第17話 王都での第一歩
ビアトリスは、翌朝誰も起きてない時間に持てる荷物だけまとめてブラッドリー邸を出て行った。王都へは馬車で数時間かかる、昨夜は一睡もできなかったが、馬車の中でも神経がはりつめたままだった。
王都にいる知り合いは一人しかいない。エリオットの友人セオドアだ。
前に会った時「困ったことがあったら相談してほしい」と言われたのを頼りにするしかない。結局彼の言う通りになった。連絡も寄越さないで突然訪問するなんて非常識と思われてしまうだろう。でも、今のビアトリスにはなりふり構っている余裕はなかった。
セオドアの屋敷に着いたのは、太陽が西に傾きかけたころだった。馬車に乗り続けて体がフラフラしたが、そんなこと今はどうでもいい。こんな時間に他人の家を訪問するなんて貴族の流儀にもとることは承知だったが、どうしても会わずにはいられなかった。
セオドアの屋敷は、ブラッドリー邸と比べると質素な見た目をしていた。彼は長男ではないので、財産もそれほど保有していないと言っていたことを思い出す。それでも、王都の郊外の貴族の邸宅が居並ぶ地区にあり、それなりに裕福な家と見て間違いない。
ビアトリスは、胸をドキドキさせながら扉を叩いた。使用人に用件を言ってセオドアを呼んでもらう。もし不在だったらとか、冷たくあしらわれたらとか、色んな不安が頭の中で渦巻き、待っている間自然と祈るように手を組んでいた。
程なくして、見覚えのある顔が中から出て来た時には、安堵の余り全身の力が抜けそうになった。
「ビアトリス! どうしてここへ?」
セオドアは、前に会った時と変わらぬ様子でビアトリスを歓待してくれた。連絡せず急に訪問したことの詫びを入れたが、彼は、そんなことはどうでもいいと気にする様子はなかった。彼女の顔色が余りにも青ざめていて、ただ事ではないことを一瞬で察したからだろう。
ビアトリスは、客間に通され座るよう勧められても気持ちが治まらなかった。セオドアに事の経過を説明する。ユージンが帰って来たこと。エリオットはユージンを信じきっていること。一緒に王都へ行こうと説得したが、ユージンの前で自分を選んでくれなかったことなど。
セオドアはじっと黙って聞いていたが、ビアトリスが話し終えると思い口を開いた。
「そうか。ユージンが帰って来たのか。やはり彼は無事だったんだな。それはともかく、今まで均衡が保たれていた兄弟関係に君と言う異分子が入って来た以上、いつかこうなるんじゃないかとは思ってました」
がっくりと肩を落としていたビアトリスは、それを聞いて顔を上げセオドアを見つめた。
「あなたがただのお飾りの妻だったり、エリオットを嫌っていたりしたらそうはならなかったでしょう。でも、二人は馬が合った。エリオットの心の奥深くに入り込むことができた。ユージンにとっては、邪魔な存在がブラッドリー家の嫁になったということです」
「もしかして、ユージンの正体をご存じなんですか?」
「もちろん。何度となくエリオットの家を訪問したから、あの異常な関係性は知ってます。彼から話を伝え聞くだけでもヤバいと分かるしね。だから、こないだあなたと会った時、もしかしたらこれはチャンスかもと思った。ユージンの呪縛から彼を解き放つチャンスかと」
「でも失敗しました。ユージンの前で、自分を取るか兄を取るか迫ったんです。でも彼は決められなかった。私を取ると言って欲しかったのに。でも、ここに来る途中考えたんです。私もユージンと同じことをしたんじゃないかって。自分で決めろと言いながら、『あれかこれか』を彼に迫っていた。結局自分の思い通りに動かしたかっただけなんじゃないかと思うんです」
そう言うと、ビアトリスは両手で顔を覆った。ユージンのようにはなりたくないとずっと思っていたのに、エリオットを追い詰めたという意味では変わらなかったのではという後悔が彼女をさいなむ。
「そんなことありません。兄より妻の方が近い存在なのだから、あなたの主張は当然です。でも、エリオットを責めないでやって下さい。きっと僕たちのことを思って決断できなかったんだと思います」
「……と言うと?」
「ユージンは、送金をやめて文芸活動をできなくしてやると言ったんでしょう? それは、『紅の梟』の活動資金を止めるという意味ですよ。『紅の梟』は、エリオットの援助によって支えられてますから」
「えっ? ちょっと待って? そう言えばそんなこと言ってたような……でもどういう意味ですか? エリオットはあそこに投稿してただけじゃないんですか?」
「そもそも、『紅の梟』を立ち上げたのは僕とエリオットなんです。そういうこともあって、彼は編集長の座についてます。ペンドラゴン編集長っているでしょう? あれは彼のペンネームです。でも、あなたの作品を選ばなかったせいで、王都に行く夢を潰してしまったと悩んでました。だから、あなたにはそのことを伝えられなかった。そういうことなんです」
それを聞いたビアトリスは、今度は耳まで真っ赤になってしまった。自分がいかにペンドラゴンに心酔しているか、何度もエリオットに話したことを思い出したのだ。まさか、目の前に本人がいたなんて。
動揺の余り、しばらくセオドアの前であわあわとしてしまう。その様子を見てセオドアはクスクスと笑った。
「僕はそこまで責任を感じる必要はないって言ったんですけどね? でも彼ああいう性格だから。あなたに申し訳ないと思ったんでしょう。そんな訳で、『紅の梟』は彼の援助によるところが大きいんです。紙面見てもらえれば分かるように、広告もないしね。だから、援助がなくなれば本は出せなくなる。それを気にして動けなかったんだと思う」
何と。ビアトリスは、エリオットが自分に着いてきてくれるかということばかり気にして、ユージンが暴露した「文芸活動をやめさせる」というのを軽く考えていた。そんな背景があったなんて知る由もなかった。だが、今や「紅の梟」は文学界においてかなり影響力を持った媒体に成長している。
これをエリオットの一存でやめることはできない。ペンドラゴン編集長としての彼が決断を鈍らせたのだ。
「私自分のことしか考えてませんでした……もし知ってたらショックを受けることもなかったのに。いいえ、そもそもそんな残酷な選択を迫ることもしませんでした。結局彼を追い詰めただけなんですね」
「いいや、そうじゃない。結局これは避けられないことでした。エリオットがユージンの支配から逃れるためには、痛みを伴うのは仕方ないことです。ただ、今のままでは彼も苦しいままだから僕も協力しましょう。エリオットのお金を宛てにしなくても雑誌を続けられる体制に変えなければならない。思えば、僕たちもエリオットに甘えていたんです。エリオットがユージンに従順である限りは困らなかったので。広い意味では共犯です」
「そんな……! セオドアさんしか頼れる人がいません。お願いします。どうか力を貸してください!」
ビアトリスは深々と頭を下げた。セオドアの協力は得られそうだ、とりあえずホッとした。でも具体的にはどうすればいいのだろう? どのように行動すればこの状況を打破できるのか? 皆目見当がつかない。
その時だった。突然、客間の扉がバーンと開いたかと思うと、ビアトリスと同世代くらいの小柄な女性が立っていた。
「話は聞かせてもらった! あなたがビアトリス・ブラッドリー、エリオットの奥さんね! 私も協力させてもらう! 軟弱な男だけに任せておけないわ!」
ビアトリスは口をぽかんと開けて呆気に取られた。その横でセオドアが困ったように苦笑していた。
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