第21話 優しい罠
ビアトリスがいなくなってからというもの、エリオットは、再び元の引きこもり生活に逆戻りした。日課だった散歩もしなくなり、机に向かい原稿を書いたり新刊の本を読んだりする毎日だ。
前は充実していると思ったこの生活が、今はとてもむなしく感じる。心にすきま風が絶えず吹きすさぶようだ。なぜこんなに変わってしまったのだろう。
理由は分かっている。自分の中でビアトリスの占める位置が余りにも大きくなったからだ。それなのにどうすることもできず雁字搦めになっている。
幸い、先日セオドアが会いに来て打開策を提案してくれた。彼が来てくれて本当に助かった。でも、自分は何もせず、ただ周り解決してくれるのを待つだけでは駄目だということもいい加減理解している。問題は、どうすればいいか分からないことだ。
(自分はどうしたい? ビアトリスと一緒にいたい。それなら何をすればいい?)
何度となく自問しているが、答えは「兄を説得する」しか出てこなかった。しかし、これが最大の難関だ。ここまで考えて、なぜ叶えるのが難しいんだっけ? といつも分からなくなる。
(兄様は僕を応援してくれるはず。それなら僕の幸せを願うのは当然では? なのに、なぜ説得できないと思うのだろう?)
結局第一歩がいつまでも出ない。自分は何を躊躇しているのか? あの兄ならエリオットの選択を歓迎してくれるのではないか? しかし、それだけはなぜか自信をもって否と言えた。
いずれにしても兄との対話は避けられない。そう思っているうちに月日が過ぎた。
ある日、ブラッドリー家でユージンの私的なパーティーが開かれた。参加者はみな、ユージンと親交ある人たちだ。広めの客間に所狭しと、彼を慕う者たちが集まった。
特に若い女性が多いのは気のせいではない。彼女らは、ユージンに気にいられようと色目を使ったり、彼の視界に入ろうとしたり躍起になっていた。そんな華やかな宴席にあって、エリオットの存在は誰からも忘れられていた。
エリオットは今までずっと地下に引きこもっていたので、こういう催しはしばらく無縁だったが、今は形だけでも参加しろと兄に言われる。
当然社交の場に出るのは大の苦手だが、断る理由が見つからない以上どうしようもない。ハインズに相談して、人前に出ても恥ずかしくない服装を選んでもらって、どうにか体裁だけは取り繕った。
(今まではビアトリスがいたからどうにかなっていたけど、彼女がいないと何もできないようでは嫌われてしまう。一人でもできるってところを見せてやらなきゃ)
以前の自分とは違うはずだ。地下室から出ることができたし、ビアトリスから勇気も貰えた。決して前のようにはならないはず、そう言い聞かせる。
「あら、ユージンに弟さんなんていたの?」
壁際にへばりつくように立っていたら、ふと自分に話が振られてびくっとした。あんなに念入りに心構えをしたはずなのに、いざ自分に注目が集まると体がカチコチになって冷や汗が出てしまう。こういう時どうしたらいいか分からず、ただ固まるしかなかった。
「そうなんだ。異母弟のエリオットだ。あれ、さっき紹介しなかったけ?」
ユージンはそう言うと、その女性とエリオットを引き合わせ、お互いの紹介をして二人きりにしたまま、どこかに行ってしまった。エリオットは、この女性の相手をしなければならないのか? と信じられない思いでユージンを目で追ったが、既にユージンはいなくなっていた。
女性に目を戻すと、彼女の方が露骨に嫌そうな顔をしている。ユージンの気を引きたくてエリオットをダシに使っただけなのに、一対一で話をしなくてはならない羽目に陥って明らかに失敗したと思っているようだ。彼女に対して申し訳ない気持ちになってしまった。
「あ、あの、マリエッタ嬢でしたっけ? ええと、兄とはどこでお知り合いに?」
しどろもどろになりながら、エリオットは何とか話題を見つけようとした。どうして自分がこんなことをしなくちゃならないんだと頭の片隅では思っていたが、何とかこの場を収めなければという義務感で頭を働かせる。
「さる方のパーティーで声をかけていただいたの。あなたはお兄様と全然似てないのね」
「兄と違ってハンサムではない」と言いたいのだろう。エリオットは力なく笑うしかなかった。自分もその通りだと思う。
「そうなんです。少しでも兄に似ているところがあればよかったんですけどね。見た目も中身も出来が全く違うので、本当に兄弟なのかと我ながら思います」
エリオットは冗談めかして言ったのだが、マリエッタは仏頂面のままである。やれやれと思うと同時に、ビアトリスならこういう時どんな反応をしたかなと考えた。
(ビアトリスなら相手の気持ちを傷つけないように、にこやかに対応しただろうな。今頃どうしてるだろう。会いたい)
エリオットがビアトリスのことを考えて物思いにふけっているうちに、マリエッタは自分が放置されたと判断してその場からいなくなっていた。後になりしまったと思ったが、別に仲良くなりたい相手ではないのでどうでもいい。
