謎物語としての、泉鏡花『眉かくしの霊』
[原文] 青空文庫
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『眉かくしの霊』(大正十三年(1924年)作)は、とくに難解な修辞もなく読みやすい短編だ。各アンソロジーに収録され、『高野聖』と抱き合わせで文庫収録されていることもあって、ネットのあちこちに粗筋が書かれているので、必要であればそちらも参考にしてください。
辞書を引かなければわからない馴染みのないことばも、他の鏡花小説に比べると、以下のようにかなり少ない。
【語釈】
一
・奈良井
中山道六十九次の中ほどにある木曽の宿場町。
・中央線起点、飯田町
中央線の始発駅となった、旧・甲武鉄道の駅。
現在のJR中央線飯田橋駅より、地下鉄東西線飯田橋三丁目駅に近い。
・次郎どのの狗
わらべ歌「お月さまいくつ」の歌詞に出てくる、油をなめる犬。
(秋月しろうさんに教えていただきました。)
・秋葉山三尺坊
遠州秋葉山の天狗。本文は、天狗たちの飯綱(妖術)の修行で、
食事の断物をしたのに巻きこまれた、ということか。
・山駕籠
山道で使う粗末な駕籠。
・八間行燈
平たい大形の釣りあんどん。
現在の和室に吊す四角いペンダント照明のような形のもの。
・蝶脚
蝶足膳。足が蝶の羽のような形をした塗り膳。
・わらさ
小型(体長60cm)の鰤のこと。
・鶫
現在は保護鳥となったが、かつてはさかんに食用にされていた。
二
・越
越国の略。越前、越中、越後にまたがる古代の区分け。
鏡花の故郷、金沢を含む。
・じぶ
じぶ煮。主に石川県で食べられている煮物。
・羹
とろみのあるスープ。
・朴の樹
モクレンのなかまの落葉高木。
・たしない
足し無い。物に乏しい。
・半作事
作りかけの建築。半造作。
・巴の紋
二つ巴は大石内蔵助(芝居では大星由良之助)の家紋。
ここから木曽義仲の愛妾、巴御前を連想している。
・けっく飲める
結句=かえって、飲める。
四
・きざ柿
木についたままで熟して甘くなった柿。
・二百十日の荒れ前
立春から210日目(9月1日ごろ)の、台風がよく来る厄日。
五
・たつみ上り
かん高い声。
大坂の米相場が辰と巳の日に高騰するからという説もある。
・微禄
おちぶれること。零落。
・沽券潰
沽券(売渡しの証文)を書いて潰れた家。
・五蘊
本文で指しているのは、ニンニク、タマネギ、ネギ、ニラ、ラッキョウ。
・塩で弁じる
塩で処理する。→塩漬けにする。
六
・棒鼻
宿駅のはずれ。
・烏金
赤銅のこと。
・しとぎ餅
米粉を水でこねて丸めた餅。古くは神への供え物として作られた。
○
『眉かくしの霊』は、『歌行燈』と同じように膝栗毛がらみの紀行文ふうにはじまるので、おそらくは、旅先で遭遇したその土地の因縁がらみの怪談なのだろうと思って読みはじめる。実際にその通りの話であって、主人公は旅先の宿で何度も幽霊に遭遇する。怖いというより、雰囲気たっぷりを味わうような怪談で、怪談そのものより雰囲気作りのほうがメインになっている。というわけで、読んでしばらくすると、雰囲気的な要素しか記憶に残っていない。
どういう筋書きだっけ? と読むたびに忘れてしまって、もう四、五回ほど読んでいる。
怪談として、因果物語として、なんだかおかしい。
まず怪異として桔梗の池の女が出現するのだが、それとはなんの関係もなさそうな姦通疑惑事件が語られて、さらにその事件の直接の当事者とはいえない別の女が死んで幽霊になる。話がどんどんズレて、つかみどころなくはぐらかされて、霧の中での出来事のように釈然としないままで終わってしまう。なるほど、粗筋として記憶に定着するような話ではない。
そういうふうに書かれていること、つまり朧化を目的とする小説だから、朧な怪談ムードと、最後のゾッとさせる怪奇味を味わえばそれでいい。そう思うとそれまでなのだが、とてもそれだけだとは思えないような暗示的な要素も、あちこちに散りばめられているようだ。
もしかすると、読者に謎を投げかけた謎物語なのではないかという気がしなくもない。
今回は、そのつもりで読んで、空想を膨らませてみることにする。
○
まず、謎を解くきっかけになりそうなのは、主人公が宿泊する宿の池である。
桔梗の池で幻の女を目撃した料理番の伊作が宿の池に魅入られるさまは、『神鑿』で、菊松爺が城址の濠に通底した湖の虜になる様子にそっくりだ。『神鑿』における湖が城址の濠の鏡像であったように、宿の池は桔梗の池が鏡像化したのだと思われる。
また三節では、語り手が、これもまた鏡像のメタファーたりえる二つ巴の紋の提灯を持って庭を横切っていく料理番の伊作の姿を見送った後で、もう一度、宿の奥からこちらにやって来る同じ男の姿をふり返らずに見るという、たとえ幻像だとしても、鏡を使わなければ見ることができないものを見てしまう、不思議な体験をする。
ここで「鏡」や「鏡像」ということばがとっさに出たのは、桔梗の池の女が「鏡を前にした霊」という、幽霊としては珍しい、特殊な姿で現れるからだ。西洋では鏡というものには、箒、樹木、月などといった原始宗教の信仰対象と同様に、異端の匂いがまといつく。少なくとも紀元三二五年のニカイア公会議で二元論を主張するカタリ派が異端として退けられて以来の話なのだから、西洋的価値観そのものだといってもいい。西洋的な考えかたを嫌って、東洋的な二元論に敵対する要素に敏感だった鏡花には、だからこそ、その「鏡花」という名とともに、鏡のメタファーはふさわしいといえる。
