表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

27/36

第27話 自分の知らない夫

それから数週間経ち、「楡の木」の新刊が発売され、ビアトリスの初の連載小説が掲載された。その前の実績が2回の短編小説だけで連載にこぎつけたのは異例のスピードで、なおかつ女性作家とあって、界隈ではそれなりに話題になった。そのお陰で「楡の木」の売り上げも少し上がったらしい。


「やったね! ビアトリス! ここまで苦労して改稿を重ねた甲斐があった! 幸先いいスタートが切れて嬉しいよ」


「編集長がマンツーマンで指導してくださったお陰です。毎日遅くまで残ってチェックしてくださったこと知ってます。一人の力ではここまでできませでした」


ビアトリスはマークに何度もお礼を言った。雑誌の売り上げも好調で編集部全体が活気にあふれている。嬉しいと思うと同時に、これから期待を裏切るわけにはいかないとプレッシャーものしかかってきた。


「連載開始記念に、今度食事にでも行こう。もちろん僕のおごりだ。未来の大作家さんに今のうちに顔を売っとかなきゃ」


それはどういう意味? ビジネスライクな関係と見ていいのよね? とビアトリスは一瞬固まった。未婚(と向こうは思っている)女性が男性と一対一で食事をするのは、慣習的にどうなのだろうか? 先進的な考えを導入すれば、今の時代そんなこといちいち気にする人はいないのかもしれないが、ビアトリスは田舎から出て来たためその辺の匙加減が分からない。家に帰ってからアンジェリカに相談しなければ。


しかし、家に帰ると、アンジェリカはまず最初にこんなことを言った。


「仕掛け上手なのは分かるけど、女性であることを売りにするなんて気に入らないわね。性別関係なく評価されるのが当然じゃないの」


女権拡張論者としてだけでなく、一般論としても彼女の言い分はもっともである。しかし、マークの作戦の意図も理解しているだけに、ビアトリスは何と答えてよいのやら迷った。


「それは確かにその通りだけど、男性優位の文芸界において、女性作家が出現する意義はそれなりにあると思うわ。もちろん話題作りもあると思うけど、女性であることをアピールするのは将来的にはいいんじゃないかしら?」


そして、マークと食事に行く話も相談してみた。


「ええっ? だから言ったじゃない! あの優男あなたに気があるんじゃないかって。別にただ食事をするだけなら構わないけど、少しでも変な素振り見せたらすぐに逃げなさいよ!」


「彼は紳士だから、変な素振りなんて見せないわよ。大丈夫よ。でもエリオットがどう思うかしら。それより、私の小説読んでくれたかな?」


「きっと読んでるわよ。普段でもライバル誌の動向はチェックするから、それがあなたの小説ともなれば尚更よ。私が編集部に行って聞いて来てあげましょうか?」


エリオットの感想を聞きたいような怖いような。ビアトリスは、そうねなどとお茶を濁してその場を収めた。しばらくエリオットとは話ができていない。批評会の日も直接会話をしたわけではない。どうせなら直接忌憚ない意見が聞きたい。


しかし、彼は自分に会いたがっているのだろうか。向こうからは音沙汰はない。彼の本意が分からない以上、自分からは動けなかった。


そんな思いを抱えていたある日、仕事が終わって建物を出ると、視線の先に見覚えのある人物が立っていた。エリオットだ。どうやらビアトリスの帰りをずっと待っていたらしい。


「エリオット……久しぶり! わざわざ会いに来てくれたの?」


ビアトリスは駆け寄って熱い眼差しで彼を見つめた。エリオットは、自分が場違いなところに来てしまったかのようにじたばたとたじろぐ。同業他社の建物の前で待つのは勇気が要ったらしかった。


「どうしても顔が見たくて……連載のお祝いも言いたかったし」


久しぶりの再会なのに、どこかよそよそしさが隠せない。ビアトリスはそれがとてももどかしく思えた。


「前に一人前になれるまで会えないみたいなこと言ったけど、全然目標達成できてないんだ。でも、我慢ができなくなって気づいたらここに立っていた」


「そんなの嬉しいに決まってるじゃない! バツが悪いなんて思わないでよ!」


ビアトリスはぱっと顔を輝かせてエリオットの腕を取った。エリオットも自分に会いたいと思ってくれたのがとても嬉しい。


「ねえ、私の家に来てゆっくりお話しましょうよ? まだアンジェリカは帰宅してないと思う」


エリオットは、ビアトリスのアパートに来るのは初めてだ。女性の暮らす住居に足を踏み入れるのが落ち着かないらしく、滑稽なくらいにおどおどしている。ビアトリスは、そんな彼の様子に頓着することなく家に招き入れた。


「こないだ批評会で顔を見たけど、あなたと話すチャンスがなくて残念だったわ。マークにはペンドラゴンの妻だってことは内緒にしているの。そのことで気分を害したら申し訳ないけど……」


ビアトリスは、お茶とお茶菓子を用意しながらエリオットに話しかける。彼は居心地が悪そうにちんまりと座っていた。


「それはセオドアから聞いているから大丈夫だよ。僕も内緒にしておいた方がいいと思う。そんなことを気にする人物には見えないけど、今は大事な時だし一応」


「でも批評会自体は楽しかった。もちろんあなたがいたからよ。あそこは言葉のボクシングを見る場だと言われているけど、私はあなたの話の方が面白かった。正にペンドラゴン節って感じだったわ。二人が同一人物だってやっと受け入れられたもの。それが一番の収穫」