しかし、パーティーが終わってからユージンが声をかけてきた。
「さっき会ったマリエッタ嬢、どうだった? 向こうはお前にまんざらでもないようだが?」
何を見たらそうなるんだ? 明らかに兄目当てで、自分には一片の感情もなかったではないか。エリオットは、びっくりしながら答えた。
「待ってよ。僕にはビアトリスがいるじゃないか? まさか忘れたの?」
「ああ……ビアトリスか。でも今いないだろう? 帰って来る気配もないし。俺としては、自分から出て行った女性とうまくいくのかなってちょっと心配なんだ」
ビアトリスの名前が出ると、エリオットは興味がなさそうにしれっとした表情になった。
「ビアトリスはお前には合わないような……俺がいない間に勝手に決められた婚姻だからかな。俺も申し訳ないことをしたと思うが、改めて選び直すのも悪くないんじゃないかと思って。それもあって、パーティーにお前も参加させたんだ。マリエッタ嬢の方が表に出しても恥ずかしくないだろう? 風変わりなところもないし、お前を普通に見せてくれる」
エリオットは、余りのことに耳を疑った。これが、何の疑いもなく信じていた兄の言葉なのだろうか? ビアトリスに何の落ち度があると言うのだろう? 第一自分はビアトリスを気に入っている。彼女でなくては嫌だ。
それなのに、離婚して兄の決めた伴侶と結婚しろと言う意味なのか? 一瞬頭が真っ白になって言葉が出てこなかったが、何とか感情を抑えて口を開いた。
「僕はビアトリスを愛している。彼女でなくちゃ駄目なんだ。それは兄様といえども変えられない」
それを聞いたユージンは、謝るどころか目を細めて剣呑な表情になった。
「お前、変わったな。俺がいない間に彼女の影響を大分受けたようだ。前は俺の言うことを何でも聞いていたのに。いつからそんな反抗的になったんだ?」
「そんな……僕だっていつまでも子供じゃいられないよ。始めは政略結婚だったけど彼女とはうまく行っている。そうだ、僕も彼女を追って王都に引っ越したいんだ。やっぱり彼女と一緒がいい。兄様、お願いします」
やっと言えた。エリオットは、頭を下げてユージンに頼んだ。この機に乗じて、言いにくかったことをやっと言ったのだ。しかし、下げた頭にユージンの冷たい一言が降りかかった。
「駄目だ。お前はここにいろ。兄様が守ってやるから」
「どうして……!? どうして駄目なの?」
「お前がここから出てやって行けるわけがないだろう? すぐに尻尾を巻いて戻って来るに決まってる。これ以上挫折体験をしなくて済むように俺が守ってやると言ってるんだよ。ビアトリスとは別れろ。もっといいお嫁さんを選んでやるから」
ここに来てやっと何かおかしいとエリオットにも理解できた。どうして自分をここまで束縛するのか? 何にこだわっているのか?
「嫌だ! 失敗するかどうかなんて、やって見なくちゃ分からないだろう! それに今は一人じゃない、ビアトリスもいる! 一緒にどこまでやれるか試してみたいんだ」
「いや、絶対失敗する。賭けてもいい。だって前もそうだっただろう? 大学も失敗した。人前に出ても笑われた。お前はそう言う奴なんだよ」
兄はこんな人間だったのか? エリオットは、目の前のユージンが信じられなかった。でも、よく考えると、ユージン自身は変わっていない気がする。じゃ何が違うのか。変わったのは自分だ。前は普通だと思っていたことが、今は信じられなくなったのだ。
「やめて! とにかく、今回は自分の気持ちを優先したい。失敗することを恐れたくないんだ!」
「それなら縁を切るがいいか? ここに残れば守ってやれるが、出て行ったらそこでお終いだ。いや、お前の人生をとことん潰してやる。行く先々で邪魔をして駄目にしてやる。そうだ、同人誌への送金もやめよう。もう必要ないからな。家の威光を借りずに、お前一人の力でどこまでやれるか試せばいい。それでどうなっても知らないぞ」
ユージンは、エリオットの肩を抱き顔をぐっと近づけ、優しく甘く囁いた。まるで本当に心配しているかのような声色で語り掛ける。口調と内容のギャップが余りにもありすぎることに、今度はエリオットも騙されなかった。
「どうして? あれは元々僕のお金だったはずだ。どうして兄様が止めることができるの?」
「金の管理を自分でしたことがあるのか? ずっと地下に閉じこもって面倒事を避けていたのに? 自分の金だからって自分で管理するには具体的にどうすればいいのか知っているのか? 知らないだろう? そんな体たらくだから、俺が止めようと思えば簡単にできるんだよ」
今までのエリオットなら、そこで兄に屈していただろう。しかし、今回ばかりはどうしても納得できなかった。納得できないが、これ以上どうすればいいかも分からず、頭を抱えて何やら喚きながら自分の部屋へ戻ることしかできなかった。その様子を見ながら、ユージンはぞっとするような顔で、ただ面白そうに笑っていた。
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