第32話 さあ決着を付けようじゃないか
「なんで兄さんは最後の最後で爪が甘いのよ!? いつもそうだよね? 肝心なところで駄目なんだから!」
エリオットの話をしに、ビアトリスとアンジェリカが住むアパートに足を運んだセオドアは、アンジェリカにすごい勢いで詰められていた。
「だってしょうがないだろ!? 結局信じて待つしかないんだよ? そうでないと、ますます彼は俺たちから離れて行ってしまう」
「でも、今のエリオットが何をしでかすか分かったもんじゃないじゃない! 自棄になってもしものことがあったらどうすんのよ!?」
「もしものことってどういう意味だよ?」
兄妹がそんな会話を繰り広げている横で、ビアトリスは沈痛な面持ちで黙りこくっていた。そんな彼女にアンジェリカがやっと気づいて慌てて取り繕う。
「そうは言うものの、実際はそんなに心配する必要ないわよ。エリオットだって子供じゃないんだから、ねっ」
今しがた言った内容とは真逆の言葉にビアトリスが騙されてくれるはずがない。彼女はますます顔を歪め、今にも泣きだしそうになるのを堪えながら言った。
「彼が何を考えているのが分からないのが一番辛い。どうして私たちに相談しないで勝手に行動してしまうの? 認められたいと言うくせに、彼だって私たちのこと信じてくれないじゃない! どうしてここまで心がすれ違うの?」
セオドアとアンジェリカは、お互い顔を見合わせたが、かける言葉が見つからなかった。ビアトリスの嘆きはもっともである。と同時に、エリオットは自分勝手ではあるが、彼の気持ちも分からないではない。双方の気持ちが理解できるだけに、下手なことを言えなかった。
「あのね、この際だから言ってしまうけど、エリオットは自分を卑下する癖がついてるから、君にはもっと相応しい人がいるんじゃないかと言い出して」
それを聞いたビアトリスは、堪えきれずにわっと泣き出してしまった。アンジェリカが「どうしてそんな余計なことを言うの?」と言わんばかりに兄を睨みつける。
「ごめん、泣かせるつもりじゃなかった。でも彼はそういう奴なんだよ。面倒くさいけど、その間違いを正してやらないといけない。屈折してるけど、君を好きだからこそおかしなことを考えてしまうんだ」
「ねえ、まさかとは思うけど、エリオットは、ビアトリスとマーク・シンプソンをくっつけようとしてない?」
アンジェリカの問いに、セオドアは困った表情を浮かべただけで何も言わなかった。しかし、その態度だけで答えは分かってしまう。ビアトリスは涙ながらの顔のまま愕然とした。
「何バカなこと考えてるのよ! マークとはそんな関係じゃないって言ってるのに! 彼だって一度もそんな素振り……」
と言いかけて、ふと止まる。ビアトリスが既婚者であることを打ち明けた時に、「それは意外だな」と言った彼の顔は少し残念そうではなかったか? もちろんそれ以上何も言ってこないが。ビアトリスは、その考えを打ち消すようにぶんぶんと頭を振った。
「とにかく! 私はエリオット以外ありえない! あの人が自分を否定しても私が彼を肯定する! 自分のことが好きになれるまで、私が彼を認め続けるんだから!」
「そうよ! その心意気よ! 夫婦でじっくり話し合えば簡単に解決することじゃない! 変に複雑にして遠回りしてバカみたい。不器用にも程があるわ」
アンジェリカはビアトリスをぎゅっと抱きしめながら励ました。今ここにいるのが自分だけじゃなくてよかったとセオドアは密かに思った。昔からお転婆で手を焼かされたアンジェリカだが、こういう時は彼女の明るさに救われる。
3人であれやこれやと話し合ったが、結局黙ってエリオットを待つしかないという結論に落ち着いた。彼が自分を信じて欲しいと言うのだから、それ以上はない。
少なくとも表面上は、いつも通りの生活を続けることになり、1週間余りの時間が過ぎた。
「最近どう? 君の周りで変なことは起きてない?」