臆面もなくビアトリスから言われて、エリオットの顔が赤くなった。


「そんなこと言ってくれるのビアトリスだけだよ……終わった後も多くの人から期待外れだのもう来るなだの言われたし。セオドアすら、あの場は敢えて喧嘩腰でふっかけるものなんだと説教された。でもよかった。ビアトリスのために出場したから、君が喜んでくれるのが何よりだ」


「あなたは自分の作品がコケにされて悔しくないの?」


「人格批判をされたわけでもないし、作品の批評自体は別に。元々怒ることも余りないしね。ただ、自分自身は、他人の作品を悪しざまには言わないようにしてるんだ。作品は自分の子供みたいなものだから、けちょんけちょんに言われたら嫌だろ? その辺は雑誌の原稿を書く時も気を付けている。文芸批評の場は荒れやすいから、せめて自分だけは穏やかな空気を浮くりたいと思って。特にうちは文学志望者の中でも血気盛んなタイプが集まりやすいみたいなんだ。だからバランスを取っているつもり」


前にマークが、「紅の梟」はイキり作家志望が多いと言っていたが、編集長自ら認めているようである。エリオットは一旦言葉を切り、お茶を少し飲んでからまた話し始めた。


「今日君に会いに来たのは、『楡の木』に掲載された小説を読んだからなんだ。その……すごくよかった。前に別の短編を読んだ時よりも更によくなってた。もちろん、君自身が上達したからだろうけど、指導の仕方もいいんだろうと思った。それを自分が果たせなかったことが何だか悔しく思えて……なんで自分じゃないんだろう、君の才能を伸ばすのは僕がやりたかった。ハハハ……勝手だよね。身内じゃ正常な判断ができないからと言って他に出したのは、紛れもなく自分なのに」


自嘲気味に笑うエリオットを、ビアトリスは驚きを持って見つめた。彼が赤裸々な気持ちを吐露するのは初めてだったからだ。


「更に言うと、兄様のところから逃げて来たのも、君を侮辱されたからなんだ。君は僕にふさわしくないから離婚して他の女性と結婚しろと言われて、初めて何かおかしいと感じた。今まで通りだったら何も気づかなかった。兄様とは、もう一度会って話し合う必要があると思ってる。幾ばくかでも本当に僕を愛していると信じたい気持ちもあるんだ。そう思わないと、自分が崩れてしまいそうで……」


エリオットが辛そうに頭を抱えたので、ビアトリスは、両腕を彼の体に回してぎゅっと抱きしめた。今は自分がいると彼に知らせたかったのだ。


「ごめん。君にはずっと世話になりっぱなしで。僕は何も返してやれないのに」


「いいえ。もうたくさん貰ってるわ。あなたと会って私の人生も変わった。会わなければ、今でも実家でくすぶっていたかと思うとぞっとするわ」


そう言って彼を笑わせようとしたが、エリオットは力なく微笑んだだけだった。


「どうしたらいいのかな。君の隣に立っても恥ずかしくない人間になりたいのに、いつまで経っても成長できない。その代わり醜い嫉妬や焦燥感ばかり出て来てしまう。こんな汚い感情が自分の中にも存在するんだってびっくりした」


「それが人間なのよ。あなた成長してるじゃない。醜い感情を抑えるには、まずはそれがどんなものか知る必要があるわ。今はその段階なのよ」


そう言って励ましたが、焦燥はともかくどうしてここで嫉妬という言葉が出るのだろう。思い切って聞いてみようか。


「そんなの……決まってるじゃないか」


彼が言った言葉はそれだけ、次の瞬間彼女の方にぐっとにじり寄り、両手で顔をつかむと唇をねじこんできた。前にした優しいキスとは異なる、余裕のない荒々しいキス。優しくて穏やかな彼の予想外の行動に、ビアトリスは気が動転した。


(こんなこともできるの……彼を甘く見ていた)


執拗に舌を絡めるキスは、ビアトリスを別物に変えてしまう力を持っていた。内側からぞくぞくという衝動が湧きおこり、どこかへ連れて行かれそうな気がする。そんな恐怖心が芽生えた時、ようやくエリオットは体を離した。息は荒く上がり顔が紅潮している。


「醜くて浅ましい欲望だよ。君のことを滅茶苦茶にしてやりたい。本では恋で身を滅ぼした話がごまんと出てくるけど自分は無縁と思っていた。こんな苦しみを今になって味わうなんて」


エリオットの表情は苦悶で歪んでいた。それなのに、今まで見たどんな顔よりも魅力的に見える。普段自分の容姿を卑下するのに、ここまで美しい人を見たことがない。ビアトリスは無我夢中ながらも、「ああ、恋は男女を美男美女にするんだ」ということをぼんやり考えた。


「じゃあ、最初から出会わなければよかった?」


ビアトリスがそっと囁くと、エリオットは、はっとして我に返る。そしてこう答えた。


「ううん。君と一緒ならどんな苦しみでも受けて立つ」


そう言ってキスの続きを始めた。


最後までお読みいただきありがとうございます。

「この先どうなるの?」「面白かった!」「続きが読みたい!」という場合は、ぜひ下にスクロールして、☆の評価をお願いします。

☆5~☆1までどれでもいいので、ご自由にお願いします。


更にブックマーク、いいねもしてくださると木にも上る勢いで嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