によって、その輪郭をあらわしたのだ。
「......い」
その炎を、新たに浮かんだ言葉を、私はただ見届けた。
なぜこのような形で見えるのか、まったくわからない。
とても信じられない。だけど何か、その歪な現象が、私を未知の何かに引き寄せているように感じている自分もいる。
お母さん、あなたは一体、何を見たの?
その疑問に応えるかのように手記からあぶり出たその言葉を、私はとなえる。
「......異世界」
石壁でできた部屋、隅にあるベットの上で、私は考えている。 明かりのない真っ暗な部屋なのに、どうにも目がさえる。
今でもあの文字が、目に焼き付いていた。
異世界って何だろう。あのインクも。燃えることで見えるようになるなんて、今でも信じられない。でも、確かなことがある。
――――あの本には絶対に何かが隠されている事と、
私が、それを知りたくて仕方がないというこの気持ち!――――
私は決心した。 ただ真実を知るために、母親の痕跡をたどって、洞窟を開拓して見せる、と。
本物の冒険家が隠したもの、それを掘り返していく。 隠された真実を暴き、見たことのない景色を探す旅というイメージがふくらんで止まない。
パパも、きっと喜ぶよね。お母さんの冒険が失敗じゃなかったなら、どれだけ嬉しいだろう。
そんな想像のせいで、私は明日が待ち遠しい。
次に起きたら、すぐ冒険に出かけよう。




