第四章:機械の鼓動と汗の結晶──一週間の脱水機修練
しゅー……と、スクリュープレス脱水機が吐息のように息を漏らす。重厚な鉄の塊が、規則正しくゆっくりと動き出すたび、誠の胸の鼓動と重なり合った。作業場は汗と油、そしてどこか独特なポリ鉄の塩辛い匂いに満ちている。湿った空気に混ざって鼻の奥に染み込むその匂いは、この場所でしか味わえない特有の「匂い」だった。
「まこっちゃん、最初は焦らずにやらにゃいけん。機械は生きとるんじゃけぇ、急ぎよったら壊すで」
藤巻が冷静な声で言った。彼は26歳、短髪の黒髪にピアスを光らせ、地元のバンド仲間とギターを奏でる日々も送っている。そんな彼がここでは脱水機の操作で一番うまいと評判だった。含水率66%という目標値をピタリと出す腕前に、職場の誰もが一目置いている。
五十代後半の西谷さんは、職人気質の男。無駄口は少なく、機械の状態を音や振動で的確に読み取る。彼はまだ誠を「まこっちゃん」とは呼ばず、その動きをじっと見守っていた。
初日、誠は機械の前で肩に力が入っていた。藤巻が網目の点検を教えてくれる。
「まずは網目をチェックせんといけん。小石や枝葉、ゴミが挟まっとると故障のもとじゃけぇな」
誠はじっと網目を凝視し、小さな砂粒や細かな枝葉を取り除いた。指先は油で滑り、汗と混じり合うポリ鉄の塩辛い匂いが鼻を突いた。作業場の湿気が肌にまとわりつき、四月の初めだというのにエアコンはなく、暑さがじわじわと身体にのしかかってきた。
「これが“クリスタルうんち”のはじまりじゃ。ここの汚泥は凝集剤が入っとるけぇ、フロックと呼ばれる塊ができるんよ。このフロックがしっかりできんかったら、脱水の効率が落ちるんじゃ」
藤巻の説明は的確で、誠はそれを聞きながら自分の知らない世界に足を踏み入れたような感覚になった。
二日目。操作パネルの前で藤巻は自作のマニュアルを渡した。
「これ、俺が作ったお手製マニュアルじゃ。見ときゃわかるけど、何度も確認せんといけん。失敗したら大変じゃけぇな」
マニュアルは擦り切れた紙に手書きで注意点がびっしりと書かれていた。誠はページをめくり、操作の流れを頭に叩き込んだ。
「スイッチを入れる順番がある。まずは動力を入れて、次に送りネジを動かす。送りネジから先に回すと詰まるけぇ要注意」
誠は震える手でパネルに向かい、藤巻の指示に従った。ボタンやレバー、無数の表示灯が光り、まるで異国語のような機械の言葉を読み取ろうとしていた。
「焦るな。機械は焦らんけぇ、あんたが慌てたら機械も壊れる」
脱水機が低いうなりを上げ、中のスクリューが回り始める。含水率計の針が67%を指し、目標の66%に少し届かなかった。調整が必要だ。
三日目。機械の動きは少しずつ身体に馴染み始めた。
西谷さんが近づいてきて言った。
「機械の音を聞き分けとるか?調子が悪い時は、必ず何か違う音がする。小さな違和感を見逃すな」
誠は微かな異音に神経を集中した。軋むような音、かすかな金属の擦れ合う音。機械は常に何かを語りかけているのだと、西谷さんの言葉で気づいた。
「この仕事の半分は、機械の声を聞くことじゃ」
四日目、藤巻は誠に話した。
「凝集剤のおかげで汚泥がフロックという塊になる。これがしっかりできんかったら脱水できん。フロックが大きくなりすぎても詰まるし、ちっちゃ過ぎても水が切れん。バランスが命じゃ」
誠はその言葉を反芻しながら操作パネルの各種調整を試みた。薬液注入量や攪拌速度の調整でフロックの形成具合が変わることに気づいた。
「数値が悪い時は、凝集剤の量を少し増やすか、攪拌を調整する。毎回違うから、感覚も必要なんよ」
藤巻は淡々と説明しながらも、誠の疑問に丁寧に応えた。
五日目。脱水機から吐き出される汚泥は次第に固形化し、理想的な状態に近づいていた。
「これが“クリスタルうんち”じゃ。汚泥はここで助燃材としての役割を持つ。単なる廃棄物じゃのうて、価値ある資源になるんじゃ」
誠は言葉の重みを噛みしめた。見た目は決してきれいじゃないが、この“クリスタルうんち”は地元のクリーンセンターへ運ばれ、再び役割を果たすのだ。
六日目。藤巻は再び手書きで書き加えたマニュアルを手渡した。
「薬剤の注入量と攪拌速度はここが大事じゃ。調整が甘いとフロックができんし、多すぎても逆効果。経験積まんとわからん」
誠は夜、宿舎でマニュアルを繰り返し読み込み、頭の中で機械の動きをシミュレーションした。
七日目。西谷さんがついに口を開いた。
「だいぶ慣れたな。まこっちゃんと呼んでやろうか」
誠は思わず笑みを返した。まだ戸惑いもあったが、その呼び方が自分の居場所を確かにした。
一週間の修練を終え、誠は再び脱水機の前に立った。鉄の巨人が規則正しく回転し、含水率計は66%を指す。
汗と油の匂いに包まれながら、誠は深く息を吸った。
「クリスタルうんち……これが俺の仕事の結晶なんだ」
機械の重い鼓動と共に、彼の新しい生活が確かに始まっていた。
脱水機の回る音は静かに夜空に溶けていき、施設の灯りは静かに瞬き続けた。誠はここで、確かな自分の居場所を見つけていたのだった。