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第二十二章-2 沈黙の揺さぶり


午後の沈んだ空気の中、田村誠は佐野副所長の視線を感じながら、中央監視室のモニターに向き合っていた。佐野の言葉はいつも含みを持ち、冷たい刃のように胸を刺す。


「田村くん、君もそろそろ、ここのやり方に馴染まなあかんな」


その声は穏やかに響いたが、明確な圧力だった。田村は顔を上げ、ゆっくりと答える。


「佐野さん……俺は数字の裏にある真実を守りたいだけです。嘘をついているのがわかっているのに、それを見過ごすことはできません」


佐野は微かに笑みを浮かべた。


「理想論は立派だが、この現場は理想だけでは回らん。数字は“現場の空気”で合わせるものだ。お前の正義感が、足を引っ張ることもあるんやで」


田村の胸に怒りが込み上げた。しかし、その怒りを飲み込み、冷静に言葉を選んだ。


「でも、見て見ぬふりをしていても、いつか大きな問題になるはずです。僕は、仲間たちを守るために、真実を伝えたい」


佐野は田村の瞳をじっと見つめた。長い沈黙の後、重く言葉を落とす。


「それで潰されるのはお前や。覚悟しとけよ」




その夜、田村は再び書斎でノートを開いた。外は深い闇に包まれ、窓の外の街灯がぼんやりと揺れている。


「覚悟か……俺はまだ、どこまで耐えられるのか自信がない」


しかしその中で、決意の炎は消えていなかった。


「仲間のために、俺は嘘を見逃せない。どんなに孤独でも、ここで諦めたら、未来はない」


田村はペンを握り直し、次の行を力強く書き始めた。


「この腐った空気を、必ず変えてみせる」


夜の闇は深く、田村誠の部屋の空気も静まり返っていた。デスクの上に置かれた古いノートは彼の思考の軌跡を記録し、そのペン先はまだ震えている。胸の中の葛藤は晴れることなく、彼の心を何度も引き裂いた。


「……俺は、誰のために闘うんだ?」


答えのない問いに向き合うとき、彼は自分自身の弱さも痛感した。現場を支える仲間たちの顔が浮かび、そして数字の向こうに隠された真実の重さがのしかかる。


「数字をいじることは、単なるミスじゃない。これは現場の命を預かる仕事の根幹を揺るがす行為だ」


ペンを握る手が一瞬強く握りしめられ、爪が指先に食い込む。呼吸が乱れ、肩を震わせながらも、田村は自分に言い聞かせた。


「逃げるな。ここで踏みとどまらなければ、俺は潰される。だが、それ以上に潰されてはならないものがある」


その“潰されてはならないもの”とは、嘘に塗り固められた職場の腐敗から現場を守る使命感だ。




翌朝、田村は早くに職場へ向かった。まだ薄暗い空の下、彼の足取りは重いが、どこか決意に満ちている。


中央監視室の扉を開けると、藤枝健司がいつものように大声で話しかけてきた。


「おはようや、田村さん! 昨夜は遅かったんか? 何や真剣な顔してるな」


田村は微笑みながら返す。


「うん、いろいろ考えてたんだ。現場のこと、数字のこと……」


藤枝は肩を叩きながら言った。


「お前みたいな奴がいてくれて助かるわ。俺ら、チームやからな。支え合おうや」


その言葉に田村の胸は熱くなった。仲間の存在が彼の心の支えだった。


しかし、現実は容赦なく彼を追い詰めた。昼過ぎ、佐野副所長が冷たい表情で田村に声をかける。


「田村くん、最近の君は余計なことを考えすぎや。もう少し大人になって、ここでうまくやらんと」


言葉の裏にある脅迫とも取れる警告に、田村は一瞬言葉を失ったが、静かに答えた。


「佐野さん、数字を操作することが現場のためになるとは思えません。僕は、この腐った空気を変えたいんです」


佐野は短く鼻で笑い、軽く頭を振った。


「理想はいい。しかし、理想ばかりじゃ飯は食えん。現場は数字を合わせて回すもんや。それが現実や」


田村の心は揺れた。だがその揺れは、彼の中の何かを決定づける揺らぎではなかった。


「俺はこの現場で、仲間を守りたい。嘘の数字で安心させるのは間違っている」


そう強く言い切ると、佐野は視線を鋭くした。


「覚悟せえよ。お前みたいな正義感が強すぎる奴は、いつか潰される。それでも構わんのか?」



その言葉が胸に刺さる。田村は一人、深く息を吐いた。


「潰される……でも、俺が黙っていたらもっと大きな被害が出る」


その夜も、田村は自宅の書斎でペンを走らせていた。頭の中は様々な思考で渦巻き、言葉にしなければ収まらないほどだった。


「こんな腐った空気の中で、どうすれば仲間を守れる? どうすれば真実を伝えられる?」


彼は自分自身に問いかけながら、ノートの余白に大きく「告発」の二文字を書いた。


「これが俺の答えだ。怖くても、逃げられない。仲間のために、この腐敗に立ち向かわなければ」



次の日、田村はついに動き出した。朝一番、山村所長を訪ねたのだ。


「山村所長、少しお時間をいただけますか?」


所長は忙しそうに書類をめくりながらも、田村の真剣な表情に気づき、顔を上げた。


「田村くん、どうした? 何か問題でも?」


田村は深呼吸してから話し始めた。


「最近の水質データに、明らかな不自然さを感じています。試薬の減り具合や試験管の状況から、数字が操作されている可能性があります」


山村は少し驚いた表情を見せたが、すぐに落ち着きを取り戻し、言葉を返した。


「そうか……それは重大な問題だな。具体的な証拠や資料はあるのか?」


田村はノートを差し出し、改ざんを示すデータの記録を見せた。


「これが証拠です。僕は、このまま放置できません」


所長は資料に目を通し、眉をひそめた。


「わかった。調査を進める必要があるな。だが、こういう話は慎重に扱わねばならん。佐野副所長も関わっていることだし……」


田村は緊張しながらもうなずいた。


「はい、慎重に行動します」



しかし、田村の動きはすぐに職場内で波紋を呼んだ。佐野副所長の耳にも入り、彼はますます冷たく、圧力を強めてきた。


「田村くん、所長に話を持っていくなんて、軽率だ。君は現場の空気がわかっていない」


だが田村は屈しなかった。


「僕はもう黙っていられません。現場の皆が安心して働けるためにも、真実を明らかにしたいんです」


佐野は吐き捨てるように言った。


「お前はこの職場に合わん。覚悟しておけ」



その日以降、田村に対する職場の空気は変わった。些細なミスを責められ、声をかけられる回数も減っていく。難波江の冷たい視線も増えた。


しかし藤枝だけは違った。


「田村さん、お前は間違っとらん。俺ら、仲間や。お前の背中は俺が守る」


その言葉が田村の心の支えだった。


日々の葛藤と孤独の中、田村は自分の決意を再確認した。


「孤独でもいい。真実はいつか必ず明るみに出る。俺はそれを信じて、進む」


そして、彼は新たな一歩を踏み出す準備を始めた。


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