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第12話 あなたは私が守る

ビアトリスがドレスアップして浮かれていた頃、エリオットは長ソファに座ったまま、全身がガタガタ震えるのを抑えることができなかった。


ビアトリスが来てから、エリオットの生活は目まぐるしく変化した。意外な共通点を見つけ、一緒に散歩しようと誘われ、地下室を出て今の部屋へと移った。そして今度は食堂室でご飯を食べましょうと来たもんだ。それまで動かなかった時計の針が、ここ数か月で一気に動き出したかのようだ。


我ながらバカバカしいと思う。食堂室に行くだけで何を怖がっているのだろう? でもあの部屋で、過去に忌まわしい事件が起きたのは事実だ。


今までは何とかごまかしてあの部屋に入るのを回避して来た。でも今度こそ逃げきれない。さっきはなぜあんな約束をしてしまったのだろうと、エリオットは悶々と苦しんだ。


やがて時計が夕食の時間を告げる。今日はここに誰も食事を運びに来ない。


もう大丈夫だ。地下室だって出られたじゃないか。今の自分なら克服できる。そう思い立ち上がったが、へなへなと再び椅子に崩れ落ちてしまった。駄目だ。自分は意気地なしだ。生きている価値なんてない。


ネガティブな考えが堂々巡りするうちに時間が経過し、ビアトリスの方がこちらの様子を伺いに来た。いつものズボン姿ではなく、サーモンピンクの軽やかな生地のドレスに着替えた彼女は随分可憐に見える。


はっと息を飲んで見惚れると同時に、彼女がここまで楽しみにしてくれたのにと悔恨の念が湧いた。


「あの、何かあったのかと思って心配して来てみたの。汗びっしょりだけどどうしたの?」


エリオットに見つめられて真っ赤になったビアトリスは、もじもじしながら言った。耳に着けたピアスがゆさゆさと揺れる。彼女をじっと見ていたエリオットは、慌てて頭を横に振った。


「ごめん、心配かけて……! 大したことじゃないから大丈夫!」


こんな時はまず女性の容姿を褒めるものだ。そう思ったものの、生憎頭が回らず言葉が出てこない。言葉を扱う職業なのに、肝心な時は何一つ気の利いた言葉が出てこない。


自分のポンコツさにほとほと嫌気が差すが、自分を見つめるビアトリスは不安げな表情のままだ。まずい、何か言わなければ。


「病気ではないんだけど、その……」


「全然大丈夫そうじゃないわよ。私のことはいいから無理しないで」


明らかに様子がおかしいと気づいたビアトリスはソファの隣に腰かけ、彼の手を握った。手を握られたエリオットは、それで勇気をもらったのか、ようやく本当のことを打ち明けた。


「ごめん、今まで黙っていたけど、食堂室には入れないんだ。その、あそこで昔嫌なことがあって、それからずっと避けている」


言った。とうとう言った。案の定、ビアトリスは目を丸くして驚いている。


「そうだったの……わたしのために無理しなくてよかったのよ」


「お祝いしたかったのは本当なんだ。だって僕も嬉しかったから……そう思ったらつい口を滑らせてしまった。すぐに否定しなきゃと思ったけど、喜びに水を差したらまずいと思って……もうあれから大分時間も経っているし、そろそろ大丈夫かなとも思ったけど駄目だった……」


エリオットはそう言うと、がっくりと肩を落とした。そんな彼を元気づけたくて、ビアトリスは握った手に力を込める。


「そうだったの。教えてくれてありがとう。一緒に喜んでくれた気持ちだけで十分嬉しいから気にしないで。ご飯が食べられれば場所なんてどこでもいいんだから、心配しなくていいよ」