マークは、律儀に毎朝決まった時間にビアトリスを迎えに来て、終業時間になると彼女を家まで送ってくれる。どんなに仕事が立て込んでいても、一旦彼女を家に送った後また職場に戻る。文句ひとつ言わず、ここまで至れり尽くせりなことに、彼女は感謝を通り越して恐縮しきっていた。
「ええ。編集長のお陰で安心して仕事ができますし、何とお礼を言ったらいいか分かりません」
「こっちとしては、絶賛売り出し中の作家さんだから。君のお陰で業績もいい。商売人としても、大事な商品に傷を付けられたら困るだろう? そんな事情もあるから気楽に構えて欲しい」
マークはそう言ったが、それすら彼女を気負わせないための気遣いであることは十分理解していた。本当にいい人だと思う。エリオットと出会う前に会っていたらどうなっていただろうか。ふと、そんなことを考えてしまった。
「あの、編集長は独身とお聞きしましたが、婚約者の方はいらっしゃらないんですか?」
毎日一緒に歩いているものだから、何となく気を許した気分になり、ついそんなことを聞いてしまった。口走った後でしまったと後悔する。
「今のところ誰もいないよ。つい最近ちょっといいかなと思う人がいたんだけどね」
「え? ええ!? そうなんですか……?」
ビアトリスは、妙に心臓がドキドキするのを抑えられなかった。いくら何でも自意識過剰だろう。バカなことを考えるんじゃない、自分には夫がいるのに。そう自戒したが、先日セオドアたちとした会話を思い出し、つい顔が赤くなってしまう。それでも知らない振りをするしかない。
「でも、その人は既婚者だったんだ。残念だという気持ちがなかったら嘘になる」
ビアトリスは何も言えず、耳まで真っ赤になりながら彼の言葉を聞いていた。
「僕も大人だし、そんなに気にしてない。相手の人も誠実そうだし、彼女には幸せになってもらいたい。それに、仕事の大事なパートナーだからそれを崩したくない気持ちの方が強いんだ。だから、障害がなくても何もアプローチしなかったかもしれない」
「あの……ごめんなさい。保身のためにあなたを騙す形になってしまって。私なんか、そこまでの価値はないのに」
ビアトリスは目を合わせられず、うつむいた状態のまま言った。胸が潰れる思いだ。
「気にしないで。僕は僕で、仕事上の付き合いを優先した。公私に渡るパートナーというのは、実は難しいんだ。だから、彼が自分で面倒を見ずうちに君を託した気持ちが分かる。こちらこそ、惑わせることを言ってごめんね。明日からは、いつも通りやって行こう」
ちょうどその時、アパートにたどり着いた。ビアトリスは、改めてお礼を言って、マークにさよならを言った。
(明日からはいつも通り……か。何事もなかったかのように取り繕えるか分からないけど、彼はちゃんとした人だから、そこはきっちりやってくれるだろう。いい人でよかった。私は人に恵まれている)
そんなことを考えながら、ビアトリスはコートとマフラーを脱いでハンガーにかけた。と、その時、荷物の一部をマークから受け取るのを忘れていた。重いから僕が持つよと代わりに持ってくれたのを、最後に受け取るのを忘れてしまったのだ。
どうしようと思っているうちに、玄関の呼び鈴が鳴った。よかった、マークが戻って来てくれた。通いの使用人は帰った後で、アンジェリカはまだ戻って来ていない。今、家にいるのはビアトリス一人である。
それもあってか、彼女は油断していた。てっきりマークが荷物を持って来てくれたものだと早合点した。そうでなければ、少しは疑う余地ができたのに。
ビアトリスは、何の警戒心もなくドアを開けた。そこには、思いも寄らぬ人物が立っていた。
「久しぶり、ビアトリス。どうしたの? そんな青い顔をして。王都に用事があるついでに立ち寄ったんだ。中に入れてよ」
人懐っこい爽やかな笑みをたたえたハンサムな青年がそこには立っていた。普通の女性なら彼の美しさに見とれたであろう。
しかし、ビアトリスは背筋がぞっとしてその場に立ち尽くした。どうしてユージンがうちの場所を知ってるの? 頭が真っ白になり言葉が出なかった。
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