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第23話 新妻、職業婦人になる

夫と再会したはいいものの、しばらく離れて暮らすことになったビアトリスは、無理やり気持ちを切り替えて、「楡の木」に勤務することとなった。


「紅の梟」と同様、社員は編集長を入れて10人ほどで、一人で複数の仕事を掛け持ちして切り盛りしているらしい。締め切り前になるとそれなりに殺伐とした雰囲気になるとも聞いている。


勤務初日、彼女は社員たちの前で自己紹介した。


「ビアトリス・ブラッドリーです。今まで働いたことがなくて皆さんの足を引っ張ることもあるかと思いますが、そ、その、よろしくお願いします!」


ビアトリスはそう言うと、勢いよく頭を下げた。何せ、周りは男の人だらけである。男性に囲まれる空間に身を置いたことがないので、緊張するなという方が無理だ。家を出る時、アンジェリカから「よく敵情視察してきてね!」と言われたが、そんな余裕はとてもない。


「大丈夫だよ。貴族階級の女性が働くのはまだ一般的じゃないから、こっちも気を付けるようにする。それに、原稿の手直しをするついでに手伝いをしてもらうだけだから、そんなに気負わないで」


編集長のマークは気さくな調子でそう言ってくれたが、どうしても力が入ってしまう。もうこうなったら開き直るしかない。そう思い仕事に取りかかる。


マークが言った通り、人手が足りないところに呼ばれて雑用をこなすのが主な仕事だ。


最初のうちは慣れずに細かいミスもしたが、だんだん要領が分かって来ると体が動くようになった。投稿小説を下読みしやすいように整えたり、誤字脱字をチェックしたり、印刷所にお使いに行ったり、種々雑多な内容だが、一冊の本ができるまでの一通りの工程を学ぶチャンスにもなり、とても勉強になる。


もう一つ、思わぬ副産物があった。ここでは、社交の場で自分が値踏みされる不快感とは無縁なのだ。


男性から選ばれる側としてのビアトリスは、とにかく評判が悪かった。女のくせに小説を書いてるだの、普段はズボンを履いてるだの、本人にとってはどうでもいいことが、周囲は気になって仕方ないようだ。こんなつまらないことが評価ポイントになるのならいっそのこと独身のままでいいとすら思った。


それが、ここでは一顧だにされない。さすがに職場でズボンは履かなかったが、小説を書けるのはむしろ評価されるし、些事を気にする人間は一人もいない。ただ仕事ができるかできないか。このシンプルな評価尺度にビアトリスは救われた。


働いて数日経ったある日、マークがビアトリスに話しかけてきた。


「どう? 仕事に慣れて来た頃かな? そろそろ僕の時間が空いた時に書き上がった小説を見るよ。悪いけど、来週までに第一稿を仕上げて来て」


何と、勤務時間の合間に小説を書くのではなく、時間外に仕上げなければならないのか。ビアトリスは、自分の見込みが甘いとを認めざるを得なかった。家に帰るのはそう遅くならないが、夜も机に向かわなければならない。


帰宅して休む暇なく原稿に取り掛かる彼女に、アンジェリカが見かねて声をかけた。


「あなた、あの編集長にいいようにこき使われてるんじゃないの? そんなんで大丈夫?」


「大丈夫よ。そのうち慣れてくると思う。今まで三食昼寝付きで片手間に執筆していた環境だったから今になって苦労してるだけ。今度は締め切りがあるからね。そう言えば、エリオットもいつも締め切りに追われていたな」


エリオットがしばしば徹夜していたことを思い出す。あれは、「紅の梟」の原稿を書いていたのだ。編集長となれば責任も重い。会社に行かない分、原稿執筆の面での負担は大きかったようだ。


今、彼はどうしているのだろう。すっかり自分のことにかまけていたビアトリスは、アンジェリカに聞いてみた。


「エリオットも『紅の梟』の編集部に顔出ししてるみたいよ。新しい社員は、ペンドラゴンが実在の人物と知って驚いてるみたい。今まで兄が負担していた仕事も徐々に覚えていくみたいだけど、まあ、苦労するでしょうね……」