努めて明るくそう言ったが、エリオットの表情は暗いままだった。


「いや、駄目だよ。克服しなきゃならないんだ。もう10年も前の出来事なのに、何をいつまでうじうじ悩んでいるんだろう……」


「……食堂室で何があったか、聞いてもいい?」


ここまで来たらもう隠し立てはできない。全てを諦めたエリオットは口を開いて、ぽつぽつと話し始めた。


「ここに正式に住むようになったのは18からだけど、10歳の頃から夏休みなどの長期休暇に滞在していた。僕の母親は、いわゆる舞台女優で……と言えばどんな立場か大体想像つくだろう? 愛人ってやつだよ。そんな卑しい身分だったけど、兄様は年の近い腹違いの弟をかわいがってくれて、この家に呼んでくれたんだ。母親もその時は新しい恋人がいたから、僕を厄介払いできて好都合だったと思う。でも、ここの女主人、つまりユージンのお母様は、当然快く思わないよね。愛人の息子だし、本来はこの屋敷に足を踏み入れる権利すらない」


エリオットはここまで言うと、一旦呼吸を整えた。初めて他人に打ち明けることになるが、予想以上の重労働だ。


「そんな中、兄様だけは優しかった。お父様は、奥様に気を使って素っ気ない態度だったけど、兄様は、昔から一緒に住んでいるかのように、子供の頃から親身に接してくれた。本当の母親より身近な存在だと思っている」


やはり、ユージンの存在は、エリオットの中ではかなり大きいようだ。ビアトリスは黙って聞いていた。


「14歳の夏休みの時、僕は例年のようにこの屋敷に招かれていた。でも、奥様は堪忍袋の緒が切れる寸前だったんだと思う。前から当たりはきつかったけど、とうとう、食事の時に感情が爆発した。床に僕の食事をぶちまけて、犬みたいに食べろと命令して来た」


まさか犬食いしろと言ったのか? 余りにも異様な話の展開にビアトリスはびくっとして、彼の手をぎゅっと握りしめた。


「もちろん、いくら何でもそんな命令従えない。僕はただ震えていた。それで業を煮やした奥様が僕に襲い掛かって、その拍子に足を滑らせてマントルピースの角に頭をぶつけた……」


エリオットはここまで言うと、両手で顔を覆ってうずくまった。ビアトリスは、小刻みに震える彼の肩をただ見つめることしかできなかった。余りの話に脳の処理が追い付かない。


「……打ち所が悪かった奥様は、そのままお亡くなりになった。その場にいたのは外には兄様と僕だけ。当然僕はひどく責められたけど、兄様が事故だとかばってくれた。その時はもう二度とこの家に来ることはないだろうと思った。でも18の時、実の母親が死んだ。そしたら兄様がまたやって来て、ここに一緒に住もうと言われたんだ。一度は断ったけど、僕には生活能力もお金もない。待っているのは劇団の下働きの仕事だけ。冷遇されてもいいからと、もう一度この家にやって来た。案の定お父様は冷たかったけど、その都度兄様に慰められた。そこでも色々うまくいかないことが続いて逃げるように地下室に引きこもった。それからは君の知ってる通りさ」


そこまで言うと、エリオットは自嘲ぎみに笑った。ビアトリスは、彼を元気づけたくて必死で言葉を探した。


「ごめん、何も知らなかった……そんなところで食事なんてできないよね。今日のことはもういいから。もう無理しないで」


「いや、いいんだ。僕も誰かに打ち明けたかったのかもしれない。ビアトリスなら信用できるから」


ビアトリスのお祝いをしたかっただけなのに、こんな辛い結果になってしまった。どこまでも自分は駄目な人間だ。彼女を幸せにすることなんてできない。


一方のビアトリスは、エリオットのために何かしてやりたいという気持ちが強くなった。自分ができることって何だろう。打ちひしがれたエリオットをしばらく見つめていたが、おずおずと手を差し伸べ、彼の体をぎゅっと包み込んだ。


「エリオットは何も悪くない。何かあったら今度は私が守って見せる。だからもう大丈夫よ。怖がらないで」


エリオットは頭が真っ白になったま言葉を失った。ビアトリスの柔らかな体の感触と体温がじんわりと伝わり、優しく彼を包み込む。


こんな時どうしたらいいのだろう。このままでいたい気持ちと、このままじゃいたくない気持ちがせめぎ合う。しばらくそのままでいるうちに、このままじゃいたくない気持ちの方が強くなって来た。肩をつかんで一旦彼女を引き離し、緑の目をまっすぐ見据えこう言った。


「ありがとう、ビアトリス。君に会えてよかった」


そう言うと自分の唇を彼女の唇にそっと重ねた。



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