第十七章 鋼鉄の現場
六月の蒸し暑さが徐々に現場に重くのしかかる頃、田村誠はいつものように作業着の袖をまくりながら、現場の古い作業台の前に立っていた。藤枝健司と共に作り上げた新しい機械整備マニュアルは、現場の混乱を収める切り札になるはずだった。
「誠くん、あの活性炭切り替えの件、どう思う?」藤枝は無造作に工具箱を開けながら声をかけた。
田村は腕組みをしながら眉をひそめた。「マニュアル通りに動いたはずなのに、あのポンプの切り替えミスが出たのは痛い。原因は明確じゃないけど、現場の慣れと意識の差が出たんだろうな」
藤枝は苦笑いを浮かべる。「おれも感覚でやるところが多くてな。書類仕事はホントに苦手だ。今回も説明不足だったかもしれん」
田村は真剣なまなざしを向け、「俺たちだけじゃなく、みんなが使いやすいマニュアルじゃないと意味がない。もっと現場の声を聞いて、分かりやすくするべきだ」と決意を語った。
だが、現場の空気はまだ重く、ミスの影響は決して小さくなかった。
その日の午後、所長室では所長と西谷が密かに顔を合わせていた。
「マニュアル導入後のトラブルで、現場の士気が下がっている。特に活性炭切り替えでの不具合は致命的だ」と所長は静かに切り出した。
西谷は眉をひそめながら、「さらにあの難波江の存在が場の空気を悪くしている。彼の自己中心的な態度がチームを割っているのは明らかです。彼への対応は慎重に行う必要があります」と忠告した。
「俺も彼には二人きりの時に厳しく注意しているが、表面上は擁護せざるを得ない。社内での立場を考えると、なかなか断ち切るのも難しいんだ」と所長。
西谷は鋭い目で所長を見つめ、「それでも放置すれば、彼の陰湿な妨害がさらに進みます。こちらからも動きましょう」と強く提案した。
所長はうなずき、深い溜息をついた。「わかった。現場の統制を保つためにも、君には難波江を密に監視してもらう。何かあればすぐ報告してくれ」
二人の会話は、職場の緊迫した現実を映し出し、これからの難しい舵取りを予感させていた。
その一方、難波江は表向きは淡々とした態度で現場に溶け込みながらも、内心では田村や藤枝の取り組みに敵意を隠さなかった。
彼は細かなミスやトラブルを陰で大げさに取り上げ、密かに妨害の手を伸ばし始めていた。たとえば、マニュアルの書き換え作業のとき、わざと作業指示を誤って伝えたり、藤枝の整備用具に小さな不具合を仕掛けたりするなど、悪意の行動を繰り返した。
そんな様子を察知した田村は、ある夜、難波江の背中を見つめながら静かに呟いた。
「このままじゃ現場は崩れてしまう。俺たちで、何とか立て直さなきゃならない」
藤枝もまた、苦笑いの中に不安をにじませながら、「難波江のせいで頭が痛いけど、俺たちの仕事は止められねえ。やるしかねえんだよな」と応えた。
現場では、田村と藤枝がマニュアルの改良を進め、繰り返されるトラブルに一歩一歩対処しながらも、チームの再建に必死だった。所長と西谷の密談が裏で続くなか、難波江の陰湿な妨害は新たな火種となり、職場の緊張は一層高まっていく。
田村の眼差しは鋭く、藤枝の笑い声は少しだけ力なく響く。
だが、二人は確かに前を向いていた。職場の未来を信じて。