月蝕の魔女
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――風が、ふいていた。
貧民街の広場。
レオンは手を挙げたまま、子どもたちを解放するよう説得をこころみる。剣を持たぬままダフネたちと向き合っていた。
ダフネ=ファーネ。魔女狩りの聖騎士の中でも“沈黙の天使”と呼ばれる騎士。
神父アルマン直轄の直属部隊。
“魔力回路を一時的に遮断する”という異能をを操るが、それはあくまで補助にすぎない。
本当の恐ろしさは──その冷静さと合理性だった。
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ダフネは指のサインで他の聖騎士にサインをだす。
3人で子供四人を拘束していたが、一人だけ残り他はレオンにジリジリと近づいていく。
その時、広場の後ろからリリスは飛び出し、子どもたちを捕まえている聖騎士の真後ろに忍び寄る。
近くまで来るとかなりの集中力で騎士の目玉の位置を断定し、発火する。騎士が叫ぶ前に口を焼く。そして手が離れた瞬間に騎士に体当たりしてスンッ飛んでいった騎士は広場に転がった。
「子供たちに手を出したら、あんたを焼き尽くす」
「なるほど。さすがは“魔女”だな」
ダフネが開眼する。その瞳は紫色に光っていた。
──次の瞬間、リリスは火の魔法を行使しようとしたが間に合わず、魔力をうまく練ることが出来ない。
「ッ⁉」
魔力の循環ができなくなったことによって貧血と同じ症状がきて、一瞬ふらつく。意識を保てないリリスは膝からおち、平衡を失い、壁に叩きつけられる。
「リリスッ!」
レオンが駆け寄ろうとしたその時、3人の兵士がレオンに対して剣を振るい、何とかギリギリでよける。 そして壁に受け身も取れず倒れたリリスにダフネは風のように跳び出し、拳を振るった。
ゴン!
リリスの頬が打たれ、地面を転がる。血が流れた。
「“使う前に殺す”。それが魔女に対する唯一の対処方だよ」
魔力を溜める暇もない。ダフネの動きは、魔法使いへの**“最適化された殺しの動き”**だった。
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「やめろッ! 話をきいてくれッ!!」
レオンは剣も魔法も持たない。
だが、“言葉”だけは武器にできると、信じていた。
「リリスは人間だ! 俺と同じ、泣いて、傷ついて、怯えてる!
あんたたちは、“魔女”って言葉で全てを切り捨ててるだけだ!」
ダフネの手が止まる。
だがそれは一瞬だった。
「はっ。人を焼き殺しておいてそんなことをのたまうか。言葉で人は救えない。私は魔女に攫われる母を“言葉”で救おうとして、間に合わなかった。
だから私は、“魔法よりも先に切る”。それだけだ」
ダフネはリリスに憎しみの刃を向けた。
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そのとき――
風が逆巻いた。
空が一瞬、黒く閉ざされる。
闇に紛れて現れたのは、細身の女性だった。
黒髪をゆるく結い、和の意匠を残した着物のような衣をまとう。
ダフネが一歩下がった。
「……これは…誰だ!?」
「“風”よ」
女は微笑む。
「お取り込みのところ失礼するわ。ちょっとどいててくださる?」
女が指をひとつ鳴らす。
──ダフネの身体が、空気に包まれ、宙を舞う。
呼吸も、方向もわからない。
プカプカと無様に空を泳ぐ。
ダフネは何とか切りつけようと刀を振るが当たるわけもなく、だんだん遠ざかっていく。
「風が……お前……“月蝕の魔女”か……!」
その言葉に、リリスの瞳がかすかに揺れる。
「……月蝕の……魔女?」
だが、女は何も言わず、ただレオンのほうへ目を向けて、優しく微笑んだ。
「あなたは、転移者ね。それも日本人。」
それはレオンが久方ぶりに聞いた、耳にとても慣れた言葉。日本語だった。
他の聖騎士達もプカプカと浮かび、空を舞って森の方へ消えていった。
レオンは感謝を表すためにすぐさま頭を下げ、一瞥し、リリスの元に駆け寄った。
「リリス。すまない。ほっぺたから血が………俺に力があれば…」
すっと差し出された手を握り、リリスは立ち上がる。レオンはポケットから手ぬぐいを取り出し彼女にわたした。
「別に、あなたは強くなくていい。私に守られてるくらいが丁度いいのよ。今回はやられちゃったけど、今度は負けないから。」
レオンはそのリリスの言葉に頷きながら手を取って抱きしめた。
「よかった。生きててくれて。」
リリスはあまりの出来事に息をするのを忘れてしまった。
子どもたちが気絶から起き上がり周りを見渡して抱きしめ合う二人を見るやいなや。
「ラブラブだー。」
と茶化していた。
「うん。大好きなのは伝わったから少し場所を変えましょ?」
二人は照れながら月食の魔女の言う通り場所を変え、土窟に戻ることにした。
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夜がようやく静けさを取り戻す。
レオンはリリスの頬を手当しながら、月食の魔女に問いかける。
「……先程はろくにお礼もせずすみません。助けていただいてありがとう御座いました。月食の魔女さんとお呼びすればいいですか?」
「いいえ。私はただのシオリ……私の知らない魔女が、魔女狩りに遭っていると精霊たちが教えてくれてね。
あの子が生きていてよかった。……とても綺麗な瞳だこと。」
そう言って、シオリと名乗った女性はリリスの瞳をのぞく。リリスは居心地の悪さを感じたが、助けてもらった手前どうしたらいいか悩んでいた。
「…あの、私も助けてくれて、ありがとう…ございました。」
「ふふ。素直な子たち。とても面白いわ。特にあなた。その火の魔法はまだ未完成ね。これからが楽しみだわ。」
「えっ…?未完成?」
「大丈夫、あなたたちならすぐに完成するわ。ふふっ。さて、私はもうお暇するわ。目的は果たしたしね。」
そう言うとシオリは立ち上がり髪に挿しているかんざしの鈴がシャリンとおとを鳴らす。
「あなたは……」
盲目のお婆さんが言葉を発すると、少しだけ微笑んでシオリは風に乗って外の暗闇に消えていった。
リリスはまだ混乱していた。
「な、何だったの?……あのひとは……」
異世界転移者で同郷の日本人。
それだけで話したいことは山程あったが俺たちを助けてすぐに消えていった。
「リリスを助けに…?同じ魔女だから?」
「そんななれ合いはないと思うわ。それに魔女のほとんどは魔女狩りにあったと聞くし。……私もその一人だから…」
「謎が多いが、本当に助かってよかった。子どもたちも」
子どもたちがニンマリと笑顔をこっちに向けている。
「あの………あんた………さっきから……手、握りっぱなしよ」
「あっ!ごめん。つい。嬉しくてさ。」
はははと快活に笑うレオンに、リリスは少しだけそっぽを向く。
「………ばか」