また、『暗い鏡の中に』というドッペルゲンガーの伝説を扱ったヘレン・マクロイの名作ミステリがあるように、鏡像は容易に二重身と結びつき、本作でもまた、クライマックスで二重身が登場する。
鏡のメタファーは、どうやらこの小説の芯の部分にまで食いこんでいそうな気配である。
ならば『眉かくしの霊』の物語のなかに、さらに鏡像的な関係を見つけられないだろうか。
まずは怪談の前振りとして語られる、東京から来た芸者がツグミの丸焼きを食べた口もとを血で染めて、あわや猟師に撃たれたかもしれない、というサブ・エピソードがある。これはあきらかに、お艶が猟師石松に撃たれて命を落とす予告的な鏡像になっている。
さらにお艶は、口から三筋に分かれた血を吐いて絶命する。これは、(おそらくは桔梗の池と通底した)井戸水が、三つの蛇口から流れるイメージときれいに重なる。そして、蛇口からの水が注がれる先は、桔梗の池の鏡像たる宿の池なのである。
通常の鏡花の小説であれば、しばしば三階以上の高所にある場所で怪異が発生するのだが、この小説に限っては、語り手が三階から一階に移ったのを合図に異常現象が口火を切るのも興味深い。どうやら語り手が彼岸に踏むこむのではなく、彼岸が此岸に下ってきて、此岸に彼岸の鏡像を映してみせる話のようだ。
一方で、地域の人間関係に目をやると、さっそくそこにも、鏡像的な主従関係が描かれている。
代官婆
/ \
学士 石松
/ \
若夫人 その妻
猟師石松の妻はストーリーの前面に出ることはないのだが、わざわざ「女房も(代官婆のもとで)女中奉公をした」(五)と、必要のない情報を追記しているのだから、鏡花は意識的に、代官婆の権力下での「学士と若夫人」に対応する「石松とその妻」の鏡像的な主従関係を設定しているといえる。
この鏡像関係はなにを意味しているのか。おそらくは村内の封建的因習の縮図であって、村社会というもの全体を暗示しているのだろう。
そこへ、東京から来た画師が、若夫人との姦通疑惑をかけられることによって、シンメトリーの一部が破壊されてしまう。主と従の二元論的倫理観で安定していた関係性が、都会の(西洋的な)流動的価値観によって浸食を受けることになる。
この欠損の修復のため、すなわち画師、ひいては若夫人の嫌疑を晴らそうとしてやってきたのがお艶であって、彼女は自らを「奥行きがあって可うございます」(六)と、画師の本妻に対する「奥」の姿であると自己認識している。すでに別の価値観を持った集団での鏡像的存在なのである。
そのお艶は、二つ巴の宿紋が描かれた提灯で送られながら韮屋敷に向かうのだが、「巴がひとつになって」(六)と意識したとたんに、あっけなく命を奪われる。死んだ彼女がどうなったのかといえば、桔梗の池の女の鏡像、二重身としての亡霊にすり替わるのである。
桔梗の池の女とはなんだったのか。ここまで考えると、なんとなく想像がつく。
桔梗の池の女とは、封建的因習の修復装置として働き続けてきた存在であり、外部からやってきて手を加えようとしたお艶は、その修復システムに巻きこまれてしまったのだ。結果として(はっきりと書かれてはいないが)代官婆と石松は狂人扱いされることで村の人間関係の準外部に追いやられ、地域は以前のままの調和を取り戻すのだろう。
また、桔梗の池は、封建的因習の犠牲になった女の悲しみを引き受ける場所でもあり、その時代ごとの犠牲を呑みこみつつ、システムが引き継がれていく。最後に、新しく桔梗の池の女となったお艶とともに現れた伊作の二重身は、分身というよりも、(先に三節で鏡像的に予告されたように)過去の伊作の行動を鏡に映して繰り返して見せた鏡像である。それによって一つ巴が二つ巴に再生したと示すことで、桔梗の池が乱れた秩序に手を入れた、修復作業の完了を告げている。
「似合いますか。」とは、代替わりをした桔梗の池の女が、それにふさわしい存在であることの承認を求めることばなのかもしれない。
つまり『眉かくしの霊』は、伝説というものにはどういう役割があるのか、犠牲とはなにを目的としているのか、ということについての民俗学的考察を試みた小説なのではないだろうか。
盟友、柳田國男による、『遠野物語』(明治43年)以降の民俗学の成果を横目で見ながら、自分には学問に参画する余裕もないが、小説家としてイメージ的に、直感的な仮説を示すことならできる、と鏡花は思ったのかもしれない。ただし、既成の伝説を解釈するのではなく、伝説に対する民俗学的方法を解釈を逆方向に(すなわち鏡像的に)借用して、解釈の方法論から架空の伝説を組み立てたのであって、そういった新しい小説作法を、『眉かくしの霊』では実践してみたのではないか。
あまりにもこじつけめいた話のように思える。しかし、そう考えるほうが、五年後の昭和四年(1929年)に書かれることになる、あの、なんともつかみどころのない、民俗学となにかの混交体のような『山海評判記』という怪作を登攀するための、足がかりとするにふさわしい読み解きかたのような気がしてならない。
(了)