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第10話 薄くて見えない壁

セオドアがブラッドリー邸に滞在している間、地下室から一階の新しい部屋に引っ越しする作業は着々と進められた。蜘蛛の巣や埃を被ったエリオットが一階と地下室を何往復もす姿をよく見かける。セオドアも積極的に手伝ってくれるお陰で、膨大な荷物の移動もさほど時間がかからなかった。


「よかった、セオドアさんが来てから、エリオットがより一層明るくなったみたい。こんなに生き生きとしている姿は初めて見ました。昔からの親友だけありますね」


ある日、ビアトリスは、エリオットのいない所でセオドアと話をした。彼女も新しい部屋の掃除を手伝うなど、少しでも夫の助けになるように働いていた。


「あいつが地下室を出ようと決めたのは、あなたの影響が大きいと思います。僕も今まで散々説得してきましたが、決して首を縦に振ることはありませんでした。あんなに態度が軟化するなんて、どんな魔法を使ったんですか?」


セオドアの冗談にビアトリスも笑ってしまった。彼がいい人でよかった。引きこもるほどの何かを背負った夫の周りには、一人でも明るく信頼できる友人がついて欲しい。


「そうだ、一つ本人には聞きにくいことがあるんです。彼は、お義兄様に並々ならぬ敬意を抱いているようですが、どうしてなのか不思議で。話を聞いていると、何て言うかその、違和感が……」


この機会なので、前から気になっていたことを尋ねてみようと思った。昔からの友人であるセオドアなら詳しい事情を知っているかもしれない。


彼女の質問に彼がしかめ面になったところを見ると、心配や懸念もあながち的外れではないと悟った。


「確かにそれは気になるでしょうね。だが、百聞は一見に如かず、あなたが直接ユージンに会って確かめる方が納得しやすいでしょう。すいません、もったいぶるわけじゃないんですが……」


「えっ? 会えるんですか? 余り大きな声では言えないけど、生きてるか死んでるか分からないという噂もあるくらいで……」


「絶対生きてますよ。根拠は、エリオットが冷静なことです。もし、本当にユージンがいなくなれば、もっと取り乱すはず。それが、どっしり構えているのだから、兄の無事を確信しているし、本人から詳しい事情も聞かされていると思います。だから、僕はユージンのことは心配していない。ただ……ユージンが戻って来た時、あなたと対立するんじゃないか、それが心配だ」


「えっ? それはどうしてですか?」


ビアトリスは、思ってもみなかったことを言われ、目を白黒させた。


「あなたの存在がエリオットを変えたからです。彼に地下室を出る勇気を授けた張本人だからです。そんなあなたをユージンがどう受け止めるか、僕には分からない。ユージンとあなたが対立した時、エリオットがどんな判断を下すかも現時点では不明だ」


にわかに不穏な話になってビアトリスは不安を抑えきれなかった。そんな彼女を勇気づけるように、セオドアは微笑みかける。


「そうだ。もし、その件で困ったことになったら王都の僕の家を訪ねて下さい。何らかの助けにはなると思います。名刺を渡しますが、エリオットには内緒ですよ。いや、決して変な意味ではないのでご安心を。僕は、新妻を口説くには道徳的すぎる男ですから」


そう言うと、ビアトリスに名刺を渡しながらウィンクをした。困ったことが起きたら自分を訪ねろとはどういう意味なのか。まるで、ユージンと衝突するのは決まり切っているような言い方ではないか。


エリオットが地下室から出ることをユージンは望まないのだろうか。何から何まで意味が分からない。モヤモヤした気持ちのまま、一応名刺を受け取っておいた。


「つまり、お義兄様に直接会えば全てが分かるということですか?」


「ええ。その日は遠からずやって来ると思います。でもあなたは強い女性とお見受けしました。絶対に克服できるはずです。その上で、誰かに相談したくなったら僕を頼って下さい。これでもエリオットのためになりたいんです」


セオドアは、この時ばかりは冗談を交えず、ビアトリスの瞳をまっすぐ捉えて言った。この人の言うことに嘘はない。きっと夫と自分の助けになってくれる。ビアトリスはそう判断した。この先何が待ち受けているか分からないが、一人じゃないことだけ分かれば今は十分だ。


数日後、エリオットの引っ越しが完全に終わったのを見届けてセオドアは王都の自宅へ戻って行った。冷やかし役がいなくなり、またビアトリスとエリオットの静かな暮らしに戻ったが、エリオットが一階の部屋に移動したという点で前と大きく異なっている。


エリオットは大分広く明るくなった部屋に所在なげに座っていた。


「やっぱりまだ落ち着きませんか?」


自分の部屋にいるのに、どこか緊張の色を隠せないエリオットにビアトリスが話しかける。やはり、気持ちの整理がまだついていないらしい。


「うん……正直言って、地下室の方が守られている感じがまだある。明るい場所にいると落ち着かなくて……でも読んだり書いたりする分には便利だよ。前もって散歩を始めて予行練習しておいたのはよかった」


「時間の経過と共に、徐々に慣れてきますよ。誰でも最初からうまく行く人なんていません」


「じゃあ、夜暗くなれば安心かというとそうでもなくて、場所が変わったら眠れなくて……実は今も寝不足なんだ。なかなかうまくいかないもんだね、はは……」


エリオットは弱々しく笑った。一階に来てから部屋も広くなり、ベッドも穴倉のような万年床から寝心地いい物に変えたはずだ。だが、広い空間だと却って落ち着かなくなり安心できない。独り身という現実がひしひしと迫って来る。


(いや、待てよ? 今は独り身じゃない。結婚してるんだった! 結婚してるのに一人じゃ眠れないっておかしくないか? でもこんなこと言ったらビアトリスが気持ち悪がってしまうよな? どうしよう!)


エリオットは、一人赤面してあたふたした。隣にいるビアトリスにおかしく思われないかとこそっと確認する。幸い彼女はなにも気付いてないようだ。


ほっとしたのも束の間、今度は、自分みたいな人間と一緒に寝てくれるわけないだろうと自己嫌悪に陥った。全く、気持ちが乱高下してどうにもならない。


だが、ビアトリスは気付いていた。一人で眠れないのなら、二人で眠ればいいということに。でも、自分から言い出すなんてそんな破廉恥なことできない。いや、夫婦だから破廉恥どころか当たり前なのだが、今の彼女はなかなかその勇気が出なかった。


(やっぱりこんなの普通じゃないよね……でも普通って何? 私も彼も普通からかけ離れているし、今更普通を追い求めたってどうにもならないわよね?)


ここに来る前、ビアトリスの母は新婚の心得として「男性に身をゆだねれば相手がリードしてくれるわよ」と言っていた。それを聞いた時は怖くて仕方なかったが、優しいエリオットはそんな怖いことはしなかった。


最初は安心したが、今は? 今もこのままでいいと思ってる? ビアトリスは分からなかった。彼がどう思っているのか、自分がどうしたいのか?


「ねえ、今日はどうする? 疲れたから散歩は休んだ方がいい?」


「うん? いや、いつも通り行こう。いつものようにお昼は外でサンドイッチを食べよう」


「普段も食堂室で一緒に食べない?」


「うん? まあそれはまたおいおい」


二人は、何事もなかったかのようにいつもの会話を続けた。一体、いつまで誤魔化せるのだろう。頭の片隅ではそんなことを考えながら、実際は刹那の安寧を追い求めていた。



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