つい最近まで引きこもりだったエリオットが、本格的に働き出したらどうなるか、ビアトリスには想像が付かなかった。彼女以上に慣れないことばかりで苦労するだろう。


できれば彼の側にいてやりたいが、当の本人から断られてしまった以上どうすることもできない。自分は自分のやるべきことを粛々こなすしかないのだ。


睡眠時間を削って自作の小説をまとめたビアトリスは、約束の日にマークに提出した。その原稿が赤いインクまみれで返ってきたのはその3日後だった。


「もう直しが終わったんですか? 早いですね! いつやってるんですか?」


「仕事が終わってみんな帰った後だよ。家に帰らない日もあるからこれくらいどうってことない」


それを聞いたビアトリスは、ありがたいやら申し訳ないやらだった。


同人誌の体裁を取っているとは言え、かける手間と技術は一般の出版物と変わりがない。何気なく手にしている本がどのようにしてできるか目の当たりにして、裏に隠された努力に恐れ入った。


「じゃあ、早速確認に入ろう。まず、冒頭なんだけど——」


短期間でチェックしたとは思えないほど、マークの指摘は微に入り細を穿つものだった。どの意見もなるほどと納得できるものであり、反論する余地がない。さすが編集長だけあって、仕事ぶりは優秀だ。


「ごめん、ちょっと飛ばしすぎたかな。ここで休憩にしよう。さっきから駄目出しばかりになって申し訳ないけど、君の作品が気に入らなかったらそもそも選んでないから。もっとよくするためのものだから、どうか気を落とさないで」


「いいえ、さっきからどれも的確な意見ばかりでありがたいです。今まで講評をもらったことがないので。初めて自分の作品を客観的に見れました」


「あれ、今まで合同批評会とか行ったことないんだっけ? そうか、確かに女性は行き辛いよな。結構議論が白熱することもあるから、ちょっと怖いイメージがあるよな」


「何です? 批評会って?」


「アマチュア作家たちが集まって、自作の小説を披露して批評し合う場なんだよ。みんな創作論については一家言持ってるからね、議論が盛んと言えば聞こえがいいが、喧嘩ぽくなることもあってね。でもお互い相手の顔を見て議論するから、後腐れがないとも言える」


マークは苦笑しながら説明してくれた。なんか面白そう。ビアトリスは、生来の好奇心旺盛な性格をくすぐられた。


「参加者としてではなく、観客としてなら少し興味があるんですが?」


「本当? それなら今度の休みの日に行ってみよう。いつもどこかでやってるから、適当なものを探してみるよ」


こうして、休日の日にマークと一緒にアマチュア作家の集まりを覗いてみることとなった。家に帰りアンジェリカに話したところ、彼女は眉間にしわを寄せた。


「それって、シンプソン編集長があなたを誘ったの? あなたに気があるんじゃなくて?」


そんなこと思ってもみなかったビアトリスは、へ? と間抜けな声を出してしまった。


「そういうんじゃないから大丈夫よ。雇用主と部下の関係でしかないもの」


「いや、下種の勘繰りをして女性の社会進出の芽を潰すことはしたくないんだけど、でもあなたはエリオットから預かっている大事な奥様だから、その辺は脇に置いて考えたいのよ」


「確かに既婚女性が夫以外の男性と二人で歩くのはおかしいわね。やめた方がいい?」


「ごめん、気にしないで。余計なことだったかもしれない。そうだ! 私も兄さんと行ってもいい?」


「ええ? どうして!?」


「言葉のボクシングとも言われているみたいで、前から興味あったのよね。遠くからあなた達を観察するから。変な虫が付かないように」


アンジェリカの心配は杞憂ではないかと思ったが、ビアトリスの立場で駄目だとは言えなかった。自分なんかに気がある男性がエリオット以外に存在するはずがない。そうとしか思えなかった。


最後までお読みいただきありがとうございます。

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